第269話 この日を思いきり楽しむこと

「……そっか。先生、次が最後の指揮なのよね」


 湊鍵太郎みなとけんたろうが事のあらましを説明し終えると、同い年の千渡光莉せんどひかりが小さくそう言った。

 三年生になって、自分たちにとっては様々な本番が最後になる。

 それは分かっていたが――今度の慰問演奏がもう既に、顧問の先生が指揮を振る、その最後の本番なのだ。

 そこからは、外部講師の先生が後を引き継ぐことになる。まさか最初から、こんな風に終わりを突き付けられるとは思わなかった。

 心の準備ができていない。鍵太郎と光莉が沈黙していると、近くにいた同じく三年生の宝木咲耶たからぎさくやが言う。


「そうだねえ。できれば何か、感謝の気持ちを表したいところだけど。贈り物……っていうのも、別にこれで部活からいなくなるわけじゃないから、何か変だし。どうしようかな?」

「二年生や一年生にとっては、これで最後なわけじゃないしなあ。大っぴらに何かやるのも、ちょっと考えちゃうんだよな」


 首をひねる咲耶に、鍵太郎はうなずいた。咲耶の言う通り、顧問の先生には何かしらの気持ちを送りたいところではあるが、付き合い自体はそのまま続いていくのである。

 ここで一区切り――としてしまうのも、それはそれで違和感があった。

 それに自分たち三年生にとっては最後の機会でも、後輩たちにとってはそうではない。

 となると、大々的に部活全体で何かをやるのも気が引ける。かといって、何もやらないのもどうかと思うし――と鍵太郎がうんうん唸っていると。

 光莉がため息をついて言う。


「ま、とにかく。肝心なのは本番の演奏で応えられるかどうかでしょ。せっかく先生が気合い入れて指揮を振るって言ってくれたんだから、私たちもそうすればいい。何かを贈るのもいいけど、とりあえず、まずはそれじゃない?」

「うん……そうだよな」


 いかにも副部長である光莉らしい意見に、納得せざるを得ない。

 未だぬぐえないモヤモヤはあるものの、彼女の意見は正論だ。演奏をしに行く以上、演奏で応える――というのは、まず一番に押さえておくべき部分だろう。

 けれど、それじゃ足りないんだよな――と鍵太郎が他に何かないかを考えていると、光莉は続ける。


「そうすると、さっきあんたが言ってたアレかしら。先生の指揮には独特の訛りがある、ってやつ。言われてみれば、本町先生は微妙に拍子に溜めを作ったりするし、そういうのに乗っていければいいかもしれないわね」

