第388話 いざ、横浜!
ゆっくり支度をして。合宿所を出発して。
本番の会場に着いたのは、昼過ぎのことだった。
「うーん。やっぱり改めて見ると、都会のホールって感じだよなあ」
夏休みにもやってきたその建物を見上げて、
東関東大会の会場、よこはま芸術劇場。
そこは高く大きくそびえたつ、近代的なビルのようなものに見える。だだっ広い駐車場がすぐそばにある、地元の緑豊かなホールとは全然違っていた。
純粋に土地代が違うせいだろう。横に広がるのではなく縦に伸びた形。
太陽を背に巨大な影となったそのホールは、異様な迫力を帯びている。場違い感も、それに拍車をかけているが――しかし前に一度来ているせいか、そこまでの圧迫感はなかった。
むしろ、今度こそここに突入してやるといった思いの方が強い。
前回は下見だけで、中には入れなかったからだろうか。これもまた、本番ならではの感覚なのか――そう思いつつ入り口が四階にあるという、田舎者には意味の分からない構造をしたホールの中に入る。
東関東吹奏楽コンクール。
そう大きく書かれた看板が、入り口には置いてあった。
すぐ
「よーし、ここがウチの学校の楽器置き場だ。荷物を置いたら、あとは時間まで自由! 貴重品だけは忘れずに携帯しておけよー」
顧問の先生のそんな声と共に、各自がめいめいに楽器を置き、そしてめいめいに散っていった。
他の学校の演奏を聞きに行く者。とりあえずこの建物の中を探検しようとする者。
目的はそれぞれで、足取りも様々だ。とりあえずスケジュールさえ守ってくれれば文句は言わない。
そして鍵太郎は後者だった。他の県代表校の演奏も気になるが、どちらかというと目の前にあるこの特殊なホールの構造に興味がある。
合宿所でもそうだったが、やはり自分は冒険好きなのかもしれない。滅多に来られない場所は、見て回っておきたい――同い年の副部長には、観光気分でいるんじゃないと怒られそうだけれども。
今はとにかく、会場の空気を味わっておきたかった。
「あれ。湊? 演奏聞きに行かないの?」
「ああ、聞きたいと思ったら行くし、とりあえずは辺りをぐるっとしてくるよ」
同い年の
いろんな場所に行って、いろんな人と会ってみたい。
それは演奏に限らずの話だ。同じ楽器の後輩にも言ったそのことを思い出しつつ、周りを見渡す。楽器置き場に指定されたこの部屋には、自分たち以外にも色々な学校の生徒がいた。
そう、それは県大会のときと同じで――
「ねえ、あの制服どこの?」
「知らなーい。きょろきょろしちゃってさ。慣れてないの丸出しだね」
「……」
まあ、こういう手合いもいる。
遠くの方から、こちらを見てクスクスと笑っているその学校の生徒たちに、こっそりと鍵太郎は心中でため息をついた。
支部大会まで来ればそんなこともないかと思っていたが、やはりどこにでもこういった人種はいるらしい。
三年目ともなればいささか慣れてもきたが、それでもダメージがないわけではない。自分たちのホームグラウンドでさえそうだったのだ。アウェイともなればこういったことも予想してしかるべきだったろう。
あのときは、選抜バンドで出会った他校のチューバ吹きに助けてもらったけれど――今回は、どうしようか。
そんなことを考えていると、隣花が言う。
「……無視でいいでしょう。下手に反応すると調子づくわよ、ああいうのは。理不尽なマウントはスルー。それで終わりよ」
「まあ、そうなんだけどな」
こういったやり取りの間にも、「あ、なんかコソコソ話してるー」とか「ダッサイ制服ー」といったこちらの神経を逆なでする言葉が聞こえてきているのだが、ここまでくるとむしろ呆れてくる。
楽器搬入に行ったためもうここにはいないが、同い年の打楽器の双子姉妹にも言われた。こういうのは気にしない方がいいのだと。
関わらないのが一番。
彼女たちの言うとおり、相手をしないのが最も賢い――それは分かっているのだが。
「……」
自分の周りにいる、後輩が。
特に一年生たちが、その理不尽な言葉の数々に
鍵太郎はスッと目を細めて、心無い口を叩くその学校の生徒の元へ向かった。
「ちょ、ちょっと、湊?」
