第437話 ゆっくりしてなどいられない

「お客さん喜んでくれて、よかったねー!」


 学校祭一日目の、コンサート終了後。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは部員たちのそんな声を聞いていた。

 先ほどまで行われていた体育館での演奏は好評で、アンケート用紙の集まりも上々だ。

 途中では子どもの本音なども聞こえて、場が和んだり湧き立ったりと忙しかった。結果的には盛り上がったのでヨシ――毎度力んで悔いが残る演奏になりがちだった初日としては、大成功の内容だったといえるだろう。

 ただ、それだけでは物足りなかった人間もいるようで。

 客席からやってきた貝島優かいじまゆうは、単刀直入に言ってくる。


「湊くん。打楽器のセッティングが甘いです。これからちょっと調整しますので、部員たちをお借りしますよ」

「演奏、聞いてたんですね先輩……」


 ずんずんと歩み寄ってきた前部長に、頼もしさと久しぶりの圧を鍵太郎は覚えた。

 真面目な上に、現役生のコーチを買って出た優は今日のコンサートを客席から聞いていたらしい。

 こちらとしては万全といった状態で臨んだつもりが、鬼軍曹としては詰めが甘かったようだ。しかし通り過ぎざまに「いえ、悪くはなかったですよ」と言ってもらえただけ、まだ認めてもらえたといえるだろう。

 そう、ゆっくりなどしていられないのだ。

 ある意味ではここからが、本番ともいえる。明日のOBOGを加えての演奏。

 そのリハーサルが、これから行われるのだ。

 見れば、優の他にも何人かのOBOGが客席からこちらにやってきていた。時間としてはまだ早いが、集合時刻まで待っていられなかったのだろう。

 後輩たちの演奏を聞いて、自分たちも演奏をしたい。

 たっぷり音出しをして、万全の態勢で本番に臨みたい――そんな、優のような気合いの入った卒業生が、今この場に集ってきている。

 二つ上の先輩、美原慶みはらけいなどもそうだ。彼女は相変わらずチェシャ猫のようなニヤニヤした笑みで、サックスのストラップを首にかける。


「いやハヤ、成長したものデスね、あの一年坊が。やっぱりいじめられて成長するタイプだったようデス」

「その言葉自体は正解だったんですけど、言い方に悪意を感じるのは何故なんですかね」


 二年前の学校祭、慶にソロ指導を受けたのはいい思い出である。

 思えばあの時初めて、自分は『失敗を踏まえてどうにかしていくタイプ』だと言われたのだ。天然か養殖でいったら、養殖。改良と改善を積み重ねて、力を発揮していく人間だと。

 そして、その経験を踏まえて周囲を束ねていく人間なのだと――そう教えてくれた楽器屋が、アンケートを回収箱に放り込んで片手を上げ、去っていく。

 去年のみならず、今年も様子を見に来てくれたのだ。

 彼もまた、案外と心配性というか――こちらを気にかけてくれたのだろう。

 アフターサービスを欠かさない楽器屋の背中を見送り、鍵太郎はやれやれと息をついた。今度またゆっくりと話してみたいが、それはまたの機会ということで。

 今は目の前の舞台のことに注力するのが先決である。リハーサルの開始までに音出しをして、追加になったOBOGの分、ステージの椅子を増やして――などと。

 そう思ったところで、久しぶりに自分の隣に空席ができるのに気付く。

 卒業した同じ楽器の先輩。先々代の部長。

 がやってくるのを実感して――鍵太郎は、その先輩と同い年の慶に訊く。


「……美原先輩。春日かすが先輩っていつ来るんでしょうか?」

「ミサティーなら、時間までには来ると思いますよ。自分の楽器持ってくるから、重くて大変だと思いますけど」

「……そうですか」


 リードをセットしながら返してくる先輩に、小さくそう返す。

 卒業式で話して以来、春日美里かすがみさととは一度も直に会っていない。

 そりゃあ、電話などは何度かしているけれども――やはり、直接会って話すというのはまた違うものなのだ。

 声の調子からしてきっと変わっていないのだろうけど、それでも久しぶりに会うのは緊張する。

 彼女が卒業してから、あまりに長い道を歩んできてしまったから――ずいぶん離れたところに来てしまったような気がしたから、変わり果てた自分に驚かれてしまうのではないかという不安は、未だにあった。

 しかしそんなモヤモヤは、慶が出した音で一気に霧散する。

 体育館に響き渡る、つややかなサックスの音。

 それはパワフルで輪郭がよく立っていて、記憶にある彼女の音そのものだった。

 鼓膜を揺さぶる振動は、そのまま鍵太郎の中で『理想のサックスの音』として固定されている。

 そして先輩の吹く曲は――


「……『宝島』」


 二年前、この会場で吹いた最後の曲だった。

 青空を突き抜けるようなサックスの音は、失意の中でもはっきりと記録されている。

 さらに周りには他にも、優であったり違う楽器の先輩であったり、当時と同じ音を出す連中が何人もいる。

 その光景を見て。


「ああ……」


 自分は結局、最後にここにたどり着くのだと悟った。


「戻ってきた」



 ###



 しかし、感慨にふける暇なく――


「湊くーん、譜面台足りなーい」

「湊くんゴメン、楽譜忘れた」

「せんぱーい、椅子ここでいいんですかー」

「ええい、いっぺんに言うなひとりずつ言えええ⁉」


 倍近くに増えた演奏者たちを前に、鍵太郎はてんてこ舞いで走り回っていた。

 考えてみれば当然である。これまで付き合ってきた個性豊かな連中がここぞとばかりに顔をそろえるのだ。

 トラブルが起きない方がどうかしている。前回のOBOGを交えた練習より多くの人間が集まっているのもあり、次々と運び込まれる問題に鍵太郎は死に物狂いで対処していた。


「譜面台が足りない分は音楽室から追加で持ってきて! 壊れそうなものもあるから多めに! 楽譜は先生に言って職員室でコピーしてもらってください! 椅子はとりあえず並べて後で調整するからあああああ!」

