第194話 光の中の影

 お客さんの前で、同い年たちが演奏に合わせて踊っている。

 トロンボーンのあのアホの子に、打楽器の双子の組み合わせ。この三人は全員、去年のクリスマスコンサートのとき、やりもしないのに曲の振り付けの練習をしていたようなやつらだった。

 その方が楽しいから、と言って。

 そして、今年もその気持ちに変わりはないようで――

 三人が曲に合わせて調子よく踊るのを、湊鍵太郎みなとけんたろうは楽器を吹きながら視界の隅で眺めていた。


 学校祭一日目、吹奏楽部コンサート。

 その本番は演奏や彼女たちのパフォーマンスのおかげで、さらなる盛り上がりを見せている。


 特に真ん中で踊っているあのアホの子が、ノリノリの動きで観客を惹きつけていた。

 それもそのはずだ。彼女たちが部活の後に追加でこれの練習をしていたことを、鍵太郎は知っている。

 意外とスクワットみたいな動きが多くて大変なんだよ、この動き――と言いつつ、あの同い年はそんなときですら楽しそうに笑っていたのが印象的だった。

 恥ずかしげもなく本気で踊りのお姉さんをやっている三人に、最初は苦笑い交じりだった観客たちも、次第に引き込まれている。

 やはり何事も一生懸命やると、それだけで人には伝わるものらしい。

 やってよかったな、浅沼――と、彼女がこの曲をやりたいと言い出したときのことを思い返して、鍵太郎は胸中で微笑んだ。

 こういったことをあのバカは去年からずっとやりたいと言っていて、この本番でそれが叶ったのだ。

 本当はおまえも踊れと誘われたのだが、それだけは去年と同じで断固拒否をしておいた。

 けれどもせめて、その動きを軽くすることはできる。

 低音楽器として節となるビートは強めに出して、ステップしやすいように持っていく。演奏自体もこれで安定するはずだ。

 前面に出ず、しかし確実に全体を良い方向へと持っていく。

 観客の視線を一身に集める彼女たちのためにも、このくらいはしてやらないと割に合わないだろう――

 と、なんとなく言い訳をしていたところで。

 用意しておいた、もう一つの仕掛けが作動した。

 本来はどんどん踊る人が増えるはずのこの曲だが、さすがにそこまで部員がいるわけでもない。

 だから今回は趣向を変えて――違う先輩が出したアイデアである、お菓子を配ることにしたのだ。


「トリック・オア・トリート!」

「お菓子を食べないといたずらしちゃうぞー!」


 中心で踊る同い年はそのままに。

 後ろにいた双子がそれぞれ左右に散開して、客席にラッピングしたクッキーを配り始める。

 これのために、舞台の端にこっそりお菓子を入れたカゴを用意しておいたのだ。

 今日は学校祭ということで、学外からのお客さんも多い。

 そしてハロウィンの時期ということで、お菓子は子どもを中心に配ろうという話になっていて――二人は特に親子連れを中心に、カゴの中身を渡して回っていた。

 前の方に座っていた女の子がクッキーをもらった途端に目を丸くして、しかし手元にあるそれに、みるみるうちに笑顔になるのが見える。

 隣に座っている母親にそれを見せ、きゃいきゃいとはしゃぎ始めるその女の子の様子を。

 鍵太郎はちらりと横目で見て――そしてふっと笑って、短い休みの後に再び楽器を吹き始めた。

 そう、確かに彼女たちのおかげでさらに本番は盛り上がっているのだ。

 会場ではそこかしこで、そういった光景が見受けられた。それに関しては申し分ない。

 そこで指揮を振っている先生が先ほど言ったように、今ここに来ている人のために演奏できれば、それでいいのだ。

 しかし――


「……」


 その喜んでいる人たちの間に、ぽつりぽつりと空席があるのが、どうにもやはり目に付いてしまって。

 それにまだ、どうにも整理できない感情が湧きあがるのを感じつつ――それでも鍵太郎は、そのまま演奏を続けていた。

 自分はまだ、あの指揮者の先生のように達観しきれていないのだろうと思う。

 さっき言われた理屈はわかる。

 ここに来てくれた人が楽しんでくれれば、それはそれですごくいいことなのだろう。

 けれども、こんなに彼女たちががんばって、ここが盛り上がっているのなら――それをもっと多くの人に見てもらいたいという気持ちも、心のどこかに存在しているのだ。

 土曜日だから。

 雨が降っているから。

 会場が学校の一番片隅の、体育館だから――

 そんな、一見正しい言葉だけでは片付けられない感情が、奥底で燻っているのが自分でも分かる。

 たかが学校祭なのだから、そこまで深刻に考える必要もないと言う人もいるかもしれない。

 けれどここには、コンクールにはないまた違った『楽しさ』があった。

 そうでなければあのバカはあんなに張り切っていないし、配られたクッキーに喜ぶ女の子もいない。

 なら、もっともっとたくさんの人にこれを見てもらいたい――

 そう思うのは、間違いなのだろうか?


