第186話 天然と養殖

 努力と才能の間を埋める方法を教えてくれると、都賀つがは言った。


 普通だったらうさんくさく感じるであろうその話を、しかし湊鍵太郎みなとけんたろうは、ある程度信頼の置けるものとして聞く気になっていた。

 それは今、正面に座る都賀が、自分の過去について包み隠さず話したからかもしれない。

 彼とあの指揮者の先生にまつわるその話は、確かに都賀自身の言った通りあまり楽しいものではなかったが――

 にも関わらずそんな話を自分にしたということは、この楽器屋もまた、それだけ本気だということなのだろう。

 その真剣さが分かったからか、鍵太郎はここに来た当初よりもだいぶ落ち着いた気持ちで、都賀のことを見据えていた。

 彼から感じていた得体の知れない恐怖は、ここに来てだいぶ薄らいでいる。

 それに楽器屋は「いい目だね」と不敵に笑って――

 しかしふと何かに気づいたように、こちらに言ってくる。


「ああそうだ。念のため確認しておきたいんだけど。僕の見立てが合っていればきみ、なにをやっても最初はダメなタイプだよね?」

「……人がせっかくやる気になってるところに、なにをいきなり気持ちを挫くようなことを言ってくるんですか。あんたは」

「いやあ。ここを間違えると、この後の話に全く意味がなくなっちゃうからさ。うん、でもその反応だと、どうやらそれで正解みたいだね。じゃあそんなわけで、話を進めようか」

「なんかスッゲー、馬鹿にされてるような気がする……」


 あっさりとグッサリくることを言われて、鍵太郎は別の意味で都賀に対する目を鋭くした。

 失敗しないと学べない、というのは。

 正しく鍵太郎にとって以前から自覚していた、コンプレックスのひとつでもあったからだ。

 基本的に本番一発勝負である吹奏楽部において、その欠点は後悔を生んでもいいことは何一つとしてない。

 そう思っていた。

 だからこそ、鍵太郎はそれまでの苦い記憶を思い出して、顔をしかめていたのだが――

 都賀は軽く手を振って、こちらの視線に応えてくる。


「いや、ごめんごめん。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。というかどっちかって言ったら僕も、そっちの方だからさ」

「都賀さんもですか?」


 こんな立派な楽器屋の店長でさえ、そう思うものなのか。

 不思議に感じて改めて、鍵太郎は都賀楽器店の中を見回した。しかし言われてみれば確かに、先ほどの話からすると都賀も、『天才』と呼ばれる類の人間ではないことはわかる。

 だからこそ、彼はこうして楽器屋として自分の前にいるのだから。

 その廻り合わせというか皮肉というか――そういったものに複雑なものを感じていると、都賀は変わらぬ調子でうなずいてきた。


「世の中には二種類の人間がいる――というのは、よく聞く話だけど。

 城山匠しろやまたくみは天然だ」

「はあ。そうですけど」

「違う。そっちの天然じゃない。いや、あいつが天然なのはそうだけど、今言いたいのはそういうことじゃない」


 なんだかさりげなく失礼なことを言い合っている気もするが、真実なのだからしょうがないのだ。

 そして、付き合いの長い彼が言うならばそれはもう決定的だろう。なにしろあの指揮者の先生と都賀は、音大の同期生だ。

 だが楽器屋が言いたいのは、そういうことではないらしい。

 二種類の人間がいる、ということならば。

 『天然』に対する言葉は――


「マグロみたいなもんさ。あいつが『天然』なら僕は『養殖』だ。最初から美味しいものと、人の手を加えないと美味しくならないもの。その違いだ」

「天然と養殖、ですか」


 天才と、努力の人。

 その違いは、この話を始めて聞く鍵太郎にも、なんとなく察せられた。

 けれどもその差は、目の前に座る都賀自身から圧倒的なものだと――ついさっき聞かされていたばかりではなかったか。

 そんな鍵太郎の疑問をよそに、都賀は続ける。


「天然は、特定の分野においては抜きん出た才能を持っている。それこそ、特に人に教えられなくたって、一発でできるくらいの才能をね。きみの周りにも、一人くらいはそういう人がいるんじゃないかな」

