第204話 最後の問いかけ、あるいは予言
「すごかったよ、みんなー!」
そう興奮気味に言ってきたのは、今回の学校祭のコンサートを聞きに来ていた吹奏楽部OG、
最初から最後まで、アンコールまで含めて今日の演奏は大盛況だったため、片付けも大変である。
そんな中
本来ならば卒業した先輩たちにそんな雑用をやらせるべきではないのかもしれないが、正直想定を上回るほどのお客さんが来て追加でイスを出したぐらいだったので、手を貸してくれるのは非常にありがたい。
こうして、動きながらも久しぶりに先輩たちと気兼ねなく話せるわけだし――と鍵太郎が思っていると、奏恵が上機嫌に「ラブ&ピース!」と叫びながら、イスを荷台にガチャンと放り投げる。
「そうそう! みんなすごかったけど、特にゆみちょんがあそこまでやってくれたのが本当、嬉しかった! すっごいがんばったんだろうね、きっと! よかった! ほんとよかった!!」
「あ、あははは……は、はは」
その当の『ゆみちょん』は、ラストの曲が終わった後フラフラの状態で「もうやらない……もう柄にもないことは、二度とやらない……」などとぶつぶつ言っていたのだが、先輩にこう言ってもらえればそれも報われたと言えるだろう。
後であの先輩にも、奏恵がこう言っていたと伝えておこう。
そう思って鍵太郎もイスを荷台に片付けると、OGの先輩は鼻息も荒く宣言する。
「決めた! あたしもまたペットやる! どっかやれるとこ探す!」
「あれ? 先輩、まだ見つけてなかったんですか? どこか吹けそうなところ」
夏にコンクール会場で会ったとき、彼女はまたどこか吹ける場所を探して、楽器を続けると言っていたはずだ。
それがまだできていなかったということに、鍵太郎は首を傾げた。確かにあのときは奏恵も自分は楽器を持っていないし、周りに吹いている人もいないと言っていたから、なかなか探すのは大変なのかもしれないが。
それにしても、もったいないなと思う。
これほどの人が自分の実力を発揮できず、こうして聞くだけの立場というのは。
今日ここには来ていないが、自分と同じ楽器のあの先輩のところの、社会人バンドとかはどうなのだろうか。遠いから通えないとか、そういった事情があるのだろうか。
それとも貸してくれる楽器がないから、買わなければダメとか――などとそんなことを考えていると。
今度は同じくOGの、
「イヤー、がんバったといえば、エル・クンバンチェロもよかったですヨー? 特にあの、最初の叫び声のトコロとか」
「それはもう、どうとでも言ってください」
明らかにからかっている様子の先輩に、鍵太郎は半眼で応じた。
先ほどの本番で自分が盛大に声を裏返らせたことは、もはや覆せない事実である。
今から思い返してもメチャクチャに恥ずかしい。穴があったら入りたい。
きっとこんな風にして、これをネタに一生いじり続けられるんだろうなとも思う。
でも、結果的に。
「……あれで盛り上がったんだから、いいじゃないですか」
あの叫びをあげたからこそ、こうしてみなが笑いながらその次のことをやれているとも言えて。
だからあれはあれで、よかったのだ。唇を尖らせながらもそう口にすると――なぜか慶は「ン?」と意外そうな声をあげる。
「んー、なんか妙に冷静ですネ。なんでスか。ここは以前だったら『やめて! やめてください!』って、泣きそうな顔しながら懇願してきたトコロなのに」
「それを期待して言ってきたんだったら、先輩は本当に悪魔だと思いますよ……?」
相変わらずの先輩の言動に、思わずゾッとして顔を引きつらせてしまうが。
しかし慶の言う通り、少し前の自分だったら恥ずかしさのあまり、そんな行動を取っていたはずだった。
ではどうして、こんなに気持ちが定まっているのかといえば――
「ああ」
心当たりがひとつあって、鍵太郎はうなずいた。
学校祭が終わり、片付けも終わったら。
その先にあるのは――たったひとつの結論でしかなかったからだ。
「だって俺、明日から部長ですし」
###
会場の体育館も片付けて、音楽室に運んだ楽器もしまい終えたら。
あとは、三年生の引退の挨拶だけだ。
なのでそんな今日でこの部活を去る先輩たちの言葉を――鍵太郎は体育座りをしながら、どこか不思議な気分で聞いていた。
この人たちが、これで本当にいなくなってしまうんだと納得している自分と、まだそれを受け入れたくない自分が、心の中で同居している。
これは、どうすればいいのだろうか。
そう考えながら他の部員たちと一緒に、誰かの挨拶が終わるごとに拍手をして――
ひとり、またひとりと、先輩たちが音楽室から去っていくのをぼんやり見ていると。
そんな自分に、声をかけてくる姿があった。
「えー……ゴホン。湊くん」
「……
部長――いや、もう引退の挨拶を終えたから元部長、と呼ぶべきか。
その元部長、
しかし結局はいつもの通り、彼女は腰に手を当て――その小さな身体を思い切り反らして、言ってくる。
「えーと、はい。湊くん、今日まで部長を務めてきた身として、引継ぎ事項を申し上げます。ティンパニの皮がそろそろ張り替えの時期です。来年のコンクールまでには直しておくように」
