第20幕 裏と表の波間にたゆたう
第275話 遠足気分の波乱万丈
『きみの行く道は、僕らにはできないことができる。そんな気がするんだ』――
かつて自分に、そう言ってくれた人がいた。
その他校の生徒が写る写真を、
去年の選抜バンド。
そこで出会って、そして別れた――ひとつ年上で、自分と同じ楽器を吹いていたあの人。
そんな彼が口にした言葉は、今日現実のものになっている。
これから鍵太郎が向かうのは、フォクシーランド――日本有数のテーマパークだ。
そこでこれから自分たちは、演奏することになっている。
あの頃はこんなことになるなんて、そうしようと言い出した自分すら思っていなかった。ただの高校生ができることなんて限られているのは分かっていたし、大それた夢はあっても、それをどうやって実現すればいいかなんて全く知らなかったのだ。
けれど、彼はこちらに、その可能性を見出してくれていた。
その点に関しては、とても感謝している。しかし――
「……すみません、
だからこそあの人には、謝らなければならないことがあって、鍵太郎はそう口にした。
様々な事情を考慮して、ゴールデンウィークにと設定したこの本番であるが――それは彼の学校、富士見が丘高校の定期演奏会の日とまる被りしてしまっていたのだ。
毎年たくさんの人が来て、そして過去は自分も圧倒された、県内屈指の強豪校の演奏会。
なるべくなら、聞きに行きたかったという気持ちはある。参考にというよか、ただ単純に見ていてすごいと思う舞台だというのもあるし――なによりその演奏会は、彼が何を引き換えにしてでも、守りたかったものなのだ。
三年生になった今なら分かる。
「人を傷つけても、なにを犠牲にしても、欲しいものってあるじゃない?」――その言葉を、一概に否定はできない。
自分の中にだってそういった感情はある。
やるかやらないかは別として、最後を目前にして、思うところがないではない。それは認める。
そして、そんなあの人の望み通り――今年のあの演奏会は、多くの人が来てくれるはずなのだ。
支部大会金賞という、華々しい成果を出した以上、それは間違いない。
けれど――ごめんなさい、と鍵太郎はもう一度謝った。
あのときああして別れたように、自分には自分で、行かなければならない場所がある。
なら、こちらはこちらでやるべきことをやるだけだ――そう思って鍵太郎は、写真を置いた。
「……それじゃあ、俺も行きます」
どっちの道が正しかったのかは、分からない。
それは周りの人間が、その時々で判断するものだ。
だけどそこに写るその人は――やっぱり変わらず、こちらを見て、笑っていた。
###
と――そんな風にいい感じで、旅立ってきたはずだったのだが。
「乗れ、浅沼!」
その旅路がいきなり座礁しかけて、鍵太郎は必死で同い年の浅沼涼子に手を伸ばした。
ここは高速道路のサービスエリア――その駐車場の一角だ。
駆け寄ってきた涼子の手を取って、エンジンをかけたままのバスに引き上げる。そのまま扉を閉めてもらって、ゆっくりする暇もないままその場を後にした。
早朝の高速だ。駐車場には、あまり他の車も止まっていない。
そんな中――ぽつん視界に映る、涼子の母親だろう。ここまでこの同い年を送ってきたその人に、せめて会釈だけはしておいた。
急がなくてはならない。予定時刻に間に合うような時間ではあったが、悠長になどはしていられなかった。
部員たちを乗せたバスが、再び高速道路に入っていく。それをへたり込んだまま認識して――
鍵太郎は、涼子に詰め寄った。
「おまえぇぇぇぇぇ!! なんで寝坊なんかしたあああああああ!?」
「あはは、ごめんごめん。昨日なんだか、眠れなくってさ。気が付いたらこんな時間に」
「遠足前日の小学生か、貴様ぁ!?」
朝から大迷惑をかけてくれた同い年の肩を、がくがくと揺さぶる。
集合時間になっても涼子が来ていないと知ったとき、どれほどの焦りと絶望感に襲われたことか。
とりあえず彼女の分の荷物は積んで、連絡を取りつつ――途中のサービスエリアで合流するという手はずにして、なんとか事なきを得たわけだが。
本番の日に三年生が遅れるとか、後輩に対して示しがつかなさすぎた。まあ、その一年生たちもバスの中で、わいわいとお菓子をつつき合っているのだけれども。
旅のしおりなどを作ってしまっただけに、余計にその感が強い。今回の本番は二・三年生のみの出演のため、舞台に乗らない一年生としては、確かに遊びに行くような気持ちなのだろう。
ため息をついて、頭を押さえつつ起き上がる。隣では涼子が外部講師の先生に「浅沼くん、プロの世界はね。リハーサルに間に合わなかったっていうだけで、理由が電車の遅れとかでも、本番に出させてもらえないことがあるんだからね!? 今度からは本当に気をつけようね!? ね!?」と割と本気で説教をされていた。
あの指揮者の先生と同じく、プロを目指す彼女にはぜひとも反省してほしい。こういうのはやらかした本人より、むしろ周りが動揺するのだ。
差し当たっての問題は解決したが――まったく、この調子では、今日一日どうなることやら。
鍵太郎がそう思っていると、今度は二年生の
「……野中さん?」
「……ぜん゛、ぱい」
いつもは引っ込み思案な彼女が、ここまで直接的な行動に出るのは珍しい。
どうしたのだろう、と思っていると――後輩は真っ青な顔で、口元を押さえ言ってくる。
「
「運転手さーん!? 運転手さーん!? 次のサービスエリアで、すみませんがもう一度休憩お願いしまーす!?」
遠足名物、バスで吐きそうな子を目の前にして、鍵太郎は再び必死で運転手に呼びかけた。
###
「よし、なんとか着いたぞ」
「本当ですか……? 俺たちは無事ですか……?」
顧問の先生の声に、ぐったりとしていた身体を持ち上げる。
あれから恵那のことを介抱したり、楽譜を忘れたと言い出す部員がいたり、ふざけてポッキーゲームを仕掛けてきたりするギャルの一年生をかわしたり。
そんなことをしているうちに――それでもなんとか、現地には着いたらしい。
時計を見れば、時間にはギリギリ間に合っている。
朝からひどい目にあった。遠足の引率をする先生って、毎回こんな調子なのだろうかと顧問の先生を見れば、さすがに少し顔が引きつっている。
歴戦の猛者といえども、やはり今回のは冷や汗ものだったらしい。そうだよね、いくらなんでも今日のは波乱万丈すぎだよね――と思って、まがりなりにも教員を目指す者として、先生のその顔は記憶に刻んでおくことにした。
最初から胃が持たれそうなくらい色々あったけれども、これからが本番だ。
あとは楽器を持って、一緒に演奏する学校の人たちと合流して、音出しをして――と、今日の予定を確認し、窓の外を見れば。
「……ここ、どこですか!?」
そこに予想外の光景が広がっていて、鍵太郎は思わず叫び声をあげた。
無事に着いた、と思っていたのだが――
バスが止まったのは、テーマパークという単語のイメージとはかけ離れた、土むき出しの荒野だったのだ。
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