第349話 ロクでもない理想と一緒に
「じゃあ、合宿のしおり作り、頼んでいい?
「面倒くさいけど頼まれてあげます。つまりはそういう面倒くさいのを吹き飛ばす、テンションが上がるようなしおりを作ればいいんですよね?」
「いや、部活の合宿のしおりに、テンションも何もいらんだろ」
後輩の何かが違う回答に、
東関東大会の前の日に、部活で会場の近くに泊まる――なんとなくそれを『合宿』と呼ぶようになり、やはりしおりを作ることになった。
以前にテーマパークで演奏したときも、そうしたものだ。日程や持ち物リストなど、遠出するときに必ず配られるような冊子。
修学旅行のしおりを、自分たちで作るようなものである。本来ならば顧問の先生が作るものではあるのだが、以前もそうしたようにいったん、部員の手で作ってみることになった。
もちろん部長である鍵太郎や、先生が最終的に目を通すが――まずは自らの手で、だ。
「まあ、前に先輩たちが作ったものもありますし、それをお手本にしてみます。あれはあれで楽しかったですし」
「……後輩にそう言われると、そういえば自分たちも結構バカなことやってたなーって、改めて自覚するよ」
テンションも何もいらないとか言っておきながら、自分たち三年生のテンションが一番高かった。
あのときはノリと勢いでやったのだが、それがまさかこんな風に黒歴史ブーメランのようになって返ってくるとは。
あんなものが再び降臨しないように、後輩たちには厳しく言って聞かせないといけない。
まあ、それでもできてしまうものはできてしまうのだが――その辺りは、ある程度の形になったらいったん、こちらに見せるように言っておく。
どんなものができるのか、はっきり言えば超不安ではあるが。
「はいはーい!」と相変わらず元気だけはいい後輩が――
自分の後に、部長になる二年生――
これが彼女の、次期部長としての初仕事、になるのかもしれない。
三年生が引退した後、この重責を
先日、野球部のキャプテンだった同い年の友人とも話したが、そう考えると今のうちになるべくこういったことは、後輩に任せていくようにしたい。
自分たちがいなくなった後でも、強くあれるように。
まだまだ危なっかしいながらも、その手で何ものにも負けない、すごい『なにか』を作り出せるように――
そう思って、部員たちを眺めていると。
「また。暗い顔してるのね」
同じ三年生の
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よく言えば率直、悪く言えば隣花らしい、感情抜きの歯に衣着せぬ物言いである。
朝実もそうだが自分の周りの女性は、こういう強い人間が多すぎる。そういう意味では『こんな心配』なんて、本来はいらないのかもしれないが――
そんな自分の心の中にあるものに苦笑し、鍵太郎は息をついた。
「そんな顔してるか」
「あんたが。ぼーっと他の部員を見てるときの表情は、二つ。頭の中に花が咲いてそうな緩んだ顔と、今みたいに少し眉間にしわの寄った、難しい顔。後者の場合は大体、ロクなことを考えてない」
「どっちにしろ、ロクな顔してねえじゃねーか」
見られてるなあ、とそんな同い年のセリフを聞いて思う。
付き合いも長い、ここまで自分のことを分かられてしまっている存在に、もはや隠し事をしてもしょうがないのだろう。
なので鍵太郎は、そのロクでもない――ここ数日で心の片隅に滲んできた心配事を、隣花に話すことにした。
「……なんかさ。不安なんだよ。話がどんどんデカくなってきてさ」
東関東大会に行くことになって、これまでにないことに挑むようになって。
校舎には垂れ幕が張られるようになった。
遠征費も多少、援助で出してもらえることになった。
普通ならあり得ないと言われた、会場への前乗りもすることになった。
でも、それは――
「……成果を『出さなきゃいけない』んだろうな、ってプレッシャーをすごく感じるんだよ。『ここまでやったんだから、それに見合うものを返せよ』みたいな――そう言われてるみたいな、息苦しさみたいなものを……もちろん、やってる人たちにそんなつもりはないのかもしれないけど」
部長として『部活の外の人間』と話す機会の多くなった自分にとって、予想以上に大きく感じられたのだ。
結果を出して、周りの目が、扱いが変わった。
それを、肌で感じる。本来なら、喜ぶべきそれだが――託されて、渡されるものたちが。
少しばかり、自分が背負うには重すぎる。
演奏と人、全ての底辺であり、この部活を支えると心に決めてきた部長、低音楽器の人間でも――
「……船の荷物が、ちょっとばかし増えた。でも、いらないから、邪魔だからなんて言って放り出すことなんて、できないんだよな」
この期待を全部乗せて、未知の場所を渡り切れるか、なんてロクでもないことを考えてしまうくらいに。
これまでは、部活の中だけで全部が済んでいたからよかった。
彼女たちが笑顔で楽器を吹いて、それでいい演奏ができれば、それだけでよかったのに。
どうして、こんなことになっているのだろう。遠くの方で後輩たちが、楽しげにしおりを作る相談をしているのを見て、そう思う。
あの光景だけは、どうあっても守りたい。
何があっても、どんなことになっても。
例え、自分がいなくなったとしても――そんなことを考えていると、隣花が言う。
「……周りからの怖いほど大きな期待に。応えられるかどうか不安になる気持ちは、質が違うかもしれないけど、分かる。……だって私も、母親に対してはそうだし」
「ああ……そっか」
彼女の母親のことを思い出し、鍵太郎はうなずいた。
