第348話 見た目ハーレム、なおその実情は

「……で? 結局おまえは、その大会前の宿泊とやらでどの部屋になったんだ?」

「先生の部屋の隣の、個室に入ることになった。女子部員は学年ごとに、みんな大部屋って感じで」

「どっちにしろ同じ屋根の下の、九割九分以上が女子じゃねーか。ころしてやる」

「なんでだよ!?」


 元野球部の友人に、コンクール前日に近場に前乗りする、という話をしたら。

 なぜか物騒なことを言われて、湊鍵太郎みなとけんたろうは悲鳴をあげた。

 いや、野郎ばっかりの部活にいた彼なら、確かにうらやましくも思える話だろうが。

 実際には、その女子部員たちが怖くて避難してきたのである。吹奏楽部の男子への風当たりはきつい。その中にいる人間にしか分からないかもしれないが、どんなところも少数派には少数派なりの苦労があるのだ。

 部屋割りのことで部員たちと散々、話し合ったことを思い出しながら、鍵太郎は半眼でこちらを見る黒羽裕太くろばねゆうたに言った。


「あいつらは俺のことなんて考えずに、自分勝手に好き放題やるんだよ! 静かにしろって言っても騒ぐし、人のことはそっちのけで部屋割りも決めようとするし――」

「まあ、自分の意思が入ってないことには多少、同情の余地もあるかもしれないが……」

「――そうなったら絶対、着替えとか俺の目の前でも平気でするんだよ! 他にも、風呂上がりの無防備な姿でその辺をほっつき歩いたりさ。施設中が目も当てられないことになるからな!?」

有罪ギルティ

「だから、なんでだよ!?」


 一瞬ゆるみかけた視線を再び厳しいものにしてくる友人に、もう一度叫び返す。

 彼は誤解しているかもしれないが、基本的に女性というのは豪胆ごうたんなものである。

 女姉妹きょうだいがいる人間になら分かるかもしれないが、彼女たちはときに男よりも男らしい。

 自分の姉を例にすれば、この友人にも伝わりやすいだろうか。そう考えて鍵太郎が家族のことを言ってみれば、裕太は遠い目で「あー……。リンネさんね……」と言ってきた。


「まあな……おまえの姉ちゃん、寝てる弟の口によかれと思ってプリン突っ込む人だもんな……。曲がった根性を叩き直すって言って、金属バットを引きずってきたり……あんときはおれも、マジで怖かったわ」

「だろ、だろ!? アレがたくさんいると思うと、この宿泊がいかに危険なものか分かるだろ!?」

「あの人と、吹奏楽部の部員さんを同列扱いするのは失礼だと思うけど……まあ、うん。大変なのは分かったから、許してやらんでもない」


 どうやら、執行猶予はもらえたらしい。

 姉のおかげというのがどうにも納得いかないが、少なくとも当座の安心は確保できた。まあ、大会前日も危険なことには変わりないが――と、決まった部屋割りのことを思い出して、鍵太郎は息をつく。

 とりあえず先生の隣の、ひとり用の部屋にしてもらったのはいいが、あの部員たちのことである。

 初めての部活でのお泊りにテンションを上げ過ぎて、絶対なにかしらのトラブルを起こすに違いない。

 その前提で、当日は部長として施設内を巡回しよう、と鍵太郎は心に決めた。二年生の後輩の魔の手から逃れ――いや、彼女を有罪にしないためにも、部屋に引きこもらず館内全体をうろついた方がいい。

 あとのことはその日になってから、アドリブでどうにかする。家でやっている姉対策が、まさかこんなところで役に立つとは、と思っていると、裕太はやはり呆れたような顔でこちらを見ていた。


「……まあ、この分だと誰かにどうこう、ってことはなさそうだけどよ。千渡せんどさんも大変だろうな……。周りがそんなんじゃ、気が気じゃないっていうか……」

「なんでそこで、千渡の話が出てくるんだ?」


 同い年の副部長の名前が出てきて、鍵太郎は首を傾げた。

 確かに彼女も役員としては、今回の宿泊は色々大変だろうが。立場がある分だけ気を遣うだろうし、前例のないことなので、戸惑うこともあるかもしれない。

 それが、次の日の演奏に影響しないようにしたいものだ――そう言うと、野球部の友人は深々とため息をつく。


「いやおまえらさ、もういい加減……まあいいや。おれは気楽な立場に戻ったんだ。なら前みたいに、面白おかしくおまえらをおちょく――見守らせてもらうとするさ」

「おまえ絶対、おちょくるって言おうとしたろ。俺のこの大変な状況を、安全な位置から腹を抱えて笑って見てるつもりなんだろ」


 吹奏楽部の男子部員の悲哀は、なかなか他の部活の人間には分かってもらえないのだった。

 人は女子に囲まれまくったこの有り様を、ラッキーだなんだ言う人間もいる。ただその幸運は、砂糖漬けにした毒のようなものだ。

 何か違う、何か違うのである。

 見た目ハーレム、なおその実情は――この価値観が他の部の人間に理解されないことが、非常に残念でならない。

 というか本人の言う通り、裕太はもう野球部の部員ではない。

 夏の甲子園予選が終わって、彼は引退している。そういう意味では既に、この友人は上がりというか、一足お先にゴールテープを切ってしまっている感があった。


「そういえば裕太、今は何してるの? 野球部には顔出してるの?」

「ああ、まあ後輩たちの練習には、ちょこっと顔を出してる程度だな。まだ危なっかしいから、少し指導もして……けど、現場からはちょっとずつ離れていこうかなとは思ってる。そうしないといつまで経っても、あいつらは自分の力で強くなれないし」