「相変わらず、みんなに頼られる存在ですねえ湊くん……」

「貝島先輩もそう言うんだったら手伝ってくださいよ⁉」


 若干引き気味で言ってくる優に、必死に助けを求める。

 前部長である彼女なら、こういう事態にもある程度耐性がある。

 が、しかし――


「いえ。私は打楽器のセッティングがあるので。現部長の湊くんにお任せいたします」

「体のいい理由で拒絶しやがったぞこの先輩! 嘘でしょ打楽器の準備、ほぼ終わってないですか⁉」


 面倒事はごめんだとばかりに突っぱねてきた優に、鍵太郎は泣きそうになりながら叫んだ。

 そうなのだ。この職人気質の先輩は、現場作業こそ本来の領分である。

 黙々と自分の仕事をこなすことには定評があるが、その反面、代表者として扱われることは少々苦手な節があった。

 今回はOGとしての外部参加だけに、余計にそういった気持ちが強いようだ。まあ、頭が二つあると混乱してしまうという理由もあるのだろうが。


「それにしたって都合よく使われているだけのような気がする……。うう……」


 現部長という肩書きを上手く利用されているだけなような気がする。

 明日で引退なのに。タイミングよく年代的にOBOGと現役生の橋渡しになっているだけなのに。

 どうしてこう、自分ばかりに苦労が襲い掛かってくるのか。そう言うと、優は少しだけ眉を寄せて訂正をしてくる。


「ちょっと違いますね。湊くん『が』体よく扱われているのではなくて、湊くん『だから』みんなこんな風に言ってきてるのです」

「……それって、舐められてるってことでは?」

「……。いえ、そういうことではなく。まあ、少しはそういったこともあるかもしれませんが……。ええと。

 でも、そんな湊くんだから、こんなにたくさんの人が慕って集まってきてくれたんです。それは誇っていいことだと思いますよ」


 私だったら、こんなにみんな来てくれたかどうかは分かりません――と、前部長は改めて、周囲を見渡した。

 そこには、全楽器に渡って加わったOBOG、そして現役生たちがいる。

 もう二度と一緒に吹くことはないと思っていた人たちが、顔をそろえている。

 同じ本番のために会話して、協力して、ステージを作り上げている。

 夢のような光景だった。

 まあ、そのためにこちらが苦労するのはなるべくご遠慮願いたいところだったが――まあ、それももう一日だけだったらいいかな、と思えるくらいには、それは奇跡と呼べる景色だった。


「改めて、ありがとうございます。湊くん。こんな機会は、もうそうそうないでしょう」

「……なんかふわっといいこと言って、誤魔化そうっていうんじゃないですよね」

「い、いえ。それについては深い訳があるといいますか、こちらにも事情があるといいますか」


 納得しかけたところにふと芽生えた不穏な感情を口にすると、優は目に見えて動揺し始めた。

 怪しい。そう思って鍵太郎が先輩を追求しようとすると、舞台の上から声があがる。


「貝島ー! バスドラムこの位置でいいか客席で聞いてくれー!」

「ししょー! チャイムの角度このくらいでいいんですかー⁉」


 卒業した打楽器の男の先輩と、つい先日コンバートした一年の現役生である。

 特にOBのセリフに、優は明らかに過敏に反応した。事情を知っている鍵太郎からすれば、察するに余りある滝のような汗を流し――

 そんな先輩に、ため息ついて後輩として応える。


「……貝島先輩、行ってください。打楽器の調整は先輩がやるんでしょう」

「……ご理解いただけたようで、何よりです」

「大丈夫ですよ。その代わり、もう俺に心臓に悪い光景を見せないでくださいね」

「……善処します」


 まあ、それはお互い様なのだけど。

『未だ告白してない好きな人が、パート内の先輩としている』という、むず痒い状況なことには変わりないのだけど――それでも時間を前に進ませると、決めたのだ。

 軽く背中を押すと、硬い顔をした優は打楽器の方へ向かっていった。

 やれやれと、先輩の後ろ姿を見送る。本日二回目。一体何度、自分は誰かの背中を押せばいいのだろう。

 いや――と、よぎった思いに首を振る。恐らく自身の問題を解決しない限り、この行動はずっと繰り返される。

 鏡合わせのように、突きつけられ続けるのだ。間近に迫ったあの人との再会を前に、複雑な心境でため息をついた。

 偉そうに優を送り出したものの、いざ自分も同じ状況になったとしたら似たような状態になるに違いない。

 できるだけ堂々としゃべりたい。けれどもきっと――と思ったところで、また声を掛けられた。


「湊ー。楽器のレバー動かなくなったー」

「オイル貸してやるからちょっと待ってろ! まったく、最後の最後までバタバタしっ放しだなあ……!」


 悩む暇なく次から次へと無理難題が押し寄せ、笑いながら頭を抱える。

 まあ、ひとつのことで考えこみがちな自分にとっては、このくらいがちょうどいいのかもしれないが。

 にしても、みんな羽目を外しすぎではないだろうか。こうなったら自分だけでも、しっかりしなくては。

 しんどいけれど、あと少しだけみんなのために。

 そう、部長としての仮面を被りかけたとき。


「お待たせしましたー!」


 懐かしい声が、直に耳に飛び込んできて。

 体育館の入り口に、変わらぬ姿の先々代の部長がいるのが見えて。

 心の準備なく現れた春日美里に――今度こそ鍵太郎は、声を失って立ち尽くしていた。

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