第389話 尻尾をたてて嬉しそうに

 ホールのロビーに行くと、ざわざわとした人の話し声が聞こえてくる。

 湊鍵太郎みなとけんたろうはその中を、物珍しげに歩いて回っていた。ここはいつもの地元のホールではない。

 東関東大会――県のコンクールの先にある、初めて来る場所だ。

 だからだろうか、ここには一段上の高揚感と、そしてピンと張り詰めた空気が漂っている。

 重くよどんだ感じはあまりない。むしろ、吹き抜けの天井のおかげか、開放感があって――どちらを向いても活気があるような、ちょっとしたお祭りを連想させる。

 こういう雰囲気はいいよなあ、と思いつつ、鍵太郎はその中を進んでいった。やはり、先ほどのような意地の悪い人間は、ごく少数なのだ。大多数はこんな風に、それぞれこの日を楽しんでいる。

 これなら、のほほんと歩いていても取って食われはしないだろう。そう思っていると――


「先輩、大変です!」


 鍵太郎と同じ楽器の後輩、一年生の大月芽衣おおつきめいが話しかけてきた。


「どうしたの、大月さん」

「大変です……そこに、コンクールのグッズのショップがあるんですけど」


 なにやら血相を変えて駆け寄ってきた後輩に、とりあえず事情を聞いてみる。よほどの衝撃を受けたようで、芽衣は目を見開いたまま、小さく震えていた。

 そして彼女が指差した先には、確かに大会の記念に、と書かれたグッズのお店がある。

 どうも猫のキャラクターが、楽器を持っているというものらしいが――そのラインナップの中に。


「――チューバのグッズも。ちゃんとあるんです」

「それは大変だ」


 吹奏楽部では、かなりのマイナーな自分たちの楽器もあると知り。

 鍵太郎は後輩と同じく、衝撃に目を見開いていた。



###



「えっ、チューバ……? 本当にチューバ……? ユーフォじゃなくて……?」

「センパイ、疑心暗鬼になりすぎッスよ。ほら、ここにユーフォもあるじゃないッスか。だからこっちがチューバっしょ」

「わあ、本当だ……」


 あまりに信じられなくて、実際にそのグッズショップの前までやってきて。

 本当に自分の楽器のキャラクターがいるのを見て、鍵太郎はさらなる衝撃を受けていた。

 こういう系のグッズは他にもいくつか見てきたものの、その大多数は売れ筋狙いであり、よく知られていない楽器はそもそも種類がない。

 よくあるのが、今のように似たような形の楽器――つまりユーフォとチューバが一緒くたにされて売られているパターンだ。

 そして最近はユーフォが主役のアニメのおかげで、チューバは知名度的にだいぶ置いていかれてしまった感がある。なので、ちゃんと店頭に自分の楽器のグッズがあることに、鍵太郎はもはや感銘を受けていた。

 涙が出そうである。


「うう……ちゃんとマイナー楽器にもスポットを当ててくれて、ありがとうございますぅぅぅ……なんていうの、アレ? 自分は好きなんだけど、絶対売ってないだろうなーっていうマニアックなお菓子とか、期待せずにいったらお店にドンと並んでた、そんな感じ?」

「メイメイもそうでしたけど、チューバの人ってなんでそんな卑屈な反応するんスか?」

「やかましいわ! みんな知ってる楽器の人に言われなくないわ!」


 半分泣きながらそう言うと、芽衣と一緒に行動していたのだろう。同じく一年生の赤坂智恵理あかさかちえりが不思議そうに言ってきた。

 彼女の担当はフルート(ピッコロ)である。自他共に認めるメジャー楽器の人間に言われると、なんかセレブにあわれまれたようでイラっとする。

 というわけでもちろん智恵理の吹くフルートも、当たり前にグッズの中には揃えてあった。

 というか、ほぼ全部の楽器のグッズがそこには並んでいた。


「すげー……」


 ずらりと置かれている、その商品たちを見て思わずそんな声をもらす。

 フルート、サックス、トランペット――といった有名な楽器から、ユーフォ、チューバ、果ては指揮者といったものまで、そこにはありとあらゆる舞台上の楽器たちのグッズがあった。

 ファゴットやコントラバスのものもあり、ああ、合同バンドで一緒だったあの二人は元気かなあ、とふと思う。彼女たちがここに来たら、きっと自分たちと同じように恐れおののきつつ、喜んでいたに違いない。

 そう、すぐそこにいる、自分と同じ楽器の後輩のように――と鍵太郎が隣に目をやると、芽衣はテーブルにかじりついて、並べられたグッズをじっと見つめていた。


「かわいい……」


 彼女が見ているのはもちろん、自分の楽器のキャラクターのグッズである。

 猫が楽器を吹いている。それだけでもう反則級のかわいさなのだ。

 それが自分の好きな楽器を持っているのだから、食いつかないわけがない。

 元々楽器吹きというのは、自分の楽器に関連するアイテムは異常に集めたがるという習性を持っている。やっていない人間からするといささか過剰反応というレベルで手を伸ばす。

