第213話 証言の断片

 休日は練習禁止であるはずの校舎から、楽器の音が聞こえてきていた――。


 そんな吹奏楽部の部長として聞き逃せない情報を聞いて、湊鍵太郎みなとけんたろうは身を乗り出していた。

 もしそれが本当であれば、何らかの対策を講じなければならない。

 教職員側には吹奏楽部の活動を快く思っていない人間もいるのだ。

 特に先ほど授業を行っていた藤原ふじわらなどは、その代表のような人物だった。

 しかしその証言をした野球部部長、黒羽祐太くろばねゆうたは困ったように首を傾げる。


「詳しく、って言われてもなあ……。何しろこっちは吹奏楽部おまえらだって思い込んでたわけだし」


 そこまで大したことは分からないぞ、と言う友人に、鍵太郎は言う。


「祐太が聞いたことだけでいいよ。それだけ教えてもらえば構わない。例えばそれって、何時頃だった?」

「うーん。昼飯食ってから来たから、午後の一時過ぎとか、そのくらいだったかな」

「何人もいる感じだったか? それとも一人?」

「楽器の音は一種類しか聞こえなかったぞ。さすがに何の楽器かはおれには分かんねえけど」

「そっか、そうだよな……」


 一緒に吹奏楽部に見学に行ったとはいえ、それはもう一年以上も前の話だ。

 どの楽器だったらどんな音が出るかなんて、さすがに彼も覚えていない。

 せめて何の楽器の音か分かれば、次にどうすればいいかも少しは見えてくるのだが――

 そう鍵太郎が考えていると、祐太が言う。


「熱心に練習してたよ。だからおれはてっきり、おまえが部長になってから、自主練でも始めようってことになったのかと思ったんだ。今まで休みの日に音なんかしてなかったからさ」

「……ちょうど今そうできるように、がんばろうとしてる最中だよ」


 友人の口ぶりに苦笑しながら、鍵太郎はそう応えた。

 土日と練習試合などで部活動を行っている野球部とは違って、吹奏楽部はどうしてか、教職員側から休みの日の練習を禁止されている。

 しかしこれから行動範囲を広げていくにあたって、その理不尽とも言うべきルールは無くしていきたいと思っていたところでもあったのだ。

 そんなときに降って湧いたようなこの話は、扱いようによっては爆弾のようなものですらある。

 事と次第によっては暴発し、周囲に甚大な被害を及ぼしかねない。

 なので鍵太郎は、祐太にはこの話は内密にしておくように頼み――ここから先の行動を、慎重に考えることにした。

 そしてそんな吹奏楽部の部長をよそに、野球部のキャプテンは何かを考えるように、「そっか。吹奏楽部やる気になってんなー」言う。


「おれたちもがんばらなきゃなー。そっか、そうだよな。やっちゃいけない意味がないんだったら、今まで何となくやってなかったことだって、別にやっちゃいけないってわけじゃないんもんな。よーし、野球部もなんか、新しい練習始めるか」

