第423話 パンフレットはお客さんと共に
「は⁉ パンフレットの原稿ができてない⁉」
「そのようですー」
後輩の申告に、
パンフレットの原稿。
今度の学校祭のコンサートで配る、プログラム用のものである。曲名や表紙とは別に、今年は各楽器ごとに部員紹介のページを設けることになっていた。
できていないのはその部分だ。各パートに投げて、締め切りまでに提出しろ――そう言ってあるはずだったが、まだ上がってきていないらしい。
鍵太郎が頭を抱えていると、その部分の取りまとめを担当していた次期部長、
「締切日を勘違いしていたパート、そもそも内容が決まっていないパート、すっかり忘れていたパート、みんなで集合写真を撮ったら心霊写真になってしまったから撮り直したいというパートなど、様々です。いやあ、参りました」
「色々ツッコミどころがあるけどヤバいいんじゃないか、これ」
のほほんと朝実は言ってくるが、こちらはそれどころではない。
学校祭に間に合うよう、パンフレット作りは印刷所に頼んでおいた。
だがその提出日は明日で、今から部員に催促しても間に合いそうにない。各楽器全部の原稿が上がってくるのはいつになることか。後輩のこの調子だと、数百年はかかりそうな気がする。
念のため朝実に進行状況を確認してみたわけだが、まさかここまでとは思っていなかった。
まあ、こういった取りまとめが初めての次期部長に、あまり声をかけていなかったこちらもまずかったのだが。鍵太郎が額に手を当てて考えていると、朝実は言う。
「うーん。こうなったら印刷屋さんはキャンセルして、がんばってコピー機とかで自力でパンフレットを作るしかないですか? もしくは、例年通りプログラムと曲解説だけにするか」
「学校のコピー機は、学校祭の他の催しのチラシ印刷とかに使われてるから、俺らが単独で大量に印刷するっていうのは厳しそうだな。てことはどこかのコンビニのコピー機とかか? 何百枚コピーすればいいんだよ……」
コンサートは体育館で行われるので、当然かなりの数のお客さんが入る。
パンフレットだけでも、ざっと五百部。数ページあるので、紙の印刷枚数としては軽く千を超える。
想像しただけでめまいを覚えそうな状況だった。となると、朝実の言うとおりパート紹介はカットして、印刷所に頼むのが正解なのかもしれない。
だが、せっかくパート紹介をすると決めたのだし、予定どおりのものを作りたい――そんな気持ちがあるのも事実だった。
大体、曲目だけのプログラムだったらそもそも、印刷所に頼む必要もないのだ。
ペラペラの一枚紙で済むものだったら、なんとか自分たちですり上げる。ページ数が多くて印刷の手間があるから外部発注なわけで――と、鍵太郎が頭を悩ませていると。
「ほーほっほっほっほ! お困りのようですわね!」
長い金髪をきらめかせて。
高笑いしながら、アリシア=クリスティーヌ=ド=
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「せんぱーい、誰ですかこの人」
「しっ、目を合わせちゃいけないよ宮本さん」
「なぜ、街で不審者を見かけたときの対応なんですの⁉」
堂々と歩いてきたアリシアに、思わず危ない人を見たときの対処をしてしまった。
しかし彼女は、この学校のれっきとした生徒会長である。
今はその立場から退いたので、元、がつくが――たまに学校の行事などで挨拶するときに凛とした顔を見せる、華やかな立場の人だった。
まあ、一皮むけば今のように、高飛車な態度が出てくるのだが。
表情があまりに違い過ぎて、記憶にある姿と一致せず朝実は知らない人認定をしてしまったようだ。無理もない。まあ、この後輩の場合、元から覚えてなどいなさそうだけど。
しかしそんな元生徒会長が、自分たちに何の用か。
わざわざ音楽室まで出向いてきてまで。鍵太郎が驚き半分、警戒半分の表情をしていると。
その顔に満足したのかアリシアは、いつもの調子で言ってくる。
「ふっ。あなたが困った事態に陥るのを、ずっと待っていましたのよ、わたくし。もったいぶって恩を着せて、かつての借りを返すために」
「うわあ。それって俺のことずっと監視してたってことですか、怖い……」
学校に盗聴器でも仕掛けているのではないか。そんなことすら考えるアリシアの行動に、ちょっと引く。
確かに彼女は以前から、こちらが隙を見せる機会を窺っていたようだった。
東関東大会の前にアリシアが教室を訪ねてきたときも、そのような雰囲気を出していたのだ。
あのとき彼女はなんと言っていただろうか。
確か――
「うぷぷぷぷぷ。あんなに大見得切って、結果を伴って帰ってくるとか言っておきながら、ブザマに敗れて帰ってくるなんてちゃんちゃらおかしいですわね」
「あああそういえば、そんな宣言してた俺えええええ⁉」
アリシアは、コンクールで代表になってこいと命令してきたのだった。
色々あっておしいところで東日本大会までは行けなかったのだが、それでも生徒会長からの勅命を果たせなかったことに変わりはない。
