第208話 孤高の銀狐

 その方法でコンクールで金賞を取るのは、難しいと思う――。


 片柳隣花かたやなぎりんかのその言葉を、湊鍵太郎みなとけんたろうは自分でも意外なほど冷静に受け止めていた。

 それは自分でも、心のどこかで考えていたことだったからかもしれない。

 確かに楽しいと思う気持ちだけでコンクールで金賞を取ろうなんていうのは、傍からすれば虫のいい話なのだろう。

 だがそんな話を、あえてこんなテーマパークのど真ん中ですべきではないのは、彼女も十分承知しているはずだった。

 しかしそれでも隣花は、非常に言いにくそうにしながらも自分の考えを口にしてくる。


「……悪いけど。そういう気持ちだけで人をまとめていくのは……やっぱり、無理があると思う。それだけで金賞を取れるとは、私にはどうしても――思えない」

「……片柳」


 楽しげなパレードを前にして、しかもそれを見て無邪気に喜んでいる同い年たちを前にしてそれを言うのは、隣花としても相当勇気のいることであったろう。

 にも関わらずそれをここであえて指摘してきたということは、彼女にはそれ相応の考えがあるということだった。

 それはここに来る前から、分かっていた。

 けれども考えなら、他の部員にだってあるのだ。

 特にこのテーマパークに来ようと言い出した、越戸ゆかりと越戸みのりの二人はなおさらだ。

 自分たちの言い分を正面切って否定されたのである。

 ゆかりもみのりも、今度ばかりはさすがに隣花に食って掛かる。


「じゃあ、何!? 片柳さんは、楽しくやろうとしちゃダメだって言うの!?」

「聞いた人が楽しんでもらえるような演奏をしようとするのが、いけないことだって言うの!?」

「……違う。そういうことを言いたいんじゃ、ない」

「言ってるよ! 片柳さんは、今このテーマパークに来た人たちを喜ばせようってがんばってる人たちのことを、全否定したんだよ!」

「ここに来た人を笑顔にしようって思ってる人たちみんなのことを、間違ってるって言ったんだよ!」

「……だから。そういうことじゃないって、言ってるでしょう……っ!」

「だああああっ!? ストップ!? ストップ!! おまえら、こんなところでケンカはよせーっ!!」


 そこで、隣花の声に押し殺した怒気が混じったのを感じ取って、慌てて鍵太郎は三人のいがみ合いを止めにかかった。

 自分は以前一度、隣花に怒鳴られたことがあるから分かる。

 あれは彼女の爆発寸前の合図だ。

 これ以上隣花を刺激したら、ここでこのテーマパークに似つかわしくないほどの、大炎上が起きることになる。

 周囲には自分たちだけではない、何の関係もないお客さんだっているのだ。

 ここは遊園地だ。

 その楽しげな雰囲気を思い切り吸い込んで、それをこれからの活力にしていくべき場所だ。

 そんなところで大声で怒鳴りあうのは、さすがに避けたい。

 そう思って鍵太郎が必死になって彼女たちの間に割って入ると――さすがに三人とも気まずくなったのか、渋々ながらも矛を収めた。

 しかし未だその火種は燻っているのか、ゆかりとみのりは納得いかないといった調子で叫ぶ。


「みんなさ、楽しくやるってことを甘くみすぎ、馬鹿にしすぎなんだよ!」

「人を喜ばせるっていうのはどういうことか、もっと真剣に考えるべきだと思うんだよね!」

「……真剣に、か」


 むしろそれは、片柳隣花の専売特許と言うべきものではなかったろうか。

 そう思って、まだぷんすかと怒っている越戸姉妹をなだめつつ、隣花の方をちらりと見ると――彼女は唇を噛み、同じく納得いかないといった様子でうつむいている。

 しかしその固く閉ざされた唇から、一瞬だけ悲痛な本音が漏れるのも、鍵太郎は聞き取っていた。


「あんたたちは……っ。みんな、能天気すぎるのよ……っ!」

「……」


 たぶん両者とも、間違っていないのだろう。

 その口ぶりから、ゆかりとみのりも、そして隣花の言うことも決して間違ってはいないのだということを、鍵太郎は三人の態度から理解していた。

 お互いに真剣で譲れないものがあるからこそ、こうして口論になる。

 それは今年のコンクールの経験で、痛感していたことだった。

 しかしだからこそ同時に、ここで言い争っても、それは永遠に結論が出ない話なのも分かってしまっていて――

 これはいつだったかあの指揮者の先生も言っていたが、『今ここで話していても、絶対に解決しない話題』なのだろう。

 だったら。


「『自分たちの音楽をしにいこう』か……」


 『音楽』で決着をつけるしかない。

 だがその肝心の『自分たちの音楽』が、ここにきて微妙にズレてきている。

 ならばそのズレは、どうやったら直せるのだろうか――

 そんなことを考えている間に、いつの間にか楽しかったパレードは終わってしまっていた。

 その尻尾を追いかけるかどうか。

 その選択を前に、鍵太郎は頭をかこうとして――

 しかしその手がやっぱり無理矢理付けられたキャラクターの耳に当たって、苦笑いすることになった。


