第347話 それぞれのヤる気

「順当に考えれば、部屋割りは学年別でしょう」


 と言ったのは、同い年の誰だったろうか。

 もはやどの人物の発言かも判断できない。そんな心境で、湊鍵太郎みなとけんたろうはそのお泊り会議の様子を呆然と眺めていた。

 コンクールの地に前乗りするため、会場近くのどこかに泊まる。

 それはいい。

 部員たちが率先して、これからの行動計画を立てようとしている。

 それもいい。

 ただ、なんでである自分を差し置いて、話が進んでいくのだろう――音楽室の片隅で遠い目をしながら、そう思ったりもするのだ。

 しかもこっちは、部長なのに。

 いや、勝手に話が進んでいくなら進んでいくで、楽ではあるのだけど。

 なにかこう、肝心なものを見過ごしてないかと思うのだ、みんなが。久しぶりに吹奏楽部の少数派マイノリティ、男子部員の悲哀を鍵太郎は噛みしめていた。

 しかしそうしている間にも、話し合いは進んでいく。


「まあ、そうよね。部活の合宿とか、泊まりとかだったら分かりやすく、学年別に普通なるわよね」

城山しろやま先生、どんな施設なのか言ってた? 湊」

「……安くて広くて楽器の練習もできる宿泊施設、ってなると、いわゆる山の中の青少年自然の家とか、そういう合宿所みたいなところじゃねえかな」

「あっそう。じゃあ学年ごとに大部屋とか、そんな感じになりそうね」


 やっと話を振られたかと思ったら、あっという間にそっぽを向かれた。

 あっそうとか言われた。同学年の女性陣に、相部屋になるかもしれない人間から、あっそうとか言われた。

 色々と立つ瀬がない。

 いや、まだ同じ部屋になると決まったわけじゃないのだ。例えばそう、県内の数多あまたの学校の人間が集まった、選抜バンドのときなんてそうだったが――


「み、湊くん、どうする? さすがに別の部屋がいいよね?」

「別の部屋がいいし、部屋がなかったら俺だけどこかの押し入れで寝ても構わない……」


 どう考えたって、男女別の部屋にすべきだろう。

 去年一緒にその選抜バンドに行った、同い年の宝木咲耶たからぎさくやの問いに、鬱々とした気分でそう答える。

 咲耶はまだわりとこちらを気遣ってくれているようだが、さすがに多勢に無勢だ。押し切られたらどうすることもできない。

 女性陣に囲まれて、寝る場所すら確保できない自分の姿が思い浮かぶ。なんとなくのイメージで、畳に布団を並べて――雑魚寝みたいな感じで、枕投げなんてやっちゃう部員たちの中、自分はそっと押し入れの中に入るのだ。

 暗くて狭くて、静かで落ち着く。そういえばあの青いネコ型ロボットみたいで、押し入れで寝るのって夢だったんだよなあ――などと現実逃避をしていると。

 咲耶がそんなこちらを、ちゃんと本当の現実に引き戻してくれた。


「いや、普通はそういう合宿所みたいなところだったら、先生たちが泊まる部屋もあるはずだよ? 大人用の個室みたいな」

「そうか、引率者用の部屋もあるのか……!」


 地獄に仏とはまさにこのことだ。

 彼女の生まれも相まって、咲耶からは後光が射して見える。そう、これまでは生徒視点でしか物事を見ていなかったが、言われてみればそういった宿泊施設なら、先生用の部屋がいくつかあるはずなのだ。

 顧問の先生、指揮者の先生、そして自分。

 そういった個室が全員分あるかは分からないが、それは先生たちに詳細を聞いて確認しよう。

 三人分なかったら、本当に押し入れに引きこもっても構わない。咲耶にかくまってもらって、出てきても大丈夫な感じになったら、そっとノックでもしてもらえばいい。

 だってあいつら、人がいてもおかまいなしに着替えとかし始めるだろうから。

 そしてそれを見たら見たで、こっちが悪いと全力で殴られるのである。理不尽にもほどがある。誰だそこでハーレムとかうらやましいとか言ったやつ。代わってやる。代わってやるから一晩だけ、そっちの部屋を貸してくれ……!


