第14幕 いざ行かん、覚悟を決めに

第190話 始まりへの口火

『エル・クンバンチェロ』とは、『太鼓を叩いてお祭り騒ぎをする人』という意味である。



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 まさに音楽室の中は今、お祭り騒ぎだった。

 打楽器たいこ隊に限らず木管、金管――先輩後輩問わず全部、全力全開で演奏を楽しんでいる。

 『エル・クンバンチェロ』。

 これは学校祭のミニコンサートで、アンコールとしてやる予定の曲だ。

 そして自身もその渦中にいながら、湊鍵太郎みなとけんたろうは熱に浮かされたような気持ちで楽器を吹きたくっていた。

 今やっているような曲の後半は、特に全員がそれぞれの旋律をノリよくかっ飛ばしてくる。

 騒々しく、華やかに、けたたましく――

 そしてどこか、狂ったように。

 それは演奏中にだけ許される、狂乱の騒ぎ。

 お祭りだからこそできるこの有り様。

 そんな部員たちの演奏を、鍵太郎はしかし大歓迎していた。

 コンクール予選直前のあの沈んだ雰囲気は、ここにはもう微塵もない。

 あるのはただ本番に向けて最後の仕上げをしようという、熱風のような気合いだけだ。

 吹き抜けるその熱さを心地よく感じていると、全員がそれぞれの楽器をかき鳴らし――曲が終わった。


「おっし! おまえら本番もそれで頼むぜ!」


 指揮を振っていた顧問の先生がそう言って下がり、これで今日の練習は終了となる。

 あとはただ、合奏で気力体力共に出し尽くした生徒たちが残された。

 確かに、本番で今のような演奏ができればコンサートは大成功となるだろう。

 間近に迫った学校祭。

 仕上がりは順調だ。

 ただ――それは、一曲一曲単発でやった場合の話で。


「ア、アンコールにエルクンバンチェロエルクンとか、馬鹿じゃないの……?」


 珍しく疲労困憊といった様子でそう言ったのは、三年生のトランペット、平ヶ崎弓枝ひらがさきゆみえだった。

 部活最後の本番ということで、彼女はいつもだったらあまりカラーではないであろう、派手な曲のトップ奏者も務めている。

 自他共に『地味』と認めるこの先輩である。

 こういった慣れないことをすると、体力の消耗が激しいらしい。

 吹いて吹いて吹いて、そして最後の最後に待っているのがこんな乱痴気騒ぎだ。

 弓枝でなくても、疲れきっているところに最後の力を振り絞る形になる。ああそういえば、去年の俺も曲順に関しては文句も言ったなあ――と思いつつ、鍵太郎は先輩に言った。


「まあまあ。先輩もこの部での最後の演奏になるわけじゃないですか。だったらやれるだけやっちゃいましょうよ」

「……むう」


 それ自体は弓枝も分かっているようで、こんな風に後輩に言われても反論はしてこない。

 とりあえず、あまりの疲れに愚痴のひとつも言いたくなっただけらしい。

 まあ、ガラじゃないことをするのは、この人じゃなくとも文句を言いたくなるもんだよな――と、のほほんと鍵太郎が考えていると。

 そんなどこか他人事の態度を引きずり倒すかのように、話題の矛先が自分に向いた。


「ああ、そういえばさー、エルクンバンチェロって最初に掛け声あるじゃん?」

「あれ誰やるの?」


 打楽器の越戸ゆかりと、越戸みのりの双子の姉妹がそう言ったとき。


 部員全員の視線が、一斉にこちらを向いた。


「ひっ――!?」


 そのあまりの光景に、思わず鍵太郎は悲鳴をあげる。

 心の準備もなしにその場にいる全員に見られるなど、恐ろしいこと以外の何者でもない。

 だがその口火となった二人は、むしろどこかニヤニヤしながら、さらに言い募る。


「あの『クンバンチェーロー!!』って叫び声さー、音源聞くと大体、男の人の声だよねー」

「渋ーくてかっちょいい、ナイスミドルって感じの男の人の声だよねー」

「ちょ……ちょっと待ておまえら! なんか話の展開がおかしい! おかしな方向に行きかけてるぞ!?」


 確かにこの曲の最初に、『エル・クンバンチェロ!』と巻き舌気味に叫ぶのは、鍵太郎も知っていた。

 それが、大抵の場合二人の言うように男性の声であることも。

 そしてその掛け声が、『太鼓を叩いてお祭り騒ぎ!』という意味の言葉であることも――知ってはいるが。


「いや待て、だっておかしいだろ!? 何でそんな観客からしたら意味不明の掛け声を、俺がひとりで叫ばなきゃならんのだ!?」


