第280話 夢の世界のプロ

 あれは、なんだ。

 舞台に出てきた『それ』を見ながら、湊鍵太郎みなとけんたろうはそう思っていた。

 テーマパークの本番で、突如ステージに飛び込んできたその人物。

 倒れかけた後輩を抱き留めて、そのまま部員たちと一緒に踊り始めるその姿は――

 フォクシー・レディ。

 このテーマパークのヒロインだ。

 本来なら他のキャラクターと一緒に、園内にいるでろう彼女が――なぜか、自分たちと同じ舞台に上がっている。

 そんな段取りなど、全然聞いていなかった。部長のこちらが知らないのだから、他の部員たちも、もちろん寝耳に水だろう。

 助けられた当の後輩も、きょとんとした顔をしていて――けれど、楽器を持つ仕草でくるりとターンするそのキャラクターに、釣られるようにそのまま踊り始める。

 本番では、何が起こるか分からない。

 そう言われて、そして、どんなことがあっても演奏を止めるなとも忠告を受けていた。なので本番は、予定外の要素を含みつつ、そのまま続けられていく。

 フォクシー・レディは、部員たちと同じように身体を動かしている。その様子に、一瞬騒然としかけた客席も、そういう演出だったのかと思ったようだ。

 サプライズで登場したパークのキャラクター、そして演奏に、今まで以上の歓声があがる。

 それはいいのだけれども――彼女は一体、何者なのだろうか。

 お客さんの手前、何事もなかったように装っているが頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 指揮を見ていると、舞台の前方で踊るその姿が、どうしても目に入る。

 迷いのないその動きは、まるでこれから自分たちがどういうパフォーマンスをするのか知っているようでもあった。

 あたかも、どこかでこちらのことを見てきたような――と、そこまで思ったところで。

 鍵太郎はバッと舞台袖を見た。


 いない。


 本番が始まるまで、そこで準備をしていたあのテーマパークの職員の姿がない。


 まさか、と再びステージ上で踊る、キャラクターを見る。

 軽快なステップに、淀みのないターン。

 そして、客席に向かって手を振る『彼女』。

 その『中の人』は――と、考えはしたものの。

 鍵太郎はそこで、いいや、と首を振った。

 ここはテーマパーク、そしてそのステージ上だ。

 『中の人』などいない。いるのは夢を形にしたキャラクター。

 あり得ないを可能にする、このテーマパークの住人だけだ。

 少なくとも、この舞台上ではそれが真実なのだ。お客様の笑顔こそ、私たちの至上命題です――そう言っていた彼女の微笑みが、脳裏をよぎる。

 だったらここは、その笑顔と使命を守るべきだろう。

 夢と現実、論理の狭間に立って大切なものを求める。その願いは、自分たちだって一緒だ。

 再び、波間を漂うようなゆったりとしたメロディーが流れる。

 その合間から、ホルンの歌う声が聞こえた。同い年のあいつは、きっと彼女の正体には感づいているだろう。

 似た者同士だからこそ、そんなあの人の行動に何を思ったか、後で聞いてみたい。

 けれど今、目の前のこの本番が先だ。

 大きく広がる、果てしない海を見て――そして、その景色は弾けるように、泡となって消える。

 最後に現れたのは、この曲のメインテーマ。

 『魔法にかけられて』――そのタイトルの通り、まるでステージは魔法がかかったように盛り上がり。

 万雷の拍手とともに、テーマパークでの本番は幕を閉じた。



###



「というか、ああいうことをやるなら事前に言ってくださいよ」


 と、帰りもまた、控室に行くためのトロッコに乗って。

 鍵太郎はそれを運転する泉恭子いずみきょうこに、笑いながら言った。

 それに今回の本番の担当者である泉は、涼しい顔で応えてくる。


「本番が始まって、彼女の具合がどうなるかは、私にも分かりませんでしたので。出番はないに越したことはないと考えておりましたが、ああして万が一が起きてしまいました。本来なら、あり得なかった事態です」

