第281話 裏と表を刻んで歩く
「そう。あの人、そんなことを言ってたのね」
テーマパークでの本番が終わり、自由時間となって。
ここはこの遊園地に演奏に行こうと決めた日、隣花と一緒に話した場所だ。
大きな人工湖のほとり。
近くでは同い年たちが、昼食をどこで取ろうか話し合っている。
本番終了後にもらった園内の一日フリーパス券で、今日は時間の許す限り遊び倒すつもりだ。
演奏が終わるまではスタッフだった自分たちも、ここまで来れば晴れて自由の身である。地図を片手に、何が食べたいどこに行きたいなど、きゃいきゃいとはしゃぐ部員たちの近くで隣花は言う。
「『人の夢を保つのは容易ではない。けれど、私たちはそれを守るために全力を尽くさねばならない』――そう。なるほどね。なら、あの厳しさも理解できるわ」
「そうやって守ろうとしてるのが、はっきりと目に見えるものじゃなくて夢っていうロマンなものなところに、テーマパークのプロとしての気概を感じるよなあ」
困ったように――でもおかしそうに笑う隣花と共に、こちらも同じように笑う。
今日の本番の担当であったこの遊園地の職員は、舞台に上がる際のルールに、とてもシビアな人ではあったけれど。
それも全て、ここにいる園内全ての人を楽しませるためだったのだ。
現実をもって夢を支える。それは奇しくも、ここに来るきっかけとなった出来事に通じるものでもあった。
「理想論だけでは望んだものには届かない。それだけではコンクールで金賞は取れない」――そう、隣花はかつて言っていたが。
その彼女自身も、その理想を支えるためにどうすればいいのか、自分でもはっきりと分かっていなかったのだ。
論理の狭間にあるもの。
『楽しい』がピンとこなくて、人があっさりとそれを口にしたりやったりするのを、不思議そうに見ていた。
そんな、どこか悲しそうにしていたこの同い年が――こうして笑ってくれたことを、今は何よりも嬉しく思う。
この冷静なホルン吹きにこんな顔をさせるとは、やはりあのテーマパークの担当者、プロだということなのだろう。
してやられたなあ、と鍵太郎が隣花のことを見ていると、彼女は言う。
「ああいう人が現実にいて。そして、こんな大きな場所を支えられているなら――楽しさと一緒に金賞を取るっていう、あんたの言っていたことも。あながち理想論じゃないんだなって、今はそう思えるわ」
「片柳……」
「まあ。少しだけだけどね。『それだけ』じゃ足りないっていう考えは、やっぱり変わらない」
けど、理想も現実も、どっちも必要なのかなって思うくらいにはなったわね――と。
周りに行き交う人々を、そして近くにいる同い年たちを見ながら、隣花はそう言った。
テーマパークにいる人たちは、当然のように笑顔を浮かべている。
その笑い方の種類も、はしゃいでいたり、苦笑いだったり、ワクワクしていたり、人それぞれだけども。
みんなそれぞれのやり方で、この場所を楽しんでいる。
そして、それを守ろうとする人を先ほど見てきたばかりだ。今日の本番では、その大人の手を借りてしまったけれど――それでも、ほんの少しだけ。
この雰囲気に貢献できたかと思うと、なんだか少し誇らしい。
なんだかんだ色々あったけれど、あの日この同い年と話し合って、ここに来ることができて本当によかった。
そして、これからは――と鍵太郎が思ったところで、隣花が言う。
「ねえ。私もあんな風に、理想を現実で守ることができるかしら?」
湖を囲む柵に、両手を添えて。
吹き抜ける風と共に、彼女はこちらにそう訊いてきた。
今日の舞台を担当したあのテーマパークの職員と、この同い年はどことなく似ている部分がある。
論理的な思考に、現実的な判断。
ときたま出る痛烈な言葉。
そして心の中にある、絶対に譲れない、大切な感情――
それらを彼女の瞳に認めて、鍵太郎は隣花の問いにうなずく。
「できるさ。おまえなら」
「そう。ありがとう」
その返事は、今まで通り素っ気ないものだったけれど。
それでもこちらの答えに微笑んでくれるようになっただけ、大きな変化なのだと思う。
普通の人からすれば、些細なことかもしれないが。ときたま自分の感情も分からないことがあるくらい、条理を優先してしまう彼女であれば――その表情は今できる、最大級の表現だ。
