第207話 夢と現実のパレード

 ゲートをくぐった瞬間、視界いっぱいに広がってきたその光景に――思わず湊鍵太郎みなとけんたろうは目を見張った。

 テーマパーク、『フォクシー・ランド』。

 その中心には大きな人工湖があり、その周囲には天高くそびえる城や、各アトラクションが配置されている。

 動物たちをキャラクターにしているからなのか、園内には至るところに緑があり、どこからともなく流れてくる音楽もその場にいる人々の心を自然と明るく弾ませている。

 すぐ近くには、さっきから感じていた甘い匂いを振り撒くポップコーンの店もあった。

 それはいかにも遊園地らしい、といった風景で。

 先ほど同い年の双子の姉妹も言っていたが、ここに来れば確かに一時現実を忘れて遊び回れるような、そんな気分になれそうだった。

 来る人全てを楽しませるような仕組みで、ここは溢れているのだ。

 だから鍵太郎は、その仕組みのひとつひとつを――


「……」


 分析し、解析し。

 全部自分の内に取り込まんばかりの勢いで、観察していた。

 それは吹奏楽部に入ったからこその、行動だったのかもしれない。

 ただ純粋に楽しむだけだった立場から、『ステージに上がる側』になったことで――演奏やパフォーマンス、つまり『人を喜ばせるもの』に対して、異様に敏感になっているのだ。

 今後の自分たちの、ステージの参考にならないか。

 もっともっとお客さんを楽しませるには、どうしたらいいか。

 そのお手本とも言うべきものが目の前に広がっている。だから鍵太郎は、周囲の風景や小道具のデザイン・配置、匂い、そして聞こえてくる音楽に至るまで全部に神経を張り巡らせていって――


「……湊。少し、怖い顔してる」

「……あ」


 綺麗に刈り込まれた木々の奥にさりげなく設置されたスピーカーをじっと見ていたところで、先行していた同い年の片柳隣花かたやなぎりんかに声をかけられた。

 そのおかげで、ようやく我に返る。

 気がつけば自分は、ここを楽しむどころではなく、参考対象として考えてしまっていた。

 それはこの雰囲気を楽しむべきテーマパークの、裏側を覗き込むような無粋な行為だ。

 バツが悪くて頭をかこうとしたら、さっき無理矢理つけられたキャラクターの耳が手に当たって、ますます自分がどれだけ場にそぐわない行為をしていたかを思い知らされる。

 こんなのつけておきながら、何してるんだ俺は――そう反省していると。

 そこでなぜか隣花は、くすりと笑う。


「まあ、いいんじゃないの。それはあんたが、これからどうしようかってことを、すごく真剣に考えてる証なんだし。私はそういうの、とてもいいと思う」

「え、あ? そうか、そうなのか……?」


 言われた内容もさることながら、今日これまでずっと難しい顔をしていた隣花が微笑んだことに、鍵太郎はまず驚いた。

 先日、彼女の様子が少しおかしいように見えたので、今日はここに誘ったのだ。

 しかしその隣花はなぜか、今はひどく上機嫌そうにしている。

 その変化が一体、どこから来ているのかは分からない。

 だが少なくとも自分の行動は、どうも彼女のお気に召したらしい。

 だったら結局隣花は、何を考えているのだろうか。

 それを訊こうと思ってここに来たのだが――

 今は、そんな時間はなさそうだった。


「片柳さん、早いよー」

「どこまでいっちゃうのかと思った」

「……いや。さすがに、みんなを置いていくつもりはないから」


 一緒に来ていた吹奏楽部の同い年たちが追いついてきたことに、隣花の表情はまたどこか抑えたものになってしまう。

 しかしその落差が、どうも彼女が何を考えているのかのヒントになりそうでもあった。

 そして全員がそろって、とりあえず適当に園内をぶらつこうという話になる。

 けれどもその同い年たちの中で、ただ一人キャラクターグッズを身につけていない隣花を見て――


「……なんなんだろうな、あいつは」


 それで周囲からどこか浮いてしまっている彼女の姿を不安に感じつつも、鍵太郎は今度こそ頭をかいて歩き始めた。



###



 平日の午前中ともなれば、さすがに有名なテーマパークといえども、そこまで大勢の人はいない。

 乗り物の待ち時間も、みなでしゃべっていればさほど気にならないくらいだし、通りを歩いていても人にぶつかる心配もないぐらいだ。

 それでいて、遊園地独特の楽しげな雰囲気は微塵も損なわれていない。

 実に快適な混み具合である。なんだかんだで結局買ったキャラメルポップコーンを食べながら、鍵太郎はここに来ようと言い出した二人に感謝して園内を回っていた。

 油断すると、やはりときたまそこにある『システム』を観察しそうになるが――そこは全員から置いていかれる前に切り上げ、はしゃぎ回る女性陣についていく。

 浅沼涼子は言わずもがな、何か気になるものがあれば一直線に向かっていくし。

 それをフォローしようと追いかける千渡光莉せんどひかり宝木咲耶たからぎさくやも、久しぶりであったり初めてのこのテーマパークを、それぞれの感性で楽しんでいるように見える。

