第273話 巡り巡って貴方に届け

『みなさん、こんにちは! 川連第二高校吹奏楽部です!』


 会場に、顧問の先生の声が響き渡る。

 それを湊鍵太郎みなとけんたろうは、座って自分の席で聞いていた。

 抱えた楽器を、近くにいる部員たちにぶつからないよう持ち直す。今日は老人ホームでの慰問演奏。三年生になって初めての本番だ。

 演歌に民謡、時代劇に唱歌と、演奏する曲は完全にその年齢層に向けたものとなっている。

 高校生にとっては縁の薄いそれらだが、一応は動画などを見て勉強してきた。

 というか、先生がそうしろというので全曲見てきた。そうすると不思議なもので、曲の雰囲気が少し変わるのだ。

 そういえば一年生のときも、自分は他の同い年たちと一緒にそうしたものだった。

 あのときは、部長になるなんて思いもしなかったけれども。

 それでも、やっていることは以前とそんなに変わっていない。顧問の先生が挨拶を終え、こちらに向き直る。それに応えるように楽器を構えて、鍵太郎は指揮棒が振り下ろされるのを待った。


 息を吸って。

 音を出す。


 天井が低いので、吹いた音が全力でそのまま跳ね返ってきた。だが、これはオープニング――多少派手な方がいいだろう。

 そう考えていたら先生が指揮を振りながらニヤリと笑ったのが見えて、これでいいのだと確信した。張り切ってやると言っていた通り、その棒には普段にも増して熱がこもっているように見える。

 ほんの僅かな溜めに、全開で楔となる音を打ち込んでいく。

 本番のせいか研ぎ澄まされた感覚の中で、そのリズムがやけにはっきりと聞き取れた。

 この先生独特の、微妙に訛りのあるテンポ。今やっているのは演歌なので、それが上手くはまっているように思える。

 こういうのをコブシ、というのだろうか。それを入れつつ鍵太郎は、次に来るメロディーのためにふっと音量を下げた。

 爆熱するような嵐が収まり、現れたのは静かな景色だった。『津軽海峡冬景色』。その割には若干温度が高い気がするが、そこはテンションの高い部員たちがやっているので勘弁してほしいと思う。

 代わりにビートにちょっと引っ掛けを入れて、そのままコブシを作り雰囲気を出していく。

 するとそこにバスクラリネットの同い年がついてきて、それと一緒に曲を進めていった。こういった微妙な緩急を研究していた彼女は、ここにきてなんとなく、その感じを掴んできたらしい。

 先ほど見たお菓子のことを思い出す。寿ことぶきで甘い、ピンク色の食べ物。

 この間旅のしおりを作ったときも、この同い年はその寿という単語を入れていた。それと演奏の温度が相まって、彼女の音はまるで桜の花びらのように思える。

 雪の代わりに舞う、春の証。

 この同い年についていたかもしれない、花の名前。曲の感じとは合っていないかもしれないけれど、それでも最初からしんみりするよりはいい。

 これで終わりかもしれないけれど、春はまたやってくる。

 それが分かった以上、こちらも沈んでなんかいられないのだ。そう思って、鍵太郎はサビの部分でもう一度波を弾けさせるように、大きな音を出した。

 白い飛沫があがって、その中からヒラヒラと蝶のようにフルートの音が聞こえてくる。そう、季節が巡るとしたら次は夏で――

 今度はあの夏祭りで出会った、一年生の横笛吹きの出番だった。



###



 今年は一年生が大量に入ったため、舞台上は例年にも増してぎゅうぎゅう詰めだ。

 本番のせいか体温も上がっているらしく、こちらは既に汗だくである。そしてそんな常夏のような状況で出てきたのは、もちろん最初に会ったとき目を疑った、あの新入生だった。

 今だってその格好に、汗のせいもあるだろうがメガネがずり落ちそうになる。和太鼓を借りてきたのは知っていたが、まさか法被はっぴとねじりはちまきまで用意してきたとは思っていなかった。

