第252話 勝手の違う音楽授業

「……なぜ、俺がこの楽器をやらなければならないんだ」


 そう言う湊鍵太郎みなとけんたろうの目の前にあるのは、いつも部活で吹いている楽器ではなかった。

 キラキラした銀色の板が何枚も連なっているそれは――鉄琴グロッケン、と呼ばれているものだ。



###



「自由発表会、ですか?」


 と、鍵太郎が顧問の先生に訊いた場所は、いつもの音楽準備室――ではない。

 音楽室、そして周りにいるのは、同い年の生徒たちだ。

 つまりは、音楽の授業中である。なので吹奏楽部顧問の本町瑞枝ほんまちみずえも、今は音楽教師として鍵太郎の質問に答える。


「そう、自由発表会だ。再来週の授業の最後は、この授業を受けている生徒それぞれで発表会をやる」


 その言葉に、他の生徒たちから「えー」「やだー」など様々な声が上がった。

 当然だろう。人前で演奏するのは、いつだって緊張するものだ。

 かくいうこちらだって、いつまで経っても慣れはしないのだが――と鍵太郎が思っていると、先生は続ける。


「どんな楽器でもいい。どんな曲でもいい。一人じゃキツイってやつもいるだろうし、何人かのグループでやっても構わない。だから発表会っていうか、『自由演奏会』だな。まあ一応アタシが採点はするけど、基本的には今期の授業の締めくくりみたいなもんだ。みんなで楽しんでやってくれれば、それでいいさ」

「ふっ。そんなお遊びになど付き合ってられませんわね」


 そう笑って壇上の本町に言ったのは、生徒会長のアリシア=クリスティーヌ=ド=大光寺だいこうじだ。

 ハーフである彼女はその金髪をきらめかせ、音楽室のピアノの前に腰掛ける。


「楽しめればいいなんてそんな戯言、わたくしの前では無意味なものですわ!」


 そう言って彼女が猛然と弾き出したのは、鍵太郎も聞いたことのある曲だった。

 ショパンの『幻想即興曲』だ。鍵盤の上を指が忙しく動き回り、細かな音たちが目まぐるしく移り変わっていく。

 その指さばきはもはや、直で見ると異次元の領域である。

 鍵太郎を始め他の生徒たちがポカンとしていると、一つの音のミスもなく曲を弾き終えたアリシアは、ふふんと鼻を鳴らした。


「どうですの! このカンペキな演奏は!」

「五十点」

「なぜですのー!?」


 即答した先生に、生徒会長が悲鳴をあげた。

 対する本町はめんどくさそうに、生徒に言う。


「音楽っていうのはなあ、技術的なことだけ合ってればそれでいいってことじゃないんだよ。まあそりゃ、上手くできればそれはそれでいいけどな。

 で、おまえの今の演奏は技術的には確かに完璧だ。でもそれだけなんだよ。だから半分の五十点」

「そ、そんなの、納得いきませんわ……」

「ちっとヒントをやると、おまえの音は『自分はできてる! 自分はできてる!』って主張ばっかりなんだよなー」


 そういう弾き方は、耳にくるんだ――という先生の言葉に鍵太郎が自分の耳に手をやると、確かに少し、奥の方にジンとした痺れがあった。

 ともかく、今のアリシアの演奏はノーカウントであるらしい。

 危うく爆上がりしかけたハードルが元に戻って、ほっとする生徒たちに本町は言う。


「んじゃまあ、仕切りなおして。発表までは何回か練習があるから、各自ここからは好きなようにやってくれ。ピアノでもハーモニカでも、なんだったらバンドを組んでも全然構わねえぞ。じゃ、アタシは準備室にいるから。何か質問があったら呼んでくれな」


