第435話 鏡の中の怪物
目の前に フランケンシュタインが あらわれた!
「うわあっ⁉」
思わず
学校祭一日目。十月末のハロウィン時期。
季節柄もあってか、周りには他にも仮装した人たちがいる。
隣にいる同い年のアホの子もバッチリアフロを決めていて――
しかし鍵太郎は、そのフランケンシュタインに見覚えがあることに気づいた。
「あ、
「あはは、気づいた?」
無邪気に言って怪物のお面を外す先生に、へたり込みそうな脱力感を覚える。
一年生の頃、顔を隠そうとそこいらに売っていたお面を買ったのは、いい思い出だ。
そのときにこの先生にした相談も印象的だったので、記憶に残っている。『鏡』の話――及びそれに伴う、自身の在り方について。
懐かしい出来事である。けれどもそれを持ち出してこちらを驚かすのは、少々大人げなくないだろうか。
鍵太郎が不満半分、呆れ半分の顔をしていると、城山はやはり悪びれもなく笑った。
「これ、気に入っててさ。せっかくだから持ってきたんだよね。僕はこういう思い出の品、結構取っておくタチ」
「まあ、俺もそうですけど」
色々と未練がましく、心の中にもしまっていたりするのだけど。
おかげで気持ちがごちゃごちゃしてしまっている。『あの人』のことだったり自身のことだったり、悩みは尽きない。
それを見透かしていたからなのか、どうなのか――
先生は二年前のように、お面を被り直しつつ声をかけてきた。
「せっかくだから、一緒にお昼でもどうだい?」
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土曜日とはいえ、昼時となった学校はそれなりに人がいた。
鍵太郎もそこにいるトロンボーンの同い年も、先ほど校内にやってきた人々にコンサートのチラシを配ってきたところである。
手持ちのものは大体配り終わったので昼食にしよう、そう言い始めた頃合いだった。
「結構早く終わったね。これは今日もたくさんお客さん入ってくれるかな」
「だといいなって、思います」
校舎にでかでかと掲げられた『祝! 吹奏楽部 東関東大会出場!』の垂れ幕も、意外といい宣伝になってくれている。
去年より好意的にチラシを受け取ってくれる人が多い気がした。先ほども見ず知らずのおじさんから「期待してるよ!」と言われて握手を求められ、驚きつつも手を握り返したのだ。
期待をされている――それが嬉しくもあり、少しのプレッシャーでもあった。
贅沢な悩みかもしれないが。この純粋な好意に応えられるかな、という気持ちは存在している。
隣にいた同い年などは、こちらのそんな思いなどどこ吹く風といった様子で、能天気に手を振り返していたけれど。そんなに素直に考えられないんだよな――と苦笑しつつ、鍵太郎は城山に言った。
「正直に言えば、どうしても不安はあります。この人たちに聞かせられる演奏ができるかな、って」
「誰だってそうだよ。前にも言ったね。不安に思うのは、それだけその本番を大切に思ってる証だって」
「……懐かしいですね」
去年のコンクールのときだっただろうか。
舞台袖で、この先生はそんなことを言っていた。ということは、プロである城山も毎回似たような思いを抱いているのだろう。
その不安は、大事にするといいよ。
いつかきみを、もっと広いところに連れていってくれる――だったか。
果たして自分はそこにたどり着けたのだろうか。こちらとは違う、未だ列に並んでメニューをあれこれと見ているアフロのアホの子を見てそう思う。彼女の場合は、求められた分だけ調子に乗って吹くという単純な回路を持っているため、悩む暇なく不安はすぐに力になってしまうのだろう。
それはそれで、強いことだよなと思う。
ひるがえって、自分は――と内面を見つめて、鍵太郎は息をついた。
こちらはもう少し複雑なのだ。
何が問題かって、ここにきて自分の中身がバラバラになっているのが問題で――。
「ねえ、先生」
「なんだい?」
「なんか俺、部分的に一年生の頃に戻っちゃってるみたいんなんですよ」
先輩が来るからだろうか。