「ありがとうございました! クッキー、みんな食べてね!」


 と、頭の片隅でそんなことを考えつつも、プログラムは進み――

 一日目なので最後の曲で自分が叫ぶこともないまま。

 今日の本番は、終わった。



###



「いやー、よかったですねえ」


 そして、ひと通りの片づけが済み、自由時間となって。

 鍵太郎に後輩の宮本朝実みやもとあさみが、アンケートを読みながら上機嫌でそう言ってきた。

 お客さんの反応が直にわかるということで、部員たちはこぞってそれを読み回している。

 今年から始めたアンケートではあったが、結果は上々だった。

 鍵太郎も全部読んだが――演奏もさることながら踊ったりお菓子を配ったり、そういったことも好評だったようだ。

 色々なことが始めて尽くしのステージではあったが、結果的にそれらは全ていい方向に転がっている。

 今日のコンサートはおおむね成功、と言って間違いないだろう。


「……そうだね。よかった、よかったんだ。うん」


 なら――この心の中のどこか満たされない部分も、そこまで気にする必要はないはずだった。

 明日は卒業した先輩たちも来るし、予報では晴れだ。

 日曜日だし、きっと明日の本番はもっと人が入ることだろう。

 去年だってそうだったのだ。

 だったら気にせずさっきみたいな演奏をしていけば、この体育館も、きっといつかはいっぱいになっていることだろう。

 あの強豪校の生徒のような、強引な手段を取らなくたっていい。

 そう自分に言い聞かせて――鍵太郎はまだどこかにある違和感を飲み込んだ。

 兎にも角にも今日の本番は、もう終わってしまったのだ。

 なら、明日に備えてとりあえずは腹ごしらえだ。

 そう思って、この本番前にユーフォニアムの先輩からもらった食券を出し、後輩に声をかける。


「宮本さん、俺これから今泉先輩のクラスのラーメン食べに行くけど、一緒に来る?」

「行きまーす! あ、恵那えなちゃんも一緒にいいですか!?」

「いいよ、三人で行こう」

「恵那ちゃーん! 湊先輩がラーメンおごってくれるってー!!」

「ちょ、おごるとは言ってないからな!?」


 しかし本番前に、あれだけコンサートの宣伝をがんばっていた後輩二人だ。

 ラーメンの一杯や二杯、ご馳走してもいいだろうと――朝実が慌てふためくもう一人の後輩を連れてくるのを見て、自分がいつの間にか笑っているのに気づき、そう思う。

 そう、こうやって考えすぎるのが、自分の悪い癖なのだ。

 だったら今はこの後輩たちのように、その場を思い切り楽しめばいい。

 さしあたっては、思い切り楽器を吹いた後のこの空腹を癒すことが先決だ。

 朝実が同じく一年生の野中恵那のなかえなを引っ張ってくるのを待って、鍵太郎は体育館の外に出た。

 恵那は相変わらず朝実の後ろに隠れたまま、じっとこっちを見ているが――まあ、同じテーブルを囲むとなればさすがに逃げられることもないだろう。

 さて、この三人でどんな会話をするべきか――などと。

 鍵太郎が頭を巡らせていると、体育館の前にいた女子生徒が声をかけてきた。


「あ、あなた吹奏楽部の人だよね?」

「? はい。そうですけど、何か?」


 知らない生徒だ。

 校内ですれ違った覚えもないし、ひょっとしたら違う学年の先輩か後輩かもしれない。

 そんな人が、自分に何の用だろうか――そう思っていると。

 その生徒は見覚えのある紙を、何枚か差し出してきた。


「はい、これ。ウチのクラスに置きっ放しになってたから持ってきたよ」

「置きっ放し……?」


 渡されたのは、吹奏楽部が今回のコンサートの宣伝に使っていた、チラシだ。

 おそらくは朝実や恵那のような部員が渡したものが、そのままどこかの教室で忘れ去られてしまったのだろう。

 それは、わかったが――呆然と三人でそのチラシを見ていると、その女子生徒は言う。


「まだ綺麗だから、明日の宣伝にも使えるでしょ。何枚かはごみ箱に捨てられてたけど、それよりは全然マシだったからさ」

「……ごみ、箱?」


 理解できない――そんな調子で、朝実がかけられた単語をそのまま繰り返した。

 自分たちがあんなに一生懸命配ったチラシが、『ゴミ』だと。

 そう扱われたことを、認めたくないといった様子だった。

 隣では彼女と一緒にチラシを配っていた恵那も、いつもとは違う表情で声を失っている。

 鍵太郎も後輩と同様、次の言葉が見つからず眉をひそめていたが――

 その生徒は「じゃ、あたし自分のクラスに戻らなくちゃいけないから」と言って、あっさりといなくなってしまった。

 後にはただ、自分たちが配ったはずのチラシを戻された、部員たちだけが残る。


「……どういうことだ」


 その手元にあるチラシを見下ろして、整理できない感情を抱えたまま鍵太郎はつぶやいた。

 未だに状況への理解が追いついていないが――分かっていることはただ一つ。

 自分はまだ、先輩のところにラーメンを食べに行けそうもないということだけだった。

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