第276話 遊園地の裏側(物理)

「なんだ、ここ……」


 窓の外に広がる光景に、湊鍵太郎みなとけんたろうは声をあげた。

 テーマパークに来たと思ったら、そこにあったのは土剥き出しの大地だった。

 何を言っているか分からないと思うが、こちらも何を目にしているのか分からない。しかも前日に雨が降ったせいか、所々に水たまりができている。

 夢の空気など微塵も感じない、泥まみれの空間だ。

 それに鍵太郎が呆然としていると――同い年の越戸こえどゆかりと、越戸こえどみのりが言う。


「あ、これ、あれじゃない? フォクシーランドの新エリア建設予定地」

「そうそう! そういえば、今作ってる途中だって聞いた!」

「そ、そうなのか……?」


 確かによく見てみれば、地面のあちこちに重機などが走った痕跡がある。

 だだっ広い地平の向こうに、実際にショベルカーが動いているのも見えるし――となれば、ここは彼女たちの言う通り、そのうちこのテーマパークの新しいエリアになるのだろう。

 完成すれば以前目にしたような、人々が笑顔で行きかう空間になるはずだ。

 ただ、今は単なる工事現場である。

 初っ端からとんでもないものを見てしまった。しかし、いつまでもショックを受けてはいられない。

 着いた場所はどこにしろ、自分たちはこれからこのテーマパークの中で演奏をするのだ。

 時間もないことだし、もう楽屋に向かわないといけない。気を取り直して荷物を持ち、鍵太郎はバスの外に出た。

 そして楽器を運びながら、みなで不毛の大地を歩いていく。

 本来であれば関係者以外立ち入り禁止の区画だけに、そこからは様々なものが見えた。


「うわ。あれ『ヴォルカン・コースター』の裏側じゃない? ちょうど山のてっぺんから落ちるとこ」

「向こうにあるのは排水施設? 確かにあっちの方には、海を模したアトラクションがあったもんね……」

「あ、あれが係員さんたちの控室だね。なるほど、ちょうど木で隠れて見えないようにしてるんだ」

「やべえ。テーマパークの裏側を見てる感パねえ……」


 部員たちが周りを見ながら口々に、目にしたものを言っていく。

 それを耳に入れつつ鍵太郎は、ダラダラと冷や汗を流していた。前に来たときにも自分は『人を喜ばせる仕組み』を通して、テーマパークの隠された部分を覗いていたことはあるが――今回はその比ではない。

 なにしろ今まさに、その裏側に立ってしまっているのだ。

 普通に園内を回っていたときは、そのエンターテイメントを暴くような行為を無粋だと恥じたものだが、こうして目の前で見てしまうと直視できすぎて、逆に心配になってしまう。

 なんというか、自分の立ち位置がよく分からなくなりそうだった。

 ある意味では、貴重な経験だと言えるのだろうけども。改めて、自分たちはとんでもないことをやっているのだなと鍵太郎が思っていると――


「お」


 同じく、楽器を持っている集団が目に入ってきた。

 リハーサルを行う建物の前で待っていたのは、合同バンドの相手先、薗部そのべ高校のメンバーだった。



###



「話には聞いてましたが、だいぶ一年生が入ったんですねえ」


 こちらの集団を見て、薗部高校の吹奏楽部部長、柳橋葵やなぎはしあおいはそう言った。

 葵には新入生が多く入ったと、既に伝えてある。だが合同練習には、本番に出ない一年生は参加していなかったため、実際に全員を目にするのは初めてなのだ。

 しかし――とは言いつつ、葵のいる薗部高校の吹奏楽部も、かなり部員が増えたように見える。

 新入生の獲得という狙いは、ひとまずお互い達成できたと言えるだろう。この本番を設定した理由のひとつが、テーマパークの雰囲気で部活に人を惹きつけることだったのだ。

 部員が多ければ多いで大変なこともあるが、その分色々な出来事があって飽きない。

 この他校の部長も、そうなのだろうか。鍵太郎が「はい、おかげさまで」と言うと、葵は笑って「はい、うちも本当におかげさまです」と応えてきた。


「すみません、待ちましたか? 時間はほぼ、ぴったりくらいですけど」

「あ、いえ。うちもさっき来たくらいで。二校とも揃いましたし、じゃあ楽屋に入りましょうか」


 そんな余裕をうかがえるやり取りからも、彼女がすっかり部長という役職に馴染んできたように感じられる。

 うん、俺も負けていられないな――と同じく部長として、鍵太郎はうなずいた。「みんなー、忘れ物なーいー? もう楽屋に入るよー?」と全員に呼びかける彼女にならって、こちらもみなに声をかける。

 今日は朝から遠足気分の部員たちに引きずり回されて大変だったけれども、もうここは本番の会場だ。

 気合をいれなければならないと、こちらの学校のトランペットの同い年と、薗部高校のトランペットの部員を見て思う。同じ立場にいる人間というのは、貴重なものだ。

 まあ、彼女たちの場合は和やかに挨拶というより、バチバチと火花を散らし合って笑うという少年マンガ的な関係なのだけれども。

 あれはあれで、もうケンカにならないと思えば見ていて楽しい光景だった。ようやく自分のペースが掴めてきたようで、鍵太郎は葵に感謝しながらリハーサルの会場となる、建物の扉をくぐる。

