第251話 素直なきもち
どうしようもない先輩だと思うと同時に、尊敬してもいる。
ひねくれているけど、それがあの人たちに対する、素直な気持ちだった。
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「……ってそのことを、こんな風に率直には言えないんだよなあ」
今度の卒業式で吹く曲の歌詞を見ながら、
『主よ、人の望みの喜びよ』というその曲は、賛美歌ということでもちろん、『かみさま』を讃える言葉が並んでいる。
曰く、彼の人は私の喜びだとか、太陽だとか。
だがそれをそのまま卒業するあの人たちに伝えるのは、鍵太郎にとってどうしても抵抗があった。
「こういうのとは、なんか違うんだよな……」
ここまで面と向かってそんな感謝の言葉を述べるには、彼女たちはあまりにも傍若無人すぎていて。
これまでの仕打ちを考えると、そんなものより先に、よくもやってくれたなという憎まれ口の方が先に出てきてしまうのだ。
まあ調べたおかげで、曲については大体理解できたのが――
だからこそ余計にどうしたものかと、渋い顔で携帯を眺めていると、横から
「何? 何か調べ物?」
「千渡」
と、そこでふと。
鍵太郎は光莉と同じ楽器のあの地味な先輩に、似たようなことを訊かれたのを思い出した。
そういえばあのときも自分はこうして、曲の中に答えを見出そうとしていたのだった。
今となっては懐かしい思い出だ。そう思いつつ、この同い年にも先輩たちのことを訊いてみる。
「なあ千渡。おまえ、
「は? あんたまさか、今年も何書くか迷ってるわけ?」
「うん、まあ、迷ってるっていうか……小っ恥ずかしいんだよ、本音を書くのが」
途端に呆れた顔をする光莉に、頬をかいて目を逸らしつつそう答える。
彼女がそんな反応をするのも無理はないだろう。なにしろこちらが言っていることは、去年とほとんど同じなのだから。
けれどもその対象が、今年は少し違っていた。
今度卒業する先輩たちは、その前の代の先輩たちとは感情の方向性がまるで違う。
ひとつ上の先輩たちを尊敬する気持ちは、確かにある。
そう、間違いなくあるのだが――それをストレートに口にするのはあまりにも照れくさいから、こんなことになっているのだ。
「どうしてか、素直になれなくてさ。なんか、小学生のガキみたいだよな。上手く思ってることを言えなくて、思ってることとはつい逆の行動に出ちゃうというか」
「ふ、ふぅん……」
「卒業式の後は挨拶に行くつもりだけどさ。そこでも下手したらケンカになりそうで怖いや」
卒業おめでとうございます――なんて簡単な言葉を、これほどにも言いにくい学年があるだろうか。
まったく、お互いどうしようもないな、と鍵太郎が苦々しく笑うと。
今度は光莉の方が、目を逸らしながら言ってくる。
「べ、別にいいんじゃない? 誰だって言いたくても、何かが邪魔して、言えないことっていうのはあるでしょうし」
「そっか。そういうもんかな」
「だ、大体ねえ!?」
こちらが首をかしげると、なぜか彼女は勢い込んで、さらに言葉を重ねてくる。
「す、すごく大きな――こ、好意っていうのは!? そう、軽々しく表現するもんじゃないでしょ!? 思いが深いほど言いにくいこともあって、素直になれないことだってあるでしょ!? ねえ、そうでしょ!?」
「うーん、まあ、それはあるかもな……」
どうして光莉がこんなに強硬にそう主張するのかは気になるが、言っていることには一理ある。
好悪が入り混じった感情に深みが生まれて。
思いが深いほど言いにくいものがある、というのなら。
この気持ちはとても――言葉では表現し切れないものなのかもしれない。
「だったらそれこそ、曲に乗せて届けたいもんだけどな……」
ならば、ともう一度『主よ、人の望みの喜びよ』の歌詞を見てみる。
彼の人は、私の心の慰めである――違う。
あの人たちは本当に厳しくて身勝手で、とてもこちらを慰めてくれるような生易しい先輩ではなかった。
