第216話 大海に飛び出す準備

「というか、柳橋やなぎはしさんが部長だったんですね」


 合同バンド二校の紹介を一通り終え――早速合奏をしてみようということになり。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは隣で楽器を出す柳橋葵やなぎはしあおいに、そう話しかけていた。

 二人の楽器は大きいので、他の部員たちの邪魔にならないよう別室にて楽器を出している。

 そこは音楽準備室のようだが、薗部そのべ高校の音楽準備室には川連二高と違って、大量の楽器たちが棚に所狭しと並べられていた。

 うちの学校、昔は強かったらしいんですけど――と先ほど葵が言っていたように、そこにはかつての強豪校の名残が見て取れる。

 しかしその栄光も今は昔ということで、その楽器たちも現在は使われていないらしい。

 そしてそれを象徴するように、この学校の吹奏楽部の部長はただひたすら申し訳なさそうに、こちらに向かって言ってくる。


「はい……みんな部長をやりたくないということで、私に話が回ってきました。……というか、みんなるり子先生と関わりたくなくて逃げました」

「ああ……なるほど」


 ついさっき見たその、るり子先生――薗部高校の吹奏楽部顧問のことを思い出し、鍵太郎は苦笑いした。

 あの先生は確かに情熱に溢れていたが、生徒の方がそれを受け止められているかというと、ちょっと微妙なところのように見えたからだ。

 要するに、熱意が空回りしている人なのである。

 そんな大人に引きずり回されるのは真っ平御免だと、逃げ出したくなる気持ちも分からないではない。

 しかし葵は、そんな全員が嫌がった部長を引き受けたのだ。

 だったら同じ部長同士、ここは助け合っていければいい。

 お互いに違う意味で苦労をしていそうだし、と――葵の調子からそんな雰囲気を感じ取り、鍵太郎はそのまま思ったことを口にすることにした。


「まあ、大丈夫ですよ。これからは二校でやっていくんですから。二人で力を合わせてやっていきましょう。ね?」

「湊さん……」

「あ、そうだ。後で連絡先を教えてもらえますか? これから何かと、お話することもあるでしょうし」

「へ!? れ、れれ、連絡先っ!?」


 そこでなぜか顔を真っ赤にして驚く葵に、むしろ鍵太郎の方が面食らった。

 しかしすぐにその理由に思い当たり――慌ててそれを否定する。


「あ、すみません。別に、変な意味で言ってるわけじゃないんです。でも、ほら、やっぱりお互い連絡が取れた方が、いざっていうときにやりやすいでしょ?」

「え、あ、はいっ!? そ、そうですね!? や、やだ私ったら、変な風に勘違いしちゃって――」


 未だ顔を赤くしたままではあるが、それは自分の早とちりが恥ずかしかったからだろう。

 葵は激しく目を泳がせたままで、しかし納得してくれたようだった。

 彼女はあさっての方を向きながら、「す、すみません、女子高にいると男の人から連絡先を聞かれるとかないもので……」と弁明してくる。


「そ、そうですね。これからは二校一緒にがんばっていかなきゃいけないんですもんね。そ、それでは改めてよろしくお願いします。み……湊、さん」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 意図したところが伝わって、鍵太郎はほっと一息ついた。

 これから関わっていく人には必ず連絡先を聞いておくべきだと、選抜バンドの件があって固く誓ったわけだが――女の人相手だと、ちょっと言い方を変えたほうがいいのかもしれない。

 今のように、葵に変な思い違いをされたくないし。そう考えていると、彼女も部長としての自分の立場を意識したのだろう。

 「そ、そういえばですね……っ!?」と妙なテンションで、それまでの流れを断ち切るかのように、強引に話題を変えてくる。


「合同バンドをやるっていうことになって、実は私たち、とっても助かったんです……! どこもそうでしょうけど、今の時期って三年生が抜けて、全体の音量バランスが崩れているので……」

