第270話 色々な親切が詰まったありがたい何か
「これは……!」
数枚の紙をホチキスで留めた冊子の表紙には、『フォクシーランド・旅のしおり』と記されている。
そして――
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「で、イメージ的にはあれか。修学旅行のしおりだっけか」
そのしおりを作る、話し合いで。
鍵太郎は同い年たちにそう言った。
今度のテーマパークでの演奏は、一日がかりの大きな本番になる。
そのため、部員全員に配るタイムスケジュール表を作らねばならない。そして、どうせならもっと凝ったものにして、イベント気分を味わおうという話になったのだ。
つまりは、旅のしおりを作ろう会議である。
一応部長として、鍵太郎は議長を務めようと紙とシャープペンシルを持っていた。既に手元の紙には、『この日を思い切り楽しむこと』『みんな仲良く』など、先ほど出た話を書き留めてある。
まさに、修学旅行のしおりの最初にあるようなことだ。あとは、どんなことを書けばいいんだったっけ――と鍵太郎が考えていると、同い年の
「そうだね、修学旅行のしおり。当日の日程に、持ち物リスト。あとはさっき言ってたみたいに、目的? というか、注意事項というか。そういうのを書ければいいんじゃないかと思うよ」
「ふむふむ」
咲耶の意見を、そのまま紙に書き込んでいく。
相変わらず、自分でも分かるくらい汚い字ではあるが、別にこれがそのまましおりに載るわけではないのでこれでいいだろう。
大体の原稿が手書きでもできれば、あとはそこにいる双子姉妹が、活字に直してくれるだろう――たぶん。というか、そうしてもらわないと読みにくいと思うので切にそうしてほしい。
今回のこのしおりは、自分たちだけではなく、今年入った何も知らない一年生にも配るものなのだ。
となると、そういった後輩たちにも通じるような内容にしないといけない。今年はこのテーマパークの本番があるおかげか、一年生の入部が非常に多かったのでなおさらだ。
こういった舞台に慣れていない新入生にも、分かりやすいようなものを作りたい。というか今年の一年生、多すぎてまだ全員の顔と名前が一致してないんだよな、どうしようかな――と、鍵太郎が考えていると。
同じく三年生の、
「ねえねえ、みんな何やってるの?」
「お、いいところに来たな、浅沼」
首を傾げてポニーテールを揺らす涼子に、また面白いのがやって来たぞと思う。
この同い年は自分たちの代の中でも、かなりの確率で予想もつかない行動をするタチだ。
彼女なら、この面子では思いつかなかった、さらにいいアイデアを出してくれるのではないか。そう考えて鍵太郎が事情を説明すると、涼子は「うーんと」と少し考え、やがてぱっと顔を輝かせて言ってきた。
「スタンプを押すスペースが欲しい!」
「スタンプ?」
「そう! 園内にある、キャラクターのスタンプ!」
「お、なるほどな」
同い年の発案に、うなずく。様々なテーマパークの例に漏れず、あの遊園地にもそういったキャラクターのスタンプを押せる場所がいくつかあったはずだ。
本番の後に遊べることを考えると、そういう遊びも入れておいた方が楽しいだろう。そう思って鍵太郎は、メモに『園のスタンプを押せるページを作る』と書き込む。
他の面々からも「お、いいねそれ!」「そうね、そういうのもアリかも」などと声があがり、いい感じに話が進みそうな雰囲気になってきた。
あとは顧問の先生に当日の予定を聞いて、それを埋め込めばだいぶ完成に近づくだろう。そう思って、ナイスアイデアを出した涼子に言う。
「ん。ありがとな浅沼。おかげで、みんな盛り上がってきた」
「えへへー、それほどでも」
「……おまえ当日、スタンプ目当てに走り回って、園内で迷子になるなよな?」
照れる涼子に釘を刺して、念のため注意事項のところに『一人で行動せずに、何人かでまとまって行動すること』、『迷子になったらすぐ連絡』と書き加える。高校生にもなって園内放送で呼び出しなどされたら、もう目も当てられない。