「……いますね。何人か」


 その指揮者の先生を筆頭に、あの同い年のアホの子、そしてフルートの先輩のことを鍵太郎は思い浮かべていた。

 みなうらやましいほどの才能と、センスの持ち主だ。

 なぜだかよくわからないけど、あの人たちの演奏は自分と一線を画す『なにか』がある。

 それは十分なくらい、思い知っていた。

 絶対に追いつけない差があることは、本能的にわかっているのだ。それこそ、この楽器屋がかつて体験した感覚の、何分の一かぐらいに。

 けれども既にその過去すら飲み込んだという都賀は、特に気にした風もなく言う。


「そして養殖というのは、きみも知っての通り、ただ普通にやっているだけでは、物事を上手くやれない人間のことだ。こっちの方が絶対数は多いだろうね。おめでとう。恥ずべきことなんかじゃないんだよ」

「……そう言われても、嬉しくもなんともないんですが」


 自分は凡人だ、と言われて嬉しいはずがないだろう。

 というかその感情は、この楽器屋も知っているはずではないか。

 鍵太郎が半眼でいると、都賀はしかし笑みさえ浮かべて言ってくる。


「さてと。じゃあここで、お待ちかねの『その差を埋める方法』の話だ。

 今の話で天然と養殖についてはわかってくれたと思うけど、よくよく考えてみると養殖にはあって天然にはないものがある。それはなんだろう?」

「……なん、でしょう?」


 それこそ、それを知りたくて自分は今ここにいるというのに。

 そしてこの質問に答えられないことこそが、まず自分が『養殖』であることの証明なような気がして悔しかったのだが――

 自分と同じ『養殖』だという都賀は、それすら超えて口を開く。


「それは『どうすれば上手くいくのか、失敗することで具体的な方法を知れる』ってことだ」

「……?」

「その顔はそれがどこまで重要か、よくわかってないって顔だね。いいさ、同類のよしみだ。解説していこうじゃないか」

「俺、都賀さんと同類だなんて、なんだか思いたくなくなってきました」

「そんな嫌味が言えるくらいの余裕があるなら、きみも十分素質があるよ。強くなりたいんだろう? だったら話を聞いた聞いた」

「なんかどんどん、この人のペースにはまっていく気がするなあ……」


 彼の商売人としての押しの強さは、ここから来ているのだろうか。

 強くはなりたいけど、それはこういう強さとはまた、ちょっと違うんだよなあ――と。

 そんな風に思いながら、鍵太郎は話の続きを聞くことにした。



###



「長所と短所は裏表、と言うけど」


 少し考えた後、都賀はそう切り出した。


「天然の弱点はそのまま、『特に教えられなくても、なんとなくできてしまうこと』だ。そりゃそうだ。だって天然モノなんだからね、そのままでも十分おいしい。彼らは自分に合った水辺を見つけられれば、そのまま存分に力を発揮できる」

「それって別に、悪いことでもなんでもないですよね?」

「そうだね。それこそが天然を天然たらしめるものだし、最大の武器とも言える。でもそれこそが、彼らの最大の弱点でもあるんだ。いわば諸刃の剣さ」


 それこそ、高すぎるステータスに調整が入るような感じでね――と、そんな光景を今までも見てきたのか、都賀は確信を持った口調で断言した。


「天然はその卓越したセンスで、『なんとなくできてしまう』。だからこそ彼らは、『できない人間にどうやったらできるのか、教えられない』んだ」

「あ」


 楽器屋の、その言葉に。

 鍵太郎は、今年の初めにトロンボーンの同い年が「あたし、教えるとかできないんだよね」と言ったことを思い出していた。

 彼女もまた、天才と呼んでもいい類の人間だ。そういえばそのときあの同い年は、自分の演奏を見せることで後輩を教えていたのだが――

 確かに、課題を難なくクリアできる人間には、『どうやったらできるか』なんてわからないだろう。

 どうしたらそんな風にできるのか、と訊いても「え? なんとなく」と言われてしまうのがオチだ。

 鍵太郎の反応に手応えを感じたのか、都賀はさらに続ける。


「だから天然は同じくらいのセンスの持ち主でないと、まともに付き合えない。『できないこと』がわからないから、できない人間の気持ちがわからない。結果的に人間関係に問題を抱えることが多い」

