第358話 劇薬的ビフォーアフター

「本当にルール通りにやってみれば、いい音ってするもんなんだな……」


 何人かで楽器を持ち寄って、先生の言うような法則に従って、ハーモニーを鳴らしてみた後。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、その同い年たちの音を聞いて半ば呆然とそう口にした。

 東関東大会に向けて、改めて曲を組み立て直していこうという話になり、その最初の一歩としてまず和音を確認してみたわけだが。

 ルールを説明する前とした後で、全く完成度が違ったのである。

 もちろん、後の方がいい音がしていた。それぞれがそれぞれの立場と役割をちゃんと理解して吹くだけで、こうも響きが変わってくるものか。

 劇的ビフォーアフターだ。鍵太郎が呆れ半分、感心半分でいると、傍にいた千渡光莉せんどひかりが得意げに言う。


「ほら。だから言ったでしょ。ちゃんと楽典通りにやればいい音がするんだって」

「だなー。ちょっと舐めてたわ俺。なんか法則に従うって、負けたみたいな気がしてたから」


 光莉の言う楽典――いわゆる、音楽のルールを適用することを、これまで鍵太郎はなんとなく避けてきた。

 そんなものに頼らなくても、自分たちはいい演奏ができる。

 どこかでそう考えていたからというのはある。けれどもそれは、おごりであったのだと改めて思い知った。

 それほどまでに効果は絶大だ。これまでより断然いい響きをしている。

 これまで長く付き合ってきた曲の、また違う一面が見られたようで楽しくなってきた。この部分、こんな音が出る場面だったのか――そんな新たな発見の連続で、なんだかワクワクする。

 ルールに従ったところで、別に負けなんかじゃない。

 むしろもっと早くにこうしておけばよかったんじゃないかと、若干後悔するほどだ。どうして先生は、この方法をこれまでやらなかったのだろう――そんな風に首を傾げるくらいに。


「こうなったら、徹底的にやってみるか。バラして並べて揃えて、晒してやるか」


 いったん曲の要素をバラバラに分解するというのは、どうなのかと思っていたけれども。

 ここまで違うというのなら、やってみる価値はある。音を並べて揃えてみれば、ステージ上でさらけ出せるくらいのレベルにはなるかもしれない。

 先生は「この方法にはデメリットがある」なんて言っていたけれども、この響きを前にした高揚こうようからは、そんなもの微塵も感じさせなかった。

『音楽に味を感じなくなる』なんて、そんなこと――


 ――本当に?


「……っ?」


 瞬間、心の奥底から湧き出てきた疑問に、鍵太郎は耳を押さえた。

 それは直感じみた、どんなに興奮してもどこか冷静な――あの第二の師匠がごとく。

 ひねくれた、でも何にも呑まれない黒いところから来た、自分の素直な声だった。

 とても綺麗なハーモニーを前に、どうしてだか心の中から警報音が聞こえる。

 まるで全部を全部、頭から信じるなと言うように――言われたことを鵜呑うのみにするな、と言うように。

 それは、あの先輩がかつてそう忠告してきたからだろうか。

 それとも、自分がまだ『音楽のルール』に関してどこか受け止めきれない、子どもな部分を残しているからなのだろうか――そう思っていると。

 光莉が、いい音を前にして同じようにたかぶっているからだろうか。

 そんなこちらの様子には気づかず、言ってくる。


「さっきも言ったけど、真ん中の音の人が重要なのよ。上の音と下の音は、とりあえずはしっかり鳴ってればOK。あとは真ん中の人が調性を理解して、全体のどこで、どういう音程で、どのバランスで吹くかが大事。分かった?」

