第189話 一番いい響きの出るバランス

 その女の子は、くりっとしたつり目でこちらを見上げていた。


 その目を見返しつつ湊鍵太郎みなとけんたろうは、この子関係者なのかな――と、物怖じせずに話しかけられたことに対して、なんとなくそんな印象を持つ。

 彼女の黒いスカートに白いブラウス姿は、なるほどコンサートなどではよくある格好だ。

 今回一緒にこの演奏会に来ている千渡光莉せんどひかりも、隣で自分と同じように面食らった顔をしつつ、似たような服装をしている。

 けれども、さっきの本番の舞台でこの子はいなかったはずだ。

 なので、一体この子誰なんだろう――と首を傾げ。

 鍵太郎は自分を見つめる女の子に目線を合わせ、尋ねてみることにした。


「ええと、うん。確かに俺たちは城山先生の生徒だけど。きみは先生の楽屋の場所、知ってるのかな?」


 今日は光莉と二人で、自分たちの部活に教えに来てくれている先生の本番を聞きに来たのだ。

 そして先生は、本番が終わったら楽屋に来なさいと言っていた。

 だからそこに向かうべく、鍵太郎たちは舞台裏へ行くための通路を探していたのだが――なにぶん初めて来るホールなので、道がよく分からず困っていたのだ。

 しかしそのとき、この女の子が声をかけてきたのである。

 おまえら、シロヤマの知り合いか――と。

 どうやらこの女の子も、あの先生のことを知っているらしい。

 そしてどうしてか明らかに自分たちよりもこのホールの構造に詳しそうではある。小学生くらいの子ではあるが、この態度からして信頼はできそうだった。

 そしてそれを裏付けるように、彼女は「シロヤマの楽屋なら知ってる」とうなずく。


「こっちだ。ついてこい」

「あ……うん」


 その妙に堂々とした態度に、鍵太郎は光莉と顔を見合わせて――

 置いていかれてはたまらないので、二人で一緒に女の子を追いかけていった。



###



 正体不明の女の子に連れられて、知らないホールの舞台裏に向かう。

 それだけでどこか、落ち着かない気持ちになるものだ。

 ましてここは吹奏楽ではなく、オーケストラの舞台裏だ。同じ音楽とはいえ微妙にジャンルが違い、さらにいつもとは若干雰囲気も違うので、鍵太郎と光莉はソワソワしながら通路を奥へと進んでいった。

 オーケストラはやはり舞台裏ですらも、吹奏楽と少し違うらしい。

 大人もいるからか自分たちの部活のようにわあわあキャアキャアと騒ぎ立てることもなく、穏やかに片づけが進められている。

 というか、バイオリンとかやってる女子とかって、ちょっと――


「ちょ、ちょっとあの子、弦を銀糸で縫ったバイオリン型のバックとか持ってるんだけど!? 何!? セレブ!? セレブなの!?」

「せ、千渡、見ろよこっち、ケータリングでなんか品のいいお菓子とか置いてあるぜ!?」


 なんとなくお嬢様なイメージで、普段の自分たちの態度を省みると恥ずかしくなってきて、二人して挙動不審にキョロキョロしてしまった。

 だが自分たちの前を歩く女の子は、そんなことでいちいち動揺したりしていない。

 むしろぎゃあぎゃあ言っている年長者二人に呆れた一瞥を向けて、それでもどんどん先に進んでいく。

 やはり彼女は、このオーケストラの関係者なのだろう。

 何人かの団員にもすれ違ったが、特に不審げな目を向けられたり止められることもなく、目的地へ向かうことができていた。

 ということは、今日は舞台に乗っていなかっただけで、この子も何か楽器をやっているのかもしれない。

 そう予想して、鍵太郎は女の子の後ろ姿を見た。

 城山を知っているということは、ひょっとしたら教わったこともあるのではないだろうか。

 なんの楽器をやってるのかな――そう思って、好奇心から女の子に訊いてみる。


「ええっと、きみは」

「渋川。渋川つばさ」

「あ、うん。つばさちゃんは、何か楽器をやってるの?」

「うん、やってる。コルネット」

「へー、コルネットなんだ」


 そのつばさの返答にいくぶんか弾んだ声を出したのは、鍵太郎ではなく、むしろ後方を歩いている光莉の方だった。

 彼女の楽器は、トランペットだ。

 しかしたまにトランペット奏者は、持ち替えでコルネットを吹くときもある。

 つまり、この二つは近い親戚同士のような楽器なのだ。それに親近感を覚えたのだろう。

 光莉は笑顔で「私はトランペットなのよ」と、珍しく自分から歩み寄るようにつばさに言った。

 さすがに年下の女の子にまできつい言い方はしないか――と、普段の自分への光莉の態度を思い出して、鍵太郎が苦笑していると。

 つばさが言う。


「うん。シロヤマにコルネットを習い始めて、三年になる。あいつはどうしようもないカイショウなしだな。カノジョに逃げられるわ、ヨッパライになると電話をかけてくるわ。とうぶんケッコンできないんだろうな」