「で、でも俺と同い年のどアホウは、そこまで人として問題のあるやつじゃ……」

「城山匠は、人間関係についてはとことん不器用だ」

「あああぁぁぁ。反論できないぃぃぃ」


 言い返したところに、さらに強烈な反撃を食らって鍵太郎は頭を抱えた。

 あの指揮者の先生のダメ人間っぷりは、この間の夏休みに見たばかりである。

 そしてそうなった原因も、人間関係が上手くいかなかったからだった。そして同期生として、城山のああいった場面は何度も見てきているのだろう。

 楽器屋は苦笑いで「その様子だときみも、心当たりがあるみたいだね」と言ってくる。


「相変わらずみたいだね、あいつは。だからあんなに才能があるくせに、まだ大して有名じゃないんだよ。前に指揮してた学校だって、それで辞めることになったんだし――」

「え?」


 そこで。

 思いもよらなかった話が飛び出してきて、鍵太郎は目を見開いた。

 辞めることに――なった?

 城山が以前、自分たちとは違う学校の指揮をしていたという話は聞いたことがあったが。

 そういえば、そこをどうして離れたかなど、聞いたことがなかった。

 ここも、あまり気軽に踏み込んでいい話ではない気がする。その証拠に、自分のそういった過去を先に語り終えた都賀ですら「なんだ、聞いてなかったのか」と一瞬目を逸らしたくらいだ。


「……少し、口が滑っちゃったね。あいつ自身が話してないんだったら、それについて僕が話すことは、さすがに止めておこう。今回の話の本筋からも、少し外れちゃうし……。それについてはあいつが口を開くまで、ちょっとだけ待っていてもらえないかな」

「……はい」


 気になる話ではあるが、今ここで聞くべきものではなさそうだった。

 うなずく鍵太郎に都賀は気を取り直し、「話を戻そうか」と言ってくる。


「『天然』の弱点は、なんとなくこれで分かってくれたと思う。彼らは自分がどうしてできるのかを、人に説明できない。だから自分だけはできるけど、周りにそこまでの影響を及ぼせない。

 けど、『養殖』は逆だ」


 最初から上手くなんていかない。

 けれどその上手くいかなかった経験から、『次にどうすればいいのか』を考えることができる。

 そういえば確かに、自分はずっと今までそうやってやってきたんだった――

 都賀の話を聞きながら、鍵太郎はこれまでの自分の行いを振り返っていた。


「転んだ人間は、次にどうすれば転ばないかを学んで歩いていく。そうやって道を行くのが養殖だ。手を加え、改良に改良を重ねて――いつしか手に持った刃は、何重にも研ぎ澄まされていく」


 初心者で楽器を始めた自分は、何度も何度も過ちを繰り返し。

 いつしか強豪校出身の経験者に、「おまえは上手くなった」と言われるほどになった。

 そして、今年のコンクールでは作戦を立て、仲間を集めて――


「というより養殖の本当の『武器』は、こっちだな。『自分の失敗から、人にどうすれば歩いていけるかを伝えられる』技能。『集団』を鍛え、育て、まとめ上げていく能力。それがあれば――」


 気づけば自分は、部長に祭り上げられていた。

 自分と同じような過ちを繰り返させないため、必死になって行動していたからだ。


 なら、それをもっともっと広げていけば――


「きみはその力で、最強のリーダーになれる」


 今まで失敗してきた分を全部糧にして。

 『個人』では大したことができなくとも。

 『集団』であれば天然さえ上回ることができる。


「……!」


 それは集団競技と呼ばれる吹奏楽において、これ以上ないほど必要とされている力だった。


 長所と短所は表裏一体。

 自分があんなに嫌いだったものが、少し考える角度を変えるだけで、こんなにも変わるとは思わなかった。

 鍵太郎が息を呑んでいると――しかし都賀は「ただし、この方法には欠点もある」と、淡々と告げてくる。


「この方法を選んでしまった『養殖』は、もはや後戻りができなくなる。自分の欠点を正面から見据え、見たくもない鏡を見続け、それを未来永劫続けていくことになる。それは結構な苦痛だ」

