第420話 あなたのための晩餐会
知ってた。
そういう人だって知ってた。そう思いながら、
ひとつ年上の、去年卒業したユーフォニアムの先輩。彼女とは確かに、今日一緒に練習することになっていた。
今度の学校祭の、OBOGを交えた本番に向けて。なので隣の部屋で音出しをしていてもらったのだが――まさか、在校生の練習に飛び込んでくるとは。
やりかねないとは思っていたが、本当にやるとは思っていなかった。
それほどこの先輩は、楽器を吹きたかったのかもしれない。そんなことを考えさせるくらいに、卒業生ののソロは見事なものだった。
そう、ソロだ。
本来はトロンボーンがやるはずのソロを、ユーフォニアムでやっている。音域は大体同じだから問題ないとして――
混ぜろ、と先ほどこの先輩は言っていた。
ということは、こういうイレギュラーがあっても演奏は続けろということだろう。
そう判断して、鍵太郎はOGと一緒に曲をそのまま吹き進めていった。『ディズニー・プリンセス・メドレー』――思わぬじゃじゃ馬プリンセスの登場に、鍵太郎と同じくチューバを吹いていた一年生は、目を白黒させている。
少し前に説明はしていたが、やはりこの真面目な後輩には卒業生の言動は、刺激が強かったらしい。刻むリズムも、ところどころぎこちなくない。
ボサノヴァ――南国の海を思わせるゆるいビートは正確に打ち込もうとすればするほど不自然になる。
流れに身を任せてしまった方がよく聞こえるものだ。たとえばそう、こちら三人の練習を聞きつけて他のOGや在校生たちが演奏に加わってきても、文句を言わないくらいには。
彼女たちを注意するのは、むしろ無粋だといえる。まったくとんだお姫様たちだった。楽しそうだと思えば、ところかまわず出かけていってしまう。
そういえば物語の中でも、彼女たちが大人しくお城の中にいる話なんて聞いたことないけれど。
好奇心旺盛で、強い意志を持っている。そんな印象のとおりに、周りの女子連中は心の赴くままに演奏を続けていった。
音の厚みが増した中、ふわふわキラキラの、フルートのOGの音がする。
やさしく、でもしっかりした現役生のトランペットの音も聞こえる。
流れゆく時の中で、でもみんな集まった――音楽の名のもと再び集った、かつてここで過ごした仲間たち。
卒業生も在校生も関係なく、入り混じって合奏をするさまは、まさに夢のようだった。
もっとも以前みた夢のように、楽器が動かなくなることなんてない。なにせ、ここは現実なのだから――だったら、もうちょっとはしゃいでもいいよね? と言わんばかりに。
テンポが加速する。
甘やかな口調が一転して、騒々しく。
用意されたのはカップにポット――お茶とお菓子も用意して、ティーパーティのはじまりはじまり!