何度か見たことはあるが、隣花の母親は、言ってしまえば度を超えた教育者だ。
本人の意向を無視して、過剰な期待を押し付けてくる存在。そしてそれに応えられなければ、どんなことを言われ、されるかも分からない――その恐怖は、かつてこの同い年をがんじがらめにしていた。
そして、今でもその呪縛は、完全には解けていない。
なにせ『親』だ。一緒に暮らしている以上は切っても切り離せず、子どもであるから太刀打ちもできない。
一緒にいるしかない。
それは正しいけれど、どこかで納得していない。
彼女の言う通り期待の質は違うだろうけれども、その立場は共通しているのかもしれなかった。
しかし、だとしたら――と、鍵太郎は同い年に、ひとつの心配を投げかける。
「そういえば、おまえ大丈夫か? 今回の合宿費、保護者に出してもらうってことになっちゃったけど……あれっておまえにとっては、かなり厳しい条件なんじゃ」
「大丈夫。なんとかする」
けれども、その疑問を。
彼女は一刀のもとに切って伏せた。
「お金を出してもらえないんだったら、こっそり貯めたお小遣いとか、参考書代を古本で浮かせたりとかでどうにかする。外泊がダメだっていうんなら、今回も先生たちの力を借りてどうにかする。大丈夫――なんとかなる」
「……片柳?」
「だって、やりたいことを諦めるなって、教えてくれたのはあんただから」
何があっても。
どんなことになっても。
自分を殺さないで、やりたいことをやっていいって言ってくれたのはあんただから――そう言って。
隣花は自分の制服のスカートを、ぎゅっと握りしめた。
「だから、私は最後まで一緒にいたいの。置いてきぼりなんて絶対に嫌――今度こそ、私はあんたの力になりたい。また手を煩わせる、お荷物になんてなりたくない。だから――」
そこまで言って、隣花は。
感情を高ぶらせかけた彼女は、はっと、正気に戻ったように顔を上げた。
その瞳は、いつもより少しだけ潤んでいたように見えたが――それを拭って。
隣花は普段通りの口調に戻り、こちらに呼び掛けてくる。
「……なんでもない。取り乱したわ。でも、今のはやせ我慢じゃなくて、本当。どんな状況になっても、なんとななるし、なんとかする。それは、私も。あんたも。みんなも――そう、言いたかったの」
「……そっか」
かつてこの同い年は、こちらに対して『どうあっても、その
例え船底に穴が開いて、水が噴き出してこようとも。
それをかき出して補強し、前に進ませる――と。
その言葉の通り彼女は、沈んだ調子のこちらを見かけて声をかけてきたのだろう。
背負うものが少し多くなって、困っていた自分を。
心配して、来てくれたのだ――そんな、やっぱり強い女子部員を見て、苦笑する。この同い年はただでさえきついだろうに、それでもこちらのことを手伝うと言ってくれたのだ。
だったら、周りの期待はともかく――その気持ちには、応えなくてはなるまい。
「すまん。ありがとな、片柳。先のことばっかり気にしてる場合じゃなかった。俺は俺で、やることやらなくちゃいけないんだった――部長としても、演奏者としても。東関東までに」
強くなろう。
差し当たっては、彼女たちに心配をかけないくらいに。
この心を
少なくともひとりで悩んでいるより、こうして部員たちと話している方が、その方法に近い気がする。
周囲からの期待に押し潰されずに済むのは、彼女たちがいるからだ。
そう言うと、隣花はなぜか複雑な顔をした。
「……やっぱり。どうあっても投げ出さないのね、あんたは」
「それは、お互い様だろ。やりたいことにしがみつく、しぶとさだけは一人前のつもりだ」
「……部長、辛くない?」
「辛いよ。今さらなに言ってんだ」
就任から一年も経って、もう引継ぎが始まってすらいる時期に、何を言っているのか。
長い航海を経て船体は傷つき、帆はよれて。
支柱にはヒビすら入っているであろう、このボロ船が。
それでも多くのものを積んで、進んでいる理由は――
「先輩ー! 合宿のしおり案できましたー! 今回のテーマは『スタイリッシュ!』ただひたすらにかっこよく、です!」
「却下!!」
こうして面倒くさいのを吹き飛ばしてくれる、テンションの高いエネルギーが動力になっているからだ。
が、しかし今の後輩の発言はいただけない。何がどうなってそうなったのか、切にこの次期部長には問いただしたいところだったが――やはりまだまだ、彼女にこの重さを担わせるのは早いということなのだろう。
「えー」などと文句を言う朝実ではあったが、人のことは言えない。だって後輩たちのお手本になったのは自分たちだ。
ノリと勢いでやりたいことを、バカみたいにやってきた先輩たち。
そんなのだから、最後まで面倒をみないといけない。しんどい。けどこの苦しさは、切り離すことができない。
一緒にいるしかない。
それは正しくないけれど、納得はできる。
そう言うと隣花は、大きくため息をついた。
「……そういうヤツだって知ってた。頭の中に花が咲いてるの。本当にロクでもない」
「分かってんじゃねえの。さすが同い年だけあるよ、だったら――これからやることも、よく分かってるだろ?」
「ええ。とりあえずは東関東までの地図。マトモなしおりを作りましょうか」
しんどいけどね――と言って、同い年は肩をすくめる。
その大変さを知っているからだろう。彼女はその後に、ポツリとさらに付け加えてくる。
「ごめんなさい。――けれどもう少しだけ、
辛いこともあるだろうけれど。
どんな状況になっても、私も、あんたも、みんなも――なんとかするから、と。
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