学校の看板を背負っていったのに、なんたることか――そう笑いに来たということなのだろう。先ほども言っていたとおり、彼女は予算会議の一件以来、妙にこちらに突っかかってくる。
借りを返しに来た、というがこの行動は多分に、
生徒会長という職から解き放たれて、アリシアも私人として動くようになったということらしい。
けれども、根っこは彼女も、人の上に立つ者の思考のままで――
嗜虐心たっぷりの上から目線で、元生徒会長は助け舟を出してきた。
「印刷のことでお困りでしたら、生徒会室の
「りん、てんき……?」
「輪転機。ひらたく言えば、大量印刷に向いたコピー機です。コストの面では普通のコピー機より圧倒的に安価で済みますわよ」
学校会報などのお知らせは、そこで刷っておりました――とアリシアは、そのときのことを思い出したのだろう。少し遠くを見て、目を細めた。
教室でよく配られていた、全生徒に配布されるプリント。
あれは、生徒会室で印刷されていたものだったらしい。ざらざらした紙の感触と、インクの具合。それらを鍵太郎が思い出していると、元生徒会長は続ける。
「まあ、大量印刷というだけあって、印刷の精度自体はあまりよろしくありませんけどね。したがって、写真はあまり推奨いたしません。イラスト等にさしかえるのがよろしいかと」
「あ、それなら心霊写真を使わずに済みます!」
「いや、まあそれはぜひとも封印しておいてほしいけど……」
嬉しそうに言う次期部長に、遠慮がちに突っ込む。
これで印刷のアテはできた。費用の面でも心配はなさそうだが。
疑問なのは、なぜアリシアがここまで手助けをしてくれるかだ。誇らしげに胸を張る元生徒会長に戸惑いつつ、鍵太郎は訊く。
「いいんですかアリシアさん。こんなにしてもらっちゃって」
「先ほども申しましたでしょう。わたくしは、借りを返す機会を伺っていたのだと」
学外の催しには介入できませんが、学内のこととなれば話は別ですわ――と、アリシアは鼻を鳴らし笑った。
その笑みは、
そして上に立つものの慈悲をたたえているようだった――やり方はともかく、生徒が困っているのを見て、彼女なりに力になりたいと思ったのは本当らしい。
集団の代表者として、この元生徒会長と関わっておいてよかった。
こうして何かあったときに、助け合えるのだから。そう思って鍵太郎がほっとひと息つき「……ありがとうございます」と礼を言うと、アリシアは得意げに言ってくる。
「ようやく弱みを見せてくれましたね。ざまあないですわ。これだから愚民は」
「これさえなければ、いい人だって素直に言えるんだけどなあ……」
「お黙りなさい。それ以上言いましたら使用許可を取り下げますわよ」
同い年の副部長とはまた違った方向の暴言に、遠い目になる。
アリシアはどうも、こちらが支部大会代表を逃したからこそ、手を貸してくれる気になったようだ。
ということは、もし東日本大会に行っていたら彼女はこんな風に提案をしてくれなかったのだろうか。
それはそれで、ままならないなあと鍵太郎が頭をかいていると、元生徒会長は言う。
「さて――これで貸し借りはナシになりました。お互い対等な立場で、次は臨めます」
最後の舞台、学校祭のコンサートも。
なんの気兼ねもなく聞きに行けます――とアリシアはそれこそ、素直に笑った。
高校生活最後の祭りを、普通に楽しもうとするひとりの生徒がそこにいた。
ただ、次の瞬間には彼女の表情は引き締まり、元の挑戦的なものに戻っている。
「では。あなたたちのコンサートがよきものになりますよう。今度こそあなたの望む、『奇跡』が起こせますように――期待していますわよ!」
そんな捨て台詞を残して。
元生徒会長は、来たときと同じように嵐のように、音楽室から去っていった。
相変わらず、高慢ちきで選民意識にまみれた、女神のような人である。
アリシアの後ろ姿を見て鍵太郎が苦笑していると、同じものを見ていた朝実が言う。
「ほえー。なんだかよく分かりませんが、とりあえずパンフレットに関してはなんとかなりそうですね。よかったです」
「これからは締切前に、他の人の進捗状況をチェックしてね、宮本さん……」
図太すぎる次期部長の態度に、冷や汗が流れるがまあ良しとしよう。
彼女の言うとおり、なんとかはなったのだから。
あとは後々、朝実も他の代表者とつながりができるように――
「学びました。結構ギリギリの状況になっても、案外と人の協力でどうにかなるもんだって」
「次期部長としてまず学ぶところ、そこじゃないよ!」
そう願いたいところだったが、まだ彼女には早いらしい。
人を動かすにはまず自分から。協力を仰ぐのならば努力してから。
そんなあの元生徒会長の主張を、後輩にも見習わせるため朝実にパンフレットの制作を促す。
途中でふと、アリシアが去った方角を振り返るが――もう姿は見えない。
けれども、期待している、と言った以上。
彼女はお客さんとして、印刷されたものを手にまた、自分たちの元にやってきてくれることだろう。
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