「……知ってます」


 かつて、自分の心の奥底にあるものを見てしまったときのことを思い出し、鍵太郎は厳しく口を結んだ。

 あのときの衝撃は、自分で自分を殺したくなるくらいに悲惨なものだった。

 あれをもう一度やれと言われたら、それこそそのまま死にたくなるくらいの気持ちになるだろう。

 だけど――


「でも、都賀さんはそれを選んでる」


 この楽器屋の主はそれでも、戦い続けるための道を選んだのだ。

 それは、半端な覚悟でやったことではないだろう。

 負け犬に成り下がった気は、毛頭ない――そう言っていた都賀は、唇の端を吊り上げる。


「そう。でもこんな方法きつすぎて、大抵の人間は選びもしないんだ。さっき僕は、『対価はきみの将来』って言ったろ? あれは、このことも込みでね。よほどの理由と覚悟がない限りはおすすめできない方法なんだよ。

 でも、どうだろう? きみにはその二つともがあると思うんだけど」

「……」


 理由なら、確かにもうとっくに持っていた。

 自分と同じような思いを誰かに味わわせるような真似は、やはり死んでもごめんなのだ。

 そのためだったら自分は、今年のコンクールのときと同じように全身全霊で戦ってみせるだろう。

 ただし、覚悟の方はといえば――


「……都賀さん。ひとつ聞かせてください」


 どこかにまだ引っかかるものがあって、鍵太郎は楽器屋に質問をすることにした。

 この人と――そして、この方法を彼に思いつかせた、あの指揮者の先生のことを思い浮かべながら。


「他人への恨みを原動力にするのは――都賀さんにとっては辛くないんですか」


 彼のこのやり方は、かつて勝つために手段を選ばずに戦って、そして破滅した自分の過去を思い出させる。

 振り返ってみればあのときの行動の核になっていたのは、自分より優れている人間に対する嫉妬や、八つ当たりのような感情だった。

 もう二度と同じ轍は踏みたくない、というのもある。

 しかしどちらかというと、鍵太郎は自分のことというより、かつての自分と似たようなことをしているように見える都賀のことが、心配になってそう問いかけたのだが――

 彼は少し困ったように笑って、こちらの質問に答えてくるだけだった。


「湊くん。僕はもう楽器屋なんだよ」


 それは、まだ。

 鍵太郎には全てを見通せない、複雑なものが入り混じった、そんな笑顔だった。


「あいつが何か買いたいと言えば売るし、楽器のメンテナンスを頼まれたら一切手を抜かない。あいつのプロとしての仕事に、僕はプロとして応える。そういう選択を僕はしたんだ」

「……」


 その返答に鍵太郎は、もう一度都賀楽器店の中を見回した。

 そこには譜面台や音楽関連の書籍に小物、様々な楽器類が並べられている。

 コーヒーを淹れてくれた店員さんや、そういえば奥にちらりともう一人リペアの人がいるのも見えた。

 そうやって見た感想は――

 最初ここに来たときと同じだった。

 立派な店だと思った。

 そういった日々やこの人たちを守るために、都賀はずっと戦っているのだろう。

 それこそ彼がこの道を選んでから――永劫にここまで。


「……すみません。これについては少し、考えさせてもらっていいですか」


 けれど――まだ、自分にはその全てを飲み込むことができなくて。

 鍵太郎は楽器屋に対して、そう返事をした。


「お話、すごく参考になりました。ありがとうございます。

 けれど、ちょっとまだ……俺はそこに飛び込む気にはなれません」

「慎重なのはいいことだよ。けれども、度を過ぎると商機を逃す」


 タイミングを見極めることは重要だよ。

 お互いに最大の利益を出せるときに合意をしようじゃないか――と、そう言って。

 都賀は机の上に置いてあった、今度の学校祭での吹奏楽部コンサートのポスターを手に取った。


「意地の悪いことも結構言ってしまったね、すまなかった。それの埋め合わせというわけじゃないけど、これはいつも通り、店に貼らせてもらうよ。ちょうどスペースも空いてる」


 そしてそのまま、彼はテープを持って入り口にポスターを貼りに行った。

 その姿を見送っていると、店の入り口にあった、どう吹くか分からないほど複雑に曲がりくねった金管楽器が目に入ってくる。

 当人が自覚しているかどうかはわからないが、それは――


「でもさ、ひとつ忠告しておくけど。

 現実はさ――きみの成長なんて待ってくれないんだよ?」


 きっとこの楽器屋自身のことを表しているのではないかと、その後ろ姿を見て鍵太郎は思うのだ。

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