第434話 誇り高き花丸を
「おま、
学校祭一日目。同い年のクラスのカフェにて。
吹奏楽部随一のクールビューティといっても差し支えない彼女が、狐の耳を付けて接客をしている。
テーマパークですらはしゃがず、むしろそういったノリを敬遠していた同い年が。
鍵太郎が衝撃にあんぐりと口を開けていると、憮然とした顔の隣花の後ろから、
「えへへ、びっくりした? 隣花ちゃんも手伝ってくれてるんだよ」
「いや、見れば分かるけど……色々突っ込みたいというか! なん、なんで、片柳ってこういうの苦手じゃなかったのか?」
黒猫の耳をぴょこぴょこさせて言ってくる咲耶と、変わらず苦々しい顔をしている隣花を交互に見て、言う。
咲耶はともかく、隣花はこういった催し物にはあまり積極的でなかったはずだ。
それがなぜ、首元空き気味の花魁っぽい格好をしているのか。いやまあ、元々スタイルがよくスラリとした手足をしている彼女には、とても似合っているのだが。
問題はそこではなく、どういう風の吹き回しでこうなるに至ったのかだ――鍵太郎が指をさしたまま固まっていると、隣花はため息をついて言う。
「……いや別に。最後の学校祭だから少しくらいいいかな、と思っただけなんだけど。あと、クラスの連中にすごく推された」
「みんなノリノリだったよねー」
「い、いやまあ……本人が納得の上だったら、別にいいけどさ」
相変わらずの淡々とした調子だが、当人としては気まぐれでやる気になったということらしい。
その態度で接客が務まるのかと思ったが、まあそこは学校祭である。少しくらい不愛想な店員さんがいてもいいだろう。
というか、隣花が咲耶と同じクラスということが頭になくて、不意打ちの登場に面食らったというのもあった。呆然としていた鍵太郎が渋々指を下げると、入れ替わるように隣花が注文の品をテーブルに置く。
「ティーセットです」
「あ、ありがとう……」
向かいに座っていた同い年のアホの子は、咲耶にやはりセットを置かれて普通にはしゃいでいた。
シュークリームにかぶりつき、中身を頬にくっつけている。そんな彼女に猫耳和装メイドが「ほらほら涼子ちゃん、クリームくっついてるよ」とナプキンで顔をぬぐう図。
「良い……」
「何がいいのか分からないけど。とりあえず好きなもの頼んだんだから食べれば?」
容赦なく突っ込んでくる隣花は、少し半眼になっていた気がする。
言われなくても、運ばれてきたお茶には既に口をつけている。それを片手に、女の子同士がいちゃいちゃするのを見るのはまた違った趣があるのだ。
自分が顔を拭かれるのとは全然違うのである。というか、咲耶にそんなことをされたら本番を前に尊死する恐れがある。
こちとら、その本番までどうやって気をまぎらわせるかを考えてここにやってきたのだから――と、そこで当初の目的を思い出してしまって、鍵太郎はため息をついた。
目的とは本来、達成するためにあるものだが、今回ばかりは『目的から目を逸らすのが目的』というややこしいものなのだから始末が悪い。
隣花がズバリと、その名前を口に出してきた。
「
「おまえなあ……人がせっかく考えないようにしてたのに」
不愛想花魁にあっさり指摘されて、鍵太郎は持っていたお茶をテーブルに置いた。
二つ上の卒業生。自分と同じ楽器の先輩。
そして、かつてきっと好きだったのであろう人――そんな人との再会を前に、平気でいられるわけがない。
多少なりとも、隣花だってそれは分かっているはずだ。なにせ傍目には自分の好意は、結構分かりやすかったらしいから――
たぶん今の気持ちも、相当に態度に出ていたのであろう。
同い年はこちらに向けていた視線を外し、ぽつりと言う。
「……目的を前に考えないとか。湊らしくないわよ。いつもがっつり正面に座って、腰を据えてああだこうだやって。ぐちゃぐちゃさせた挙げ句に結局力技でどうにかするのがあんたでしょうが」
「ぐ……。大体当たってるだけに文句を言えないのがもどかしい……」
同学年らしく的を射た隣花の言葉に、ぐうの音も出ない。