「……祐太。ちょっと待って」


 と――そこで彼の発言に引っかかるものがあって、鍵太郎は声をあげた。

 祐太の発言をまとめると、その『誰か』は急に熱心になって、練習を始めたということになる。

 これまでやってもいなかったのに、だ。

 それは、つまり――


「……その音、今度の土曜日も聞こえると思うか?」


 その音の主は、次の休みにもやってくるということではないのか。

 そう考え――鍵太郎はこの野球部の友人にひとつ、頼みごとをすることにした。



###



 そして、もう一人――

 同じ吹奏楽部の部員にも、頼んでいたことがあって。


「どうだった? 宝木たからぎさん」


 週明けの月曜日、鍵太郎は音楽室で同い年の宝木咲耶たからぎさくやに声をかけていた。

 彼女の家は学校からほど近い。

 そのため、もしまた校舎から音が聞こえてくるようなことがあったら、こちらに連絡をくれるよう友人には頼み――

 そして咲耶にも、学校まで様子を見に行ってほしいと頼んでおいたのだ。

 彼女ならば偵察に行く負担も少ないし、聞こえてくる音が何の音かも分かる。

 なので申し訳ないが土曜日に学校まで行ってもらい、校舎の外からではあるものの、可能な限り音を聞いてもらってきた。

 結果はもうメールでもらっているが――咲耶は改めてこちらの問いにひとつうなずいて、言う。


「うん。湊くんのお友達の言う通りだった。土曜日の一時過ぎには楽器の音が、音楽室から聞こえてきてたよ」

「そっか」


 読み通りの結果に、鍵太郎もひとつうなずいた。

 その音の主はやはり、非常に練習には意欲的であるらしい。

 詳しい話はまた学校で直接、ということになっていた。

 なのでそのまま、咲耶は続ける。


「念のため日曜日も行ってみたけど、日曜日もやっぱり同じくらいの時間に聞こえてきてた」

「何の楽器の音だった?」

「あれは――きっと、テナーサックスだと思う」

「テナーサックス……?」


 そこで出てきた予想外の楽器の名前に、鍵太郎は困惑した。

 テナーサックス。

 サックスの中音域を担当する、主にジャズや吹奏楽で使用されている楽器である。

 しかし川連第二高校の吹奏楽部には今、テナーサックスを吹いている部員はいない。

 というか先日の学校祭で引退した三年生が担当していたものなので、現役の部員にはもういないのだ。

 これは、どういうことなのか。

 想定していなかった事態に首を傾げて、鍵太郎はまず思いつくことを口に出す。


「先輩が受験勉強の息抜きに、こっそり吹きに来てるって感じじゃ……ないよな?」

「ないと思う。それに――」

「それに?」


 同じく困惑気味の咲耶に、鍵太郎は重ねて尋ねた。

 すると彼女はとても言いにくそうに――しかし結局オブラートに包んで、その質問に答えてくる。


「……あれは先輩の音じゃなかったよ。音質が、ものすごいしっかりしてて……正直、テナーサックスってこんなに大きい音出るんだって、びっくりしたくらいだったから」

「……そうか」


 つまり記憶にあるその先輩の音と、昨日聞いた音には明確な差があったということだ。

 とするとその音の主が引退した三年生の先輩であるという線は、非常に薄くなってくる。

 しかし、そうなると――


「え、じゃあ一体誰が、休みの日に吹いてるっていうんだ……?」


 手がかりが全くなくなってしまって、鍵太郎は途方にくれた。

 さすがに外部の人間が学校の音楽室に入って練習するというのは、無理があるだろう。

 土日とはいえ校内に人がいないわけではない。

 用があって出勤してきている先生や、野球部のように土日に活動しているところの人間が、校舎に入る事だってあるはずだ。

 というか、そもそも休日の音楽室には鍵がかかっているのだ。

 部活が終わったら音楽室は施錠されて、中には入れなくなる。

 それは部長になった自分が、一番よく承知していた。

 その鍵の場所は部員か、もしくは顧問の先生しか知らない。

 となると『その音の主』は、休日の校内にいても怪しまれない上、さらに音楽室の鍵の場所を知っている人物ということになるが――そんなことができる人間に、心当たりがまるでなかった。

 すると近くで練習をしていた一年生、バリトンサックスの宮本朝実みやもとあさみが言う。


「藤原先生じゃないですか」

「えっ!?」


 そこで朝実の口からとんでもない名前が飛び出してきて、鍵太郎は驚いて後輩を見た。

 社会科教諭の藤原は、この学校のアンチ吹奏楽部派の代表と言ってもいい教職員なのだ。

 今までも何度か、練習中の音楽室に怒鳴り込まれたりといったトラブルも起こっている。

 そんな人物が自分たちと同じ楽器吹きだと、なぜ後輩は言ったのか――

 その答えを、朝実はこちらに言ってくる。


「うーん。でもわたし、藤原先生に言われたことありますよ。『楽器はもっと大事に扱え』とか、『バリトンサックスはテナーサックスの倍くらい音を出せ』とか」

「それは……」

「完全に、楽器経験者の言い方だよね……」


 思いがけぬ後輩の証言に、鍵太郎と咲耶は顔を見合わせた。

 確かに朝実には、どうにも危なっかしいところがあるのだ。

 そういえば以前もそれで元部長から、叱責を受けたことがあるくらいだし――そんな彼女を見ていたら思わず、経験者ならそんなことを口に出してしまってもおかしくはないだろう。