 だがしかしそんな分かる人にしか分からないレッツパーリーの合図を、どうして自分が一人で出さなければならないのか。

 それはある意味去年の真面目なソロより緊張する、さらに妙に責任重大な場面だった。

 しかも恥ずかしさは、去年の数段上ときた。

 それを自分にやれというのか、みんな――と鍵太郎が焦っていると。

 ゆかりとみのりはニッコリ笑って、揃って小首を傾げて言ってくる。


「いやほらだってさ。男の人って湊だけだし」

「しかも学校祭が終わったら、晴れて部長になるわけだし。だったらその前祝いしちゃう? 的な」

「祝ってない! それは祝ってないぞ!!」


 むしろいじってるだけじゃねえか――とさらに鍵太郎が反論しようとしたとき。

 すぐ傍からひどく問答無用の威圧を込めた声が、自分に向かって、放たれてきた。


「やりなさい」


 その、殺気すら感じ取れる声に――

 ひっ、と悲鳴すらあげらず、短く息を呑んで鍵太郎は固まる。

 そして、恐る恐るそちらを向くと。

 弓枝が完全に目を据わらせて、こちらを見ていた。


「やりなさい。いくら恥ずかしくても、性に合ってないと思っても。わたしだってやってるんだから」

「いやでも、先輩のそれと俺のコレは、ちょっと趣が違うような……っ!?」

「違わない。『武器』を持ち替えれば、わたしだってあなただって、なんとかなる」


 その瞬間、ジャコッ――と。

 彼女が『武器』を持ち変えたような音が聞こえた気がして、鍵太郎は顔を引きつらせた。

 平ヶ崎弓枝。

 彼女の特技は、正確無比な遠距離狙撃。

 これまでこの先輩が持っていたのは、鍵太郎のイメージではそのまま『弓』だと思っていたのだが――

 今弓枝が持っているのは、むしろ『銃』だった。

 しかもライフルのような、いわゆる狙撃銃ではない。

 マシンガンとか、ガトリングガンとか――そういった類の思い切り弾を撒き散らす、機関銃だった。

 これを本番どれだけぶっ放す気なんだ、この人――と戦慄を覚えるが、そういえば先ほど彼女を焚きつけたのは自分だった。

 もはや言い逃れはできない。

 そしてその銃口をこちらに突きつけながら、弓枝は言う。


「やれるだけやる。もういい。やってしまえばいい。学校祭はお祭り騒ぎ。その最後を飾るその演奏を――あなたとわたしで、やらかしてしまえばいい」

「うわあ、先輩がなんかもうヤケクソだ!? 何ですか、その死なばもろともみたいな目は!? 俺を道連れに爆死する気ですか!?」

豊浦とようら先輩が、昔言ってたのを思い出した」


 するとそこで弓枝は、卒業した先輩の名前を出した。

 それは鍵太郎にとっても印象深く、そして――

 彼女自身も手に届かない存在として、でも密かに憧れていた人の名だ。


「死ぬときは前のめり。トランペットはそうでなくちゃ、って。

 だったら最後に、わたしはあの人と同じところに立ってみたい」

「……っ、わかった、わかりましたよ!」


 そうまで言われては、こちらとしても引き受けざるを得なかった。

 手に届かない存在に、それでも手を伸ばしたくなる気持ちは、鍵太郎にも十分に分かる。

 そして自分と違って弓枝の場合は、おそらくその先輩が当日本番を聞きに来るのだ。

 だったらその願いを、その咆哮を。

 聞き届けてやらなくて――何が次期部長か。


「でも、二日目だけですからね!? 先輩たちが来ない一日目は、絶対にやりませんからね!? 絶っ対に嫌ですからね!?」

「えー! 湊のけちー!」

「いくじなしー! ビビりー!」

「いくら言われても、おまえらの願いは聞き届けてやらんからな!?」


 はやし立ててくるゆかりとみのりを一喝して、断固拒否の姿勢を取る。

 こっちだって、羞恥心というものが存在するのだ。

 そこまではさすがに勘弁してほしかった。

 でも。


「……『太鼓をエル・叩いてお祭り騒ぎクンバンチェロ』」


 あとは、もっと楽しそうにやるといいですよ――と。

 去年、自分もあの人にそう言われたことを思い出して。

 鍵太郎はその単語を、小さくつぶやいた。



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 そしてその小さな囁きから、お祭り騒ぎの幕は上がる。

 はっきりとした始まりの掛け声は、未だに上がらぬまま。

 しかしそれぞれの心に――そのための準備だけは、着々と進んで。

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