「ああ、そうですよね」


 今は三年生たちが引退したばかりの時期だ。

 どの学校もそれまでの主力が抜けて、それをどう補っていこうか頭を悩ませているだろう。

 上級生が担当していた楽器が偏っていたならなおさらだ。幸いなことにこちらは、先輩たちが満遍なくバラけていたため、それほどの変化はないが――

 薗部高校はそうでもないらしい。部長である葵にとってはそれも悩みの種であるらしく、「そうなんです」とうなずいて言ってくる。


「実のところその偏りが一番顕著なのが、私たち低音パートなんです。だから川連二高さんに低音楽器の人がたくさんいるのが分かって、今回は本当に心強いんですよ」

「そうなんですか。……実際には今、低音楽器ってどのくらいいるんですか?」


 葵がコントラバス、弦の低音楽器なのは分かっている。

 なのでそれ以外の楽器は何があるのか。そう思って鍵太郎はそう訊いたわけだが――返ってきた答えは。

 こちらの予想のはるか斜め上を行くものだった。


「はい。私と――もう一人がファゴット。以上です」



###



 音楽室に戻ると、本当にファゴットを持っている女子生徒がいて、鍵太郎は目を剥いた。


「すっげー、マジでファゴットがいる……!」


 居並ぶ生徒たちの中から、にょっきりと飛び出たその茶色く細長い管をまじまじと見つめる。


 ファゴット。

 木管楽器の一種で、主に中低音域を担当するものである。


 その特徴的な外見とそこから出る音は決して、他の楽器には真似できるものではない。

 鍵太郎も選抜バンドで初めて一緒に演奏したときは、こんな面白い楽器があるものかと衝撃を受けたものだった。

 というかまずその前に、B部門小編成の部でファゴットがいること自体がかなり珍しいのだ。

 選抜バンドで見て以来、ほとんど見かけることがなかった楽器である。もっと人数がいる強豪校でならともかく、この規模の部活でこの楽器の奏者がいることは、ほぼ絶無と言ってもいい。

 一体どういった経緯があって、その女子生徒がその楽器を吹くことになったのか――それは分からないが。

 しかしそれでも、そんなレアな楽器と一緒にできるということだけで、テンションは上がってくるものだ。

 なのでその興奮そのままに、鍵太郎はそのファゴット吹きの女子生徒に話しかける。


「うわあ、うわあ。まさか、ファゴットと一緒にできるとは思ってませんでした。ええと、差し支えなければ後で、ちょっとだけ吹かせてもらってもいいですか?」

「え、あ、はい――いいですよ?」


 その茶味がかったサラサラロングヘアーの女子生徒は、最初こちらの勢いに圧倒されたらしく、びっくりしたような顔をしたものの。

 しかし熱心に自分の楽器を見るこちらを見て、すぐさま気を取り直したらしい。

 くすりと笑って言ってくる。


「えっと、湊さん、でしたよね。どうもです、薗部高校二年の植野沙彩うえのさやです。いやあ、そんな新鮮な反応をされるのは久しぶりですねー。うちの学校のみんなはもう、わたしがこれを吹いてることに慣れちゃいましたから」

「そんなことないです! ファゴットは全吹奏楽界をあげて保護するべき存在だと、俺は思います!」

「なんか、天然記念物みたいな言い方ですねえ」


 彼女は――沙彩はのほほんとそう言っているが、実際鍵太郎にとっては、この楽器は天然記念物と言っても過言ではないくらいなのだ。

 それだけでも、合同バンドを持ちかけた価値がある。

 そして葵が言っていた薗部高校の低音楽器の少なさも、自分たちが入ることで解消されるのだ。

 鍵太郎が吹くチューバは音量が出る楽器だし、こちらには他にもバスクラリネット、バリトンサックスを吹く部員もいる。

 そこにさらにコントラバスとファゴットが入れば、まさにお互いに欠けたものを補えるウィンウィン――

 その楽器たちが居並ぶ構図は、低音パートとしてほぼ理想的なものとなる。


「ああ、いい。素晴らしい――圧倒的じゃないか、我が軍は」

「湊さん。それ、ここで言ったらダメなやつです」

「あ、植野さん、そういう話もできる人ですか?」


 思わず口走ってしまったセリフに的確に突っ込みを入れられ、今度は鍵太郎は楽器以外のことに対して興味をそそられた。

 あのおっさん女子高生が引退して以来、こういった話ができる人がいなくなってちょっと寂しかったのだ。

 演奏は演奏で楽しみだが、たまには息抜きにバカなことを話せれば少し――いや、かなり嬉しい。

 女子高の中で貴重な人材を発見してしまった。鍵太郎が目を輝かせて沙彩の方を見つめていると、彼女は特段なんともないといった調子で、こちらの問いにうなずいてくる。


「はあ。父と兄がよく家でそういう系のものを見たり、ゲームをやったりしてるもので。わたしも気がつけば自然と覚えちゃいました」

「ああ、そうですか。じゃあ、たまに俺もそういうこと言うんで。今みたいに切り返してきてください」

「? はい、それでよければ」

「よーし、俄然やる気が湧いてきたぞー!」


 沙彩の返事に無意味なほどにやる気をみなぎらせ、鍵太郎は自分の席へと向かう。

 最初はあまりの姦しさにどうなることかと思ったものの、こうやって一人ひとりと話していけば、案外みな話が通じる人間なのだと分かってくるものだ。

 少なくとも、そんなメンバーばかり揃っている低音パートの未来は明るい。

 そう思っていると――薗部高校の吹奏楽部顧問、西宮にしのみやるり子が指揮棒を持って、全員の前に立って言う。


「はいはい! じゃあみんな、早速合奏始めるわよ! まずは『リトル・マーメイド』から!」

『はーい!』


 各所からそれぞれの返事があがり、音楽室にはガサガサと楽譜をめくる音が響き始める。

 未知数のメンバーと大海に飛び出す準備は、こうして着々と進められていった。

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