第26幕 夏の夜の夢
第357話 彼女たちとのハーモニー
「そうね。城山先生の言う通り、音楽的な関係と人間的な関係を、いったん切り離して考えようっていうのはアリだと思う」
顧問の先生と指揮者の先生に、ファミリーレストランに連れていかれた次の日。
そこで話し合ったことを
「今までは。あまりに気合と根性と、それぞれのメンタルにかかる比重が大きすぎた。たまたま県大会ではそれが高いレベルで保たれていたから、いい結果を残せたけど。東関東大会っていうまた違うプレッシャーのかかる未知の舞台に立つんだったら、気持ち以外にも演奏を支えるものがあった方がいいとは思う」
「だな。また違った武器、もうちょっとはっきりとした足場があった方がいいって感じだ」
隣花の言葉に、鍵太郎もうなずく。これから上の大会に挑むには、精神的なものだけでなく、音楽的な技術や知識が必要、という――きのう指揮者の先生に言われたことを、要約して話してみたのわけだが。
それが上手く伝わったようでよかった。
そう思っていると、隣花はふとこちらから目を逸らし、ポツリと言う。
「……それに。音楽だけに目を向けてくれた方が、こっちとしては都合がいいし。これ以上、その気持ちをこじらせないでほしいし」
「いや、まあ。俺としても東関東大会は、真剣にやりたいから先生の意見には賛同したわけだけど……こじれるってどういうことだ?」
「なんでもない。ともかく、もっと『音楽的』役割をはっきりさせようっていう先生の言うことには、私も賛成」
「はあ」
なんだか、やたら『音楽的』を強調されて言われたのだが、彼女の言うことはもっともなのでよしとする。
隣花の言う通り、先日の県のコンクールまでは、どうしても気合と根性で乗り切ってきた感がある。
その不安定な部分を技術で
次の舞台に向けてステップアップするなら、こういった変化は不可欠だろう。
これまで通りではやっていけない――初出場の大会とはいえど、それだけはなんとなく分かっているようで、他の同い年からも特に反対意見は出なかった。
問題は、どういった方法でやっていくかどうかだ。
音楽的役割。
それをもっと、はっきりさせようと言っていた先生のことを思い出しつつ、鍵太郎は言う。
「えーと。とりあえず一つずつでもいいから、やっていってくれって言われたんだ。例えば、コードの確認とか」
これがそれこそ、それぞれがそれぞれの役割を自覚しないとできない部分である。
吹奏楽部の楽器というのは、基本的に一つの楽器あたり一つの音しか出ない。だから、ハーモニーを作るのであれば、もちろん何人かでチームを組んでやる必要がある。
ドレミファソラシド――それのどれを、誰がやっているのか。
そして、その和音の核となっているのはどこなのか。
色を付けるのは誰なのか。さらに全体のバランスはどうなのか――それを全部、自覚的にやるとなると。
「うーん。結構大変だねえ」
「これ一個の要素だけでも、考えなくちゃいけないことが山ほど出てくるわね……」
「あー、安請け合いしちゃったけど、なんかすまん、みんな……」
ちょっと、いやかなり面倒くさい選択をしてしまったのだなと改めて分かって、鍵太郎は同い年たちに謝った。
必要だと思ってその道を選んだわけだが、こうして実践しようとするとその大変さを思い知る。
部長としての判断だったとはいえ、少々先走りすぎてしまったかもしれない。
いったん先生からの提案を保留して、同い年たちに相談してからの方がよかっただろうか。そんな風に申し訳ない気持ちで考えていると――こちらに、
「なんで謝るのよ。東関東大会まで時間もないんだし、決断は早いに越したことはないわ。というか、そこでいったん持ち帰ってみんなと相談してきます、なんて腰の抜けたことをあんたが言ったんだったら、それこそ私は今ここでぶっ飛ばしてたわよ」
「そうか……俺は昨日の夜、命の瀬戸際にいたのか」
「……殴られたいの?」
「いえ滅相もございません千渡様、わたくし賢明な判断をしたと改めて思いました。ですからどうぞその
額に青筋を浮かべ笑いかけてくる光莉に、部長という体面をかなぐり捨ててへりくだる。
昨夜も言ったが、やはりこの部活は立場とか上下関係とか、そういったものとは縁がない。唯一の男子部員というハイパーに底辺な自分が、代表者だからかもしれない。
なんなら土下座だってしてもいい。そのくらいの気分でいると、光莉は「……なんか納得いかないけど、まあ、いいわ」とその怒りを解いてくれた。
「話を戻すけど、音楽のルールとか――楽典をもっとやろう、っていうのは面倒だけど、やっぱりどうしても必要な部分になるのよ。むしろこっちの方が正当なやり方でしょ。私、前にも言ったじゃない」
「あー。そういえば去年、おまえそんなこと言ってたな」
本当に基礎的な和音の話だが、ド、ミ、ソで作るハーモニーのこと。
それを、一年前にこの同い年は既にしていた。真ん中の、ミの音が決め手なのだと――そのときは、そのミの音を担当するトロンボーンのアホの子がそのルールを理解していなかったため、それ以上その話は発展しなかったけれども。
今は違う。
