第419話 再臨する自由の女神
「やっほー
そう言って手を振ってくる
今日は、OBOGを交えた学校祭に向けての練習の日だ。
卒業生を加えた演奏をするのはいいが、一緒に合奏をすることはなかなかできない。そんなわけで設定したのが、本日の音楽室開放だった。
あとは前日のリハーサルを残すのみで、練習回数自体は少ないのだけれども。
だからこそ貴重なこの機会を逃すまいと、今日は結構な数のOBOGが学校にやってきている。もちろん智恵もその一員で、久方ぶりの音楽室にはしゃいでいた。
「私はめんどくさいからコンクールの楽器運びにも手伝いに行かなかったからね! みんなを新鮮な目で見られるよ!」
「はい、先輩も相変わらずで何よりです」
テンションが上がり過ぎたせいか「後輩たちを手伝いに行くのが面倒くさい」と言い放つ先輩に、変わらないなあと鍵太郎は生暖かい笑みを浮かべた。
現役の頃と変わらない。うっかりでぽっちゃりな、抜けているけど上手い先輩である。
そんな顔が勢ぞろいしていることに、奇妙な安心感と懐かしさを覚える。自分が一、二年生だった頃の先輩たち。
部長でなかった頃の記憶がよみがえってきて、当時の感覚までも思い出しそうになった。
まだどこか、頼るべき寄り辺のあった時代――
「学校祭、他に何やるの? 『ディズニー・プリンセス・メドレー』? いい曲だよね、ユーフォソロあるし!」
「自分の楽器にソロがあるかどうかで、いい曲かそうでないかを判断せんでください」
遠慮容赦なく突っ込みを入れていた、面白おかしい時代である。
こんな風に発言できることに、心のどこかも開放されていくのを感じる。同い年たちや、特に後輩を相手にするとこうもいかない。
この人たちなら、どんなことを言っても大丈夫。
そう思えることが、この安心感の源なのだろう。まあ、その分だけ彼ら彼女らが傍若無人――強い人たちであるということでもあるのだけれど。
先輩たちに振り回されて、散々な迷惑をかけられたという
もちろん、それだけではないのだが。先輩たちの中にいる唯一のOB、打楽器の男の先輩に目をやれば、彼は無言で首を振ってくる。
それだけで分かる。
あの音楽室の扉を蹴破ってきた、テンションの高い先輩はいない――そのことに、寂しさを覚えなくもないが。
「じゃあ、先輩たちは音楽準備室で音出しをしててください。楽器は準備してありますので。今日は一緒に楽しみましょう」
今の自分は、それ以外のことに目を向ける方法も知っている。
全員はそろっていないけれど、それでもこれだけの人数が集まってくれたのだ。それだけで、十分にいいことだと思えた。
本当はそんな偉そうなことを言えた身分ではないのだけれども、OBOGに対して指示を出す。
三年生で、部長なのだから。
これまで積み重ねてきた、たくさんの経験を振り返りつつ――そこで共にいた人間たちが再び集ってくれたことに、鍵太郎は素直に笑った。
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「各パートひとりは先輩方が来る、ということでしたけど、ユーフォチューバパートはあの方だったんですね……」
「そう。今泉先輩。あんな感じだけど、いざってときはがんばってくれるいい人だよ」
ぞろぞろと音楽室を出ていったOBOGたちに、鍵太郎と同じ楽器の
先日、自分たちと同じチューバの先輩、先々代の部長は来るのかと訊かれてNOと答えておいたのだが。
つまりはユーフォニアムの先輩が来るということだったのだ。あれこれ言うよりも実際に見てもらった方が早いかなと思い、特に芽衣には説明していなかった。
けれど、直に目にした以上はもう、あの人たちのことについて語ってもいいのだろう。そう考えて目を丸くする後輩に、先輩について多少のフォローを入れておく。
あんな言動ではあるが、智恵は智恵でやりたいことに対しては一生懸命であると自分は知っている。
例えばそう、あのソロ――『民衆を導く自由の女神』のユーフォのメロディーに、ひたすら取り組んでいたときのように。
少し抜けているところはあっても、為すべきところは為してくれるのである。以前、音楽室に見事にぽっちゃり女神が降臨してきたことを思い出して、鍵太郎が噴き出しそうになると。
そんなこちらを見て、芽衣が言ってくる。
「はあ。まあ。とにかくすごい人であることは分かりました。……音出しからしても、実力者であることは分かりますし」
その発言に改めて音楽準備室から聞こえてくる音に耳を傾けてみれば、智恵とおぼしきユーフォの音は、現役の頃と遜色なく豊かに響いていた。
特に聞いていなかったが、あの先輩も先輩で卒業しても楽器を続けていたのだろうか。そう思わせるくらいのブランクを感じさせない音である。
これは、期待ができそうだ。久しぶりに智恵と合奏ができることに喜びを噛みしめつつ、鍵太郎は言う。
「そうだねえ。じゃあこっちも負けないように、先輩たちとの合奏までにちょっと練習しておこうか」
今度の学校祭では、OBOGと一緒にやる曲以外にも、様々な曲をやることになっている。
先ほど智恵が言った『ディズニー・プリンセス・メドレー』なども、そのうちのひとつだ。人数はそんなにいらないのだが、メドレーでとにかく長いということで、慣れておかねば消耗が激しい曲である。
ところどころで転調するので、それも引っかかるポイントだ。鍵太郎の提案に芽衣はうなずき、二人で譜面をさらう流れになった。
プリンセスメドレーというだけあって、この曲は様々な物語のお姫様たちのテーマが連なっている。
白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、リトルマーメイド、美女と野獣――そして、ユーフォのソロがある、アラジン。
昔から親しまれてきた、ヒロインたちのストーリー。
まあ昨今は、こういった童話のお姫様たちも一筋縄ではいかないように、アレンジされているのだけれども。そう考えつつ鍵太郎は、曲の冒頭のチャイムの音を脳内で再生した。
何かの幕開けを告げるような、静かな鐘の音――そこからキラキラと、魔法のように光の粉が飛ぶ。
ゆったりとしつつもしなやかに強くなる旋律は、どこかで卒業した先輩たちを思わせる。
次々と出てくる癖の強い曲たちも、その印象に拍車をかけていた。全員そろっていないからどこかまだ不完全だけど、それもまた隣の部屋にいるあの人たちと一緒で――と、思っていると。
「まーぜろー‼」
奏恵ではなく、智恵が音楽室の扉を破ってこちらに飛び込んできて。
再び降臨したぽっちゃり女神に、鍵太郎は噴き出しそうになった。
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