第352話 『プリマヴェーラ』
「そんなに怖い顔をしないでくれ、僕は別に意地悪がしたいわけじゃない」
次の大会に向けて打ち合わせをしよう、と連れてこられたファミレスで。
部活が終わった後に、一緒に食事でもしながら話をしようということだったのだけれども。
少々、
部長として、あるまじき失態である。鍵太郎が「すみません」と口元を押さえると、言われた指揮者の先生は。
「大丈夫、こちらこそごめんね。妙な言い方になって。とりあえず僕はただ単に、今日合奏で言ったことを、もう一度伝えたかっただけなんだ。『同じものでも目線を変えてみると、また違ったものが見えてくる』っていうことを」
城山の言葉を受けて、鍵太郎は再び、『その絵』を見た。
『プリマヴェーラ』。
今度のコンクールでやる曲と同じ、タイトルの付けられたその絵画を。
イタリア語で『春』という意味のその絵は、ここがそういった地方の料理を出す店だからだろう。壁に大きくプリントされている。
六人の女性と、二人の男性。
そして遠近や方向を無視した、不思議な構図――
「『プリマヴェーラ』。世界でもっとも有名で、そしてもっとも議論の的となっている絵画作品のひとつ、とされているね。たくさんの意味が込められた、暗号的というか、抽象的な絵と言われている」
それはそうだろうな、と鍵太郎も思う。だって特に美術方面に明るくない自分でも、この絵を見ていると色々な疑問が出てくるのだ。
まず、八人も描かれているのにそのほとんどが、別々になっているように見える。
まるで違う絵画から、それぞれを引っ張ってきて貼り付けたようだった。様々な場面をひとつにまとめたというか、映画のダイジェストのような印象を受ける。
しかし筆のタッチは同じなので、全体としては統一されているように感じられた。けれどもよくよく見てみれば風のなびく方向が逆だったり、人物のほとんどが目を合わせていなかったりと謎は尽きない。
そして極めつけは、中央に配置された、ひとりの女性――
「この絵は直接的には、僕らが今度やる曲とは関係していないとは思うよ。けれども同じタイトルだけに、どこかでつながっているようにも思えるよね」
彼女はこちらを真っすぐに、見つめ返していた。
木々に囲まれて、その姿はひときわ目を引くように描かれている。『
それは鍵太郎にとって、どこか卒業した同じ楽器の先輩を思わせるものだった。
だからこそ、先ほどは城山に対して厳しい眼差しを向けてしまったのだ。二年前、この先生と初めて出会ったとき――あの人は、自分の隣にいた。
けれども、今はそこは空席になっている。
四人掛けの席には、自分と城山、そして顧問の先生が座るのみだ。ひとり欠けている――そのことを思い知らされたようで、ついつい攻撃的になってしまった。
かつてとは、置かれている状況が違う。
しかし見方を変えれば、ここはある意味そのときと、どこかで重なっている光景だ。記憶の中のそれと、今目の前に広がっている情景を重ね合わせて――鍵太郎は、うなずいた。
「……そうですね。きっとどこかで、つながっているんだと思います」
今も、昔も。
形は変われど、やっていることは変わらない。
これからのことについて話し合うため、自分はここにやってきた。二年前、あの人は部長で、一年生だった自分は、たまたまそれについて来ていた。
今では自分が部長で、この先のことについて話し合わなければならない立場になっている。
それは皮肉でもなんでもない。あの時点から、これまで積み重ねてきた未来だ。
時間は連続していて、今ここにつながっている。
『同じものでも目線を変えてみると、また違ったものが見えてくる』――そう先ほど、この指揮者の先生は言ったけれど。
だったらあのときと違って、今なら自分は、もっと別のものが見えてくるはずなのだ。
あの人にくっついて回っていた頃とは違う。立場も状況も変わった。持っているものは増えただけで、捨てたものは何ひとつとしてない。
無力だったあのときにはできなかったことが、今ならできる。
似て
「分かりました。これからのことについて、話し合いましょう。何をして、どんな風にやっていけばいいか――さらなる強化計画、です」
「うん。そうしようか」
すまなかったね――と、もう一度言って、城山は笑った。
やはりその笑みは、困ったような眉をわずかに寄せたものだったけれども。
その眉間の
過去と似たような構図だけれども、わずかずつ変化していっているということなのだろう。そしてその瞬間の連続が、今のこの光景を作り出している。
つながっている。様々な場面をダイジェストにしたかのような、横にある絵画を鍵太郎が意識していると。
指揮者の先生はそんなこちらに、メニュー表を差し出してきた。
「とりあえず、何か食べようか。二年前とは違って、僕もきみたちにお世話になって、仕事が増えたから――今回は、おごらせてね」
ほんのちょっと見栄を張って、先生っぽいことをさせてくれ――そう言ってくる城山を、鍵太郎は同じく少しだけ、苦笑気味になって見返した。
かつてとは違う、その光景だけれども。
その変化は受け入れよう。そう思って、メニュー表を受け取る。
あの人はもう、いないけれど。
物言わぬ絵画の中にある『同質のもの』は、こちらを静かに見つめてきている。
『
花びらに囲まれたその絵画はやはり、自分たちの旅路にどこか、共通するようなものがあるような気がした。
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