 そして朝実が吹いているのはバリトンサックスだ。

 テナーサックスとは大きさや役割は違えど同じサックス類だし、余計に気になって要らぬことまで口走ってしまった、という可能性はある。

 そして教職員なら、休日に校舎をうろついても誰にも咎められない。

 鍵のことだって、職員室のマスターキーを使えばどうということはない。

 そう考えると『その音の主』が藤原であるというのはなるほど、筋が通ってくるが――


「い、いやでもちょっと待て!? だったら、なんであんなにうちの部に当たりがきついんだ!?」


 逆に筋が通らない部分も出てきてしまって、鍵太郎は混乱の叫びをあげた。

 というかむしろ経験者だったら、普通ならこちらの味方になってくれるはずではないのか。

 それなのになぜ、藤原は自分たちの行動を妨害するような真似をするのか。

 さらに咲耶も、もうひとつ出てくる疑問点を指摘する。


「あと、そうするとなんで今になって急に練習を始めたのか、それも謎だよね……」


 野球部のキャプテンが言うところには、「今まで休みの日に音なんかしてなかった」はずなのだ。

 藤原は、今年から赴任してきたような教師ではない。

 顧問の先生と同じように、もう既に何年かこの学校にいるはずだった。

 なのになぜ、つい最近になって練習を始めたのか。

 立場的に実行は可能であっても、今度はそうする理由が見当たらない。

 それに鍵太郎と咲耶が首をひねっていると――そこに打楽器の越戸ゆかりとみのりの双子姉妹がやってきて、言う。


「あのさ、湊……」

「合同バンドの参考にと思って、最近いろんな曲の動画とか見てたんだけど……」

「ちょっと前に上がってきたやつで、すごいの見つけてさ。これ、藤原先生だよね……?」

「なんだって!?」


 もう、訳が分からなくなってきた。

 連鎖するように様々な証言が出てきて、もはやその流れに身を委ねるしかない。

 二人に渡されるままに、携帯を受け取る。するとそこには、彼女たちが言っている例の動画だろう。

 『【爆笑】昭和のアニソン【吹奏楽】』というタイトルと共に、サムネイルが表示されている。

 それ何だか嫌な予感がしつつも、再生ボタンを押すと――確かにかなり昔に撮影されたものらしい、独特の滲んだ画質の映像が流れ始めた。

 そして、そこに。


「あ、藤原先生」


 若き日の藤原教諭が学ラン姿で舞台の前に出てくるのを、咲耶が見つけた。

 鍵太郎がそれに目を凝らすと、カメラもズームをしたようで、顔がより鮮明に映し出される。

 髪型などが変わってはいるものの――確かにその顔つきは、あの社会の先生だ。


「本当に、経験者だったんだ……」


 それにようやく、鍵太郎もそのことを真実として受け止める。

 画面の中の藤原は真剣な表情で、これから何かをやるのだろう。

 楽器を持たずステージの前で、曲が始まるのを待っている。

 その振る舞いは堂々としていて――それは今も昔も変わらないであろう、吹奏楽部の部員のあるべき姿のように見えた。

 なので鍵太郎が画面の中の藤原に、少しだけ親近感を覚えていると――曲が始まる。

 それはタイトルにもあったように、昔のアニメソングのようだ。

 そして、それに合わせて藤原が――


『……っ!?』


 とんでもないことをしでかし始めたので、鍵太郎と咲耶は二人揃って息を呑んだ。

 これは、ヤバい。

 同じ舞台の上に立つ者として、本能的にそう思うほどの凄まじさがある。

 そして同時に、これでどうしてあの先生が吹奏楽部にだけあんなに当たりがきつかったのか、それも理解することができた。

 咲耶など信じられないといった顔をして、口元を覆い顔面を蒼白にしている。

 そして鍵太郎も、あまりの惨状に見ていられず思わず画面をスクロールしてしまった。

 するとそこには、その動画の投稿者のコメントであろう、文章が見えて――


「……え?」


 その内容に、鍵太郎は思わず疑問の声をあげた。

 ひょっとしたら藤原が急に練習を始めた理由は、『これ』にあるのではないか――

 そう思って、そこに書いてあったこの演奏の学校名を、自分の携帯で検索にかける。

 幸い、すぐに目的の情報は見つかった。

 そしてそのことで鍵太郎は、自分の推測が間違っていなかったことを知る。


「……そうだったのか」


 事実を前に、鍵太郎は慄然としてそうつぶやいた。

 顧問の先生や野球部の友人、そして咲耶や後輩の発言。

 それらの証言の断片は、全てこの動画と――そして藤原の不可解な行動に繋がっていたのだ。

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