隣花が驚いたように声をかけてくるが、今は振り返らない。
そうしたら、たぶん彼女は、もっと驚いてしまうだろうから――恐らく自分は、普段とは違う顔をしているだろうから。
そう思いつつ、知らない学校の生徒たちの前に立って。
鍵太郎は、にっこり笑って言う。
「うちの学校の生徒に、何かご用ですか?」
「……!」
「――⁉」
するとまさか真正面から来るとは思っていなかったのか、その生徒たちの顔が
それだけ、こちらの笑顔もなかなかの迫力を帯びているらしい。そしてその混乱から立ち直る隙を与えないため、鍵太郎は続けて言う。
「何かありましたら、直接言っていただければ幸いです。すみません、どうもよく聞こえなくて。気のせいだったらいいのですが」
「……っ。行こ行こ」
「と……っ、特に、何もありません、し……っ!」
そのまま首を傾げてそう言うと、さすがにバツが悪くなったのか、その場にいた他校の生徒たちはそそくさと逃げ出した。
まあ、そうなるだろうと思っていたのだ。
面と向かって口のきけないような人間なのだから、こちらがこんな風に動けば引くしかない。肩をすくめて今度こそため息をつくと、次は隣花が言ってくる。
「……湊。本気で、何してるのよ」
「後が怖いかもしれないけど、まあ、あの様子だとあっちも、他の学校や会場係員とかに言いつけたりはしないだろ。もし仮に告げ口したとしても、それはおまえらが悪いんだろ、で終わりだよ」
大会には騒ぎを起こしたら減点もしくは失格、という規定があるが、それを適用するまでもない。
この同い年はそういったところも心配したのだろうが、別に何も悪いことはしていない。堂々としていればいいのだ。
まあ、親にまでマウントを取られている彼女にとっては、身を守るというのはイコール受け流すことなのかもしれないけれど――と、額を押さえる隣花を見て、口には出さず思っていると。
彼女は言う。
「……何も悪いことなんてしていなんだから。堂々としていればいいっていう理屈は分かるけれど。にしても見ているこっちが心臓に悪かったわ」
「それについてはすまん、謝る。でもしょうがなかったんだ」
謝っておきながら反省していない。そんな相反する言葉を口にしながら、鍵太郎は自分たちの学校の方を見た。
そこでは、先ほどの誹謗中傷に傷ついている、一年生たちがいる。
未だ、顔をこわばらせたままで――そんな部員たちに、精一杯の笑顔を作って、鍵太郎は言った。
きみの怒ったときの笑顔は怖いよ、そうあの楽器屋に言われたことを思い出して、懸命に頬の筋肉を柔らかくしようと努めながら。
「もう大丈夫だよ。安心して演奏を聞きに行くなり、会場を見て回るなりしてくればいい」
そんな不器用な努力は上手くいったのだろうか。
後輩たちはその言葉にほっとした表情を見せ、めいめいにどこかへ散っていった。
その後ろ姿を見送って、鍵太郎は隣花に言う。
「なんか俺ってさ。自分自身はすげーチキンなんだけど、人がピンチのときほどがんばっちゃうみたいなんだ」
「……知ってる」
安心半分、
彼女を取り戻すために、血管を爆発させそうになりながらも四者面談をした、あのときを思い出したのだろう。
心底処置無しといった顔をしながらも、同い年は口角だけはどうしようもないといった風に上げている。
無視するのが一番賢い、けれどもあきらめてしまっては、彼女はここにはいなかった。
改めてそれを実感したのだろう。後輩たちが向かっていった先を見て、隣花は言う。
「ああ。そうね。あんたにはそっちの方が合ってるわ――さっきあんた自身が言ったとおり、会場を見て回ってくればいいのよ。存分にね」
「うん、そうする」
確かに自分たちは、支部大会初出場の、田舎の学校だけど。
それでもこの都会の会場を堂々と歩き回れるだけのことはした――してきた。
だからこそ、今度こそ理不尽な圧力に潰されることのないように。
「いってきます」
器用に立ち回れなどしないけど。
色々なところを回って、色々な人に出会ってみたいと思う。
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