 そう言い残して、先生は隣の部屋に引っ込んでしまった。

 ひょっとして、あの顧問は自分の時間を取りたかっただけでは――と鍵太郎は思うが、まあこうなった以上は仕方がない。

 どういう形にしろ、何かを演奏しなければならないだろう。

 さて、どうするべきかと辺りを見回す。流石に大勢を前に一人で演奏をするのは厳しいので、誰かと一緒にやりたいところではある。

 音楽は選択科目で、ここには文系クラスの人間が集まっていた。

 誰と組んでもいいということだったが――とりあえず鍵太郎は、近くにいた同じクラスの黒羽祐太くろばねゆうたに話しかけてみる。


「祐太、どうする?」

「んー。おれはギターやろっかなあ」

「は!? おまえギター弾けんのか!?」


 この野球部の友人に、そんな一面があるとは知らなかった。

 驚いていると、彼は「いや、弾けるってほどじゃねーけど」と気まずげに言う。


「おまえらの影響かな。おれも何か、やってみたくなってさ。家に転がってた親父のギターを触ったりしてたんだ。けど別に誰かに習ってるわけじゃないから、すげー下手だぞ」

「いや、そうであっても何かできればいいんじゃないか、さっきの口振りだと」


 本町の先ほどの言い方からして、単純に技術的に上手い、を求めていないことは明白だった。

 なら、先生が求めているのは何なのか――

 付き合いの長さと、これまでの経験で何となく分かるのだが。

 だからこそ、この友人には是非そのギターで参加して欲しかった。するとこちらの物言いに、彼も踏ん切りがついたらしい。

 「じゃあ……適当に何かやるか」と言って、祐太は近くにあった学校のギターを手に取る。

 もちろん音楽室の備品なので、エレキではなくアコースティックギターだ。

 そのまま調弦に入る友人を見て、なるほどこれは、本番の楽しみに取っておきたいなと鍵太郎は思った。そういうことなら、二人でギターをやるより、いち観客として彼の演奏を聞いてみたい。