このお茶会は特別製。なんせ食器が勝手に動きます。
おもてなしのためならば、我らは手間を
ああもうまどろっこしい。こうなりゃ総員、全力でかかれ――! そんな掛け声と共に。
各楽器が一斉に動き出す。『ひとりぼっちの晩餐会』。城の時計やロウソクたちが、訪れた客をもてなそうとコミカルに動き回る曲だ。
人間はひとりだけれど、彼女の周りには常に食器や家具たちがいる。プリンセスをもてなすためにあれやこれや――美味しいご飯に温かいお茶、そしてあっと驚く芸なども。
卵を割る様からスープを混ぜる様まで楽しげに。そしてナプキンやテーブルクロスの用意も、歌を歌うように。
照明はOK? とびきりロマンティックに。
お肉は焼けた、銀食器もバッチリ。
アクロバティックに宙返りして、お客様を正面にご案内。
さあて準備はバッチリだ。これからこの七面鳥が爆発するようなんてことがなければね――言うとそうなるから止めろ? まっさかあ、そんなことがあるわけない。
そうやって笑ったそばから弾き飛ばされて、そんなイレギュラーにも手を叩いて涙を流し笑ってしまう。
あのときと同じ。部活に入った頃と一緒。
みんな一生懸命で、予想外の事件が起こりまくって、けどパーティは続けられていく。
ここにいるメンバーと一緒に。
曲が変わっても場面が変わっても、楽しい時間は続いていく。
###
「さっきの合奏な、録音させてもらった」
そして、ひとしきり笑い合ってから。
OBの
その携帯で、先ほどの演奏を録音したのだろう。そして、わざわざこちらに言ってきたということは――
「
「そうだ。文章じゃなくて音楽を聴いた方が、あいつも返事する気になるってもんだろ」
かつてトランペットを吹いていたあのOGに、曲を届ける許可がほしかったということだ。
聡司と同い年の彼女は、今回の演奏会の件で連絡を寄こさない――来るとも、来ないとも言わない。かろうじて既読のマークがつく以外は、全くの無反応である。
先ほどの合奏でユーフォニアムの先輩が乱入してきたように、楽しそうなことがあれば、真っ先に顔を出すのが鍵太郎の知っている
彼女を呼び起こすため、自分たちの演奏を使う。
結構なことだ。
うなずく現部長に、聡司は続ける。
「今泉が出ていって、おまえらと一緒に吹き始めたとき『これだ!』って思ってさ。急いで録音したよ。おかげでオレも混ざりはぐっちまったろうが、豊浦のアホめ」
「プリンセスメドレーなので……」
「野郎はいらねえってか? だったらテメエなんで入ってたんだよ」
現役生では唯一の男子部員である鍵太郎に、先輩は突っ込んできた。
こういったやり取りを直接するのも久々で、正直嬉しい。聡司のお姫様姿を想像してしまったことを除けば。
会話の内容が内容でなければ、もっと楽しめたとも思う。自分が加わっていたことについては、この間女子よりも乙女らしいと言われたので勘弁してほしい。
鍵太郎がそんな風に思っていると、聡司は特に気にしていたわけではないようで、「まあいいや」と肩をすくめる。それよりもやるべきことがあると、分かっている仕草だった。
「ともかく大事なのはこの演奏の中に、あいつが入ってくれることだ。まあ最低限、連絡くらいは取れることだ――それ」
そして、テスト再生なのだろう。
先輩は手にした携帯から、先ほどの録音を呼び起こした。
お姫様たちの傍若無人。
気ままな彼女たちの自由な旋律。
音楽の旗の下に再び集った、かつての仲間たちの声――
そういったものが次々に流れ出してくる。改めて合奏でやったものではない、音も足りない不完全なもの。
けれども、だからこそ自分も加わりたいという気持ちになれそうな気がした。途中のトランペットの音を聞いて、そんな印象を持つ。
手を引く側だった彼女が。
たまには、引かれる側に回ったっていいんじゃないかと思うのだ。『ひとりぼっちの晩餐会』。周りを騒々しく飛び回るのが、人でなく家具や食器類だったとしても。
あの人が孤独でいるなら、この演奏が慰めくらいにはなると思うのだ――そう思って、下を向いていると。
その視界に、聡司の携帯が差し込まれてきた。
「ほい。何かメッセージ頼む」
「え、ちょっとこれ、もう録音始まってます?」
いきなりマイクをつきつけられ、顔が引きつる。何も挨拶の用意なんかしてない。
けれども、何か言わなくてはならない――去年の学校祭と同じように。
待っている誰かがいるなら。
そう思って、携帯の向こうの先輩に対して言葉を投げる。
「あ、あの……豊浦先輩。いつでもいいですので。気楽に来てください」
あの先輩がみんなのことが大好きで、楽器を吹くことも大好きなことを、後輩の自分は知っている。
さっきのユーフォニアムの先輩くらい、メチャクチャでもいい。トラブルを起こしてくれても構わない。
それでも――
「俺、待ってますから」
自分はあなたと一緒にいたいのだ。
そんな願いを込めて。
###
そして、そんな言葉と演奏を――
「……」
豊浦奏恵は、薄暗い自室の中、無言で聞いていた。
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