第418話 好きな人を語る乙女の顔

「センパイセンパイ。結局、今度のOBOGとの練習は誰が来るんスか?」


 湊鍵太郎みなとけんたろうが部活に顔を出したら、後輩の赤坂智恵理あかさかちえりがそう尋ねてきた。

 学校祭でのOBOGを交えた演奏のため、次の土曜日は卒業生を招いて練習をすることになっている。

 もちろん都合のつかなかった者もいるため、本番に参加する人間が全員来るわけではないのだが――それでも、結構な人数が集まることになっていた。

 そのことを恐ろしく、また楽しみに思いながら、鍵太郎は智恵理に答える。


「各パートひとりくらいは来るかなあ。もちろん、県大会にいたフルートの先輩も来るよ」

「あー。あの見た目プリンセスな女傑じょけつって人ですか。いぇい、楽しみっスー」

「きみら、意外と気が合いそうで面白そうだよね、怖いけど……」


 見た目ギャルな智恵理と、見た目お姫様なあの元副部長が並んで演奏するというのは、鍵太郎にとって非常に不思議なことでもある。

 かぶっていない世代の先輩後輩が一緒にいるというのは、夢のようであり、また悪夢のようでもある――かつてみた『これまで関わってきた、全員が出てくる夢』のことを思い出して、鍵太郎が苦笑いしていると。

 その夢のことを唯一知る、大月芽衣おおつきめいが言ってくる。


「……その。春日かすが先輩という人は、来るのでしょうか」

「来ないよ。なんだよ、この間から千渡せんどといい、やけに先輩のこと訊いてくるな」

「そりゃそーっスよ。だって湊鍵太郎ファンクラブ、その話題で持ち切りっスもん」

「そのファンクラブっていうの止めてくれないかな、ほんと⁉」


 智恵理と同じく一年生である芽衣の発言に、回答しつつ力の限り突っ込んでいく。

 部内に自分のファンクラブがあるとか、今度来る先輩たちに話したら爆笑されそうな気がしてならない。

 そういう、面倒くさいけど面白い人が勢ぞろいするのだ、次の練習では――そういう意味では、同じ楽器のあの先輩は来なくてよかったのかもしれない。

 一年生の頃の自分と、三年生になった今の自分は、それほど違う。

 後輩ができて部長になって、なんだか知らないけどファンクラブなんてものができて。

 入部したときとはまるで変わってしまっている。そのことを誇らしく思えばいいのか、感傷を抱けばいいのか。

 分からなくて――とりあえず恥ずかしくて鍵太郎が顔を赤くしていると、芽衣と智恵理が言ってくる。


「先輩の、前の前の部長さんなんですよね、春日先輩って。名前だけはよく聞く人ですけれども、実際に来るとなると緊張します」

「で、アレなんでしょ。一説によると湊センパイの脳内エア彼女なんでしょ。その人。宮本みやもとセンパイが吹聴ふいちょうしまくってましたよ」

「あのゴシップの根源があああああ! 今度デマをばらまきやがったら、ほっぺをつねるだけじゃ済まさねえぞ!」


 真実と嘘が交じりまくった憶測が部内に流れていると聞き、鍵太郎は部長として個人として、次期部長に怒声をあげた。

 あの人が先々代の部長であるのは正しい。卒業以来一度も部活に顔を出していないことも合っている。

 けれども、なんだ脳内エア彼女って――確かに昔から好意だけが頭の中に渦を巻いていて、それが伝わったことなど一度もなかったけれど。

 ちょいちょい口に出してはいたものの、気づかれる様子なんてまるでなかったけれど――当時を思い出して泣きそうな気持ちでいると、後輩たちはまるで構わず。

 興味津々で、続けて訊いてくる。


「上手い方……なんですよね? 大学生になって一般バンドに入るあたりから、実力を感じます」

「えー、どんな人なんスか? というか湊センパイのタイプってつまり、その人ってことっスよね? 気になる気になるー!」

「めちゃくちゃ上手い、品行方正な優しいお姉ちゃんだよ! やや過保護なくらい甘やかしてくれるよ! ちょっと天然だけどな!」


 もはやヤケクソになって、OGについての情報を一年生たちに提供していく。

 智恵理の言に従うと、口にすること全てがすなわちそれ自分のタイプということにもなるのだが、もはや気にしない。

 実際に本人が来る以上、もう隠してもいられないのだから――胸が大きいとか腐女子であることとか、そういうことは最後の理性で言わないことにしたが。

 それでも後輩たちに性癖を暴露していることには変わりないのである。鍵太郎が涙目でいると、ひととおり聞いたことで想像ができたのだろう。

 智恵理が「へえええええ」と目を細め――見ようによっては半眼にも思える――言ってくる。


「センパイってそういう人が好みなんスかー。あたしと全然違うなぁー。そういう優等生ちゃんにはなれないっスわー」

「別にならなくていいし、なったらなったで気持ち悪いからやめてほしいと俺は思う!」

「あれまご挨拶。けど取りようによっては、素のあたしのままでいいって言ってくれてます?」


 そういうとこ、センパイも天然ですよねえ、と後輩は言ってくるが――自分はかの偉大な先輩のようにはなれない、と鍵太郎は思っていた。

 似ているとか同じようなことを口にするとかは、言われるようになったけれど。

 根本的にこちらとあの先々代の部長とは、違うのだ。そのことを自覚しつつ、半ばパニックのまま口走る。


「そうだよ! そのままの自分を大事にしろって、俺に言ってくれた人だよ! 初心者で右も左も分からなかったヤツによくしてくれた、恩人だよ! すごい人なんだよ! そんな人が来るのに、平静でいられるわけがないだろうが!」