「ちょっとなんか、私が知ってる城山先生と違うんですけど!?」

「……」

「なんであんたも目を逸らすわけ!?」


 だって、真実なんだから仕方がないだろう――とは絶対言えなくて、鍵太郎は冷や汗をダラダラかきながら光莉から目を逸らし続けた。

 夏休みに一度だけ見たあの先生の醜態は、到底他の部員たちに口外できたものではない。

 川連二高吹奏楽部のカリスマ外部講師、幻滅間違いなしである。

 しかしそんなあの先生の素の姿も知っているということは、つばさは相当城山と親しいのだろうか。

 こんな小さな子にまで酔って電話をかけるとは、さすがにあの先生もやらないと思うのだが――

 そう疑問に思っていると、噂をすればなんとやらというやつか。

 城山が楽屋が並ぶ通路のソファに座って誰かと話しているのが見えてきた。


「あ、先生――」


 とりあえずあの夏休みの忌まわしき記憶は封印して、城山へ声をかける。

 あの先生は、今は誰か燕尾服の老人と話しているようだったが――


『……!』


 その老人がこちらを振り返ったとき。

 彼の鼻に人工呼吸器のチューブが付けられているのを見て、鍵太郎と光莉は息を呑んだ。



###



 しかし――


「ジジイ。大丈夫か」


 つばさがやはり何の気負いもなく老人に近寄っていったので、鍵太郎はいち早くそのショックから脱することができた。

 そういえばこの老人は、今日の演奏会で指揮を振っていたあの人だ。

 演奏中のアグレッシブな姿からはまるで想像がつかない状態なので、面食らってしまったが――

 その当の老人は笑って、近づいてくるつばさに言う。


「ほっほっほ。なあに、大丈夫じゃよつばさ。まあちょっと息が切れてしまったもんでな、一応つけてみたくらいのもんじゃ。そこまで心配するほどではない」

「それ、ニュウインしたときも言ってなかったかジジイ。今日だってみんないつ倒れるか、本番ちゅうもヒヤヒヤしてたんだぞ」

「むう。つばさは相変わらずものをはっきり言う子じゃのう」

「あ、あのう……?」


 鼻にチューブをつけた老人と小さな女の子の軽妙なやり取りという、違和感がありすぎる光景に、頭がクラクラしてきてしまって鍵太郎は声をかけた。

 どうもつばさとこの老人も、親しいらしいが――

 彼女は結局、何者なのだろうか。

 困惑しすぎてそれ以上何も言えないでいると、一連の流れを見ていた城山が苦笑して言う。


「ああ、今日は来てくれてありがとう。湊くん、千渡さん。この人はさっき指揮を振ってた、渋川征悟しぶかわせいご先生だよ。そしてそっちの女の子は、先生のお孫さん。渋川つばさちゃんだ」

「ああ、なるほど……」


 道理で、舞台に乗っていないのに関係者扱いだったり、城山の知られざる一面にも詳しいわけだ。

 指揮者の孫、しかも楽器をやっているともなれば、団員も親しく接してくれるだろう。

 この様子だと、練習にもしょっちゅう顔を出しているに違いない。

 まだ小さいから本番には上がらせてもらえないのだろうけど――その機会も、きっとすぐやってくることだろう。

 そんな祖父と孫を見ていると、城山が自分たちのことを渋川に紹介する。


「先生。この子たちが今僕が教えてる学校の、吹奏楽部の生徒さんたちです」

「ほうほう。この子たちがさっき話してた子らか」

「あ……こ、こんにちは!」


 渋川に視線を向けられ、鍵太郎はなんとなく背筋を正さねばならない気がして、慌てて伸び上がり頭を下げた。

 先ほどの指揮と彼の纏う雰囲気は、今の軽い口ぶりとは裏腹に、かなり強烈なものだったからだ。

 気迫や練度がまるで違う。

 襟を正さなければ失礼にあたる――そう本能的に感じての行動だったのだが、渋川は鍵太郎のそんな態度にも「どうもどうも。こんにちは」と低姿勢で応じてくる。


「こんな格好ですまんのう。今年の初めに肺炎をやってしまってな。医者からしつこくこれを勧められて、どうにもならんで着けている。まったく、歳は取りたくないもんじゃのう」

