第197話 完全無欠の宣伝方法
「で――どうやったらもっとお客さんを呼べるか、って話だけど」
と楽器屋は、商談の続きを
学校祭一日目、本番終了後――
今日埋まらなかった客席を、明日は多くの人で満たすにはどうしたらいいか。
その方法を求めて鍵太郎は、楽器屋の店主であるこの
ひとつの店の長として、彼はこういった場面を数多く経験しているのだろう。
流れるようにスラスラと、どうすればいいかをこちらに提案してくる。
「さっきも言った通りだ。告知のためのチラシは十分な数を配れている。だから、そこからどうやって会場に足を向けさせるか。そこが重要になってくるね」
「どうやって足を向けさせる……ですか」
「そう。いわゆる売り文句をもっと上乗せしたいところだ。この間も言ったろう? メリットを示せって。
チラシをもらった人が思わず会場に行きたくなるような、そんな理由を言っていくんだよ」
「……なるほど」
そう、納得はしたものの――自分の部活のその『売り文句』が思いつかなくて、鍵太郎は首をひねった。
なにしろ、自分たちの演奏は、自分たちでは聞けないのだ。
だからこそどんな形容をつけていいか、自分だけではよく分からない。
まあ確かに今日来てもらったお客さんからの反応は上々だったし、アンケートの結果もよかったのだけれど――などと、そんな風に考えていると。
なかなか言葉が出てこないのに業を煮やしたのだろう。都賀が苦笑して言う。
「おいおい。まずは大前提として、きみたちは今年のコンクールでダメ金とはいえ、金賞を取ったんだろう。それなら聞きに来て損はない。むしろ上手い演奏が聞けるってことで、宣伝として組み込んでもいいんじゃないか?」
「いや、それは……なんか自慢してるみたいで、あんまり言いたくないというか」
そういった『金賞』を売りにするようなやり方は、選抜バンドで出会った、あの他校の生徒のことを思い出してあまり気分がよくないから――というのは、この楽器屋は知らない話なので、言わなかったが。
しかしそうでなくとも、自分の口から金賞うんぬんと言うのは、どうにも抵抗があるのだ。
そう言葉を濁す鍵太郎に、都賀は「ああもう、面倒なくらい謙虚だな、きみは」と頭をかく。
「金賞を取った、っていうのは自分たちの考えがどうのこうの以前に、まぎれもない事実だろう。
さっきも言ったけど、思い込みと事実を混同するな。謙虚は確かに日本人の美徳でもあるけど、時と場合によってはそれを発揮していい場面とそうじゃない場面はある。今は後者のはずだ」
「で、でも、それって実際聞いてて、あんまり気分いいものじゃないんじゃないですか?」
そこで脳裏をよぎるのは、今年のコンクールの会場であったあの雰囲気だ。
誰かがいい演奏をしたら、誰かがそれを貶めて。
金賞を取った学校の横を、取れなかった学校が恨めしげに通り過ぎていく。
あの光景は、とても宣伝に使えるようなものではなかった。
むしろお客さんを遠ざけてしまうのではないか――そう危惧する鍵太郎を、しかし都賀は鼻で笑い飛ばす。
「それは、同じコンクールで争った人間ならね。でも、ここにいる人はそうじゃないだろう?」
そう言って楽器屋は、自分たちの周りを行き交う人々を見回す。
つられて鍵太郎も周囲を見渡すと――そこには、自分の知らない誰かの姿があった。
同じ制服を着ているが話したこともない、名前も学年も知らない生徒たち。
年は近く見えても私服でいるのは違う学校の生徒だろう。さらに誰かの親だろう、夫婦の二人連れ。
そしてクッキーを手に嬉しそうに歩く、母親に手を引かれた女の子――
「あ……」
その女の子と、持っている袋に見覚えがあって、鍵太郎は声をあげた。
あのクッキーは今日の吹奏楽部のコンサートで、観客に配ったものだ。
その包みを大事そうに持って、女の子は母親と何かを話しながら、笑顔で目の前を通り過ぎていく。
その後ろ姿を、視界から消えるまで見送っていると――
都賀がやれやれとひと息ついて、こちらに言ってくる。
「これで分かったろ。彼らは学校祭の楽しい雰囲気を求めてやって来た、コンクールのことなんて、まるで関係ない人たちだ。そんな人たちに、きみたち自身が自分のコンサートの良さをアピールしないでどうする」
「……はい。そうですね」
その姿が見えなくなっても、彼女の笑った顔は心に残っていて。
鍵太郎は今度こそ、素直に都賀の言葉にうなずいた。
そういえば自分が観客の数を増やしたいと思ったのは、元はといえばああいった光景を、もっと多く広げていきたいからだった。
同い年たちはそのためにがんばっていて、先輩も後輩も、そのために力を尽くしている。
だったら、もう少し欲張って自分たちのことを話してみてもいいのかもしれない。
じゃあ、どんなことを言えば、もっとよく伝わるだろう?