「あ……は、はい」
打楽器担当であった優の言うことは、間違いなく本物だ。
その知識量と情熱は、未だここにいる誰よりも多いだろう。
そんな元部長のお達しだ、必ず替えておかねばなるまい。
引退してもなお生真面目な彼女の様子に、これから部長を務める身である鍵太郎の背筋が、否応なくピンと伸びる。
しかしそれでもまだ反応が物足りなかったのか――優はさらに視線を鋭くして、付け加えてきた。
「もし張り替えてなかったら、一発で分かりますから。……覚悟しておいてくださいね?」
「は、はひっ!?」
「結構お金がかかるはずですから、準備の方はぬかりなく。来年度の部の予算には必ず計上しておいてください。まあその辺は、本町先生と相談しながら決めていただくとして。あと、予算のことといえば――」
と、さらに元部長からのありがたいお言葉が続きそうになったところで。
今度はもう一人違う先輩が、そこに口を挟んできた。
「あー。そういう、激烈に真面目なお説教はさて置いて。あたしもこの子には色々言っておきたいことがあるんだけど。いいかな、優」
「た、高久先輩」
同じく三年生の
この先輩もこの先輩で、今年は自分の師匠として道を照らしてくれた存在なのだ。
部長の優が具体的なアドバイスをくれる人間なら、広美はその異様なほどの先読み能力で、全体の方向性を舵取していた人物であると言える。
そんなどこか予言者じみた彼女は――優と同じで、自分のことを影に日向に引っ張ってきてくれた先輩だった。
その広美が言っておきたいことというのは、一体なんだろうか。
明るい未来か、それとも艱難辛苦への警告か――
しかし彼女が口にしたのは、そのどちらでもなかった。
先輩はこちらをじっと見つめ、珍しく真っ直ぐな口調で言う。
「ねえ、湊っち。これまで散々いろんなものを見て、そこから先を予測してきたあたしだけどさ。この先は、そんなあたしでも読めない未来なんだ。
なにしろあたしは、その場にいなくちゃ正確な演算ができない。誰がどんな風にこれからやってきて、その人がどんな発言をするかも分からない。不確定要素が多すぎて、どこでどんなことが起きるのかも分からないんだよ」
きみの未来は、既に予測不可能なんだ――と、彼女は真剣な眼差しで言い。
しかしその未知の可能性を、慈しむように、ただ穏やかに微笑んだ。
「でもあたしらは、ここから先についていってやることができない。今までみたいに、困ったときにすぐ助けてやることはできない。
それでも――きみはこの先にある未来に、行く勇気はあるかな?」
それは高久広美、最後の問いかけであったのだろう。
師匠が弟子に出す、最終試験。
不確定の未来に対する、自分の心の中の回答。
だがその答えはもはや――決まっているのだ。
「はい」
「よろしい」
そして自分がそう答えることを、彼女はもう知っていたはずだった。
ここまでこの不肖の弟子の面倒をみて、育ててきてくれたこの先輩であるなら。
未来視なんてなくとも――そう答えることは分かりきっていたはずなのだ。
だからこのやり取りは、さっきまでぼんやりしていた、自分の背中を押すためのもので。
全ての工程が終了したことを祝福するかのように、師匠はその返答に、まぶしげに笑う。
そして。
「ま、そういうことだから。心配することはないよ優。さっきからこの子になんやかんやと言ってたけどさ、『来年のコンクールは手伝いに行くから、遠慮なく声をかけてくださいね』とか『不安なことがあったらいつでも相談してきてくださいね』ってただフツーに言えば、それで済む話じゃん」
「な……っ!? そ、そっちこそ何も指示をせずに放り出すのは、先輩としてよくないのではないですか!? 無責任です、毎度のことながら、広美には責任感が足りませんよ!!」
「責任感!? はあぁ!? このスーダラ女子高生に、今責任感っつたか優!? かーっ、あんたは相変わらず、人の心が分かってないねえ!?」
「そっちこそ、無神経に人の言葉の裏を取らないでくれますか!? それでこっちが、どれだけ恥をかかされたと思って――」
「あー、もう二人とも、ケンカしないでくださいよ」
そこでいつもの調子に戻って言い合う二人に――なんだかおかしくなって笑ってしまいながら。
相変わらずの先輩たちの言葉の応酬に、鍵太郎は割って入った。
どこかでまだ、この人たちがいなくなることに、寂しさを抱いていた自分だったが――
「……本当に、ありがとう、ございました――」
言い方は違えど、こうして背中を押しに来てくれた先輩二人に。
深々と頭を下げて――これでようやく、心置きなく前に進むことができる。
そして、そんな隠れた頭の下で、泣きそうになっている自分に――
「ねえ、湊っち」
高久広美はいつものように、全てを見透かしたような口調で呼びかけてきた。
それはあるいは――彼女の、最後の予言だったのかもしれない。
「さよなら、なんてしみったれたことは言わないさ。――またね」
第14幕 いざ行かん、覚悟を決めに〜了
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