「は、はあ……」

「ジジイはいつまでも若い気でいるからこまる。八十にもなるんだからもっと大人しくしてろ」

「は、八十!?」


 とてもそうは見えなかったので、鍵太郎は思わず目をむいて叫んだ。

 鼻のチューブを除けば、渋川の背筋は真っ直ぐで言動もしっかりしていて元気そのものだ。

 こんな歳になっても、音楽ってやっていられるものなんだ――そんな、畏敬の気持ちを込めて古強者とも呼ぶべき指揮者を見ていると。

 今度はまた違う人たちの声が、こちらに近づいてくる。


「ふう、なんとか片付けも一段落つきそうです」

「渋川先生、大丈夫ー?」


 そう言ってきたのは、先ほどの本番で首席バイオリンを務めていた毛むくじゃらの熊みたいなおじさんと、オーボエを吹いていた妖艶な美女だ。

 二人も、曲中でとても印象的な演奏をしていた団員である。

 そして、鍵太郎もできるなら話をしてみたいと思っていた二人だった。なので話しかけようとすると――その前に、つばさがオーボエの美女の方に食って掛かる。


「出たな年増。今度こそそのバケの皮はいでやるから、かくごしろ!」

「年増って言うな!? あんたこそその生意気な態度、矯正してやるから覚悟なさいちんちくりん!」

「あ、あのう……?」


 突如始まった女同士の戦いに――とりあえず、鍵太郎は呆然と声をあげた。

 すると、バイオリンの熊――ではなく、おじさんが額を押さえて言ってくる。


「……すまない。あの二人はいつもああなんだ。放っておいて大丈夫だから、あまり気にしないでほしい」

「はあ」


 そんなおじさんの様子に、ああなんかこの人、妙に親近感を覚えるなあ――と思いつつ鍵太郎はうなずいた。

 吹奏楽部で強烈な女性陣に囲まれて頭を抱えているときの自分は、きっとこんな顔をしているに違いない。

 そして部長になることが決まっているこれから、その苦労はさらに大きくなるはずなのだ。

 じゃあ、そのとき俺はどうするんだろう――

 場違いにそんなことを思っていると、城山が先ほどと同じように、お互いのことを紹介してくれる。


「湊くん、千渡さん。この人がここのオーケストラの首席バイオリン奏者、桐生嘉秀きりゅうよしひでさんだよ。それとあっちの女の人が……オーボエの、邑楽由美おうらゆみさん」

「はじめまして」

「はじめ……まして」


 にこやかに桐生に握手を求められて、鍵太郎はためらいつつもそれに応じた。

 先ほど凄まじい弓さばきを見せたその手は、ごつごつとしているのに、とても温かい。

 相変わらず小学生と同レベルでケンカをしている邑楽の方は、未だこっちに来る様子はなかったが――まあ桐生の言葉通りならば、そのうち戻ってくるだろう。

 そして渋川のショックからようやく抜け出したらしい光莉も、桐生の外見のせいか「……はじめまして」とおずおずと挨拶をして、ようやくまともに話ができる状態になったようだった。

