第271話 それぞれのふるさと

 『ふるさと』という曲のタイトルを見て思い出す。

 あの美しき故郷ふるさとのことを。

 忘れられない、あの人のことを。



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「にしても、みんな元気よく吹きすぎだと思うんだよね……」


 今月末の慰問演奏に向けた、合奏が終わった後。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、先ほどの練習を思い出してそう言った。

 今度の老人ホームの本番では、唱歌として『ふるさと』をやることになっている。

 しかし曲の感じに対して、さっきの演奏は明るすぎると思うのだ。新入生も段々と部活に馴染んできて、音も出てきたせいか余計にそう感じられた。

 すると鍵太郎のつぶやきを聞きつけたのか、一年生の大月芽衣おおつきめいが言う。


「……しんみりやったら、おじいちゃんおばあちゃん泣いちゃうんじゃないですか」

「まあ、そうなんだけどさ」


 後輩のもっともな意見に、うなずく。確かにああいったところでこの曲をやると、場合によっては号泣する人が出かねない。

 だとすると明るめの調子でやった方がいいのだろうが、どうにも塩梅が難しかった。鍵太郎がうんうん唸っていると、その様子を見て芽衣が半眼で訊いてくる。


「そんなに違うっていうなら、先輩のこの曲に対するイメージを教えてください。先輩にとっての『ふるさと』って、一体どんなものなんですか」

「……それは。やっぱり、安心できるところ、ってイメージだけど」


 とは言いつつ――真っ先に思い浮かんだのはやはり、卒業した同じ楽器の先輩のことだった。

 この曲をやると、どうしてもあの人のことが出てきてしまうのだ。

 名前がそのまま、というのもある。美しき故郷――もう遠く離れてしまったその人のことを考えると、どこか感傷的な気持ちになってしまうのは事実だった。

 それが演奏にあたって、自分の音に影響してきている。

 おじいちゃんおばあちゃんの前に、こっちが泣いてしまうんじゃないかという勢いだ。

 あの人は、今どこで何をしているだろうか。

 元気でやっているだろうか――そんな風にぼんやり思っていると。


「――先輩。先輩?」

「――あ」


 芽衣が呼びかけてきて、鍵太郎ははっと我に返った。

 どうやら考え事に没頭しすぎて、目の前のことがおろそかになっていたらしい。

 無視されたと思ったのか、後輩はさらに眉を寄せ、こちらに対して言ってくる。


「……先輩は、たまにどこか、遠くを見ていることがありますね」

「……そう?」


 そんな素振りを見せたつもりはなかったのだが、この一年生にとってはそうでもなかったらしい。

 やはり隣にいると分かってしまうのか、それともこの後輩が、こちらのことをよく見ていたからなのか――判断できずにいると、芽衣はさらに続ける。


「そうです。なんだかそのまま、フラフラどこかに行ってしまいそうな気がします。危なっかしいというか……というか、なんですか。なんで私が、先輩のことを心配しなくちゃならないんですか」

「あ、うん……ごめん」


 唇を尖らせてむくれる後輩に、謝るしかない。

 三年生でかつ部長なのに、一年生に気遣われているのだ。立つ瀬がないというか決まりが悪いというか、とにかく先輩として今のはまずかった。

 そう、今の自分は三年生であり部長であり、この子にとっての先輩なのだ。

 そのことを改めて思い出していると、芽衣は言う。


「……この前、一緒に上手くなれるよう考えようって、先輩は言いました。だったら、私のことを置いていかないでください」

「大丈夫だよ。置いてなんかいかない。そこは、約束する」


 一年生を不安にさせてしまったことに、鍵太郎は苦笑いしつつ、そう口にした。

 あの人のことは忘れられないし、いつかまた会いたいという気持ちもあるのだけれど。

 まだ『そっち側』に行ってしまうには、あまりに早すぎる。

 故郷は、遠くにあるから故郷で。

 それを想うからこそ、今ここでがんばろうという気持ちになれるのだ。そうか、そういう気持ちでこの曲は吹けばいいのかな――などと。

 多少は現実に近くなってきた思考で鍵太郎が考えていると、芽衣が言う。


「……まったく、先輩は案外と志向が暗いです。だから陰キャだって言われるんですよ」

「え、待って。ちょっと待って。それ大月さん、赤坂さんに聞いた?」


 そこでこの後輩と同じ、しかし性格的には正反対であろう一年生の言っていた単語が出てきて、鍵太郎は驚きの声をあげた。

 真面目そのものといった芽衣と、あの派手派手しいギャルの間で、会話が成立するのだろうか。

 別の意味で心配になっていると、後輩はなんでもないことのように首を傾げて言ってくる。


「はい。なんか、『友達になろー!』って言われたので、そのまま友達になりました」

「器が大きい!? なんだろう意外と後輩たちの方がコミュ力高い!? 自分で自分の性格の暗さが分かる!?」

「彼女、今度の慰問演奏で付け爪してこようかなって言ってたんですけど、さすがにそれは止めておきましたよ」

「ありがとう! そこは本当に、ありがとう!?」


 果たして、付け爪をつけて横笛を吹けるのかという疑問はあったが、とりあえず止めてくれて助かった。

 ひょっとして、やたら曲調が明るく聞こえたのはあの後輩のせいだろうか。

 自分も自分で暗いと思うが、あの一年生も明るすぎる。

 いろんな意味で、塩梅が難しすぎだ。鍵太郎が頭を抱えていると、芽衣は淡々とした口調で言う。


「……普通に吹けばいいと思いますよ」


 私にとっては、ここが故郷なんですから――と言う一年生に。

 むしろこちらが置いていかれたようで、なんだか複雑な気分になる鍵太郎だった。

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