 まさに彼女を最初に見かけた、あのときの格好のままだ。

 さすがにばっちりメイクまではしてきていないけれども、その奔放さにこれからどう彼女と付き合っていけばいいのかと、吹きながら心の中で鍵太郎は頭を抱えた。

 そこは彼女と一緒にお囃子をやっている、あの打楽器の双子姉妹と相談すればいいのかもしれないけれど、同い年の彼女たちも彼女たちで楽しそうに太鼓を叩いているため、今のところは頼りになりそうもない。

 ええい、ままよ――と思いつつ、そのまま吹き進める。

 とりあえず、今の本番はそれでいいのだ。これからのことはこれから考えればいい。

 この『八木節』は、盆踊りの音頭だ。

 あの一年生と出会った夏祭りのように、騒々しくやればいいのである。と――そう思ったら自分をその場所に連れて行った、トロンボーンの同い年の音が耳に入ってきた。

 彼女のように後先考えず、やりたい方向に走っていってしまうのもどうかと思うけれど、それでもあのときあの祭りに連れていかれたのは、よかったと思っているのだ。

 部長になることが怖くて、どこにも動けなくなりそうで――そんな自分を外に引っ張り出してくれたあのアホの子には、絶対に言わないけど感謝している。

 癖のありすぎるメンバーに囲まれて、なんだかんだありつつここまでやってきた。

 だったら、これからもなんとかなる。

 というか、そう思わないとやっていられない。太いバチと一緒に跳ねまわりながら、鍵太郎はちらりと、トランペットの同い年の方を見た。

 人が多すぎてその姿を確認できないが、これから彼女のソロがある。

 緊張しているだろうか。

 それとも、そんなことを考える暇もないだろうか。

 一年生のときは突っ走って、この前はつんのめって――三度目の正直、と思っているかもしれない。

 なんにせよ、あの同い年の心中を察することはできない。やれるのはせいぜい二年前のあのときのように、応援することだけだ。

 遠くから寄せては返す波のようちらつく、その思い出の彼方から。

 それを突き破って――彼女は。


 ここにいる全ての人に聞こえるような音で、大きく吹き始めた。


 そのあまりにも通る音に、むしろこっちの方が驚く。動揺のあまり、もう一度そちらを見てしまったくらいだ。

 けれど、そうこうしている時間はない。

 慌てて楽器に口をつけ、無我夢中で吹き始める。一体何があったのだろうか。そう思うが詮索している余裕もない。

 まるで一年生のあの頃のように、目の前にある音符をとにかく出していくしかなかった。

 あふれ出るメロディーに、力強い和太鼓。

 それと共に必死に息を送り込み、指を動かす。あのときとはまた状況が違うけれど、やっていることは同じだった。

 周囲に引きずり回されながらも、ようやっとついていく。そうして出した音は、ひょっとしたらお世辞にも綺麗とはいえなかったかもしれないけれど――今は、それを振り返る時間すら惜しい。

 お祭り騒ぎの舞台の上で、屋台を駆け抜けるようにひたすらに突っ走っていく。

 音が重なって、また離れて――

 そうしていくうちに、気が付いたら最初のフレーズに戻っていた。

 そこまで来て、ようやく少しだけ考えられるくらいにはなってきた。同い年のあの吹きっぷりに関しては、色々理由はあるかもしれない。

 例えば、今日は演奏の人数が多いため、トランペットやトロンボーンなどの後列の部員たちは立って吹いている。

 いつもより高さが出ている形だ。だから余計に、全員の頭上を越えて音が飛んでいっていったのかもしれなくて――あとはなんだろう。分からない。

 けれど、ともかく今のはとてもよかった。

 さっき何があったのかは、この本番が終わったら直接あの同い年に訊いてみよう。そう思って、鍵太郎が倒れこむようにして曲の最後の音を出し、客席を見たとき。


 車椅子に座っている人が、笑顔で拍手をしているのが目に入ってきた。

 キクさんだった。

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