 そして吹奏楽部と聞いて、編成上ない楽器であるバイオリンの桐生は、逆に興味を持ったらしい。

「そうか、吹奏楽か。じゃあ今日みたいなのはあんまり聞きなれなかったかもしれないけど、オーケストラはどうだった?」と訊いてくる。


「いつもとだいぶ違ってたんじゃないかな。楽しんでくれたのなら嬉しい限りだけど」

「ああ、はい。いつもとだいぶ違って……その、びっくりしました」


 まさか自分の楽器の出番が、あんなに少ないとは思いませんでした――とまでは言えなくて。

 鍵太郎が引きつった笑みを浮かべていると、城山が何を思ったか、あっさりとそれを口にしてしまった。


「桐生さん。湊くんはチューバを吹いてるんですよ」

「な……っ。そ、そうだったのか……!?」

「ちょっと先生!? 先生!?」


 桐生が目をむいたのを見て、慌てて城山に抗議する。

 しかし城山から言葉が返ってくる前に、桐生の方がこちらに言ってきた。


「それは本当にすまなかった! あんなにチューバの出番のない曲をやってしまって……!」

「あ、いえ!? 大丈夫です、大丈夫ですから!?」


 生真面目というかなんというか。

 高校生に対して本気で頭を下げてくる桐生に、むしろこちらの方が恐縮してしまって、鍵太郎は手を振った。

 吹奏楽では『第二の指揮者』と呼ばれるほど吹き続けるのが当たり前のチューバではあるが――今回のように必要最低限しか吹かないというのも、それはそれで衝撃的であり、新しい発見だったのだ。

 だから、今日はここに来てよかった。

 そう言うと、桐生は苦い顔をしつつも、一応は納得してくれたらしい。

「そうか、それならまあ、いいんだが……」と髭だらけの顔をしかめて言ってくる。


「『新世界より』はオーケストラの中でも、特にチューバの出番が少ないものになるからね。それこそチューバ奏者にその曲をやってもいいか、許可を取らなきゃならないくらいに。だからオーケストラの演奏会にも、また懲りずに来てほしいと思うよ」

「『第二の指揮者』はオーケストラだと、コントラバスだったりティンパニだったりするからのぅ。まあその辺はあまり気にせず、気楽に来てもらっていいんじゃよ」


 寝てても構わんくらいじゃ、いい環境音で、ちょっといい椅子で気持ちよく寝るくらいの気軽さでの――とのんびり補足してくる渋川に、鍵太郎はそんなもんかと不思議に思いながらもうなずいた。

 ところ変われば、自分の役割もまるで違う。

 それはさっき本番を聞いていても、よく分かった。

 少なくともオーケストラというものは、自分が思っていたよりずっとずっと、構えなくていいものらしい。

 それは、分かったけれど――


「……ええっと」


 今日はいっぺんにいろんなことを見すぎたせいで、頭と心が追いついてこられていなくて。

 鍵太郎は大量の情報に混乱する頭を振って、拡散する思考をまとめようとした。

 どうも今日は、自分の知らなかった世界に触れすぎて、立ち位置がよく分からなくなっている。

 なのでどこか、ぼんやりした心持ちでいると――いつの間にか対決が終わったらしい。邑楽とつばさが戻ってきた。


「ねえ。じゃあ来年の演奏会は、もっとチューバの出番の多い曲をやりましょうよ。シベリウスの二番とか」

「ブラスバンドのチューバなんて、吹奏楽よりもっと細かい動きをするぞ。伴奏楽器とか言ってるうちは甘い甘い。チューバはメロディー楽器だろう」

「う、うおおおお?」


 そしてそんなところにさらに知らない情報を入れられて、もう何が何だか分からなくなってくる。

 困惑で目を回していると、邑楽が何やらさらによく分からないことを言ってきた。


「あら。なによく見たらこの子、すごくかわいいじゃない。食べちゃいたいくらいだわぁ」

「邑楽。城山さんとこの将来有望な生徒を、おまえの欲求不満解消のための食料にするな」

「そうだぞ年増。そういうことを言っているから、おまえもケッコンできないんだぞ」

「うるさいわねちんちくりん! 私はただこの子に、あんなことやこんなことをして楽しみたいだけ……って。あら?」


 そんな風に、何だかわちゃわちゃしていた三人だったが――

 ふと、邑楽の視線がどこか一点で止まった。

 最初は自分を見ていたのかと思ったが、それにしては顔の向きが少しズレていて。

 そして彼女は、その美貌にまた妖艶な笑みを浮かべる。


「うふふ。やめとくわぁ。そっちにいる彼女が、ものすごい怖い顔でこっちのこと睨んでるし」

「……ッ!!」


 そうやって心底楽しげにそう言う邑楽に、反応したのはなぜか光莉の方だった。

 どうして彼女がこのやり取りでそんな振る舞いに出るのかは、よくわからないが――今はその前に言われたことを噛み砕くので頭が精一杯なのだ。そこまで考えている余裕はない。


