第346話 誤解を招く宿泊会議

 なんだか、とても人聞きの悪いことを言われた気がする。

『コンクールの前の日はあんたと一晩、ひとつ屋根の下で過ごすってこと?』って――言い方としてはだいぶひどいのではないかと、湊鍵太郎みなとけんたろうは思っていた。

 誤解を招く言い回しだ。大会前日にとんでもないスキャンダルが起きそうではないか。

 そんなにこの同い年には、嫌悪感を持たれているのだろうか。そう思いつつ、鍵太郎はそんなセリフを言った千渡光莉せんどひかりに言う。


「ひとつ屋根の下……って、まあそうなるけど。合宿みたいな感じというか、本番の前乗りだし。そんなにドン引きしないでくれ。地味に傷つく。あと第一、まだ泊まりだと決まったわけじゃない」

「そ、そうよね……。部活のイベントみたいなものだし。それに、別にと、ととと、泊りだからって何か、あるわけでもないし……」


 早とちりを恥じたのか、光莉は顔を真っ赤にしてどもっていた。

 大会の前日に、会場の近くに泊まるかどうかについては、今顧問の先生と指揮者の先生が話し合っている。

 懐具合の相談が、主な内容だ。だからこそ、部長であっても予算を組む権限がない自分は、会議から弾かれてきたわけで――と、そこで鍵太郎は音楽室を見回した。

 中では部員たちが、次のコンクール、東関東大会に向けて練習をしているはずだった。

 ――のだけれども。


「なんですか先輩? お泊りとかひとつ屋根の下とか、楽しそうな単語が聞こえてきたんですけど――!」


 ゴシップ好きのバリトンサックスの後輩にそう訊かれて、頭を押さえる。

 次期部長、扇動者の気質ここに極まれり。

 彼女の人目をはばからない発言に、音楽室の空気がザワリと、色々な意味で波紋を広げたのである。



###



「やりましょう」


 コンクールの前日、前乗りとして宿泊をするかどうか考えている――という話をし終えると。

 鍵太郎と同い年、三年生の片柳隣花かたやなぎりんかがほぼ即答と言っていい勢いで、そう口にしてきた。

 大会の会場がかなり遠く、バス酔いのまま本番を迎えるのはどうかということで、検討されている前乗り。

 演奏に影響する事柄だからなのか、彼女は一も二もなく賛成してきた。さすがは、何事も論理で考えるこのホルンの同い年ということか。

 いくつかクリアすべき課題は残っているが、それも隣花の頭では計算済みなのだろう。

 そうでなければ彼女が、こんな風に結論付ける理由はない。とか楽しいからとか、そういう感情とはちょっと距離のある人間なのだから――

 そう思いつつ、一応は話し合うべく鍵太郎は言う。


「やりましょう、っていうけど、何かいい案あるか? 先生のあの様子だと、部費が足りなくてやっぱりナシ、っていう線も十分に考えられるぞ」

「お金が足りないなら、みんなでバイトでもすればいいんじゃないっスか?」


 それに答えてきたのは隣花ではなく、一年生の赤坂智恵理あかさかちえりだった。

 アルバイト――をする時間と、そしてそれを学校側が許してくれるかどうかは微妙なところだが、つけまつげにばっちりメイクのこの後輩はそんなこと、気にしないのだろう。

 むしろ、もう既にどこかで働いているのではないか、とすら思えてくる。やりたいと思ったことには、とことんまで首を突っ込むのが彼女だ。

 さすがに二学期に入る前に、祭りのときの金髪は染め直してきてくれと頼んだのだが――そんな一年生は、臆することなく部長に言う。


「湊センパイと一夜を過ごすためなら、アタシ一肌脱ぎますよ! なんならリアルで!」

「さっきから思ってるんだけど、みんな本当に誤解を招く発言は慎みなさい」


 目をキラキラさせながらとんでもないことを言ってくる智恵理に、本気でそう突っ込む。

 放っておいたらこの後輩は、なんだか変なアルバイトのようなものをして危ない目にあいかねない。

 自由気まますぎて、この高音楽器の後輩はそのままどこかに飛んで行ってしまいそうである。すると今度は、違う意味でもっと危険な後輩が言ってくる。


「先輩……わたしのために、コンクールの前の日に泊まろうって言ってくれたんですね。ごめんなさい……でも、嬉しいです……」

「うんまあ確かに、野中さんの車酔いの件もあって、その話が出たんだけどね!? でもきみ何か絶対、よからぬこと企んでるよね!?」


 朱に染まった頬に、潤んだ眼差しで二年生の野中恵那のなかえながこちらを見上げてくるが、どうにもその背後に見える真っ黒いオーラは隠し切れていない。

 彼女が以前、部活でバスに乗り遠出した際、ひどい乗り物酔いを起こしたため今回はこんな話になっているのだが。