少なくとも以前のように、難しいことを考えこんで不機嫌そうにしているよりは、ずっといい。
むしろ、こんな隣花は初めて見た。
こいつ、こういう顔もできたんだな――と鍵太郎が思っていると。
昼食を何にするかが決まったのだろう。
「よっし! 湊! 片柳さん! ピザ食べに行こう! これこれ、期間限定のやつ!」
「すっごいでっかいの頼んで、みんなで分けっこしよう! 頼めばテイクアウト用に包んでくれるから、それを食べながら他のとこを見て回ってもいいし!」
「あー、はいはい。分かった分かった」
勢い込んで園内マップを指差す双子姉妹に、こいつらもしょうがないなあ、と笑いがもれる。
けれども、このテーマパークにおいて彼女たちの言うことは正解だ。
なにしろ、同い年たちで初めてここに来たとき、この遊園地の楽しみ方を教えると豪語していたくらいなのだから。
それ故に、隣花とは性格的にソリが合わなかった面もある二人ではあるのだが――そんな彼女たちの提案に。
答えは分かり切っているけれども、鍵太郎は隣花に訊く。
「だってさ。どうする、片柳?」
「行くわ。本番も終わって、お腹空いたし」
そのピザ、美味しそうだし。
そう言ってゆかりとみのりの元に歩いていく隣花を、鍵太郎は笑いながら見送った。
口調も振る舞いも、いつもの淡々としたものに見えるが、その足取りはほんの少しだけ軽い気がする。
何より三人の間にこれまであった、どこかピリッとしたというか、気を遣う感じがなくなったのが好ましい。
これも、この場所の力なのかな――とテーマパークの空気を感じつつ、置いていかれてはたまらないので、三人の後についていく。
「さーて、じゃあ今回は、前に来たとき行けなかったところに行こうか? この船に乗るやつとか、意外と穴場だよー!」
「ゴールデンウィークで混んでるのはあるけど、そういうのは事前にチケットを取れば並ばずに済むし! だから乗りたいものがあったら早めにGO! だよ!」
「何事も計画が大事、ということね。なるほど」
「よし、じゃあ片柳。今回こそはあれつけたらどうだ? あれ。フォクシー・レディの耳」
「それは嫌」
「ええっ!?」
軟化したと思ったら、急に硬化した隣花の態度に理不尽さを感じるのだが。
しかし彼女の歩みは園内に流れる音楽の、裏拍をきっちり取っている。それはいかにも曲中でよくリズムの裏打ちをする、ホルンの隣花らしい。
対して低音楽器のこちらや、打楽器を担当する双子姉妹は、表拍のタイミングで足を地面につけていた。
どうしても聞こえてくるテンポ通りに歩いてしまうのは、吹奏楽部の性だろうか。
そんな風に裏と表を四人で刻みながら、テーマパークを歩いていく。
そのサイクルはここと同じで、表も裏も両方あって、初めて成り立つものだ。
表舞台と舞台裏。どっちが欠けても、進んでいかない。
表だけではつんのめり、裏だけではどんな曲か分からない。
それは夢と現実も似たようなもんだよなと思いつつ、鍵太郎は隣花を見た。そう考えると理想を裏から守ると言った隣花は、いかにも彼女らしいのかもしれない。
そしてその表側を、自分が担うことを考えると――
一日中遊べるとはいっても、部活の行事として遠くからバスで来たのだ。
そんなに遅くまではいられない。時間的には夜のパレードが始まる前に、ここを後にすることになる。
きらびやかなそれを、一目見たかったという思いはあるが――まあ、それはまたいつか、次に来たときの楽しみにしておけばいい。
今日は束の間の夢を楽しんで、お土産を買って帰るのだ。
そして次は――と、その次に向かう場所を、ちらりと考えたところで。
「あ、あの……っ!」
聞き覚えのある声に呼びかけられて、鍵太郎は振り返った。
そこにいたのは今回の合同バンドの相手先、
本番が終わって衣装は着替えたので、彼女はもちろん私服姿になっている。
そういえば、練習でしか会っていなかったので、葵のそういった格好は見たことがなかった。
すると、彼女は制服ではないスカートを握りしめ――
初めて会った日のように妙に緊張した面持ちで、こちらに向かって言ってくる。
「み、湊さん。合同バンドは今日で終わってしまうので――す、少し、お話しませんか……?」
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