第15幕 新たなる航路へ

第205話 嵐を呼ぶアンケート結果

 そして、三年生たちが全員去っていった音楽室の中で――


「やったー! これで私たちは、自由だー!!」

「これでわたしたちの、天下だー!!」

「……おい、おまえら」


 越戸ゆかりとみのりが諸手を挙げてそう叫んできたので、湊鍵太郎みなとけんたろうは二人に対して半眼で突っ込みを入れた。

 この双子は元部長のいた、打楽器パートの部員である。

 確かにあのカタブツ部長とずっと一緒にいるというのは、遊びが大好きなこの二人にとって、かなりの負担であったのかもしれないが――

 さすがに引退した途端に、それはないのではなかろうか。そう思って声をあげたわけだが、当のゆかりとみのりはケロッとした顔で、こちらの視線に応えてくる。


「いや、私たちだってさすがにあの人に対して、感謝の気持ちがないわけじゃないよ?」

「なんだかんだで色々教わったことがあるとは、わたしたちだって思ってるよ?」

「……だよな。おまえらだって別に、先輩のことが嫌だったわけじゃ――」


 この二人だって、さすがにあの先輩が嫌いだったからこんなことを言っているわけではないのだ。

 それは分かっていた。

 なにしろそのことは、こんな風に元部長のことを言いながら、彼女たちが部活を辞めずにここまでやってきたことが証明している。

 だからこの浮ついた発言も、きっと先輩たちが引退してしまったその寂しさを埋めるためのもので――

 と鍵太郎が思っていると、ゆかりとみのりはさらに続けてくる。


「でもあの人の専横政治に、それなりに鬱憤が溜まってたのは事実だからね!」

「だからこれからはわたしたちが好きなように、思いっきりやらせてもらうからね!」

「違うなあ!? 俺が思ってたのと、なんかちょっと違うなあ!?」


 どうやら長い間押さえ込まれてきた彼女たちの感情は、自分が想定していたよりも、はるかに捩れたものになっているらしい。

 好悪が入り混じったその発言は、ただ単に『尊敬している』と言う以上の奥行きがあった。

 しかしそれは少なからず自分もそうだったので、鍵太郎は苦笑いではしゃぐ二人を見る。彼女たちの気持ちがなんとなく理解できてしまうだけに、ここでブレーキをかけるのにも憚られた。