最後の舞台だからだろうか。
どうも部長を背負ったときの自分と、その前の幼かった自分が今、混在しているような感覚がある。
それで先日、後輩からは怒られたし、今朝からなんだかソワソワして落ち着かない。
なるたけ無視してがんばろうとも思ったが、それはらしくないと、さっきホルンの同い年に言われたばかりだ。
バラバラだけど。
それをなんとかひとつつなぎにして、向き合おう――けれども、そんな自分は。
「ひどく不格好で、滑稽で……こんなんで人に対して演奏を見せようとか、大丈夫かなって思うんです」
奇しくも、二年前の今頃、ソロができるかどうか悩んでいた状況に近い。
原因が見えないけれど、なんとかしようと思っていることを含めて。
以前の失態を思い出して、急に怖くなってしまった。
けれども、逃げ出すわけにもいかなくて――そして心のどこかでは、今度こそ逃げ出してはならないと分かってもいて。
目の前にいる
「積み重ねてきたものが、こんなにあっさり崩れるのかって。それでもかき集めて、やらなきゃいけないんだけど、こんな状態で今までみたいにできるのか、滅茶苦茶心配で。……受け入れてもらえるのかなって思います」
あの人にも。
観客にも。
これまでの誰とも違う自分は、受け入れてもらえるのかと思う。
この醜さこそが、自身の本性なのかもしれないけれど。
ならばなおさら、むき出しの自分がステージに立っていいものかと不安になる――そんな生徒に。
「湊くんは、潔癖で真面目だからねえ」
城山はかつてのように、笑いながら声をかけた。
「どんなに年月を重ねても、そこだけはずっと変わってないから大丈夫。ずっとずっと前にも、僕は言ったでしょう」
そう言って被ったお面を撫でて、先生は続ける。
「口に出してはとても言えないようなことや、穴を掘って埋まりたくなるくらいの恥ずかしいこと。それで得たものをつぎはぎに組み合わせて、怪物みたいになって、僕はようやくこの世界を生きているようなもんだ、って」
死体をつぎはぎして作った、『理想の人間』の――失敗作。
あまりに醜く、創造主にすら見放され、いずこかへ姿を消した怪物。
でも、そんな人が今ここで、それでも生きているのをもう自分は知っている。
「気づかなくて、間違いを繰り返して傷つきまくり」
一回では成功しなくてのたうち回り。
「たくさんの失敗の中からようやく拾ったものを、つなぎ合わせてようやく歩いてる」
周りの人間とぶつかって見えた道しるべの、示した方向に歩いてきた。
自分が、どうしたいか――その声に従って。
楽しげに、今日もこの人は吹いていたのではなかったか。
「でも、それでいいかなって思ってるんだ。どんなに醜くなってもこの姿勢を保ち続けている限り――音楽は」
あの人は。
「僕を見捨てはしないから、さ」
どんな舞台の上であれ。
どんな風貌になってさえ、全部受け入れてくれるんだよ――と、仮面を被った
こちらとは次元が違う、けれどもどこか似た先生の言葉を、鍵太郎は噛みしめるように聞く。
この人のように上手くはいかないだろうけど――でも。
「――お」
と、そこで城山がもうひとりの教え子の方を向いた。
そこではアフロからポニーテールをはみ出させた同い年が、小さな女の子と話している。
背の高い彼女はしゃがんで、その子の声を聞いていた。
「おひめさま出てくるの?」
「そう、プリンセスメドレー! キラキラのお姫様いっぱい出てくるからね! 聞きにきてね!」
「いく!」
雑踏の中の取るに足りない会話。
ポケットに入れてクシャクシャになった、手渡されるチラシ――たったそれだけの、ちっぽけな出来事。
きっといつか忘れてしまう幻。
だけど、それを宝物のように見つめる女の子の目を見て――
「――さて、どうするかい湊くん。これを食べたら、会場に行って本番の準備をしなきゃだけど」
鏡の中の怪物は。
「もっともその顔だと、もう結論なんて出てるみたいだけどね」
答えの分かり切った問いを投げてきた。
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