新一年生はまだ誰に頼っていいか分からないと思うので、緊急連絡先として、自分と先生の携帯の番号も載せることにして――これで、だいぶ内容は固まってきただろうか。
もうそろそろ、いったんまとめに入ってもいい頃合いかもしれない。だいぶ書き込みの増えたメモを見つつ、鍵太郎がそう考えていると、同じものを見て咲耶が言う。
「当日のタイムスケジュール、持ち物チェックリスト、注意事項にスタンプ欄か……意外と、結構なページ数になりそうだね。目次とかも付けた方がいいかな?」
「おお、さすが宝木さん。そうだね、その方が親切かもね」
「そうすると、下にページ数も書かないとね。四ページ目は不吉だから、『
「……すごいぞ。これはいろんな意味で、とんでもないものが出来上がるかもしれん……」
親切心があふれすぎて、もはや別次元のものになりつつある。
咲耶の意見も書き込んで、しおり作りはいよいよ詰めの段階に入ってきた。あとは、何かあるだろうか――そう考えたときに。
「あ」
ふと、肝心なものが抜けていたことに気づいて、鍵太郎は声をあげた。
すっかり忘れていた、しおりといえばこれは必ずあるものだ。基本中の基本すぎて忘れていた。
そして、上手くすれば――
後でこの件については、当日の日程と一緒に顧問の先生に訊いてみよう。そう思って、鍵太郎はメモ用紙に自分のアイデアを書き込んだ。
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「しおり?」
と――事のいきさつを説明すると。
顧問の先生は、初めに自分がこの話を聞いたときとおそらく同じ、きょとんとした顔をした。
それはそうだろう。普通、生徒が旅のしおりを作ったりはしない。
けれども、今回はそんな普通じゃない、愉快すぎるメンバーが集まってしまったからしょうがないのだ。
そう思って、部員たちの顔を思い浮かべながら鍵太郎は言う。
「はい。どうせ行くんだったら、そういうものを作った方が楽しいだろって話になりまして。あとは当日の予定さえ入れちゃえば、完成かなっていう段階まで来ています」
「まあ……そういうことなら、いいけどよ」
あくまで、この先生の負担を減らすためにやった――とは言わないつもりだったのだが。
それでも、ショックが抜けるにつれて段々と読めてきてしまったのだろう。先生は「あー」と言って、困ったような嬉しいような、複雑な表情を浮かべた。
「分かった分かった。そういうことなら、ありがたく頼んでおくよ。じゃ、これ。当日のタイムスケジュールな」
「ありがとうございます」
既に作りかけていたらしいその予定表を、こちらも苦笑いで受け取る。
察しがついても触れてこない辺りが、この先生の優しさであり、気遣いなのだろう。
だからこうして、作業を手伝う気になったのだが。
そう思いつつ鍵太郎は、もう一つの要件を先生に切り出す。
「ところで――先生。生徒の名前と顔を覚えるときって、どうしてます?」
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そして、出来上がったしおりを前に。
「ごめんね、野中さん。手伝わせちゃって」
鍵太郎は自身も手を動かしながら、二年生の
恵那がやっているのは、印刷し終わったしおりのページを折り、ホチキスでまとめる作業だ。
こちらは鶴も折れないくらい不器用なので、こういったことが得意な彼女が手伝ってくれるのは非常にありがたい。
後輩の手によって、紙束がどんどん製本されていく。そのスピードとは裏腹に、恵那の口調はいつも通り、控えめなものだった。
「い、いえ。というか、こういうものを作るなら、私にも声をかけてもらってよかったのに……。言ってくれれば、表紙でも何でも、描きましたよ?」
「あー、そうか。野中さん絵も描けたんだっけ」
そういえば、新入生勧誘のための看板は、彼女が描いたのだ。
自分より圧倒的に多芸な後輩に、恐れ入る。もし、またこういったものを作る機会があれば、その時はぜひ恵那にも協力してほしい。