「ああ、あれだね。前に湊くんが言ってた『いやらしく吹く』って、そういうことなのかもしれないね」

「……あんた、宝木さんに何言ったの?」

「誤解だ!?」


 真面目なことを言っていたはずなのに、急に光莉が凄まじく鋭い視線を向けてきたので、鍵太郎は悲鳴をあげた。

 確かに以前、咲耶にもっと緩急をつけて吹いてくれと言いはしたが、それは決していかがわしい意味で言ったのではない。

 言葉の綾というやつで、今そこで、こちらの首を絞めそうな勢いで迫ってくる光莉が考えているようなことでは、断じてないのである。

 と――そんな風にぎゃあぎゃあやっていたからだろう。

 騒ぎを聞きつけて、越戸こえどゆかりと越戸こえどみのりの二人がやってきた。


「ねえねえ、何してんの?」

「何やってるの?」

「ちょうどよかったおまえら!? ちょっと手を貸してくれないか!?」


 渡りに船とばかりに、光莉の魔の手から逃げ回りつつ、双子姉妹に助けを求める。

 これは副部長の制裁を回避するという意味ももちろんあったが、本当の狙いはそこではない。

 先生に対して何かしてあげたい、そちらの方のアイデアが欲しいのだ。

 この二人は自分たちとは発想力が違うし、こちらの思いつかなかったような案を出してくれるかもしれない。

 そう考えて鍵太郎が事情を話すと、ゆかりとみのりはふんふん、とうなずいて言う。


「なるほどねー。確かにそれは、先生に何かしてあげたい」

「けど今回の本番においては、一生懸命演奏をするしかない。となると」

「お、なんだ。何かいい考えがあるのか」


 何かを思いついた風の二人に、鍵太郎は目を輝かせた。

 さすが、人を楽しませることに全力を傾けているような連中は違う。やはり彼女たちに訊いてみてよかった。

 そう思っていると――ゆかりとみのりは顔を見合わせうなずいた後、声をそろえて言ってくる。


『しおりを作ろう』



###



『しおり?』


 双子姉妹の提案から一拍置いて。

 鍵太郎、光莉、咲耶の三人はおうむ返しにそう言った。

 ゆかりとみのりには、こちらの思いつかないような案を出してくれると期待して、声をかけたわけだが。

 あまりにその提案が予想外すぎて、理解がまるで追い付かなかった。ぽかんとしていると、発案者の二人はもう一度うなずいて、説明を始める。


「そう、フォクシーランド、旅のしおりです」

「当日の日程表とか、先生が作るんでしょ。だったらその作業を、わたしたちで肩代わりできないかって思って」

「あー……なるほど?」


 ゆかりとみのりの言葉に、ようやく意図が掴めてきて、鍵太郎は声をあげた。

 フォクシーランドでの演奏――つまり、件の慰問演奏のひとつ後の本番は、一日がかりかつ遠方の行事になるため、日程表が必須となる。

 他校との合同バンド、さらにこれまでやったことのない初の行事であることからしても、それを作るだけで意外と大変な作業かもしれない。

 それをこちらで作るとなれば、先生の負担が減るのではないか。

 さながら、母の日に家事全般を子どもたちでやるような言い分ではあるが、それでも何もやらないよりはマシなのだろう。

 少なくとも、先生ひとりでやるより自分たち三年生が集まって作った方が、煩わしさは分散されるはずだ。そう考えれば突飛なようでいて、意外とマトモな話なのかもしれない。

 するとその辺りのイメージが段々と湧いてきたのか、光莉と咲耶も言う。


「つまり……修学旅行のしおりみたいなのを作ろうってことよね?」

「当日のスケジュールは先生に訊いて、注意事項とか、持ち物リストとかも載せて……あらかた作ったら、最後にチェックをしてもらうだけ、みたいにする感じかな?」

「そうそれ! だってスケジュールだけ書いた紙っぺら一枚渡されたって、つまんないじゃん?」

「だったら自分たちで、こういうのあったらなー、ってもの作った方がテンション上がるじゃん?」

「結局それが本音なのか、おまえら……」


 ゆかりとみのりのセリフに、こちらとしては呆れた眼差しを向けるしかないのだが。

 しかし実際、彼女たちが言い出さなければ、これはプリント一枚で済まされていた話なのだろう。

 あの顧問の先生も、そういったところにまで手間をかける余裕はないはずだ。だったら自分たちの理想のものを作って、かつ先生の負担も減らして――というのは、お互いにとって嬉しい展開になる。

 ワガママなようでいて、案外と収まるべきところには収まっているのだ。

 これは確かに、俺じゃ思いつかなかったやり方だよな――と鍵太郎が苦笑していると、ゆかりとみのりが言う。


「だってさー、最後だからって辛気臭くなったってしょうがないじゃん!」

「だったら、自分たちで盛り上げて、思いっきり楽しむこと! 湊、これしおりの一番最初に書いてね!」

「ああ……そうだな」


 いかに、最後を目前としていても。

 だからといってそれで深刻になる必要など、どこにもないのだろう。

 むしろ二人の言うように、積極的に楽しんでいった方がいい。そう思って鍵太郎は、しおりに『この日を思い切り楽しむこと』と書くことにした。

 いつの間にか心のモヤモヤも晴れていて、さてどんなものを作ってやろうか、と思う。

 演奏も演奏で大事だけれど、こういうところも忘れてはならない。どうせなら、部員たちがその本番にワクワクして行けるようになれるものがいいのだけれども――などと、他に何を書こうかと考えていると。

 ゆかりとみのりが言う。


「そういえばさ、さっき何をあんなに騒いでたの?」

「なんか湊が、すごく必死な顔をしてたけど」

「あ、あれはね。『いやらしく吹く』ってどういうことかなって、話してたんだ」

「……そういえばその話、誰かさんのせいでうやむやになりかけてたわよね?」

「誤解だ!?」


 再び光莉から刃のような視線を向けられて、魂の叫びが出る。

 しおり作りに向けて他の面子が、どうしようかと盛り上がる中で――

 鍵太郎は副部長に追いつめられながら、『みんな仲良く』と書き加えることを心に決めた。

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