 だが、なにしろこれからは自分が部長なのだ。

 前部長のようにはやれないしやらないにしろ、どこかで引き締めなければならない部分は出てくるだろう。

 そう考えて、これ以上ゆかりとみのりが暴走しないように、歯止めをかけようとすると――


「はい。湊。これ、今日の分のアンケート」

「お、おう。ありがとう、片柳かたやなぎ


 同い年の片柳隣花かたやなぎりんかが今日のコンサートの分のアンケート用紙を渡してきたので、鍵太郎は驚いて反射的にそれを受け取った。

 学校祭二日目の吹奏楽部コンサート、そのアンケート用紙。

 それはもちろん観客数が多かった今日の方が、格段に分厚い。

 その厚みと重みに、抑え切れない高揚を覚えながら――鍵太郎は引き込まれるように一枚一枚、それを読み始めた。

 それはゆかりもみのりも同じなようで、騒ぐのを止めて、興味津々でこちらを見てくる。

 お客さんの声を直に聞けるこのアンケートは、一日目と一緒でこれからの方向性を示す、大きな指標になっていくだろう。

 もちろん、自分たちの演奏がどう受け止められていたかも気になる。

 なので双子の姉妹にも、こちらも読み終えた分を渡して――それを、さらに彼女たちが次の部員に回し。

 そして、全員での回し読みが始まった。



###



 あれだけ盛り上がっていただけに、アンケートの結果はやはり非常に肯定的なものが多かった。


『一生懸命練習したのが伝わってきました。自分もまた学生時代に戻って吹いてみたいです』

『初めて吹奏楽の演奏を聞いた。迫力がすごかった』

『お菓子ありがとうございます! 楽しかったです!』


 等々。

 読んでいて、自然と表情が緩んでくる。無我夢中でやっていたとはいえ、それをこうして評価されるのはとても嬉しいことだった。

 経験者もやはりいたのか、今度はこんな曲をやってくださいなど、具体的な曲名が書かれているものもある。

 そうして、どんどんとアンケート用紙をめくっていくうちに――


「……ん」


 それまでとはまるで違うことが書かれているものにぶち当たって、鍵太郎はぴたりと動きを止めた。

 一度その文を読んでから、もう一度読み返す。

 それはそうでもしないと書かれている内容が受け止められないくらい、突き刺さるようなアンケートだったからだ。

 今日読んできた、どれとも感じが違う。

 これを、全員に見せていいものだろうか。

 一瞬迷ったが――しかし隠すのもフェアではない。

 そう判断し、鍵太郎はそのアンケートを、他の部員にも回すことにした。

 既にこれまでのものを読み尽くして、次のものを今か今かと待っているゆかりとみのりに対して、これを渡すのは気が引けたが――

 意を決して、二人に差し出す。

 どんなことが書かれているのかと、目を輝かせて読み始めた二人だったが。

 その顔がたちまち曇り――そして彼女たちは眉根を寄せて、ぶるぶると震え始めた。


「な……なにこれーっ!?」

「なにこいつ! なんなの!?」

「ま……まあまあ。こういうことを書く人もいるさ」


 予想通り怒り心頭、といった二人の反応に、鍵太郎はただそう言うしかなかった。

 これはなにしろ、あの場にいたお客さんの書いた意見なのだ。

 そのままそのアンケート用紙を破り捨てそうになるのを諌め、次の部員に回させる。

 彼女たちの気持ちも重々分かるのだが――

 そこに書いてあるのは、こんな内容だった。


『コンクールで金賞を取った学校ということで見に来てみましたが、正直ガッカリしました。もし楽しくやるんだったら別に、今のままでいいでしょう。しかしコンクールでもっと上の賞を目指すんだったら、もっと練習しないといけないですね。がんばってください』


 なるほど、今日のコンサートには、色々な人が来ていたはずだ。

 なにしろ体育館がいっぱいになるくらい、他ならぬ自分たちの手で大勢の人を呼んだのである。

 その中にはこんな風に、自分たちの演奏を聞き苦しく感じていた人もいたのだろう。

 しかしそうであっても――わざわざこんなことを書かなくても、と思う気持ちは、ないではなかった。

 というかこれが去年のコンクールのようにどこかの強豪校の先生に言われたのだったら、自分も二人のように怒鳴り散らしていたかもしれない。

 だがこれは、自分たちの演奏を聞いた、そのうちの一人の観客の感想だった。

 それを握りつぶすことはやはり、どうしてもできないのだ。

 好悪が入り混じった感情には深みが生まれる。こう書かれたということは自分たちの演奏にそれだけ、力があったということだろう。

 というか、そう考えないとやっていられないという面もあった。チラシを配っていたときと一緒だ。人間はいいことと悪いことがあったら、悪いことの方が印象に残る。

 だからこれは、よかったという意見と同じ重さで扱おう。

 この一枚のアンケートは、全体の中のごく一部なのだ――そう割り切って、だがしかし鍵太郎はもしこれで落ち込んでいる部員がいたら、励まして回ろうと決意した。

 今まさにゆかりとみのりをなだめているように、他の部員たちにだって、根気強く話をしていけばいい。

 そう考えて、次にそのアンケートを読んでいる人物に視線を移したとき――


「……」

「……片柳?」


 隣花が無言でそのアンケートを読んでいるのが目に入ってきて、鍵太郎はその表情のなさに、逆に妙に不安な印象を受けた。

 そういえば、今回の演奏会でアンケートをやろうと言ってきたのは、彼女なのだ。

 だから何かしら、思うところはあるのだろうが――

 それにしては、何か反応がおかしくはないだろうか。

 これはこれで、後でちゃんと話し合った方がいいのかもしれない。

 隣花は自分たちの学年の中では比較的冷静沈着、理論的な会話ができる人物である。

 その分、キレたときはとんでもなく怖いのだが。一度彼女が感情を爆発させたときのことを思い出し、鍵太郎が苦い顔をしていると。

 未だ憤りが収まらぬといった様子のゆかりとみのりが、こちらの制服の袖を引っ張ってくる。


「あーもう、あったま来た!」

「湊! 遊園地行こう! 遊園地!」

「え!? は、なに? 遊園地!?」


 どうしてそこで、遊園地に行こうという話になるのか。

 謎の論理展開に頭がついていかないのだが、それは二人が地団駄を踏みつつも説明してくれる。


「こういう気分のよくないものを見たときはね、ぱーっと遊んで忘れるに限るの!」

「今度平日に、学校祭の代休があるでしょ! 平日の遊園地! 遊び放題だよ!」

「ああ、そうか。なるほど」


 要するに、ストレスが溜まったから発散させようということらしい。

 二年生も後半にきて、そろそろ受験の準備を始めようかというところではあるのが――まあ、その一日くらいは大丈夫だろう。

 彼女たちの言う通り、感情を溜め込んだままでいるのはよくない。

 そう考えて。

 鍵太郎は、先ほど表情を押さえ込んでいた同い年にも、声をかけることにした。


「じゃあ、みんなで行こうか。な、おまえも行くだろ――片柳?」

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