第282話 本音と建前、そしてワガママ

 二人で話しませんか、と他校の部長に言われた。

 その言葉を受けて、湊鍵太郎みなとけんたろうはその他校の部長である柳橋葵やなぎはしあおいと一緒に歩いていた。

 テーマパークの中心にある、人口湖。

 そのほとりにあるベンチに、二人で腰かける。

 葵が何を話したいのかは分からないが、この真面目な他校の部長のことだ。

 ここでの本番を終え、二校合同バンドは今日で解散になる。だから、その前に挨拶をしに来たのだろう。

 鍵太郎がそう考えていると、葵は「あ、あのっ……!」と緊張した面持ちで口を開いた。


「きょ、今日は……いえ、これまで、ありがとうございました! 湊さんには、感謝の気持ちでいっぱいです……!」

「ああもう、それはこっちのセリフです。こちらこそ、本当にお世話になりました」


 他校の部長に、こちらも頭を下げる。吹奏楽部の部長同士、お互いにここに来るまで様々なトラブルに見舞われてきたのだ。

 部員同士のいさかいであったり、自分自身の至らなさであったり。それを乗り越えてきたからこそ、感慨もひとしお――といった感じではある。

 もっとも、自分の至らなさに関しては、未だに克服できた気がしないのだが。そう思っていると、それは葵もそうなのだろう。

 彼女は申し訳なさそうに、さらにこちらに向かって頭を下げてくる。


「と、特に……っ! 今朝、松脂まつやにを忘れた件に関しては、本っ当に、ご迷惑をおかけしました……! 本番直前に忘れ物をしてくるとか、あの担当者さんも言ってましたけど、本気であり得ない……!」

「それも、お互い様ですよ。ていうか俺も、全然人のこと言えませんし」


 あのテーマパークの職員には、色々と厳しいことを言われた。

 その中でも、鍵太郎の心に特に突き刺さったのが『それは単なるエゴ』という言葉だ。

 別にあの人も、こちらを責めるつもりで言ったわけではない。

 ただ単に、舞台に立つ上でのルールを説いていただけだ。それを、こちらが勝手に違う形で受け取ってしまっただけで――

 だからこそ、この先の本番に、明日からの自分に不安を覚えてしまう。テーマパークの光と影。理想と現実。

 そして、表と裏――そんなものに思いをはせていると、いつの間にか沈んだ顔をしてしまっていたらしい。

 葵が心配そうに訊いてくる。


「……どうか、しましたか?」

「あ、いや、まあ……個人的な話なんですけどね。俺ってワガママだなあって思って」

「は?」


 どこがですか? と他校の部長は、本気で分からないといった様子で首を傾げた。

 それはそうだろう。今まで、そういったことはおくびも出してこなかったのだ。

 先ほどは自分の学校の同い年の手前、なんでもないように振舞っていた。彼女たちには、どうしても相談できないことだったからだ。

 けれども、葵になら。

 この他校の部長になら、話してもいいのではないか――そんな思いで、鍵太郎は続ける。


「……みんな、自分勝手な行動をするなって怒られてましたけど、それって俺もそうだなと思って。やりたいもののために、何を犠牲にしてでもいい、みたいな――そんなことを考える自分が、心のどこかにいるんです」


「人を傷つけても、なにを犠牲にしても、欲しいものってあるじゃない?」――そう言っていたあの人の声が、脳裏に響く。

 理想を語りながら、どこかで事態を、ひどく冷静な目で見ている自分がいる。

 何を犠牲にしても、守りたいものがある。それは時として、一緒に演奏している仲間であったりもして――


「……前に、後輩の告白を断った、って言いましたよね。そのとき、思ったんです。『せっかく部長としてやっていこうと思ったときに、邪魔するな』って」

「……」


 そんな態度は、ひどく矛盾しているのだ。

 ふざけている、とすら言える。けれど、だからといってこれを捨てる気にもなれない、というのがまた始末に負えない。

 あのテーマパークの職員が最後に言ったように、次の舞台はコンクールだ。

 それに対して、『どこまでやれるか』を部員たちを見て冷徹に計算している自分が、心の中にいる。

 途方もない夢を見ながら、同時に現実を見ている自分がいる。

 そんな人間が、どの口で表舞台に立ち、理想を語れというのか。


「本当に自分勝手で怒られるべきなのは、俺なんじゃないかって。表向きは部長として、みんなが希望を持てるような、耳当たりのいいことを言っていますけど――裏では人を、自分の目的を達成するための、モノみたいに考えている部分がある。ものすごいエゴの塊です」