 そんな同い年たちをポップコーンをぱくつきながら見ているのも、それはそれで楽しかった。

 未だ冴えない表情の隣花のことは気になるが――それは昼食で落ち着いたときにでも腰を据えて話してみようと思う。

 なにせ彼女も別に、ここが嫌いなわけではなさそうだったからだ。

 隣花も隣花で、時折不思議そうな顔でキャラクターの形をしたアイスを売っている店を眺めたり、景色の写真を撮ったりしている。

 ひょっとしたらあれはあれで、楽しんでいるのかもしれない。

 だとしたら、それを邪魔したくもなかった。なのでそんな風にして、みなで歩いていると――

 突如、ブルーシートを敷いて座っている人たちが大勢いる空間に出て、鍵太郎は面食らった。

 その列は規則性を持って、歩道の模様ごとに並んでいるようだ。

 何事かと思って見ていると、このテーマパークに詳しい越戸ゆかりとみのりの双子姉妹が言う。


「ああ、これね。もうすぐパレードが始まるんだよ」

「今日は一応平日だからそうでもないけど、やっぱり最前列で見たい人は見たいだろうからね」

「ああ、パレードなのか」


 遊園地といえば乗り物を楽しみに来るイメージがあるが、そういえばショーやパレードも大きな魅力のひとつである。

 ならば、それを求めてお客さんがこうして列を作るのも無理はないだろう。

 特に通行の邪魔になっている感じでもなし、これもこれで楽しみ方のひとつの形だと思えば納得だ。

 もうすぐ始まるようだし、せっかくだから立ち見でもしていこうか。

 そう思ってポップコーンをぱくついていると、ゆかりとみのりはうんうんとうなずきながら言う。


「やっぱ人生には遊びが必要だよねー。潤いがないと心がカサカサになっちゃうよ」

「遊び心は大切だよ。そうじゃないと何してもつまんないもんねー」

「おまえらはさ、本当にこういうエンタメの感じが大好きなんだな」


 出会った当初からそうだった彼女たちに、思わず鍵太郎は苦笑い含みでそう言った。

 それであの生真面目な前部長からは、しばしばこってりと絞られていたこともある二人である。

 その場面を思い出して笑っていると、ゆかりとみのりはそんなこちらに、口を尖らせ言ってくる。


「みんなもそうだけどさ、湊も真面目すぎなんだよ」

「そうそう。ちゃんと魔法使いと僧侶やってから賢者になる感じでさ」

「……おまえらは、遊び人から賢者になる感じか」


 彼女たちらしく、ゲームに例えて言われたことに対して、鍵太郎もそれに倣って言葉を返した。

 確かに自分はコツコツ積み重ねて結果を出す、比較的真面目なタイプである自覚はあるが――

 それを改めて他人に指摘されると、何か釈然としないものを感じなくもない。

 特にゆかりやみのりといった、結果は同じでも、そこに至る過程がまるで違うタイプに言われるとなおさらだ。

 なので鍵太郎が半眼で二人を見ていると、しかし彼女たちはそんな視線などおかまいなしに、胸を張って言ってくる。


「そう、人間には向き不向きがあるんです!」

「わたしたちはわたしたちのやり方で、経験を積んできたんです!」

「ズルい……。なんかおまえら、ズルいぞ……」

「ズルくないもん! 私たちは私たちで、それなりに苦労してきたもん!」

「あの鬼軍曹に叩き込まれたものは、わたしたちの中でちゃんと息づいてるもん!」

「まあ、フリでも息づかせてなかったら何されるか分かったもんじゃなかったからな、あの人には……」


 引退早々散々な言われようだが、あだ名が『鬼軍曹』だけあって、前部長の厳しさは相当だったのである。

 だからそれを耐え切ってきたゆかりとみのりも、確かにそれなりに経験を積んで、苦労もしてきたとも言えるだろう。

 だが果たして、それだけでこの先彼女たちは、パートリーダーとしてやっていけるのだろうか。

 普段の態度が態度だけに鍵太郎が疑いの眼差しを向けていると、二人は続ける。


「あとはねー、一年のときに滝田たきた先輩を見てきたのも、大きかったと思う」

「あの人の、なんというか……スピリット? っていうのかな。それはそれですごかったと思うし」


 二つ上の卒業した先輩の名前を出し、ゆかりとみのりはそれぞれ持っていたステッキをくるくると回した。

 動きに合わせて光るのだろう。そのステッキは彼女たちの動作に合わせて瞬いたり点滅が上下に動いたり、様々な輝きを見せている。

