第350話 俺の身がもたない
『おう
そう、卒業した打楽器の先輩の声が、携帯から響いてくるのを
今度の学校祭、そのステージでは初の試みとして、これまでのOBOGと一緒に演奏をすることになっている。
曲が決まり、ステージ参加を希望した卒業生には楽譜を送った。そしてその反応が、真っ先にこのドラムバカ――
ちょうどよく、この打楽器の先輩とは話したいこともあった。渡りに船と言わんばかりに、鍵太郎は聡司の声に応える。
「
『はあ!? おまえ誰に向かってもの言ってんだよ、アドリブも
「うーん、頼もしい」
相変わらずのバカさ加減に、感嘆のため息がもれる。
念のため言っておくが、この場合の『バカ』は誉め言葉だ。こっちのやりたいことに全部応えてくれる、技術の高さも。そしてそれが楽しくてしょうがないといったような、愉快な笑い声も。
全部が全部、二年前のあの頃と変わりなくて、こっちまで嬉しくなってくる。
どうも自分の楽器の先輩と同じく、このOBの先輩もどこかで楽器をやり続けているらしい。
そうでなくては、ここまで自信をもって後輩にこうまで言うことはできないだろう。それが大学に入った当初、新入生歓迎会で川に投げ落とされたというサークルなのか、それとも他の団体なのかは定かではないが――少なくとも、あの頃より腕が落ちてはいないのは確かだ。
むしろさらに、凄みがかっているかもしれない。これは学校祭、楽しいことになりそうだぞ――と、鍵太郎が久しぶりに人目を気にせず悪い笑みを浮かべていると、聡司が言う。
『ていうかさー。「宝島」だけじゃなくてさー。もっと寄こせよなー、楽譜。なんなら全曲参加してもよかったのに』
「
この打楽器の先輩と同じ学年の、自分と同じ楽器の先輩のことを思い出して、鍵太郎は悲鳴をあげた。
曲が決まった段階で、この合同演奏計画を持ち掛けてきたあの元部長には、連絡をしていたわけだが。
「だいじょうぶです! むしろ全曲どんとこいです! なんだって吹いちゃいますよ!」と言われたときは、嬉しさと恥ずかしさで死ぬかと思った。
かつてあれほど思いを寄せていた人と、また一緒にできるというのは素晴らしいことではあるのだが、そんなことされたらこっちの心臓が持たない。
精神的なキャパシティが一瞬で限界を迎える。そんな状態でさらに他のOBOGに全曲乗られたら、身体の方も限界を迎える。
どっちにしても身が持たないのだ。先輩たちのお世話に奔走するのが目に見えている。
そして、スケジュール的な意味でもカツカツなのだった。今年は東関東大会まで行けることになったので、学校祭の練習に割ける時間は、例年よりも少なくなっている。
「現役生とOBOGの合同練習の日だって、日程的にはなかなか取れないんです! 今年は東関東行けることになりましたからね! ああもう、忙しくて俺死んじゃいそう!」
『そう言いつつ、なんか嬉しげに聞こえるのは何故なんだろうな』
このマゾ野郎――などと、身に覚えのない言葉が聞こえてきたが、きっと気のせいだ。
支部大会に行けるということで、若干ハイになっているだけである。この先輩へのドラムバカ、という呼称と同じくらい、それは一生懸命でいるという証拠なのだろう。
たぶん。そんなくだらないことはさて置いて――そっと脇にどけて、しばらく封印しておくとして。
「あー……で、ですね。先輩」
今もっとも話し合わなければならないことは、また別にあるのだ。
久しぶりに、こんな風に馬鹿なやり取りができて、楽しくてそれをずっと続けてしまったけれども。
引き延ばすのは、もう限界だ。まだこうしていたいけれど、そろそろ本題に入らないといけない。
言い出しにくいことだけれど、あのときとは違って、自分は部長なのだから――そう自らに言い聞かせ。
鍵太郎は電話越しに、先輩に呼び掛けることにした。
「……その、東関東のことなんですけど……無理だったら大丈夫なんですけど、打楽器運び、手伝ってもらえませんか? 神奈川は、ちょっと遠いと思いますが……」
創部初の金賞県代表ということで、今年は初めて、支部大会まで駒を進めることになった。
しかしそれは同時に、部員以外の人間も動かさなくてはならないということでもある。
例えばそう、県大会で楽器運びの手伝いに来てもらっていた、この先輩たちとか――。
「……駄目だったら、いいんですけども」
まただ。部長として色々なものを経験してきて、様々なものが見えるようになっただけに、部外の人に頼ることにプレッシャーを感じてしまう。
だってこの人たちには、何も返せないのだ。
勝手知ったる場ではなく、未知の会場。
そこに行くまでの交通費も出せないし、県境をいくつも越えた遠いところに自分たちのためだけに来い、と言うのは、かなり気が重い。