 なら、他に組んでくれる人を探さなければならないわけだが――


「……まあ、そうだよな。組むとしたらおまえらだよな」

「なによ、何か文句ある?」


 そこで同じ吹奏楽部の千渡光莉せんどひかりが目に入って、鍵太郎は苦笑した。

 他にも近くに、宝木咲耶たからぎさくや片柳隣花かたやなぎりんかの姿もある。

 いつもの面子ではあるが、これはこれで非常に安心できるチームだった。

 理系クラスはまた別なので、あのアホの子やお気楽双子姉妹がいないのが残念ではあったが――それはそれとして、彼女たちとやれれば間違いはない。

 他のメンバーも特に異存はないようで、すんなりと一緒にやることが決まった。

 だがしかし、問題がひとつ――。


「そうだねえ。この四人なら、どんな曲がいいかなあ」

「変則的だけど。音域的に大丈夫なら、金管四重奏で探してみましょうか」

「いやいや待て待て、何ナチュラルに部活の楽器取りに行こうとしてんだ、おまえら!?」


 全員で自分の楽器を取りに行こうとしたら、なぜか祐太が必死になって突っ込んできた。

 しかもその周りにいた生徒たちも、彼の行動にうんうんとうなずいている。

 その光景に四人で疑問符を浮かべると、信じられないといった調子で友人は続ける。


「いやだから、それはおかしいだろ!? ただでさえこっちは素人なんだよ!? なのにおまえらだけ、やたら装備がガチなのはズルいだろ!?」

「いや、ズルいも何も……」


 これが自分たちの本来のスタイルなのだが。そう言ってみるが、聞き入れてもらえない。

 かえって他の生徒まで、「そうだそうだ!」「吹奏楽部だけズルいぞ!」などと言い出す始末である。


「大体、吹奏楽部の人が音楽の授業受けるのって、おかしくない!? 高成績取るに決まってるじゃん!?」

「ハンデだ! ハンデを要求する!」

「ハンデ……?」


 違う科目を取るのも何だかなあ、と思って音楽を選択しただけなのだが――そう言っても通用する雰囲気ではない。

 なら、今回はそのハンデとやらを受け入れるより他になさそうだった。

 困惑して鍵太郎が祐太を見ると、彼は少し考えた末、そこにいる全員が納得しそうな条件を提示してくる。


「そうだな……じゃあ、いつも部活でやってるのとは、全然違う楽器を使うってのはどうだ?」



###



「……なぜ、俺がこの楽器をやらなければならないんだ」


 そう言う鍵太郎の目の前にあるのは、いつも部活で吹いている楽器ではなかった。

 キラキラした銀色の板が何枚も連なっているそれは――鉄琴グロッケン、と呼ばれているものだ。

 分かっている。

 これは先ほどのハンデを受け入れたことによるものだ。

 しかしだからって、こんなにも扱い方が違う楽器を充てなくてもいいのではないか。グロッケンを前に呆然としていると、咲耶もピアノの前で、「うう……ピアノなんてやったことないよ……」とうめいている。

 彼女の場合は木管楽器担当ということで、『笛』に相当するものは全てアウトと判断されたのだ。

 そしてその笛――リコーダーを、誰がやるかといえば。


「うわぁ。おまえリコーダー似合わねえなあ」

「うるさいわね、あんただってグロッケンなんて柄じゃないでしょ!?」


 光莉がぎこちなくリコーダーを扱っているのを見て、鍵太郎は思わず感じたことをそのまま述べた。

 ちなみに彼女が持っているのはソプラノリコーダーで、アルトリコーダーを持っている隣花は「何で……。何で私が、リコーダー……」と楽器を持ったままぶつぶつ呟いている。

 全員が全員、条件を飲んだ末に自分がいつもやっているものとは、まるで違う役割を課せられた形だ。

 こちらもこちらで普段伴奏ばかりやっているので、メロディー楽器にさせられた。光莉でなくても、柄じゃないと思うだろう。

 というか、そんなのは自分自身が一番よく分かっている。


「うーん……? どうやって叩くんだ、グロッケンって」


 常日頃から部活で見慣れているとはいえ、見るとやるは大違いである。

 ゴツくて重い自分の楽器と違って、握ったマレットのなんと心細いことか。

 引退した打楽器の元部長は、これでよくあんな綺麗な音を出せたものだ――と思ったとき。


「……あ」


 その先代部長が言っていたことを思い出して、鍵太郎は声をあげた。

 そうだ、あの先輩は何て言っていただろうか。

 学校祭の前、このグロッケンでソロを弾いていた、あの小さなレディは――


「……場面に沿ったものを、選んで」


 その細くて、白い球の付いたマレットを。

 正しい角度で。適切な速度で。

 ちゃんと楽器が鳴るように――


「――打つ」


 と。

 キン――とそこで響いてきた音に、鍵太郎は笑った。

 なんだ。

 ちゃんと弾けるじゃないですか――という、先輩の声が聞こえてくるようで、おかしくてつい笑みがこぼれる。

 本当に、あの先輩たちは。

 まったく、どれほどのものを自分に教えてくれる気なのか。

 引退して、もうじき卒業してしまうという段になっても変わらないその関係が嬉しくて、叩きながら他にも色々なことを思い出す。

 そう、あのちっちゃい先輩は確か――


「……それはそうとして。これで、どんな曲ができるの……?」


 と、記憶を探っていたところに隣花の声がして、鍵太郎は意識を現実に戻した。

 見れば他の面子も、苦戦しながらもどうにか楽器に慣れようとしている。

 しかし常日頃とは、全く異なる種類のものばかりだ。勝手が違いすぎて、不安からそう言いたくなる気持ちも分かった。

 音楽の授業といえども自分たちはそれなりのものを仕上げたいし、むしろ吹奏楽部だからこそ、やってやろうという思いがある。

 だったら、この慣れない楽器でもできるくらいの、簡単な曲で。

 なおかつ、それでも聞き応えのある曲がいいのだが――


「あのさ」


 ふと、そこで。

 ある曲を思いついて、鍵太郎は全員に呼びかけた。

 というか正確には思いついたとうより、『思い出した』といった方がこの場合は正しい。

 あの先輩がかつて、楽しそうに叩いていた曲。

 彼女が本当に、生き生きとして遊んでいた曲を――

 キラキラした銀色の板が、何枚も連なっているこの楽器を見つめて、言う。


「『きらきら星』……なんてどうだ?」

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