全ての悩みから守ってくれる――絶対に違う。
むしろあの学年は、揃いも揃ってこちらを大いに悩ませてくれた。
彼女たちは自分のやるべきことにおいて、とことんまで妥協しない人たちで。
だからこそ後輩に迷惑をかけることも構わず、ずっとこちらに背中を向けてばかりいたのだから。
ついてくるなら勝手について来いと言わんばかりで、慈悲も容赦も持ち合わせてはおらず。
その振る舞いは神様というよりは、そう――
「戦乙女……みたいな人たちだったな」
共にその存在を求めて、駆け抜けた戦友のような。
そこまで考えて、ああ――と納得する。
だからこそ、最初に曲を調べたときに違和感があったのだ。
この歌詞は、あまりに彼女たちにそぐわなかった。
それは何故かといえば、あの人たちは神様なんてものではなく――もっと、自分に近い存在だったからだ。
「そっか。そりゃそうだよな……身近な人を改めて褒めるのって、普通に考えたら恥ずかしいわな」
彼女たちは先輩といえども、決して正しい人たちではなかっただろう。
傲慢で横暴で、散々こちらを振り回してくれて。
それでもあの後ろ姿を、『かっこよかった』と思ってしまうのは――
あの人たちがそれだけ、一生懸命に何かをやろうとしていたからに他ならない。
ならば。
「なあ千渡」
その背中を、やり方は違えど追いかけようとしている自分は、果たして『そう』なれるのだろうか。
そんな思いで、鍵太郎は同い年に尋ねてみる。
「俺は先輩たちみたいに、かっこよくなれるかな」
「はあ!? あんた何言ってんの!?」
そんな問いに、光莉はぎょっとしたように目を丸くした。
しかしこちらが真面目に訊いているのが分かったのか、彼女は朱に染まった頬を引きつらせて、答えを模索し始める。
こんな状況だからこそ聞いてみたい、この同い年の本音。
自分の背中は自分では見られない。
だからこそ訊いてみたのだが、彼女が出した結論は――
「べ……別に今のあんただって、か――かっこ悪くないわけじゃ、ないでしょうがッ!?」
「なんで殴る!?」
拳と共に返事が飛んできたので、鍵太郎は久しぶりに悲鳴をあげた。
そういえば、ここにも似たような戦乙女が一人いるのを忘れていた。
よく分からないのに高慢で、気に入らないことがあるとすぐに手が出て。
でもそのくせ音楽には一切手加減がないというのだから、その姿は本当にあの人たちとよく似ている。
それにさっき、自分自身で思ったことだ。身近な人間を褒めるのは、普通に考えたら恥ずかしい。
けれども。
「いや、分かりにくいけど褒めてくれたのは嬉しいよ!? けどそれを、肉体言語で語るのはどうかと思うんだ、俺は!?」
「うるさい、うるさい、うるさーい!? あんたが変なこと言うからでしょうが!?」
それを差し引いても、この行動はそれこそまるで、小学生のようではないか。
そう抗議するが、しかし光莉は聞く耳持たず、さらにボカボカ遠慮容赦なく殴ってくる。
「ていうか、分かりにくいって何よ!? さっき言ったでしょ!? こ――好意っていうのは、そう軽々しく表現するものじゃないって!? 分かった!? ねえ分かった!?」
「分かった!? だから結構ガチで殴ってくるの止めろ痛い痛い痛い!?」
罵倒交じりに褒めてくるような、ねじくれた行動。
素直だけど素直になれない、それそのものが『素直な気持ち』。
先輩を送り出す態度としては、これは正しくはないのかもしれない。
けれどそれでも――こんなガキみたいなどうしようもない後輩たちでも、この気持ちをちゃんと届けることができたなら。
「け、けど、まだまだなんだからね!? も、もっとあんたは――か、かっこよく、なるはずなんだからねっ!?」
あの人たちもこんな風に、ひねくれた、素直な気持ちを返してくれるのだろうか。
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