そして彼ら彼女らにも、今の暮らしがある。
時間も遅くなるし、絶対に来てくれ、とは言えなかった。ただ、少しだけでも力を貸してくれないだろうか――そんな痛切な思いを込めて、携帯を握りしめると。
聡司はその向こうから、こちらに応えてくる。
『いいぞー』
「え、あ……わりとあっさり、ですね……」
『あっさりも何もあるか。おまえら、今年は本当に大変じゃねえか。それに手を貸さないで、何が先輩だよ』
それこそ、もっと楽譜をよこせ、と言わんばかりに。
全部対応してやる、と言い切る先輩は、本当に頼もしかった。
会場が遠いからとか、労力に返せるものがないからとか、コンクールだからとかどうだとか。
そういったもの関係なしに、手を貸してくれる人がいることが、何よりも嬉しかった。
不覚にも、声が震えてしまいそうになる。「ありがとう、ございます……」となんとか口にしたら、「礼なんかいらねえよ、バーカ」と言われた。バカにバカと言われた。この人は本気で最高だ。
二年前と同じだ。今は自分が部長で、みなを引っ張っていかなければならない立場だけれども。
上を見上げればこの関係性はそのままで、泣きたくなるほど嬉しくなる。
こんな面子がそろうのだ、学校祭の演奏はとんでもないことになるに違いない。
そして、そんな先輩たちにいい報告ができるよう、もう少しがんばろう――そう思って、次の舞台への決意を新たにしていると。
聡司は続けてくる。
『ま、その辺は任せとけ。ウチの代には声をかけておくよ。春日……は、あいつも東関東行ったみたいだから無理そうだけど、他のやつらは駆けつけてくるさ』
「ああ、学校祭への参加率も半端ないですからね、先輩たちの学年……さすがとしか言いようが」
『そういや、
「えっ」
そんな会話の中から飛び出てきた、違う先輩の名前に。
鍵太郎は違う意味で、冷や汗が噴き出てくるのを感じていた。
コンクールの県予選で楽器運びを手伝ってくれた、あの前部長には。
このドラムバカ絡みで色々と、特殊な事情がある。
それがあるからこそ彼女は、本選では聡司が来るということで、客席側に回ったくらいで――そんな先代部長の心中を思うと、流れてくる汗が止まらないのだが。
しかし携帯越しには分からないであろう、この状況を利用して――鍵太郎はひとつ、先輩に鎌をかけてみることにした。
「あの……先輩。貝島先輩から、何か聞いてないですか……?」
『いや何も。なんだ、あいつ何か言ってたのか? 貝島のことだから、東関東となったら喜び勇んで来そうなもんだが』
「ええと……何も感じないですか? 複雑な気持ちとか、ちょっとビターな思いとか、噴き出してきませんか?」
『? いや特に。ああまあ、言われてみればあいつに基礎練百叩きの刑を科せられたのは、苦い思い出だけど――』
「分かりましたもういいです先輩はそのままの先輩でいてくださいどうもありがとうございます!」
その口調から、あの先代部長が聡司に『言ってない』のだと確信して、鍵太郎はその話題をそこで打ち切った。
まったく、なんて状況だ。二年前とほとんど変わっていやしない。
こんな先輩たちが集まるなんて、まったく自分の身が持たない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「いやまあ俺だって人のこと言えないですけどね! なんだろうこの部活! すっごい面倒くさい!」
『さっきからどうしたんだ、おまえ? なんだ、何か悩みでもあるのか?』
「黙れ諸悪の根源! あんたがそうやってバカだから、後輩たちが苦労してるんですよ!」
どうしようもない先輩たちが、大挙して押し寄せてくる図を想像して、頭を抱える。
時間も空間も人員も、その全てが自分に襲い掛かってくるのだ。いろんな意味でヤバすぎる。
本番になる前に、どうにかして解決してきてほしい。そう切に願って、鍵太郎は天に向かって叫び声を上げた。
「俺は先輩たちのお世話係じゃないんです! なんでどこもかしこも限界ギリギリなんだよ! ちくしょうやってやる、こんな先輩たちみたいに、俺は絶対ならない! ならないもんね!!」
『
ほんと、最高だわおまえ――と携帯越しに大笑いされたが、どうしてなのか分からない。
けれどもそのあけすけな対応が、今は何よりも嬉しいのだ。
どんな事情を抱えていても、どんな限界や立場の違いがあったとしても。
こんな風に関わってくれる人がいる限り、同じ楽譜の元に、楽しい時間はずっと続くのだと――そう言われたような気がして。
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