第424話 彼の名誉

「人生は舞台のようだと、どこかの誰かが言っていたね」


 合奏の前に城山匠しろやまたくみは、部員たちの前でそう言った。

 この指揮者の先生がこういった物言いをするときは、大抵は曲に関連する事柄を話している。

 だから湊鍵太郎みなとけんたろうがそのまま聞いていると、城山は続けた。


「人生は喜劇なのか悲劇なのか。それを判断するのはその人次第だけど――とりあえずは目の前のこの『ヒズ・オーナー』という曲は、サーカスをテーマにしている」

「サーカス?」

「そう。宙返りしたりピエロが出てきたりする、アレ」


 鍵太郎が首を傾げると、先生はうなずいてきた。

 サーカスというものは直に見たことはないが、テレビやマンガなどでは目にしたことがある。

 玉乗りをして、ジャグリングをして――大道芸を見せる人が集まる、そしてそれを見る人が歓声をあげる舞台。

 テントを張ってチラシを配って、たくさんの人を呼び寄せる。そんな様は、自分たちにも通じるものがあるかもしれない。

 なにせ演奏をする以上は、舞台に立つ側だ。となると今からやる曲は、自分たちがサーカスの団員になったつもりで吹けばいいということなのだろうか。

 あっと驚くようなことはできないけれど、何をすればいいのだろう。

 そんなことを考えていると、城山はさらに続ける。


「元々はこれ、サーカスマーチっていって、本番が始まる前にお客さんを舞台に注目させるためのものなんだよね。前座っていうか。気分を盛り上げて、始まりますよーって知らせるための曲」

「やたらテンポが速いのって、そのせいですか……」

「楽しそうでしょ?」


 渋面で鍵太郎が言うと、先生はいたずらっぽく笑った。

 学校祭にどうかと、この曲を出してきたのは城山だ。そこには彼なりの意図があったのだろうが――この顔を見ると、ただ単に意地悪なのではないかと思わなくもない。

 もちろん、楽しげに人を呼び寄せる曲だということを、分かってのことなのだろうけど。サーカスをイメージした曲、と言ったとおり、練習でやった感じだと軽快な曲だった。

 その印象をさらに洗練するため、先生はこの話をしている。それは分かっているため――にしてもこの野郎、と思わないでもなかったが――鍵太郎は城山の言うことを最後まで聞いていた。

 前情報としてはここで終わりらしい。指揮棒を持ち上げつつ、先生は言う。


「サーカスの舞台は円形。というわけで、この曲はサーカスの団員が円を描くようにぐるぐるする曲なんだ。じゃ、やってみようか」



 ###



 人生は舞台のようだ、と城山は言った。

 なら、円を描くように行進するこの曲は、いったいどこにたどり着くのだろう。そう思いながら鍵太郎は快速テンポを刻んでいた。

 悲劇なのか喜劇なのか。それすらも分からない速さで。

 波のように寄せては引いて、たまにあっと驚かせるような大きな音が入る。

 これが先生の言う『舞台に人を注目させるための仕掛け』なのだろう。何かが始まるよという合図――サーカスメンバーの入場行進。

 ナイフをお手玉、たまに猛獣。

 次々と飛び出してくる仕掛けは、聞いている人を飽きさせない。次はどんなものが来るだろうかと、自然と舞台へ引き込んでいく。

 歩いているこっちは、曲芸に一生懸命でそれどころではないのだけれど。

 自分や他の部員たちが転ばないように、気を配るので精一杯なのだけれど――しかしその様すら見ている人からすれば、催しのひとつに思えることだろう。

 人生は舞台のようだ。

 ならば、ステージ上で円を成すようにして歩く自分たちも、また演目の一部ということになる。誰がどんなことをして、どんな風に歩んできたかというストーリー。

彼の名誉ヒズ・オーナー』。

 その曲名は、一体何を表しているのだろうか。そんな疑問を深く考える暇もなく、他の楽器たちがいっせいに騒ぎ立てる。高らかに、楽しげに――それはいつもの自分たちのようで、鍵太郎は内心で苦笑した。

 彼女たちはいつもこちらが落ち込んでいると、そんな気分なんて吹き飛ばすようにしゃべりかけてきたものだ。

 何を考えていても、おかまいなし。

 そんな部員たちには幾度となく救われてきたような気がする。まあ、同じくらい迷惑もかけられたけど――そう考えると自分の吹奏楽部に入ってからの道のりもまた、この曲のようなものかもしれない。