 それがマイナー楽器となれば、なおさらだ。当然、鍵太郎も例外ではなく――気づけば完全に買う気で、並べられたグッズを眺めていた。

 缶バッジ、トートバック、タオル、キーホルダー。

 ボールペンにクリップ――色々あるけれども、財布の中身と相談するなら缶バッジがキーホルダーだろうか。

 いや、でも多少は奮発しても、実際に使えるものの方が――などと、迷っていたところで。


「……あれ、これってひょっとして、今年限定モデルなのか?」


 グッズの一部に西暦が入っているのを見て、首を傾げる。まさか――と思ったが、やはり見回せば、かなりの種類の商品に今年の西暦が記してあった。

 すると、それまでこちらのやり取りを微笑ましげに見守っていた、売店の男性が疑問に答えてくる。


「そう。缶バッジもキーホルダーも、全部今年だけの限定のやつだよ。毎年色を変えてるから、今年のやつは今しか手に入らない」

「むう……」

「あっははー。お兄さん、商売上手ー!」


 今しか買えないよ――そんな、セールスの常套句に、鍵太郎は警戒心を強め、智恵理はむしろおかしそうに笑った。

 ここまで来たんだからお土産に、などと思ったが、やはりそれはこういった特別な場所の罠だ。

 どうしても財布のひもが緩み、いらないものまで買ってしまいそうになる。

 やっぱり都会の会場は怖い。絶対にだまされない――なんて、そんな風に意地を張っていると。

 売店のお兄さんは、にこやかな笑顔で続けてきた。


「猫のイラスト自体は同じだけど、背景の色や柄、デザインなんかを年ごとに変えてるんだよね。おかげで毎年コレクションしてくれる人もいて、ありがたい限りだよ」

「むむ……」

「楽器のグッズを持ってるとさ。知らない人とも話が盛り上がっていいよね。あ、この人音楽やってるんだって、話すきっかけになったりもするし」

「むむむむむむ……」


 次々と繰り出されるセールストークに、購買欲を刺激されるがぐっと耐える。なんとなく、こういうことをされると逆に絶対買いたくないといった、反発心が芽生えるのだ。

 田舎者と思って甘く見るなよー、というか。

 隙を見せたら取って食う気なんだろといった、警戒心というか。まあ、そんな風に考えることこそが、場慣れしていないことの証なのかもしれないが――


「ちなみのそのチューバのキーホルダー、残り二点で売り切れです」

「買います」


 結局食われた。

 頭からがっつりと食われた。ものの見事に。

「ありがとね♪」とお金と引き換えに渡されたキーホルダーを、渋い顔で受け取る。まあ確かに、買ってもいいかなとは思っていたけれど――なんだか、騙されたような気がしてならない。

 そして今度は智恵理が、「お兄さーん、あたしにもひとつー」と、同じくグッズを買い始める。さらに周りには、わちゃわちゃした雰囲気をかぎつけたのか、徐々に人が集まりつつあって――

 そんな中で、鍵太郎は買ったキーホルダーを芽衣に渡した。


「はい。ほしかったんでしょ」

「え……」


 差し出されたそれを、後輩は目を丸くして見つめる。あまりにびっくりして、感情をどこかに置いてきてしまった、そんな感じの顔だった。

 自分の楽器のグッズが売っている、と言ったときよりも、彼女は衝撃を受けているように見える。


「心配しなくても、俺の分も買ってあるから大丈夫だよ。まったく世の中は悪意にまみれているぜ。いたいけな学生から金を搾り取ろうとするなんて……」

「え、あの、私、でも……あ、ちゃんとお金は払いますから!」

「ああ、いいよいいよ。前にベビーカステラくれたお礼」


 慌てて財布を取り出そうとする、後輩にキーホルダーを押し付けて売店の方を見る。

 そこには見本品として飾られていたキーホルダーがあって、その上には『売り切れsold-out』と書かれた紙が乗せられていた。

 あの店員のお兄さんの言うとおり、実際にこれは最後の二つだったのだ。

 嘘をつかれたわけではなかった――と、その点にだけほっとして、手元のキーホルダーを見やる。

 そこにはかわいらしい猫が、楽しそうにチューバを吹いていた。

 尻尾をたてて、嬉しそうに。まあ、だったらいいか――と、やはりのほほんと笑って、鍵太郎はキーホルダーをしまった。

 どこに付けようか。通学用カバンか、とりあえず楽器ケースか――そんなことを考えていると、芽衣がキーホルダーをしげしげと眺めつつ、言ってくる。


「え、えっと、これって……」

「じゃーん! あたしもキーホルダー買ってきたよ~! メイメイ、おそろだね、おそろ!」

「え、あ、うん……」


 同じく自分の楽器のキーホルダーを買ってきた智恵理が突進してきて、そのセリフはさえぎられた。

 けれども後輩の中では、嬉しさは続いていたらしい。はにかんだようにキーホルダーを見て、芽衣は顔をふにゃりと緩める。


「……おそろい、だね」


 その声は、ざわめくロビーの中で、ひときわうきうきとした高揚感と共に。

 楽しげに――吹き抜けの天井にまで響いていった。

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