「ふーん……」


 少し寂しいが、それが本来の姿なのだろう。

 自分の力を出し切って挑んだことに対する、結果。

 それを受け止めて、この元野球部のキャプテンはここにいる。

 こちらは、県大会では代表になった。

 では、東関東大会が終わったとき、自分はこんな顔をしているのだろうか――

 そんなことを鍵太郎が思っていると。


「失礼。ここに湊鍵太郎殿はいらっしゃいまして?」


 教室の入り口から、聞き覚えのある声がした。

 そちらに顔を向けてみれば、そこには金髪をなびかせた生徒会長が。

 アリシア=クリスティーヌ=ド=大光寺だいこうじが、そこに立っていた。



###



「まずは県代表になれたこと、おめでとうございます。生徒会長として、お祝い申し上げますわ」

「は、はあ……」


 そのままつかつかつか、と近づいてきて傲然とそう言い切ったアリシアを。

 鍵太郎は、顔を引きつらせて見つめた。その言動の通り高慢なお嬢様、といった彼女だが、それゆえにアリシアの方からこうしてこちらに足を運んできたことに、戸惑いを隠せない。

 彼女のことだから、以前のように生徒会室に自分のことを呼び出したりするものだと思っていた。

 それほどまでに、金賞県代表という事実は重いのだろうか。改めて、自分たちのやったことがどれほどのものだったのか、思い知っていると――アリシアはそのまま続ける。


「本来ならば、あなたの方から直接報告に来るのが筋、というものですが、今回はその結果に免じて許して差し上げます。引き続き、次の大会にへ向けて励むように」

「あ、はい。お金足りなくてぴぃぴぃ言ってますけど……」

「あれほどまでわたくしに恥をかかせておきながら、まだ予算が足りないなどと言い出しますの、この平民が!!」


 去年、この生徒会長には部活動予算の会議で色々と迷惑をかけたわけだが、そのときのことをまだ彼女は根に持っているらしい。

 後からフォローは入れたのだけれども、それすらこの学校の女王を自任するアリシアには屈辱だったようだ。

 こちらの首を絞めそうな勢いで、彼女は言ってくる。


「そんな体たらくで、全国大会など出場することになったらどうしますの!? そこまで考えていますの、貴方!?」

「あ、いやウチB部門なんで、全国大会はないです。けど東日本大会に行けたら、そこは北海道なので今回以上にお金がかかるかなと」

「のほほんと、とんでもないこと言い出すんじゃないですわよ!?」


 あとなんですの、全国大会がないって――などとアリシアは訊いてくるが、それこそこのコンクールのシステムは、部外者には説明が難しいのだ。

 そして、理解を得られるかどうかもなかなか疑問である。選民意識の強い彼女のことだ。事と次第によってはそんな小規模な部活動、やる価値もないなどと言い出しかねない。

 いや、そうでもないのか。

 結果を出した者に対しては、今こうして自ら出向いてきたくらいにアリシアは寛大だ。

 正当な結果を出し続ける限りは、こちらの味方でいてくれる。ああなるほど、この人はあの垂れ幕を見て、自分たちのことを気にしてここまで来てくれたのか――と、生徒会長の必死な顔を見て、鍵太郎は苦笑した。

 理解はなくとも、住んでいる世界が違っても。

 こうして、応援してくれている人がいる。

 そう考えると、親の授業参観のように恥ずかしく思えたあの『祝・東関東大会出場!』という垂れ幕も、存外ありだったのかもしれない。

 そんな風に思っていると、アリシアはそんなこちらの気など知らず、髪を振り乱して叫んでくる。


「なに笑ってるんですの!? 貴方がたの資金繰りに付き合うのは、もうこりごりですわよ!? 県代表になったとはいえ、予算はもう決まっている以上、学校側にもう余裕は――」

「だったら野球部こっちの予算使ってくれていいよ、アリシアさん」


 すると、そんな自分たちのやり取りに。

 口を挟んできたのは元・野球部キャプテンの裕太だった。


「甲子園に出場するかもしれないって、そんなつもりでこっちも予算を組んでたんだ。でも出られないことが決まった以上――。まあ実質収支の差し引きはゼロだから、そんなに額はないが……その分を全部、吹奏楽部にやるよ」

