第425話 生命の樹の実

「人生を円に例えるっていうのは、古今東西わりと聞く話だよね」


 と、事情を話すと宝木咲耶たからぎさくやは、うなずきながらそう言ってきた。


「ひとつ挙げるとすれば、輪廻りんね転生。終わりを迎えたら生まれ変わって、また新しい生命になるっていう――」

「その単語使わないでくれ。うちの姉ちゃんを思い出すから」

「あれ。みなとくんのお姉ちゃん、そんな業の深い名前なの?」


 同い年の口上をさえぎって湊鍵太郎みなとけんたろうがそう言うと、咲耶は不思議そうに首を傾げる。

 思い出すだけで寒気が走るので鍵太郎が顔を伏せ震えていると、彼女はそれ以上追求してはならないということを悟ったらしい。

 寺生まれの咲耶としてはなじみ深く、もう少し話したいことだったのだろうが、ここで打ち止めだ。

 数度まばたきをしてうなずき、同い年は話題を元に戻してきた。


「ええと。それで、なんだっけ。城山しろやま先生が、人生は舞台で、そのステージは円形をしてるって言ってたんだっけ?」

「そう。ぐるぐる回ってお客さんを集める、サーカスみたいなものだって」


 明言したわけではないが、先日の合奏の際、あの指揮者の先生はそのようなことを言っていた。

 人生は舞台のようだ。

 そして今回、その舞台はサーカスのような円形をしている――自分たちはステージ上を行進していく、団員のようなものなのだと。

 三年生の引退直前という時期に入った今、鍵太郎も咲耶もその円を完成させる、直前にきているということになる。

 そのことに若干の寂しさを覚える、という話をしたところだったのだが。

 そこで彼女が言い出したのが、リンネ――いや、言うなれば円環のことわりのことだったのだ。うっかり姉の顔がちらついてしまって、鍵太郎は首を振った。その名前でかのルールを呼んでしまうと、なんだか最初から最後まで実姉の手のひらの上のようで、精神衛生上非常によろしくない。

 するとその苦悶の表情を、何と勘違いしたのだろうか。

 咲耶は再びうんうんとうなずき、話を続けてきた。


「まあねえ。終わってしまうのは寂しいことだよね。死は苦痛であるとお釈迦さまも言っていました」

千渡せんどにおまえ終活しゅうかつしてるみたいだぞ、って言われたのも、チラッとよぎってさ。なんかそういう、人生ってなみたいな、デカいスケールで考えちゃったわけだよ」


 部長としての引き際を思っていたとき、同い年の副部長には人生の仕舞いの準備をしているようだと言われた。

 そのこともあり、先日の指揮者の先生の件も相まって、咲耶に相談してみたのだ。自分の行く末に不安を抱えたとき、彼女はいつだって力になってくれた。

 あなたの心の安定剤、宝木咲耶である。

 落ち着いた物腰と穏やかな口調は、いつだって鍵太郎に安らぎをもたらしてくれた。彼女自身が、どこか常人とは違った尺度を持ち合わせているというのもある。

 それこそどこか、輪から外れて、外側から人を見ている己を持ち合わせているかのように――

 客観的でシステマチックな『眼』を持ち合わせている。ここではそれを発揮していい場面だと、長い付き合いで分かったのだろう。

 咲耶はわずかに考え――おそらく口にしかけた単語を、別のものに置き換える時間だ――言ってきた。


「死ぬのが怖い、終わりを迎えたくない。それはごく自然な感情だと思うし、当たり前の考え方だと思うよ。だから人はいろんな物語を作って、『そうでない可能性』を夢見ていたわけだし」