むしろ、音大を受験しようとしている彼女が一番、その辺りには詳しくなっているかもしれない。
期待を込めてその
「あれ、難しい話は終わった?」
「……おまえに期待した俺が馬鹿だった」
「湊は馬鹿じゃないよー」
キラキラした目でアホなことを言われるが、こっちとしてはそれどころではない。
現時点での一番の戦力が、出力だけはバカみたいにデカい攻城兵器みたいになっている。ちゃんと使えればとんでもない威力を発揮するが、使いどころを間違えるとただぶっ放すだけで、虚空に向かってビームが消えてくみたいなことになりかねない。
扱い方が難しい。そういえば、先生もこいつに関しては滝のような汗を流して心配していた。
理解はしているだろうけど、人に説明できるかどうかはちょっと――そう言われていた涼子は、首を傾げて訊いてくる。
「なんか、音楽的とか人間的とか、難しそうな言葉が聞こえてきたからさ。えっと、で今なんの話?」
「……コードの話。おまえ、大丈夫かマジで。それで受験とか……」
「ああ、コードの話ね! 分かった分かった!」
一体なにが分かったのかは謎だったが、彼女はいつものようにぴょんぴょんと跳ねてなぜか、自分の楽器を持ってきた。
金色に輝く、伸び縮みする楽器――トロンボーン。
この同い年の中で、なにがどうなってそうなったのかは全くもって分からないのだけれども。
彼女は何をしたいのだろうか。鍵太郎があっけに取られていると、涼子は叫んでくる。
「じゃ、やってみようか! 城山先生が言ってたよ、『コードはパズルだから』って! 難しくないから大丈夫だよ!」
「こいつに楽典のことを難しくないとか言わせるって、あの先生マジですげえんだなと妙なところで感心した!」
勉強嫌い、難しいことはよく分からない、そんなこの同い年にここまで教育を
けれどももうちょっと人の話を聞けと、人間的な教育の方もお願いできないだろうか。音楽的関係と人間的関係。これらをいったん分けて考えるのはアリだと思うけれども、こうまで極端だと頭を抱えたくなる。
実際、もう抱えている。音楽のこと以外なんにも考えてなさそうな、天才バカを前に絶望していると、そんなこちらに事の成り行きを見守っていた、
「だ、大丈夫だよ湊くん。一見
「通ってる……通ってるかな? それって、俺みたいな凡人には見えないやつじゃないかな?」
「見える、見えるよ。少なくとも、涼子ちゃんと一緒に吹いてみれば分かると思う」
なんだかんだ言って、時間がないから実践で理解していこう、っていうポイントは外してないわけだし、と。
事態をよく把握できてないのだろうか、きょとんとしている涼子を前に、咲耶は苦笑しつつもそう言った。
このアホの子が説明から入るのが苦手なため、一緒にやって覚えようというのは分かる。本人がそういった意図でやっているかどうかは正直疑わしいが、それでも彼女は彼女なりに音楽的にやろうとしているのは見て取れる。
あとは、そんな天才児の言動を翻訳できる人間が必要だ。
この同い年と一緒に吹いて、ハーモニーを作れて、さらにああでもないこうでもないと言い合える人間が――
「……ま、そうね。あんたそこまで楽典とか、詳しくなさそうだし。お……教えてあげなくも、ないわよ?」
「習うより慣れろ。今回みたいに時間がない場合は、やり方としてはそれでいいのだと思う」
光莉と隣花が、そろってそう言いつつ、自分の楽器を取りに行った。
あの二人は中学からの経験者であり、その分だけ他の部員より知識があり、実力もある。
なら、彼女たちと一緒にやっていって、それを全員に広めていけばいい――光莉と隣花の背中を見て、鍵太郎がそんなことを思っていると。
咲耶が言う。
「平気だよ。大変で、面倒くさいことかもしれないけど、それでもこうやって分かってくれる人はいるからさ」
不安かもしれないけど。
それでもこうやって『音楽』でつながれるっていうのは、すごく尊いことだよね――そう言い残して。
彼女もまた、楽器を取りに向かった。
音楽的関係と人間的関係。それは厳密には違うのだろうけれども、分けて考えた方がいいのだろうけれども。
それでも、どこかでつながっている。そんなことを感じさせる笑みと共に。
「……みんな決断が早いなあ」
同い年たちがいなくなり、ポツンと取り残された状態で、鍵太郎はつぶやく。
どうして彼女たちはあんなにも、強く在れるのだろう。頭をかきながら考えても、分からなくて――
「湊は行かないの?」
「あーもう分かった。今楽器取ってくるから待ってろ、浅沼」
なかなか屈辱的なことに、アホの子に先を
それぞれがそれぞれの目的を求め、散っていく。いったん曲をバラバラに分解する――その上で再構築する。
そう、あの指揮者の先生は言っていた。その覚悟はあるかと、先代の部長は問うてきた。
今なら、それが可能だ。
楽器を手にして、元いた場所に戻る。なら、彼女たちと一緒に吹けば――再び集えば。
きっと小難しい理屈なんかどうでもよくなるくらい、よく響くハーモニーができるのではないか、そう思ったりもする。
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