「……ああ、そうか。ならまずは片柳の方か」


 そしてその行動に、ここに来たとき今と同じことをした自分を見て、隣花が笑っていたことを思い出して。

 ならばと、終わってしまったパレードの残滓を追いかけるよりも先に、鍵太郎は。

 耳も尻尾もつけていない、そんな同い年のことを迎えに行くことに決めた。



###



 『フォクシー・ランド』の中心には、大きな人工湖が広がっている。

 そこから流れてくる涼しげな風を身に受けながら、隣花はただひとりで、ぼんやりと湖を眺めていた。

 その儚げながらも凛とした居住まいは、皮肉と言うかなんと言うか、ゆかりとみのりがピッタリだと言ったこのテーマパークのヒロイン、シルバーフォックス『フォクシー・レディ』そのものにも見える。

 なのでこの孤高の銀狐がと、ひとこと言ってやりたくもなった。

 なにせその二つ名の示す通り、あれから彼女は一緒に昼食を取ろうという他のメンバーの誘いを断り、こうして全員から離れたところでずっとため息をついているのである。

 その行動や表情からして、隣花は一見、不機嫌そうに見受けられるが――

 たぶんあれは、反省しているのだ。

 過去に一度、怒鳴られたことがあるから分かる。

 だからそんな彼女の様子に、しょうがねえなあと苦笑いしつつ――鍵太郎は隣花に話しかけた。


「よう、片柳。ちょっといいか」

「……湊」


 少し時間を置き、風に当たったことで頭も冷えたのだろう。

 彼女は特に嫌がる素振りもなく、こちらの申し出にすぐにうなずいてきた。

 元々隣花は同年代の中では、比較的現実的で論理的な会話を好む、冷静な性格である。

 だからこそああして溜め込んだ感情を爆発させたときは、本人でさえ抑えが利かず。

 そして人に対して声を荒げたことに対する罪悪感は、他の人間よりはるかに大きいのだ。

 そういうやつなのだ。

 そういえば以前にこちらに怒鳴ったときも、彼女は時間を置いてから、自分に謝りに来たのだった。

 そのことを懐かしく思い出しつつ――鍵太郎は、未だ物憂げに湖を見つめる隣花に言う。


「……なあ、片柳。おまえ、何考えてる? 言えるところだけでいい。教えてくれないか」


 元々今日ここに来た目的のひとつは、こうして彼女と話をすることだった。

 色々あって、こんなタイミングになってしまったが。

 そう言って、しばらく二人で湖を見つめていると――

 少しの間を置いてから、隣花はぽつりぽつりと話し始める。


「……この間の。アンケートのことだけど」


 彼女が口にしたのはまず、先日の学校祭のアンケートの結果のことだった。

 大半が肯定的なものだったが、一部に非常に耳の痛い意見が混じっていた。

 それにゆかりとみのりは大激怒し、そして隣花は異様なほど無表情だったこともあって、今日はこんなことになっている。

 そして学校祭でアンケートをやろうと言い出したのは、隣花当人なのだ。

 ひょっとしたら、彼女はあの時点からもう既に、何かを考えていたのかもしれない。


「……あんたも見たでしょう。『楽しいこと』で確かに学校祭の演奏はまとまった。けどそれだけじゃあのアンケートに書いてあったように、金賞には届かないんだと……私も思う」

「……片柳」

「別に楽しいことを否定しようってわけじゃない。ただ……『それだけ』じゃダメなんじゃないかって、そう思っただけ」


 私はあいつらみたいに、ただ純粋無垢にはなれないの――そう言って隣花は、昼食のときでさえ楽しげな、他の同い年たちを目で指した。

 その瞳に、特に侮蔑するような感情は込められていない。

 けれども――その代わりに、ひどく疲れたような、むしろそんな彼女たちを羨ましがってすらいるような、そんな思いすらそこには見て取れた。


「……だからか」


 だから隣花は、自分がこのテーマパークのシステムを分析するのを、好意的に受け取ったのだ。

 それはこれからのことを真剣に考えている証だから、とてもいい、と。

 その行動は隣花にとっては、自分の味方が唯一いたような、そんな気分になれるものだったのだろう。

 しかし同い年はもうひとつ、さらなる秘密を打ち明けてきた。


「……あと。楽しみながらコンクールで金賞を取るっていうのがただの理想論じゃないかって、そう思うものを見てきたからっていうのも、ある」

「なんだよ、それ」


 さすがに自分が考えていることを、他人の口から『ただの理想論』と言い切られることに対しては、こちらとしても思うところがないわけではなかったが。

 だがしかし、隣花の話は最後まで聞くべきだとも、鍵太郎は一方で思っていた。

 なぜなら彼女は、明らかに自分の知らないものを見てきたからで――


「……東関東大会。高校A部門を、聞きに行ってきた」


 そしてさらにレベルの高いものを見てきたのだと、この孤高の銀狐の口調からは察せられたからだ。

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