そんなことを考えていると、後輩がこちらの手元を覗き込んでくる。
「ところで先輩は、何をしてるんですか?」
「名前を書いてる」
恵那の質問に、鍵太郎はしおりに
先日、顧問の先生に訊いた際の答えがこれだ。「名前と顔は、書いて覚える」。新入部員の全員をまだ把握しきれていない自分にとって、これは大切な作業だった。
楽器名と一緒に、新一年生の顔を思い出しながら、名前を書いていく。そうすると、自分の中でその後輩の印象が、一気に固まっていくから不思議だ。
「俺は字も汚いし、野中さんみたいに絵を描くこともできないけれどさ。せめてこうすれば、新入生に少しは誠意を尽くせるのかなと思って」
部長とは言いつつ、自分には他の部員たちのような発想力もないし、綺麗に紙を折れるわけでもない。
けれども、それでもやれることがあるとすれば、それは後輩の顔をしっかりと覚えることだと思った。
それが先輩として、最低限の義務だろう。そう、しおりには名前を書かなければならないのだ――これを作る話し合いで、
基本中の基本。
しかしそれだけに、見落としがちなこと。
いかにも、基礎練じみた楽譜を吹く、低音楽器の人間の発想だよな――と鍵太郎が苦笑しつつ、なるべく丁寧に新入生の名前を書いていると。
恵那が言う。
「……そうですか。今年の一年生は、緊急連絡先だと称して、労せずして先輩の連絡先を入手した上に、さらに名前まで書いてもらえるんですか。ずるいです。私なんて、それを知るためにあんなに勇気を振り絞ったのに……」
「『みんな仲良く』!?」
黒いオーラをまとい、ぐわっしゃコン! とホチキス留めをする後輩に、鍵太郎はしおりに書かれた一文を叫んだ。
結局恵那は、こちらが彼女の分のしおりにも名前を書くことで納得してくれた。
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そんなわけで。
「これは……!」
鍵太郎から渡されたそれに、一年生の大月芽衣は目を見開いた。
数枚の紙をホチキスで留めた冊子の表紙には、『フォクシーランド・旅のしおり』と記されている。
そして――裏表紙には、『Tuba おおつき めい』というこちらの手書きの文字があった。
改めて見返すと、自分でも呆れるくらい汚い字ではある。
しかしそれでも、何も書かないよりはマシなはずだった。おかげで、一年生の顔と名前はだいぶ一致してきたのだ。
これでなんとか、先輩としての務めは果たせただろうか。そう思いつつ鍵太郎が、パラパラとしおりをめくる後輩を見ていると。
ふと、芽衣はあるページで手を止める。
「……先輩。どうして四ページ目の下に『寿』って書いてあるんですか?」
「……行き過ぎた親切心の結果です」
「あと、この空白スペースは何ですか……?」
「園内のスタンプを自由に押してもらう場所として、何ページか作ったんだけど……」
「……
新一年生の的確なツッコミに、こちらとしてはぐうの音も出ない。
全員の意見を盛り込んだ結果、色々な要素が混ざり合ってありがたい何かが出来上がってしまった。
まあ、最終的な監修は顧問の先生がきっちりやってくれたので、問題はないはずだが。自分の字もどうかと思うが、何だかんだいってこう見ると、他の同い年たちもだいぶやらかしている。
ノリで作ってしまった部分もあるだけに、こうやって冷静に指摘されると、ちょっと恥ずかしくなってきた。
鍵太郎が額を押さえていると、そのままページをめくっていた芽衣は、やがてしおりを閉じて言う。
「……でも、嬉しいです。なんだか私も、ようやくこの部活の一員になれた気がして」
そして後輩は、自分の名前の書かれた裏表紙を見て、顔をほころばせた。
そういえば、彼女がこんな風に笑ったところを、初めて見た気がする。ということは――想定外のもろもろがあったとはいえ。
こうしてそれぞれが心を込めてしおりを作ったことは、きっと正解だったのだろう。
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