そうなのだ。本来の自分は――これまでの自分は。
何かを解決するためなら、たとえ傷つこうがどうなろうが、結果が出るまで動き続けていた。
今回のように逃げ回るような真似は、あまり性に合わないのだ。だからこんなにもソワソワしてしまうのか、と鍵太郎が思っていると。
隣花は続ける。
「とっとと会えばいいじゃない。真っ向から話せばいいじゃない。思いっ切り悩めばいいじゃない」
ぶっきらぼうにすら感じる言い方は、しかしこちらを気遣ってのものだ。
少しだけ怒ったような言い方は、彼女が水面下で感情を動かしている証である。
自分でも制御できない気持ちを抱えているとき、隣花はこういった雰囲気をまとう。
それは一緒に過ごしてきて、よく分かっていた。
そんな同い年は、いつもと違った格好で、らしく振る舞えなどと言う。
「だって私は。会うことすらできないんだもの。
「そうだったな……悪かった」
彼女と同じ楽器の先輩、つまり鍵太郎が最初に教わった先輩は、今回のOBOG演奏には参加しないと返事をしてきた。
理由は単に、日程が合わなかったから。取りまとめはあの学年に任せたので返事しか聞いていないが、それでもかのホルンの才媛が来ないというのは鍵太郎と隣花にとって、とても残念なことではある。
自分が一年生だったときの三年生と顔を合わせるというのことは、スタートからゴールまで、それまで歩んできた道のりが正しかったのかを問う行為に等しい。
なにせ『最初』を知っている先輩たちなのだ。あのときに比べて――と、先輩を通して自らのこれまでを目にすることになる。
しかし、隣花はその機会さえ失った。
仕方のないこととはいえ、だ。なら先輩が来ることについてナーバスになっているこちらは、贅沢にすら思えただろう。
彼女がとても悔しそうなのは、きっとそれが理由のはず――
「最後だからハッキリ言っておくわ。私、あんたがずっとうらやましかった」
『その感情』を秘めたままで、隣花はきっぱりと言い切った。
うらやましい――それは彼女と親しく話すようになったきっかけの感情であり。
幕切れの舞台となる今日には、ふさわしい言葉だったのだろう。
同い年は指折るように、これまで思っていたことを口にしていく。
「先輩には好かれるし。みんなとは仲がいいし。選抜バンドにはちゃっかり行くし。そのくせ目上の人にわりとケンカは売るし、何を言われようが信念は曲げないし。ずーーーっと一生懸命だし」
ふてくされるように彼女は述べる。この際だから全部言ってしまおうと、これまで話せなかったこともぶちまける。
これまで過ごしてきた日々の答え合わせのように、考えてきたことを告げていく。
正確な結論なんて、もう出ないけど。
「いいなあ――って思ってたのよ。私にないものをたくさん持ってて、私にできないことをたくさんやってのけるの。そんなあんたがらしくなくしょげてたら、こっちだって調子狂うわ。だから――虚勢でもいいから、胸を張ってよ」
「分かった。フリでもいいから、立ち向かってみる。いつもピシッとしてろっていうのは――まあ、海道先輩の口癖みたいなもんだったもんな」
いつも気高く。凛と胸を張って。諦めずに吹き続けろと。
あの先輩は、言っていたのだった。自らもそれを体現しながら――。
会えないからといってその言葉に背いてしまえば、それこそ落第だと怒られてしまうだろう。
最後の最後まで。
自分を見失わず、堂々と正面を歩いていけ――隣花と、今日はいない先輩の両方にそう言われたようで、鍵太郎は苦笑した。
ひと息ついて、運ばれてきたシュークリームを食べる。お茶の苦味も相まって、口の中に広がった甘味はとても美味しく思えた。
「ありがとう片柳。なんか元気出た」
「別に。私が海道先輩と会えなくて、あんたが先輩と会えるっていうのは、やっぱり気に食わないけど。会えないっていうのが嫌なのは分かったから、じゃあ思いっ切り会わせてあげようと思っただけ」
だったら正面切って会わせて、いったん一区切りつけた方がいいんじゃないかって、思っただけ――と、言って隣花は、ぷいと顔をそむけた。