 それを逆手に取って、というかその不幸すら味方につけて恵那はこちらに迫ってきそうな気がする。

 具体的に言うと、一服盛られて夜這いをかけられそうな気すらする。

 怖い。貞操の危機を感じる――なんだか明らかに立場が逆のように思うのだが、吹奏楽部ではこれが普通だ。

 部長とはいえども、男子部員にあまり発言権はない。周りがみんな猛獣のように見えて、鍵太郎がウサギのごとく震えていると。

 これまでの状況を見ていた光莉が、コホンと咳払いして言ってくる。


「えーと。とりあえず一、二、三年生の全員の了解を得たわけだけど」

「了解というか、肝心の問題は全く解決してねえぞ……。先生がダメって言ったら、結局行かないわけだし」

「要は、経済的なことが解決すればいいんでしょ?」


 そう言って、同い年のトランペット吹きは――マイ楽器を持っている中学からの経験者は、かつての出身校のことを語る。


「だったら、部員から臨時徴収すればいいのよ。東関東大会に行くことになりました、計算した結果、遠征費としてこのくらいかかります。ご理解とご協力をお願い致します――って、プリント作って保護者に渡せばいいの。うちの中学なんか、支部大会に行くときはそんな感じだったわよ」

「さ、さすが強豪中学……。そういう仕組みは、しっかりしてんのな……」


 奇しくもそれは先ほど一年生が提案した、部員の個人負担、という案に近い。

 基本的にこれまでは部費で全部まかなっていたため、特別徴収というのはしたことがなかった。まあ、保護者にお金を出してもらうとはいっても、運動部に比べればそこまででもないか――と、鍵太郎は野球部のキャプテンとその、遠征費のことでぎゃあぎゃあやったことを思い出して苦笑した。

 自分も野球部にいたことがあるから分かるが、練習試合のたびにその都度、かかる金額を親に負担してもらっていたのだ。

 そう考えると、あの野球部の友人が予算についてはかたくなに要求を通そうとしていた気持ちも分かる。そりゃあ彼もこんなことになるのが分かってたら、なるべく臨時徴収なんてなくそうと、ああいう言い方もするだろう。

 だが今回は、どうもそれに頼らざるを得なさそうだ。

 部員と保護者、一丸となってコンクールに挑みましょう――なんて、それっぽい文言が浮かぶ。今朝校舎に、『祝・東関東大会出場!』なんて垂れ幕が下がっていたときも思ったが、段々話が大きくなってきた。

 事はもう、自分たちだけの手に収まらなくなってきている。

 それに若干の不安を覚えたのが、先生同士の話し合いから先刻、追い出されたときだ。しかし部員たちにとって、それはさして重要なことではないらしい。

 その証拠に、次期部長が――失言大王である宮本朝実みやもとあさみが、うんうんとうなずきながら言ってくる。


「あれですね。節約して当日出発で休憩しつつ行くか、お金をかけて宿泊してゆったりするか。休憩か宿泊か、迷うところです」

「あのさ、宮本さん今でもあの黒魔女と連絡取ってない? だとしたら、即刻やめさせたいんだけど」


 彼女の陰に、どうにも卒業した逆セクハラ魔人の姿がちらついて見える。お風呂にします、ご飯にします? そ・れ・と・も――とか言ってんじゃねえよ、と頭の中に直接語り掛けてきた第二の師匠に、鍵太郎は突っ込む。

 どうしてこう、自分の周りの女性たちは制御不能というか、こちらの予想外のことをしてくる人間ばかりなのだろうか。

 頭が痛い。いろんな意味で頭が痛い。

 再びひたいを押さえていると、朝実はさらに誤解を招きそうなことを口にしてくる。


「とりあえずは、アレですね。保護者の同意を得て事に及んでいいか、先生たちに相談してみればいいんですね!」

「だから、そういう人聞きの悪い言い方はやめなさい!?」


 これまでにないことに挑むせいか、彼女たちのテンションがおかしい気がする。

 この調子では、もしいざ宿泊となったらとんでもないことになりかねない――そう思いつつ、音楽準備室の方に視線をやる。

 早く。早く先生。前乗りするかどうかの結論を下してください。

 俺にはもう無理です、部長としてもう処理しきれません。こいつらの暴走を止めることは不可能です――などと考えていると。

 部員たちは、こちらを見て一斉に訊いてくる。


『そういえば、あんた・せんぱいは部屋、どうするの?』


 ここに、自分の居場所はない。

 そして、宿泊施設にも自分の安心できる場所はないのかもしれない。

 まだ、そうと決まったわけではないけれど――鍵太郎は彼女たちの声音を聞いて、直感的にそう思っていた。

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