「だから本番前に、何があっても演奏を止めるなって言ってたんですか……」


 想定外のことが起こったらフォローする、くらいは言ってほしかったものだが。

 まあしかし、このテーマパークの職員のおかげで本番が上手くいったのも事実だ。

 その泉に助けられたクラリネットの後輩は、敵に情けをかけられたということで、トロッコの隅で膝を抱えて落ち込んでいるけれども――とりあえずは、体調がよくなるまでゆっくりしてもらおう。

 リスクを最小限に抑えるように努めるのもまた、プロとしての行いですと。

 そう言っていた彼女は、トロッコを運転しながら言ってくる。


「責任は取る、と彼女は言いましたが、やはり保険はかけておくべきかと判断しました。園内のキャラクターのスケジュールを確認したところ、フォクシーは無理でしたがレディなら大丈夫ということで、彼女に登場いただきました。いつでも舞台に出られるようにと準備をしておいたのが、役に立った形です」

「だから舞台袖で、あんなに動き回ってたんですね……」


 本番前にあんなに忙しそうにしていたのは、あれの仕込みだったのだ。

 さらには、リハーサルのときにこちらをじっと見ていたのも。いつ、いかなるときでも全力を尽くさねばならない――泉がそう言っていたことも思い出し、鍵太郎は頭をかく。

 確かにこういったところでは、絶対に本番で事故など起こせないのだろうけど。

 どこまでプロ意識が高いのだろう。ステージでの動きもキレッキレだった。

 明らかにあれは、舞台慣れしている者の動きだ。

 やはり経験を積んだ、本職の人間は違う。そう鍵太郎が苦笑いしていると、テーマパークの職員は言う。


「私も、元吹奏楽部員ですから。本番で何かしら事件が起きるのは、よく目にしてきました。そして、それにどう対処すべきかも」

「え、泉さん、吹奏楽経験者だったんですか?」

「はい。それがあったから、こうしてここに就職したともいえます」


 そう口にする泉の顔は、少し笑っていて。

 彼女が大切にしている『論理の狭間にあるもの』とは、このことだったのだなと思う。

 『自分たちが楽しければ、お客さんが楽しんでくれるわけではない』。

 けれども――その逆の『お客さんが楽しんでくれれば、自分たちが楽しくなくてもいい』というのも、また違う。

 この人は、『誰かが笑ってくれるなら、自分たちが楽しい』というのを知っている。

 いささか厳しすぎる面はあるが、このテーマパークの担当者も、そういったものを積み重ねてきた人間なのだ。

 夢と現実の合間を行きながら、彼女は続ける。


「十分前行動。確認を怠らないこと。自分の言葉に責任を持て。何があっても演奏を止めるな――舞台に出る上での精神は、全てそこで教わりました。吹奏楽連盟の集まりで、『台風などで大雨になった場合、コンクールは中止になりますか?』という学校の先生の問いに、『会場が爆破されない限り、コンクールは行います』という回答がなされたことを思い出します。あの精神を見習いたいものです」

「いや、さすがにそれってどうなんですか……?」


 大人の悪ふざけにしか思えないやり取りだが、果たして当人たちは本気だったのだろうか。

 しかし、そういった集会にも出席していたということは、泉は部活の中でもかなり中枢に近いところにいた人物なのだろう。

 となれば、今日の自分たちの本番はどうだったのか。

 それを聞いてみたい気持ちはある。演奏も演出も、この日のために練習してきた。

 いささかハプニングがあったとはいえ、それは結果的にドラマへと変わったのだ。

 それはこのテーマパークの担当者の助力がなければ、できなかったことだが――

 思い切って訊いてみると、夢の世界に生きるプロは、簡潔に答える。


「まだまだですね。さらなる研鑽を積んで、出直してきてください」


 それは一見、これまでのように厳しい言葉に思えたが。

「もっと練習して、来年もまた来なさい」――と言っているように、鍵太郎には感じられた。

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