同い年のトランペット吹きとは、また違ったタイプの素直でなさだ。
それはそれで、不器用な彼女なりの優しさなのだろう。
この借りは、いつの日か返そう。そう思ったが、今ひとつできる行動があることに、鍵太郎は気づいてしまった。
それは先ほど、あまりに驚きすぎてまともに反応することができなかった、同い年の選択について――。
「その格好、似合ってるよ。片柳」
「――」
「おまえがそこまで気まぐれを起こすってことは、やっぱり部活で過ごしてきた日々は正解だったんだ。海道先輩がいたら、きっとそう言ってた。笑って花丸をくれたろうさ」
大正解だと、あの先輩なら抱きしめてくれたろう。
かの偉大なOGの代わりに、自分が保証する。そう言うと隣花は、「……そうね」と淡くつぶやいた。
「さて。糖分も補給したところで、本番の宣伝を始めますかっと。行くぞ
「ほいほーい」
「湊」
立ち上がりかけたところで、小さな声と共に袖をつかまれた。
振り返れば隣花が、こちらを見上げている。
色とりどりの着物。
華やかに締められた帯。
各所に施された煌びやかな装飾。
その中で――彼女の瞳だけが、無垢な少女のように揺らめいていた。
その目に思わず動きを止めると――しかし。
同い年は、儚げに微笑んで手を放す。
「……なんでもない。次は舞台で会いましょう、湊」
「あ、ああ。じゃあ、今度は本番でな!」
そう告げてくる隣花に、挨拶をして鍵太郎はその場を後にした。
最後に。
そう言いながらたったひとつだけ口にしなかった、彼女の本音を残したまま――。
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「……」
手放してしまった袖の感触を思い出しながら、隣花は同い年の後ろ姿を見送っていた。
これでいいのだ。
ずっとずっと色々なものがうらやましかったけど、これでいいのだ。彼については本当に、羨望の感情がついてまわる。それについては真実だった。
ただ、その対象がいつしか、本人だけでなく周りにも移っていっただけで――と、思ったところで。
「ほっぺに、涙がついてますよ」
咲耶がそっと、流れたひとしずくに触れてきた。
柔らかく当てられたハンカチに、抵抗することなく身を任せる。傍にいながら何も言わなかったこの同い年は、彼の行く末と同じく、こちらの選択も見守っていたのだろう。
コンクール前に口論になったが、今なら咲耶が言ってたことは分かる。納得はしていないし、彼女ほど立派な性格をしてはないけど、少なくともこの方が正しいのだなという感覚は隣花の中にあった。
ただ、まあ――と、彼女は目の前の同い年に言う。
「……こんな割り切り、毎回やってるの宝木さん。人間じゃないわよ」
「黒猫ですから」
頭につけた耳をぴこぴこさせつつ、同い年は言う。
さらりと嫌味を流されて、しかしそれが痛快で思わず噴き出す。そういえば自分も今日は狐だった。なら――別に、普段では考えられないようなことをしてもおかしくはあるまい。
ましてや、そんな気まぐれでした格好を『似合う』と言われたなら。
「……まったく。海道先輩が見たらどう思うのかしらね」
叱られるのだろうか。それとも彼の言うとおり花丸をくれるのだろうか。
どっちになるのかは本人が来なければ分かるまい。
けれども、逃げずに己に恥じぬ行動をした――それだけは、誇ってくれるだろう。
あとはもう、彼の最後の選択を待つのみだ。
どんな結果になろうが、受け止める覚悟はできている。
きっと望み薄だろうけれど。
万が一にも芽があるのなら、そのときはもう一度、彼の手を取ろう。
さっき言わなかった本音を、堂々と胸を張って連ねてみよう。
「……そんなあんただから。ずっとずっと――好きだったのよ。って」
たったそれだけの、多くの言葉の底のシンプルな気持ち。
それを口にしたら、彼はこの格好を見たときのように、少々大げさなくらい驚いてくれるのだろうか。
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