 そんなやつが、これから先の本番をやっていけるのか。

 本音と建前を使い分ければいい、という一般論は分かっている。ここで思い切り遊んで、そんなくだらない悩みなんて頭から吹き飛ばしてしまえばいい、という考え方があるのも分かる。

 けれども、その気持ちは光の中でできてしまった影のように、自分に付きまとっていた。

 こんなものを抱えたまま、明日から他の部員たちとどうやって向き合っていけばいいのか――

 そんなことを考えていたことろに、葵から声をかけられたのだ。

 そして、その当の他校の部長はそんな自分を、ひどく顔を強張らせて見ていた。


「……あ、すみません。なんか、変な話しちゃいましたね」

「……」

「さっきの本番で、がんばりすぎて疲れてるのかもしれません。ごめんなさい、今のは忘れてください」


 やはり、こんな汚い話をこのテーマパークでするのではなかった。

 ここは晴れの場、表の舞台。

 そんなところで、こんなしみったれた話題なんて出さない方がよかったのだ。

 誰に対しても、どこに対しても不誠実極まりない。そういえば、楽譜には誠実に吹けと、あいつには言われてたっけか――と、鍵太郎がもう一人の、同い年の他校の生徒のことを思い出していると。

 葵が、ふいに立ち上がった。


「わ、私は……!」


 そう言って、彼女はフラフラと湖に近寄り――そこにあった手すりを握って。

 そして、大きく息を吸い、振り返る。


「私は、楽しかったですよ! ここに来るまでに、辛いことも嫌なこともたくさんあったけど、それも含めて、すごく楽しかったです!」

「……柳橋さん」

「『楽しい』ってなんだろうって、私この合同バンドが始まってから、ずっと考えてきたんです!」


 そう言って、自分自身を鼓舞するように葵は笑った。

 テーマパークの上に広がる、青く輝く空を見上げ――それを見つめたまま、彼女は大きく息をつく。


「最初は、よく分かりませんでした。みんなみんな好き勝手なことばっかり言って、自分がどうすればいいかもよく分からなかった」


 でも、今は違うんです――と、葵は今度は、こちらを見つめて言う。


「今日、ここに来て色々なものを見て、思いました。そういうものがあるから、こういうところに来て『楽しい』って思えるんだって」


 エゴだとか、ワガママだとか、そういうの関係ないんです。

 誰かが笑ってれば、それで――と、他校の部長はそれこそ、思い切り笑って言ってくる。

 その笑顔は、今日このテーマパークの表と裏を見てきた者だからこそ浮かべられる表情だったろう。

 『いいこと』で塗りつぶされた世界なんて、楽しくない。

 そう言い切る彼女は、今日これまで一緒にやってきた、こちらに向けて言う。


「いいことも、悪いことも。夢も現実も、表も裏もあることなんて、そんなのここにいる人たち、みんな分かってます。けど、それでも一時いっときでも、ここに来て笑ってる。だったら、それでいいじゃないですか」

「……そんな風に考えて、いいんでしょうか?」

「いいんです! というか、私にそれを気づかせてくれた湊さんがそんな顔をしてて、どうするんですか!」


 それじゃあ私のやったことが形無しです、と葵は今度は、困ったように笑った。

 抱えているものがどんなエゴだろうかワガママだろうが、誰かが喜んでくれればそれでいい。

 そう主張する彼女は――いつになく、強い調子で続けてくる。


「じゃあ、こうしましょう。ここはテーマパークです。どんな夢だって叶う――だったらちょっと、冒険しちゃいましょう!」


 それは、こちらを励ますためだったのだろうか。

 陽をを受けて、輝く水面を背に――

 葵はまるで魔法をかけるように、いたずらっぽく笑って言った。


「この場所で、お互いに思いっきりワガママ、言ってみませんか?」

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