 コンクールでやった『プリマヴェーラ』とはまた違った意味で、自分の歩みのような曲。

 だから先生がこれを持ってきた――とまで思うのは、いささか自意識過剰だろうか。

 だって名誉に感じることなど、何もしていないのだから。

 アップテンポのベースラインに絡むように、他の音たちがメロディーを奏でる。

 優雅な舞いに思える木管のものもあれば、こちらを急かすように打ち込んでくるトランペットのものまで。小太鼓の刻みは案外とこちらを手助けしてくれて、重くなりがちな低音を引っ張り上げてくれた。

 舞台を歩む足取りは軍のような厳格なものではなく、誰かを楽しませるサーカス団員のもの。

 軽快に飛び回る様は、行進をしながら空中ブランコでもしているかのようだった――実際そのくらいのことはやりかねないのだ、特にあの同い年のアホの子などは。

 舞台裏のテントから次々に飛び出してくる団員たちは列をなして、ステージ上を回り始める。

 パントマイムに火の輪くぐり、綱渡りにトランポリン。

 ワクワクするような行進を引きつれて、ときには道化の真似事などして、鍵太郎はそのまま吹き進めていった。

 フルートとクラリネットが色とりどりの紙吹雪を舞い上げて、行列を華々しく彩っていく。

 合図があったら最後は全盛り。これまでやってきた全種目を歌い上げながら、サーカスの舞台は円を描く。

 人生は舞台のようだというのなら、これほどにやかましいものもあるまい。

 悲劇なのか喜劇なのかも分からない。

 滑稽だという者もいるかもしれない。

 ただ、この中にいることは案外幸せなんじゃないかと、渦中で演奏をしていると思ってしまうのだ。

 全体としてはあっという間で、とても短い曲である。

 まるでこの三年間のように、まばたきのうちに過ぎ去ってしまうものでもある――円のように歩いていくなら、帰ってくるのは始まりの地点。

 もう何周もしたように思える。曲を吹きながら、何度も、何度も。

 だからもう少し、歩かせてほしい。

 この行列を引きつれて、賑やかに、ぐるぐるぐるぐると――この演奏を聞いて、笑ってくれる人がいる限り。

 自分の歩みを見て喜んでくれる誰かがいる限り、吹き続けたいと思うのだ。



 ###



「今度の学校祭、また渋川しぶかわ先生たち来てくれるってさ」


 合奏が終わった後の帰り際、城山はこちらにそう言ってきた。

 名前の出た老指揮者は、この先生の出入りしているオーケストラの人間で、去年も演奏会に来てくれている。どうやら、今年もまた城山は彼らに声をかけてくれたらしい。

 付き合いが続いているようで何よりだった。プロの奏者としても活動しているこの先生の顔がつながっているということは、すなわちそこで仕事ができているということでもある。

 それこそ名誉なことだ。また会えることを楽しみにしていると、顔を明るくした鍵太郎に城山は言う。


「湊くん元気かって言ってたよ。で、高校を卒業したらうちの団にどうかとも言ってた」

「オーケストラのチューバはものっすごい暇そうなので、とりあえず遠慮しておきます……」


 相変わらずそうな面子からの伝言に、苦笑いで応えるしかない。曲によってはそんなこともないと言われたが、去年の今頃見に行ったあの別ジャンルの舞台は、色々な意味で衝撃的だった。

 軽いカルチャーショックを覚えたのも、いい思い出である。勧誘についてはたぶん冗談だったのだろう、半分本気だったのかもしれないが――「だよねえ。そう言うと思ってたよ」と笑いながら、先生は言った。


「まあ、もし機会があったら乗ってくれって。基本的にオケの人たちも同じ楽器吹きだからさ。文化は違えどみんな面白そうな子に興味があるんだよね」

「面白そうな子ってなんスか。俺のことですか」


 冗談半分以上におちょくられている感があるが、これは気のせいなのだろうか。

 ていうか面白そうな子ってなんだ、面白そうな子って。鍵太郎が引きつり笑いをしつつ半眼で言うと、城山はおかしそうに笑った。


「言葉まんまの意味だよ。きみ個人も見てて飽きないし、その周りを見ても楽しそうな子だと思ったんだって。去年の演奏を聞いて」


 それはすなわち、きみの生き様に興味を持ってもらえたってことだよ――と先生は、嬉しそうに言う。

 人生は舞台のようだ。

 そこに来るまでに歩んできた、道のりが全て表れる――ステージに立つ者として、それは骨身にしみているのだろう。

彼の名誉ヒズ・オーナー』。そんな曲を選んできた城山は、本当に楽しそうに言ってくる。


「最上級の誉め言葉だからね、演奏を聞いてまた来たいと思ってくれたことって。しかもきみと、きみの周りを見てそう思ってくれたことは――大変に名誉なことだと、僕は思うけどね」

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