 そしてその仕草はどこか、あの先輩がドラムを叩く前にスティックをくるりと回していた、その姿にも似て――


「だからー、その滝田先輩の魂と」

貝島かいじま先輩の技術を併せ持ったわたしたちは」


 そこで、二人はさらに音を立ててステッキを合わせ。

 声をそろえて、力強い笑みと共に言い切った。


『わりと、無敵だと思うんだよね?』

「……あーあ。おまえらは本当、遊んでるくせにスゲえ境地まで辿り着くよなあ」


 やっぱりズルい、とは思うのだが。

 まだパレードも始まっていないのに、曲芸じみた芸当を見せてくれた彼女たちのような真似は――どうあっても、自分にはできないのも分かっていて。

 鍵太郎は心の底から苦笑して、降参といった風に諸手を挙げた。

 この二人がここまで豪語するのだ。あの先輩がいなくなったとはいえ、今後も打楽器パートは劣らぬ活躍を見せてくれるだろう。

 三年生たちがいなくなってやや不安はあったものの、この調子ならどうにかなりそうだ。

 そう思ってひと息つくと――流れてくる音楽が変化して、いよいよパレードが始まる。

 どこからともなくキャラクターを乗せた、巨大な乗り物がやってくる。

 流れてくるセリフや音楽に合わせて、このテーマパークのキャラクターたちが手を振り、それに観客たちが応えていった。

 その長い長い列は、どこまでも続いていきそうで――

 そして。


「あ! フォクシー!」


 このテーマパークのメインキャラクター、『きつねのフォクシー』が出てきたことに、涼子が大はしゃぎでそう叫んだ。

 そして両手を振って飛び跳ねる彼女に気づいたのか、乗り物の最上段にいるフォクシーも、彼女に対して手を振り返してくれたようだ。

 それにさらに興奮して涼子は、こちらに話かけてくる。


「え、いまの見た!? 見た湊!? フォクシー手を振り返してくれたよ!!」

「分かった、見てた、見てたから肩を揺さぶるな、ポップコーンこぼれる!!」


 加減を忘れてこちらの肩を掴んでくる彼女に、笑いながらそう文句を言って――

 しかしその涼子の笑顔は写真でも撮っておきたいくらいだったと、鍵太郎は思っていた。

 ポップコーンのカップを押さえるので精一杯で、それどころではなかったが。パレードの方も写真か動画を撮ればよかったと今更ながらに思ったが、その辺は光莉と咲耶がやっておいてくれたらしい。

 携帯やカメラを構えてこちらへと手を振ってくる二人に、手を振り返す。

 それも写真に収めてもらって――いい思い出ができたと、やっぱり来てよかったなと鍵太郎が思っていると。

 涼子が言う。


「すごいよね! やっぱりこういうのいいよね! あたしもパレードとか、そういうのやりたい!」

「ああ、そうだな」


 学校祭でもその元気なパフォーマンスで、会場を盛り上げていた彼女だ。

 やはりこういったショー的な要素には、心惹かれるものがあるらしい。


「やっぱり、そうだよなあ……」


 誰だって、楽しいことをやりたいと思うのは当然だ。

 こうしてこういうものを見ると、改めてそう思う。

 色々な仕組みを用意して、ショーに出る人たちはきっと相当練習して――そういう努力を、このテーマパークの人たちはそれこそ、たくさんしているのだろうけど。

 それでこんなに多くの喜んでくれる人たちがいるのなら、そんな苦労は微塵も気にならないのだろう。

 誰かがこんな風に笑えるように、ここにいる人たちは各々のやるべきことをやっている。

 なら――自分たちもその気持ちを核にやっていくことはできないだろうか。


 楽しいことをして。

 それで笑いながら、ひとつのものを作り上げることは。


「……それで金賞取れたら、本当に最高なんだけどな」


 それがとても険しい道だと分かっていても。

 けれどもどうしても、そう思わずにはいられなかった。

 だって今年のコンクールのようにみんなが泣きながらやるより、そっちの方がずっとずっといい。

 だから鍵太郎は、思わずそう口に出してつぶやいたわけだが――


「……残念だけど。それはやっぱり、難しいと思う」


 それに対して後ろから沈痛な声をかけてきたのは。

 やはりというか、片柳隣花だった。

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