「ま、しゃあないっスね。学年ごとで、男女別。割り当てとしてはそうなるでしょ。でも別に、決まった通りに行動する必要もないっしょ?」

「必要あるよ! ルールは守って楽しくデュエルしようよ! じゃないと俺の身が持たないよ!」


 大会前に、再起不能になりそうな宿泊計画だった。

 元々は後輩の体調を考慮して、前泊をしようかという話だったはずなのに。解せぬ。まじ解せぬ。

 誰もこちらのストレスを考えてくれないのは、どうしてなのだろうか。いや、正確に言えば咲耶は考えてくれているはずなのだが、根本的にみな、どこかおかしい気がする。

 部活初めてのお泊り計画に、ハイテンションになっているとしか思えない。その証拠に、一年生の根岸奈々ねぎしななが楽しそうに言う。


「こういう部活でお泊まりとか、初めてです。みんなの親睦が深まりそうでいいですよね。お菓子とかいっぱい買ってきちゃってもいいですか?」

「うん、最初にやることは大体全部失敗するという、きみの特性にはすごく共感するけど。俺だけ親睦というより部員とのみぞが深まりそうなのは、なんでなんだろうな……!!」


 でも、お菓子はもらいに行きたい。

 一年生の部屋に避難しに行きたい。奈々のことだから、きっとたくさんチョコとか買い過ぎて、当日困っていそうな気がする。

 それをみんなで分け合って食べたい。大会前日だからキャンプファイヤーとかバーベキューとか、そういう合宿っぽいイベントはできないだろうけど、そうすればささやかでも忘れられない思い出になるはずだ。

 それに二年生の部屋に行くより、危険度は低い気がする。

 そう思って鍵太郎がひとつ下の後輩である野中恵那のなかえなを見ると、彼女はにっこりと微笑んでこちらに言ってきた。


「大丈夫です。大会の前の日なんですよ? いくらわたしでも、コンクールの結果と演奏に支障が出るようなことはしませんよ」

「そ……そうだよね。そこは次の副部長。きっちり場をわきまえて――」

「はい。要は記憶に残らなければいいんでしょう?」

「全っ然わきまえてなかったよこの後輩!! むしろ怖さが倍増したよ!! 自分の部屋でも安心できなさそうだなコレ!!」


 笑顔の後ろに瘴気しょうきじみた黒いオーラがにじんでいる。

 宿泊施設に頑丈なカギがあることを、切に祈る。あとは恵那にピッキングの才能がないことを切に願う。

 彼女は「冗談ですよ冗談。ふふふ……」なんて言っているが、念には念を入れるに越したことはない。最後の笑いなんか怖すぎる。

 というかそもそも、泊まるかどうかまだ決まったわけじゃないのだ。

 顧問の先生と指揮者の先生が、今その辺りを話し合っているはずである。これだけ時間が経ったのだ、そろそろ結論がでそうなものだが――

 そこは大人の判断に期待したい。鍵太郎がそう思っていると、音楽室の扉がバン、と音を立てて開かれた。

 音楽準備室から出てきたのは、もちろん顧問の本町瑞枝ほんまちみずえだ。


「よし、案としてはできたぞおまえら。よーく聞け。東関東の前日は、会場近くの施設に泊まりに行こうと思う」

「はい」

「それにあたって……大変心苦しいんだが、部費じゃまかないきれない部分が出てくる。その出たアシの分は、遠征費として部員の個人負担になりそうだ」

「分かってます」


 その辺は散々、むしろ無残なほど、先ほどまで部員たちで話し合っていたことだ。

 期せずして部員側でも、大体の結論が出ている。

 宿泊費個人負担。泊まる施設の部屋割り。

 他にも様々、考えなければならないことはあるが――

 そんな風に考えを巡らせていると、先生はきょとんとして、こちらに言ってきた。


「なんだおまえら。ずいぶんと先回りしてるじゃねえか。どうしたんだ?」

「やる気があるんです」


 る気なのか、る気なのか、それともヤる気なのかは人それぞれかもしれないが。

 少なくとも前向きなことは、いいと思う。そう思わないとやってられない。

 そしてまず最優先で確認しなければならないのは、あれだ。安全なスペースを確保できるかどうかだ。

 大会前に、精神的にも社会的にも死にたくない。

 生き残りたい、まだ生きていたい――崖っぷちでいいから。

 そんな思いを込めて、鍵太郎は本町に訊いた。


「それよりも問題は、です。俺の部屋はありますか。プライベートで落ち着ける、安心して次の日の本番に挑むための、眠れる場所はありますか!?」

「あー」


 そんなこちらの必死の問いに、顧問の先生はやはり目をぱちくりさせたままで、答えてきた。


「すまん。金の計算ばっかで、まだそこまで考えてない」

「うわあああああああ!!」


 本町の回答になっていない回答に、今度こそ鍵太郎は叫び声をあげた。

 先生まで味方になってくれない。絶望のまま音楽室の床を転げまわる行為は、指揮者の先生が宿泊施設の間取りをプリントアウトして、実際に『順当な』部屋割りが決まるまで続くことになった。

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