 ファンクラブ会員がざわつく、なんて、それどころの話ではない。

 そんなのはまだ可愛い方だ。実際に本人を知っている自分の心が、一番落ち着いていられないに決まってる。


「久しぶりに会って下手くそだって失望されたくないし、部長としてなってないとも思われたくないよ! 不安なのは俺の方だよ、今の自分が受け入れてもらえるかどうか、大丈夫だって知ってても考えちゃうよ!」


 憧れ、尊敬、そして思慕。

 色々な感情がぐちゃぐちゃになって、身体の中に吹き荒れている。

 ひとつ下の、最近前髪を分けるようになった後輩のことを言えない。自分だって同じだ。

 好きな理由なんて全部後付けで、どうあっても気持ちがあの人の方へと傾く。

 この不安の分だけ、改めて彼女と一緒にできると実感できて。

 そしてそれを、嬉しいと感じてしまう――救いようがないほど。

 高揚して、目に涙が溜まって、言葉にならないほどの幸せで胸が満ちてしまうのだ。

 恐らく耳まで真っ赤になっているであろう顔を押さえ、大きく息をつく。一気にしゃべったせいで呼吸が荒くなって、足りなくなった酸素を補給しようと、肺がさらなる空気を求めた。

 来たときのことを考えるだけでもこうなってしまうのに、いざ当人が来たらどうなってしまうのだろうか。

 泣きそうなのを抑えながらそう思っていると、後輩が半眼のまま言ってきた。


「あー。分かりました」

「そう……。何が分かったのかよく分からないけど、それならよかった」

「センパイがそこいらの女子に負けないくらい、乙女だってことはよく分かりました」

「分かられたくなかったッ!」


 否定したかったが、こんな有り様を見せてしまっているだけに反論のしようもなかった。

 これまでも女子力が高いと言われてきたが、ここまでくると女々しいとさえ言える。すると――

 そんなこちらの表情をじっと見つめてきた、芽衣が口を開く。


「……とにかく、今度の練習には来ないけど、前日にはその春日先輩という人が来るんですね。分かりました。心の準備をしておきます」

「他にも変な人いっぱい来るから、そのつもりでおいてね、大月さん……」

「……はい」


 智恵理とは対照的に、落ち着いた様子の後輩に、ようやく部長としての自分を取り戻せる。

 そんな芽衣は、こちらを見て一瞬、瞳を揺らがせたようだったが――きっと先ほど口にしたとおり、緊張しているせいだろう。

 そう思って、鍵太郎は後輩の変化を深く追及しないことにした。今だって、自分の心の動揺について迫られまくって、恥ずかしい思いをしたばかりだったし――。



###



 だけども、その隠された大きな揺れを。


「んー。予想以上にヤバい人が来るんだってことは、分かったわ。こりゃ三年生たちもザワつくわけだね」

「湊先輩のあんな顔、初めて見た……」


 同い年とだったら、共有できる。

 なので智恵理と芽衣は、鍵太郎が去った後に息をついてそう言い合っていた。

 最後は元の調子に戻っていたが、途中の現部長の顔は、これまで目にしたことがないほど真っ赤に染まっていたのだ。

 これまでも『あの先輩』について話したときにぼんやりと、遠くを見るような表情になることはあったが――ああまであからさまに反応を見せることはなかった。

 それだけ今度来るその先々代の部長とやらは、彼にとって重要な人物なのだろう。

 そして自分たちにはあの顔を、引き出すことはできないのだろう――どうあがいても庇護ひごの対象。守るべき存在。

 同じ楽器の先輩に、そう扱われることについて激しい抵抗と、けれどほんの少しの嬉しさを芽衣は覚えた。

 その複雑さはきっと、かの部長も経験してきたはずだ。

 同じ立場なのだから――そのことにも微妙な喜びを感じてしまい、顔を赤くしつつも口をへの字に曲げる。

 おそろいがいいとか、どれほどの幼さだろう。小学生じゃあるまいし。

 隣の席の子だから好きになったとか、そんな単純な理由じゃあるまいし――そう考えていると、智恵理がこちらをのぞき込んでいるのに気付く。


「……何?」

「いや、ああいうカオ、あたし他にも見たことがあるからさ」


 耳まで真っ赤になって、瞳を潤ませた表情。

 好きな人を語るときの態度。

 それを――


「たまにメイメイも、同じカオしてるよ?」


 自分もしているのだと知り、芽衣は先輩がしたのと同じように、恥ずかしそうに手で口元を覆った。

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