「分かった」


 淡々と答えるのは、その真ん中の音を担当する片柳隣花かたやなぎりんかだ。

 彼女こそ和音の要であり、また県大会では知らず知らずのうちに重要視されていた、中音域を担当する部員になる。

 現時点では光莉と並ぶ実力者であり、また音楽のルールを理解している者のため、この二人を中心に今この練習は回っていた。

 そう、今のところは上手く回っている。

 違和感はあるけれども、結果としてはいい音になっている。

 なら、とりあえずはこのまま進めてしまってもよい――個人的な問題は後回し。

 上と下の音をしっかり出すのなら、まずは上の音を担当する光莉と同じくらい、下の音域の自分もやらなくてはならない――そう思って鍵太郎は、その真ん中の音を出す隣花に言う。


「大丈夫か、片柳。これまでより結構、気にしなくちゃいけない部分が出てくると思うけど」

「確かに。音程とかバランスとか、これまでより考えなくちゃいけない部分は多くなった」


 元々、少し機械的とすら言っていいくらい、論理的な彼女のことである。

 コード分析、そこからどうルールにのっとってやっていくか考えるのは、部員たちの中でも得意な方だろう。

 ただし、だとしても処理しなくてはならない情報は格段に増えた。今回のやり方を実行するにあたって、まず大幅に負担が増えるのが隣花だ。

 けれども。


「がんばる」

「そこは、気合と根性なんだな……」


 静かな中にも、その奥に熱いものを感じさせる声で、彼女は答えてくる。

 先ほどは、県大会までは気持ちでやりすぎていた、などと言っていた隣花だが、やはり彼女もステージに立つ者だ。どんなに技術的なものに目を向けても、最終的にはメンタル的なものが根底を支えることになる。

 あれ、そう考えるとこいつって、意外とただ単純に理論武装しただけの子どもなんじゃ――と、これまでの隣花の言動を振り返って、鍵太郎が思っていると。

 光莉が言う。


「そうそう。やっぱり最初は窮屈に感じても、お手本通りにやってみることは大事よ。広く世間で言われてるルールを、ますはやってみること。そうすれば、他の人がやってることも『そういうことだったんだ!』って思えるようになるし」

「自己流でやってたフォームを、正式なものに変えていくようなもんだな。スリーポイントシュートを入れられるように修業した、某有名バスケ漫画みたいに」

「なにそれ」


 そういうのにうとい同い年にはきょとんとした顔をされたが、例えとしてはそれでいいと思うのでスルーする。

 実際、指揮者の先生にも言われたのだ。「ギブスを付けてやるようなものだ」と。

 最初に不自由さはあっても、そのうちにそれが自分の形になって、それまでより上手くできるようになる。

 なら、彼女たちの言うように、まずは正式な形式に従って話を進めていくべきなのだろう。

 そのうちに、自由を得られるようになる。まずは形から入って、心を込めるのはそれから。

 これまでより、格段に綺麗に聞こえるようになったハーモニーを聞いていると、そう思う。


「うーん。本当にいい音するようになったな、なんか別の学校みたいだ」

「でしょう? まだまだ進化してくわよ、うちの学校は」

「……そうだな」


 ドヤ顔で言ってくる光莉に、鍵太郎はうなずく。

 仕組みを知れば、再現率は格段に上がる。毎度毎度ゼロから組み立て直すより、ある程度やり方を知っていれば完成度もはるかに高くなる。

 現に今だって、曲の構造を知った後だからだろう。これまでとは全く違う音が出てきていた。

 別の学校みたいに。

 これが、『プリマヴェーラ』――この曲本来の音質なのだ。

 仕組みを知れば、音符は機械で再生するかのように勝手に鳴ってくれる。

 あとはここに、どう色を付けるかだけれど――


「……なんだろう。な」


 いつも音を聞くと自然と湧いて来ていた、曲のイメージが出てこない。

 最終的に底を支えるべきメンタルの部分が、抜けていくのが分かる。

 このやり方が正しいことは分かる。

 楽器を始めて三年経って、この方がいい音がしているというのはひとりの奏者として、理解している。

 けれども、その正しい音が聞こえるたびに。

 これまで自分がこの曲に込めてきた気持ちが、思い出が、消えていくような気がしてならなかった。

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