「例えば?」

「りん……いや、えーと。不死。生まれ変わり。永遠の生命いのちを求めるっていうのかな? 根本的にはそういった思考」


 またもやそのシステムのことをこぼしかけた同い年だったが、こちらの顔を見るや一瞬固まって、別の言い方に直してきた。

 永遠の生命を求めるなんて、どこかの王様でもあるまいし。

 自分がそんな滑稽なことをするはずがない、と逸話を聞いたときは鼻で笑ったものだったけれども――どうも人間、追い込まれると考えることは一緒らしい。

 もう少し、もう少しと生き永らえたいのは、終幕を目の前にした者特有の思考。

 心に隅に影を落とす、でも突き進むしかない状況――これを、どう捉えたらいいものか。

 たかが引退ごときで、大げさかもしれないけど。けれどそれほど、自分にとってこの部活というのは大事なものだったのだ。

 そこで共に長く過ごしてきた咲耶は、人差し指をくるりと回してきた。

 まるで、円を描くように。


「本当は、抗いがたいものなんだけどね。時の流れって。季節の流れみたいにさ――春に芽吹いて、夏に咲いて、そして秋には枯れるんだよ。当然の決まり事」

「夏のコンクールで見事に散った俺たちにしてみれば、確かに今は枯れる途中なんだろうなあ、この状況……」

「でも、花は実を付けます」


 当たり前の摂理を説く同い年は、それこそなんでもないことのように世界のルールを口にしてきた。

 あっさりとしすぎて、軽く流してしまいそうになるくらいに。

 残酷な仕組みも、豊穣のお告げも、全部等量――そんな逸話に触れすぎているせいだろうか。

 押し黙る鍵太郎に、咲耶はやはり、軽やかに言う。


「果実に不死っていうと、あれだね。生命の樹の実。アダムとイブ」

「ええと、聖書のやつ?」

「そう」


 仏教の例えでは説明しにくいと判断したのか、彼女は題材を西洋のものに切り替えてきた。

 アダムとイブ。

 その手のものにはさほど詳しくない鍵太郎も知っている。キリスト教でいう『最初のヒト』である。

 確か知恵の樹の実を食べたから、楽園を追放されたとか、なんとか――生命の樹の実というのは聞いたことがないが、話に聞く以外にも果実があったのだろうか。

 きょとんとしていると、同い年は解説を入れてきた。


「アダムさんとイブさんは、知恵の樹の実を食べたから、楽園を追い出されました。それは食べちゃダメだよって言われてたものを食べちゃったっていうのもあるけど、『もうひとつの果実』を食べたら不老不死になって、神さまと同格になっちゃうから」


『もうひとつの果実』。

 それが生命の樹の実というものらしい。知恵と生命。

 片方を食べ、こざかしい知識を得たからこそ、分かる今の状況。

 楽典を知り、色せた世界。

 見知った楽園を捨て、あてもなく放浪するただの人間。

 微妙に当てはまるものだからこそ、咲耶はこの逸話を選んだのだろう。その説明の先に、何があるのかも吟味した上で――

 ひょっとして、この同い年は既にその生命の樹の実とやらを食べて、神さまにでもなっているのではないか。

 そんなことを思わせるくらいの洞察力で。どこか浮世離れした雰囲気をまとって、咲耶は言う。


「自分の作ったものが自分を越えちゃうのが怖かったから、神さまはアダムさんとイブさんを追放したわけだね。いやあ、私はキリスト教徒じゃないから不敬にも考えちゃうけど、案外狭量だよねえ」