 係員用準備施設、という名前にも関わらず、その建物は園内にあるのと同じファンシーなものだった。

 到着した場所からして、プレハブ小屋のようなところなのではないかと思っていたが、ここまで来ればそうでもないらしい。

 さすがテーマパーク、スタッフ用といえど楽屋にも手を抜かないということだろうか。そう考えつつ廊下を歩いていくと、途中で着ぐるみの中の人や、何に使うのかよく分からない道具などを見かけて――内装と相まって、これはこれで非日常に思えて、なんだか楽しくなってきた。

 最初はどうなるかと思ったけれど、ようやくテーマパークで演奏できるのだという実感が湧いてくる。

 後ろからついてきている部員たちも、きゃいきゃいとはしゃぎ始めて、だいぶ緊張もほぐれてきたようだ。

 よし、この調子で本番も――と思って、鍵太郎がリハーサル室に入ったとき。


「――遅い」


 その気持ちに氷水をかけるような、冷たい声が飛んできた。


「遅いですね。最低でも十分前には到着していただきませんと、やる気を疑ってしまいます。あなたたちは今日だけとはいえ、ここの園内スタッフなんですよ? それを忘れてしまっては困りますね」

「え、あ、すみません……」


 突然かけられた厳しい言葉に、背筋が伸びるというよか、もはや震え上がる。

 リハーサル室内にいたその声の主は、もちろんこのフォクシーランドのスタッフなのだろう。

 首から名札のついた首掛けネックストラップを下げ、メガネをかけたその細身の女性。

 彼女は遊園地らしからぬ、非常に冷静な態度で――そのまま、こちらに頭を下げてくる。


「申し遅れました。私、本日の舞台のご案内をさせていただきます、泉恭子いずみきょうこと申します。よろしくお願い致します」

「は、はい……よろしく、お願いします」


 そんな風にされたら、そう返すしかない。

 ファンシーな内装にそぐわない、まるで鬼教官のようだった。

 前部長や前副部長と似てはいるがまた違う、感情ではなく論理で攻めてくるタイプの、きつい人といった印象だ。

 そういえば、うちの学校の同い年にもそんな奴がいたな――と鍵太郎が後ろを振り返ると、そのイメージの張本人である、片柳隣花かたやなぎりんかが言う。


「……湊。あの人の言う通り、確かに今日の私たちは浮かれすぎてる。一度しっかり、ネジを締め直した方がいい」

「まあ……言われてみれば、そうなんだよな」


 テーマパークの裏側を見て舞い上がってしまったが、今日の自分たちはあくまで、この遊園地のスタッフといった扱いなのだ。

 楽しむ側ではなく、むしろ人を楽しませる側の人間なのである。

 それをもっと自覚すべきだった。けど、だからってそういう言い方はないじゃないか――と内心では思いつつ、鍵太郎は自分の学校の部員たちに、リハーサルの準備をするように指示を出した。

 指揮者の先生や、それぞれの学校の顧問の先生。

 そしてスタッフの泉は、部屋の隅で挨拶や打ち合わせを始めている。

 大人同士で集まっているからか、それとも泉の表情のおかげか、非常に事務的といった様相だ。

 その様子を見て、どうしようかと思っていると――

 同じく自分の学校の部員に声をかけ終わった葵が、話しかけてくる。


「……なんだか、えらい人に当たっちゃいましたね」

「そうですね。まさか、ああいう人が担当になるとは……」


 テーマパークの係員というのだから、こちらを盛り上げてくれるような、歌のお姉さんのような人が来るのかと思っていた。

 そうでなくても、できればこちらのテンションを下げないような、普通の人が来てほしかった。まあ、ああいった人がいるからこういったテーマパークは、成り立っているのかもしれないけれど――と思わなくもないが。

 プロ意識。

 本番に臨む姿勢。

 それを意識すれば、あの指揮者の先生が朝バスで言っていたように、本番に遅刻してくるなど言語道断なのだろう。

 華やかな舞台の下には、必ず先ほど見たような、泥まみれの空間があって――そんな現実が、夢を支えている。

 けれどもその不毛の大地に、苦いものを何も感じないわけではなかった。

 テーマパークの裏側は、やはりあまり覗き込まない方がよかったのかもしれない。そう思って鍵太郎がため息をつくと、そんなこちらを気遣ってくれたのだろう。

 葵が、苦笑しながら言ってくる。


「まあ……どんな人が担当になっても、私たちのやることは変わりませんし。本番、精一杯がんばりましょうね、湊さん」

「柳橋さん……」


 他校の部長がかけてくれた力強い言葉に、不覚にも涙が出そうになった。

 頼りがいのあるその姿勢を、部長として見習わなければと決意する。どれだけ彼女は、先に行ってしまったのだろうか。

 テーマパークの表と裏でさ迷っていた自分を、葵は再び引き上げてくれたのだ。

 すごい。こんな部長に、俺もなりたい――そう思っていると。

 音出しの準備を始めようとしていた、その他校の部長は「あれ? あれ……あれ!?」と慌てたように声をあげた。

 葵の担当はコントラバスだ。鍵太郎の楽器より大きなそれの、布のケースのポケット部分を彼女はしきりに漁っている。

 一体、どうしたのだろうか。

 そう思ってこちらが、声をかけようとしたとき――


「しゅ、しゅみましぇん、湊さん。ううう浮かれていたのは、わ、私もみひゃいれす……」


 葵は泣きそうな顔で、ゆっくりと振り返った。

 動揺のせいか、口調が昔パニックになったときによくなっていたような、噛み噛みのものになっている。

 それに鍵太郎が、怪訝な顔をすると。


「ま、松脂まつやに……忘れました」


 忘れ物はないか――と部員に訊いていた他校の部長は、ガクガクと震えながらそう言った。

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