第212話 休日の音の主
「――あ、でもちょっと厄介な問題がひとつあるな」
と、ひとしきり大爆笑した後。
吹奏楽部顧問の
「よその学校と合同バンドを組むってことは、どっかの土日に練習予定を組まないといけなくなるってことだ。そうじゃないと二校一緒に合奏する時間が取れないからな。けどうちの学校には、その土日練習を強硬にやらせまいとする人間がいる。しかも教職員側に」
「あー、
本町のうんざりしたような顔に、鍵太郎も何度かこの音楽室に怒鳴り込んできたことのある、その教師の顔を思い出していた。
川連第二高校の、社会科担当の男性教員である。
夏のコンクール前に窓を開けて練習していると、夏期講習の邪魔だから窓を閉めろと言ってくるような教師だ。
そういった振る舞いで部内でも藤原は、この部内でもアンチ吹奏楽部派だと認知されている。
しかも同じ教職員となれば、本町への当たりはもっときついのかもしれない。
それらを思い出したのか、顧問の先生は頭を押さえて言う。
「なんか知らねーけど、やたら噛みついてくるんだよなー、あいつ。こないだもアタシにまで、土日学校に来るんじゃねえとか言ってきたし……。
ま、いいや。その辺は先方の学校と話して何とかするわ。練習は向こうさんの音楽室を使わせてもらうように交渉する。なにしろ合同練習を申し込んできたのは向こうなんだからな。そのくらいの条件は飲んでもらうさ」
藤原も、ここで練習するんじゃないんだったらそこまでうるさいことは言わねえだろ――と。
そう言って、本町は渋い顔で頭を叩いた。
その様子からどうも、この先生はこれからの教職員方面への対策を考えているらしい。
自分としてはもうどこにも穴がないと思ってぶち上げたこの計画だったが、いざ実行に移そうとすると、予想もしない角度から問題が出てくるもののようだった。
しかも面倒くさい役回りは、全部この顧問の先生に降りかかってくるときた。
それがどうにも申し訳なくて、鍵太郎は本町に頭を下げる。
「ええと……なんか、本当にすみません。さすがに藤原先生のことまでは気が回らなくて」
「え? ああ、いいんだよ。そういうのは、大人が勝手に自分の尺度で騒いでるだけの話さ。だからここはアタシがどうにかするのがスジってもんだ。おまえらが気にすることじゃねえ」
だからそんなことより、おまえらは合同バンドでどんな曲やりたいかとか、そういうことだけを考えときな――と。
顧問の先生にそう言われ、鍵太郎はうつむいた。
多少は成長した気でいたのに、結局はいつまで経っても子ども扱いのままなのだ。
それが悔しくて悲しくて――でも本町の言うことも、全くもってその通りで。
だからこそ行き場のない気持ちを抱えたまま、何も言えないでいると。
先生はそんなこちらに苦笑して、声をかけてくる。
「あのなあ、湊。何度も言うが、これはおまえが責任を感じることじゃないぞ。ああいう手合いはどこにでもいる。だからいちいち気にしてたら身が持たねえ」
「そうです、けど……」
「これまでと何か違ったことをやろうとすると、どっかから反対意見が出てくるのは当然だ。今回はそれがたまたま大人側にいたってだけの話だよ。だから、おまえは構わず自分にできることだけを考えろ。それだって、立派なおまえの仕事なんだ」
「……」
未だ完全に納得はできないものの――本町の言わんとすることは理解できたので。
鍵太郎が無言でうなずくと、先生は「よし」と満足そうに笑って、おどけたように言ってくる。
「ま、今後の活動のためにも、いずれ
「……」
それは、こちらのためを思ってわざと取った態度でもあるのは分かっていた。
言うほど簡単な話ではないだろう。
むしろ相手は年齢も立場も上なのだから、本町はおそらく散々文句を言われながらも、それでもなんとか自分たちが休日に楽器を出す許可だけはもらえるように立ち回っていくことになるはずだ。
けれども先生は、そんな苦労の気配など、微塵も感じさせない口調で言い切ってみせる。
「さあて、そうと決まれば早速行動だ行動! 連絡に交渉に準備に根回しに、やることは面倒くせえほどたくさんあるぞ。けどせっかく面白えことになってきたんだ、思いっきりやれるようにアタシだって一肌も二肌も脱いでやるさ」
「分かり、ました。よろしくお願いします……」