「い、いいの……? 裕太」

「ああ、別に。後輩たちは後輩たちの予算を組めばいいと、おれは思ってるし。そこは言って聞かせるよ。あ、でもやるっつっても、その東日本大会とやらに行ったらだけどな。行けなかったらビタ一文やらねえ」


 北海道まで行くっつーんなら、それくらいの援助は必要だろ――などと肩をすくめて、彼は言った。

 どうにも飄々ひょうひょうとしている裕太だが、こういうときの彼の発言は本物だ。

 冗談でなく本気で、面白おかしく――こちらのあがく様を眺めていてくれる。

 こう見えて、結構頭が切れるのだ、この運動部の部長は。そんな裕太はアリシアの方を見て、首を傾げて言った。


「二学期が始まって、どこの部活も三年が抜けて落ち着いて――そろそろ、余った予算をどう使い切ろうかなんて、考え始める時期じゃないか? そういうところから、ちょっと臨時徴収すればそれなりの金額になると思うけど」

「そ……そんなこと言われなくても分かってますわ! 必要なところに必要なものを手配するのは、管理運営者として当たり前のことです!」


 ニヤニヤ笑いを浮かべてそう言う元野球部キャプテンに、生徒会長は――生徒側の最高権力者は、怒りの声をあげた。

 裕太の言った案はかなりアクロバティックなものだが、そこはアリシアもアリシアだ。

 その誇りにかけて、彼女もやると言ったことは必ずやる。高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ――上に立つ者はその立場に対する、責任を持たなくてはならない。

 裕太の挑発に取り乱しはしたが、そこは彼女も生徒会長になるだけの器である。すぐに冷静になり、頭を巡らせているようだった。

 まあその口から「富の再分配……貧困層から貧困層への所得移転はどうかと思いますが、そこは勝者の特権です。今回ばかりは認めて差し上げますか……」などと、相変わらず反感を買いそうな言葉が出ているのは気になるが。その文言はあの生徒会書記さんが、上手く加工してくれることを祈る。

 そして、顔を上げたアリシアは。

 この学校の女王は――真っすぐに、こちらを見て言ってくる。


「では、吹奏楽部の部長――湊鍵太郎」

「はい」

「他の部活には、わたくしから話を通しておきましょう。なので、貴方がやるべきことはひとつ――必ず、結果を伴って帰ってくるように」


 これは、勅令です――という彼女は、やはり、上に立つ者の気品にあふれていた。

 なんとなく、剣を肩に置かれているような気がする。女王に対する、騎士の宣誓。

 そこに拒否権などない。

 ここまで彼女にやらせた以上、もうこちらも引くことはできない。

 なのでわずかに顔を伏せ――浮かぶ若干の苦笑を隠し、鍵太郎は「はい」と答えた。

 突きつけられた剣が引っ込む気配がする。

 顔を上げれば――アリシアは、実に満足げに微笑んでいた。


「よろしい。では早速、各部活に通達しておきましょう。これがわたくしの生徒会長、最後の仕事――に、なるかもしれませんわ。それがこの学び舎の誰かのためになるのなら、願ってもないことです」

「アリシアさん……」

「感謝されるいわれはありません。わたくしは、当然のことをしたまでなのですから」


 では。

 今度はまた、その東関東大会とやらの後に――健闘を祈らせていただきますわ。

 そう言って、生徒会長は来たときと同じくその長い金髪をなびかせ、教室から去っていった。


「なんつーか……あの人も、立場とかあるんだろうけど、素直に応援してくれたらいいのになあ」


 その後ろ姿を見ていると、そんなセリフを禁じ得ない。

 まあ、その立場があるからこその、彼女なのだろうが。

 ある意味で自分の部活の女子部員たちとは違った、意地っ張りな印象を受ける。すると同じくアリシアの姿を見ていた裕太が、相変わらずのジト目で言い返してきた。


「んー……、なんか、最後の笑い方には、ちょっとばかし引っかかるものがあった気がするが――なんかムカつくな。やっぱり援助の話、取り消してやろうか」

「やめてよ!?」


 せっかく話がいい方に転がっていきそうだったのに、心の匙加減ひとつで台無しである。

 けれど、先ほど助け舟を出してくれたのはありがたかった。彼なり状況の楽しみ方なのだろう、各部活からの、ほんの少しの手助け。

 そういうものが集まれば、もっと大きなことができるようになる。

 そしてそれを、最後の仕事、とあの生徒会長は言っていた。

 彼女もまた、その立場が終わる瞬間まで挑み続けることを決めたのだろう。

 その挑戦が終息を迎えたとき、アリシアはどんな顔をするのだろうか。

 そしてまた、自分もどんな顔をするのだろうか――先ほども思ったことを、もう一度考えてみるが。


「うーん、思い浮かばないなあ」


 さっぱり予想できなくて、首をひねる。

 けれども、価値観の違う、理解されない立場の者からも声援をもらって。

 生徒会長や、他の部活の人間に協力してもらうということならば――

 自分の周りはハーレムでもなんでもないが、実情としては、案外そういうものに近いのかなとも思う。

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