そんなことを考えていると――都賀は言う。
「……まあ、自分の口から金賞云々と言いたくない気持ちは分からないでもない。僕もそういった場面は、散々見てきてるから。
だから――そうじゃない、違う楽しい理由を考えればいいよ。ここに来ればすごくワクワクすることがあって、それまで気にしていたことなんかいつの間にか忘れて――明日もがんばろうと思えるような。そんな理由をさ」
幸いにもここにやってきているのは、そんな楽しさを求めてやってきたような人たちばかりなんだから――と、歌うようにそう言って。
楽器屋は鍵太郎に再び「そういうの、何かないかい?」と問いかけた。
「そういえば今日の演奏会の後、アンケートを回収していたじゃないか。あれにはなんて書いてあった?」
「今日のお客さんからのアンケートを見ると――演奏のこととか、パフォーマンスのことか。あとやっぱり、お菓子をもらった人たちからの反応がすごくよかったです」
「よし、じゃあそれで決まりだ」
なんだ、自分でも分かってるじゃないか――と都賀は肩をすくめ。
そして、その先を続けた。
「どんな文言で宣伝するかはきみたち自身に任せるけど、明日はそれを言いながらチラシを配るよう、さっきの後輩ちゃんたちや部員みんなに言えばいい。
ただ配るよりその方が格段に、宣伝効果は上がる。ここからちょっと体育館まで足を伸ばすだけで、普段はCDやネットでしか聞けない生演奏が聞けて、運がよければお菓子ももらえるんだ。しかも無料でだぞ」
これを売り込まない手はない――そう言って、商機を見つけた楽器屋は不敵に笑った。
それが商談が成立した喜びからからなのか、それとも他の感情からなのかは、未だに鍵太郎には推し量れなかったが。
それでも、感謝したい気持ちに変わりはなかった。
絶望的に思えた状況から、かなりの希望が見えてきたのだ。
そのことについて、鍵太郎は都賀に頭を下げる。
「ありがとうございます、都賀さん。おかげでだいぶ、何とかなりそうな気がしてきました」
「お礼を言うのはまだ早いと思うけどね。ま、お互い最高の利益が出るタイミングで取引しようって、このあいだ言ったんだ。今回はあのときの約束を果たしたまでさ。
使えるものは何でも使え。というわけで後でお代はばっちりいただくからね。これから部活で何か必要になったときは、ぜひ
「これさえなければ、本当に尊敬できる人なんだけどなあ……」
あの指揮者の先生といいこの楽器屋といい、どうして自分の周りの大人はこう、どこか残念な人が多いのだろうか。
そう思って頭を押さえ、苦笑していると――都賀は「ああ、そう使えるものは何でも使えといえば」と、思い出したように言ってくる。
「チラシだけじゃないぞ。最近はSNSでも案外宣伝ができる。部活のアカウントはあるかい? ない? じゃあ友達でSNSの影響力の大きそうな人はいないかい? その人に頼んで明日のコンサートの宣伝をしてもらうことも――」
「いや、いや!! さすがに今日のコンサートを聞きに来てない人にそういうの頼めませんから!?」
恐ろしいステルスマーケティング方法を提案してくる楽器屋に、鍵太郎は必死になってそれを拒絶した。
心当たりのある友人知人はいなくもないが、そこまで行くと宣伝というよりもはや単なるヤラセである。
冗談のつもりで言ったものと信じたいところだが、都賀は平気な顔をして続きを言ってきた。
「そうかい。じゃあそれは僕がやっておこう」
「……都賀さん?」
「なんだい? 僕だって今日のコンサートを聞いていた人間の一人だ。別に問題はないだろう。もちろん投稿するのは店のアカウントじゃなくて、僕個人のアカウントでだけどね――っと」
そう言って、その個人のアカウントでだろう。
手早く携帯からその投稿を済ませる都賀を、鍵太郎は呆然と見つめた。
そんなこちらを、都賀は静かに見返してくる。
「……最初に言っただろう。きみたちの演奏は、金賞を取っただけあっていいものだったって。それは、曲がりなりにもプロを目指した僕が保証する。これはいいものを聞かせてもらった、僕個人からのサービスだ。
そういうわけだから、卑屈にならないでもっと胸を張りなさい。きみが部員たちの実力を信じられなくて、誰が信じられる」
「……はい」
「みんな待ってる。目の前ですごい演奏が始まることを。心を動かす『なにか』が始まることを――」
そんなどこか、天啓じみた言葉を囁き、都賀は一度目を閉じた。
そしてまた目を開いたとき――その顔は、いつもの楽器屋のものに戻っている。
「そんなわけで、僕は明日仕事で来られないけど、ささやかながら応援させていただくよ。いやあ、『
「そう言いつつも、口が笑ってますよ都賀さん……」
「いいじゃないか。あいつSNS全然やってないから、みんな近況知らなくて困ってたんだ。今回は素晴らしい機会だと思うよー? はははあの野郎、みんなの晒し者になりやがれー!」
「はあ……」
この楽器屋のねじくれた感情が宣伝につながってくるというのは、なんとも複雑な気持ちではあったが。
それでも、あの先生を応援してくれる人たちが来てくれるのだと考えれば、悪い気分ではなかった。
けれど――
「しかし――明日は一体、どうなっちゃうんだ?」
少しずつ、話が自分の予想とは違った方面に転がり始めているような気がして、それに鍵太郎は段々と不穏な空気を感じ取りつつあった。
不安がある、というわけでもない。
それについては今、この楽器屋からどうすればいいかのアドバイスをもらっている。
あとはそれを実践していけばいいのだが――しかしチラシの件といい都賀の助言といい、自分以外の誰かの関与によって、今あるはずの流れが想定外の方向に変化してきているように思えるのだ。
それでどうなるかは、こちらにも分からない。
だが、それに躊躇している場合でもない。
となると突き進むしかないわけだが――果たして。
と思った、そんなとき。
「あ、そういえば最後にもうひとつ、とっておきのものがあるんだけど――こっちは追加料金でどうかな?」
楽器屋はそれを見透かしたように、さらなる取引を持ちかけてきた。
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