ならばこちらも、そんな顧問の先生の気持ちに応えないわけにはいかなくて。
鍵太郎は苦しいながらも本町にそう言って、音楽準備室から退出した。
しかしその心の中には、未だにモヤモヤした気持ちが渦巻いていて――
「なんとか、できないかな……」
鍵太郎は閉めた扉を背に、その思いをぽつりと吐き出していた。
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そもそもなぜ吹奏楽部ばかりが目の敵にされるのか、それが分からないのだ。
その当の藤原教諭の授業を受けながら、鍵太郎は頭の片隅でそのことを考えていた。
散々言われているように、単にうるさいからだろうか。まあ確かに、夏期講習中に窓を開けて練習をしていたのはまずかったかもしれないが――その他の期間ですら活動を制限されるのは、少々行き過ぎている気もする。
大体土日練習だったら、他の部活もやっているのだ。
特に他校との練習試合の多い、運動部はなおさらだ。そう思って鍵太郎は、野球部に所属する友人をちらりと見た。
彼がキャプテンになってからはどうかは分からないが、少なくとも野球部は以前から、土日に部活動を行っていたはずだ。
だったら吹奏楽部だけダメとういうのは、やはり理屈が通らない。
そうなると藤原は、単純に音楽が嫌いなのか、それとも何か個人的な事情があるかということになる。
しかし音楽が嫌いなんて人間が、この世にいるのだろうか。
そう考えながら鍵太郎は、今度は教科書越しに藤原教諭を見た。
今は日本史の授業の時間だ。
吹奏楽部に対してだけ妙に辛辣ということを除けば、藤原は非常に分かりやすく授業を進めてくれる、いい先生だと思う。
歳の頃はおそらく四十代後半か五十代くらい。
がっちりめの体格に、授業をするキビキビとした動きが相まって――少し厳しいが頼りになりそう、そんな雰囲気の先生だ。
つまりはどこにでもいる、普通の人ということでもある。
町を行けばどこかしらに音楽が流れていて、テレビを点ければ何かしら曲が流れてくるようなこのご時勢、そんな人が音楽が嫌いというのは考えにくい。
だったら、もっと他に何か理由があるということなのだろうが――さすがに、それを直接訊くわけにもいかないだろう。
ましてやもう自分は、吹奏楽部の部長になっているのだ。
それを藤原が知っているかどうかは分からないが、知られていたら下手をすると余計ないざこざを起こしてしまいかねない。
それで本町に迷惑をかけてしまったら、本末転倒だ。
だったら他の糸口を探すしかないのだが、いかんせん、情報が足りなさ過ぎる。
どうすればいいのか、やはりもう顧問の先生に全て任せるしかないのか。
そう思っている間に、授業は終わってしまった。
藤原はそのままいつものように、教室を去っていく。
それをどうにも苦々しい気持ちで見送っていると――そこで先ほど鍵太郎が見た野球部のキャプテン、
「よう、湊。吹奏楽部気合い入ってんな。こないだの学校祭の代休も練習してたんだろ?」
「は?」
友人の思いもよらない言葉に、目が丸くなる。
その様子に、むしろ祐太の方が驚いたらしい。
彼はこちらのリアクションに対して首を傾げ、不思議そうに言ってくる。
「あれ……おかしいな。こないだの代休、おれ用事があって野球部の部室に行ったんだけど、なんか楽器の音が聞こえてきたからさ」
「……その日は練習、してないぞ」
なにしろ部長である自分が遊園地に行っていたくらいだったし。
本町も電話の様子から、どうもその日は出勤していなかった様子だった。
じゃあ、この友人が聞いたという楽器の音は、一体何だったのか。
というかそもそも、その土日や休日の練習ができないから自分はこうして困っているのだ。
部員の誰かがこっそり来て練習していたのだとしたら、それはそれで藤原の耳に入れば問題になる。
だったらどちらにしろその音の主は、絶対に探し出さなければならない。
なので鍵太郎は、その謎を解くべく――
「え、じゃああれ、おれの聞き間違いだったのかな……? 確かに、校舎の中から聞こえてきたと思ったんだけど」
「祐太。その話、詳しく」
最初の情報を握る友人へと、身を乗り出して質問をし始めた。
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