「まあ、自分の作ったものが自分を越えるって、ある意味クリエイターとしては僥倖ぎょうこうだもんねえ……」

「私たちは楽器の吹き手だからねえ。ちょっと考え方が普通の人とは違っちゃってるかもしれないけど」


 そういった、世間と自分がどこかズレているという認識は、前からあるようだったが。

 楽器を吹く人間の集まりという、変人の巣窟である吹奏楽部に入ってしまった同い年の感性は、擦り減らないままで生き残っていた。

 ある意味では、進化しているといってもいいくらいの変化を経て――

 常人とは違う回路で導き出した答えを、彼女は言ってくる。


「だから基本的に終わりを乗り越えるとか、死の超克ちょうこくっていうのは、花についた実を食べることだと、私は思うんだよ」

「花についた実」

「そう。種は土から芽吹いて、花を咲かせ、散った後に実を残すのです。それが地面に落ちて、また新しい芽が出てくる」


 咲耶の言った自然の摂理は、聞いてみればやはり当たり前のことではある。

 先ほど挙げた、時の流れのようにごくごく普通の現象。

 生命の循環。

 それは確かに円の形をしていて、舞台にも例えられそうではあった。

 あるいは、人生にも。

 ならば、花に実をつかせるためには――


「つまりは生殖行為ですね」

「ぶっ――」


 予想外にぶっ飛んだ回答が飛び出してきて、思わず鍵太郎は噴き出した。

 なんでもないことのようにサラリと彼女は言ったが、さすがにここは流せない。

 枯れただのおじいちゃんだのと言われているが、やはりまだまだ多感な男子高校生である。同い年の女の子の口から飛び出してきた『生殖行為』とう単語には、反応せざるを得なかった。

 顔を赤くして鍵太郎が咳き込んでいると、きょとんとしていた咲耶はようやく気が付いたらしい。すまなさそうに言ってくる。


「あ、ごめんなさい……調子に乗って語りすぎちゃったみたい」

「いや、いい、いいけど、宝木さん……俺はともかく、他の野郎の前でこういうこと話すのは、ちょっと気を付けた方がいいと思うよ……?」


 付き合いが長くて性格も分かっている自分だからいいが、彼女のこのモードはいろんな意味で危険すぎる。

 うかつにしゃべったりしたら、あらぬ誤解を招きかねない。そう考えて忠告すると、咲耶は「はい。すみません……」としょんぼり肩を落とした。

 まあ、それだけ心を許されているということなのだろうけれども。

 それが何を意味するのか、考える余裕もないまま――

 咳払いして、しゅんとする同い年に改めて、鍵太郎は言った。


「ええと。つまりは、なんだ。終わりを前にさみしいなーって思う気持ちとか、やだなーって思う気持ちを乗り越えるには、果実……ってことは、つまり成果か。そういうのがあればいいんじゃないかってことか」

「そうだね。私たちががんばってきた証が、後輩たちに受け継がれていくわけだから。ちゃんと引継ぎをすれば、その実感が落ち込みがちな気持ちを奮い立たせてくれるかも」

「『私たちのがんばってきた証』とか、『奮い立たせてくれる』っていう言い回しが、さっきの単語を聞いた後だとなーんかギリギリに感じるのはなんでなんだろうねー……」


 久しぶりに強烈な逆セクハラを受けて、遠い目になる。

 まさかこの同い年に、悪気はないとはいえこんなことをされるとは思わなかった。まあ、この部活に入った頃はしょっちゅう、似たような目にはあっていたのだけれども。

 それこそ始点に帰るように、状況が円を描いて戻ってきたとも取れるのだけれども――OBOGが来ることも相まって、本番当日は完全に真円が完成しそうではある。

 その状況こそが『果実』と呼ぶべきものなのだろうか。


 人生は円を描くステージ。

 魂の循環の、果てに行きつく先――いずれは終わる生命だけど。


「花が実をつけるには。湊くんの言うとおり、後継を育てるっていうのもあるね。やっぱり、誰かと関わってくるってことになるんだと思う」


 そこにある理を、咲耶はやはり自然に口にした。

 少し落ち込んでいたからだろうか。今度は個人的な気持ちも込めて。

 たまに見せる素の表情と共に、人間らしく、同い年は言う。


「誰かに何かをしてあげたいって思うこと――

 つまりは『愛』なんだって、私は思うね!」


 終わりの扉をこじ開けるには。

 次のステージに行くためのカギは。

 彼女の微笑みが握っているんじゃないか。そんな風に思う表情だった。

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