 オーケストラ、吹奏楽。ブラスバンド。

 ところによって変わる自分の出番。

 やることの違い。いろんな人。口々に交わされる言葉。

 これまで知らなかった、すぐ近くにあった広い広い世界――


 そしてその中にいる、小さな小さな自分。


 いろんなものを聞いてしまったせいで、かえってこれからどこに向かえばいいか、分からなくなってしまっている。

 すると、そんな自分を見かねたのだろう。

 桐生がこちらに言ってくる。


「あー、湊くん。長年弦楽器をやって、アマチュア管弦楽団にいる私だがね。だからこそ、思うことがあるんだ」

「……?」


 これ以上、今度は何を言われるのだろうか――

 鍵太郎が飽和した頭でふらふらと桐生を見ると、彼はその熊みたいな相貌に愛嬌のある笑みを浮かべて、言ってきた。


「人は弦みたいに、ちょうどいいバランスが必要なんだってね。それは楽団でも、周りとの関係でもそうだと思うんだ。

 集団というのは弦みたいなものだ。緩すぎれば音が出ないし、張り詰めすぎれば切れてしまう。だからその弦がいい音を出すには、ちょうどいい張り具合が必要なんだよ。

 今日はきみはたくさん今までと違うものを見て、聞いてきたと思う。けど、きみはきみのバランスを、そしてきみの周りとは一番いい響きの出るバランスを取ればいいと、私は思うな」

「……一番いい響きの出る、バランス」


 バイオリニストから出たその一番印象的な言葉を、鍵太郎はそこで繰り返した。

 そういえば、今年の部活は雰囲気を張り詰めようとする人が多すぎて、そのまま弾け飛んでしまいそうになってしまっていたのだ。

 それを阻止するために、必死になってその巻き上げを緩めようとしていたのが、今回のコンクールの自分の行動であるとも言えて――それで結果的に今年は金賞という、これまでになかった『いい響き』が出ることになった。

 集団の張り詰め具合は、そこにいる人によって、やろうとしていることによって違う。

 そしてその一番いい響きは、そこにいる人たちが決めるものであって――


「そうよぉ。私たちはいつだって、そうやってやってきた」


 邑楽も、桐生も、渋川も。

 そしていつしか、渋川つばさも。

 老若男女、立場も楽器もなにもかも違うこの人たちは――その度に最もいい響きを求めて、このオーケストラを作り上げていくのだろう。

 ふと城山を見れば、先生はこの会話をとても、微笑ましげに見つめていた。


「……ああ」


 演奏も文化の違いも、この人は見せたかったのかもしれない。

 けれども、城山が一番見せたかったのは――実はこの人たちのことだったのだろう。

 それが改めて分かって。

 そして、あることを決断して。

 鍵太郎は、隣にいた光莉に話しかけた。


「なあ、千渡」

「……なによ?」

「俺にはどうしても、場を緩めようとする傾向がある」


 苦しんでいる人のことを見ていられなくて。

 悲しんでいる人のことを放っておけなくて。

 その痛みを和らげるために、どこか他人に対して甘くなってしまうところがあるのは自分でも分かっている。

 けれど――


「でも、もしこれから俺が不必要なところまでそうしようとしたら、遠慮なく引っ叩いてほしいんだ。やり方はいつも通りで構わない。むしろそうしてもらった方が、俺は助かる」


 だからこそそれが『いい響き』を出すために邪魔になるようなら、強引にでも彼女に叩き直してほしかった。

 それは自分とこの同い年にしかできないであろう、これから向かうべき場所へ辿り着くための。

 おそらく唯一と言ってもいい、方法に思えたからだ。

 自分勝手な願いだったかもしれない。

 自力で全部を叶えられない、未熟でみっともないやつの戯言だったかもしれない。

 だがそれでも光莉は――


「……わかったわ」


 その無様な願いを、なんの文句も言わずに聞き届けてくれた。


「ありがとう」


 と、彼女に対してそう言うと。

 そんな自分たちを見て――今度は、渋川征悟が微笑ましげに笑った。


「ほほ。この歳になってもこんな子たちがいるのが見られるのは、楽しいもんじゃの。城山先生はいい生徒さんをお持ちじゃ」

「恐縮です。でも渋川先生こそ、素晴らしい団員さんに囲まれていらっしゃると思いますよ」

「ははは。ま、長生きはするもんじゃの。あーしかし参った、まだまだ元気でおらんとなあ――はっはっは! げふっ!?」


 そう、とことんまで楽しげに、愉快げに笑って――

 思いっきりむせた渋川は孫と団員に怒られながら、それでもその響きを聞いて、笑い続けていた。


第13幕 それって俺に務まるの!?〜了

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