第183話 あなたは幸せだったのでしょうか
選抜バンドの写真が届いた。
演奏中の写真が数枚と、集合写真が一枚。
見本として送られてきたそれは、同じく送られてきた県のコンクールの写真の横に、ひっそりと掲示されている。
買いたいものがあったら、その見本を見て注文用紙にほしい写真の番号を書くのだ。
なので、みなが県大会の写真を見ている中――
「……みんな、元気かなあ」
そこに写っているメンバーを見て、ぽつりとつぶやく。
過去に数日だけ関わった、他校の生徒。
集合写真を撮るときには楽器別に固まったので、鍵太郎の周りにはあのとき言葉を交わした、四人の生徒たちが一緒に写っている。
みな、笑っていた。
あのときは本番の勢いそのままに写真撮影になったので、全員テンションが高いのだ。そのときの空気感を思い出して、鍵太郎は不思議な気持ちになった。なんだか自分が、ひどく遠いところに来てしまったような気がした。
それまで全く話したこともなかったやつらとの本番は、びっくりするほどいいものになった。
だがその後別れてからは、この連中とは一切連絡を取っていない。というか、誰とも連絡先を交換していないので、連絡の取りようがないのだ。
ただ、その後彼らがどうなったのか、二人だけなら風の噂で動向がわかる。
なのでそれが知りたくて、鍵太郎は近くにいた同い年の
「なあ、千渡。東関東のA部門て、もう終わったのかな」
この二つの強豪校は、鍵太郎たちとは違う部門でそれぞれ県大会を突破し、支部大会に行っていたはずだった。
詳しくは聞いていないが、県代表など当たり前、という風情のこの二校だ。当然のように先の大会に進み、お互いに火花を散らし合っているに違いない。
既に今は九月の下旬。
支部大会は、もう終わっている頃だろう。そう思って、こういった情報に詳しそうな光莉に話しかけたわけだが――
やはり彼女は、複雑な顔をしてうなずいてきた。
「先週の土曜日に終わってるわよ。ちょっと、大番狂わせというか、みんなの予想外の結果になって……宮園が銀賞、富士見が丘がダメ金だったんだって」
「……そうか」
知らされた結果に、さして驚きもなくそう答える。
これまでこの県では、宮園高校がトップだと言われてきたはずだった。
だがそれが今回は入れ替わる形になり、光莉の言うように、驚きをもってその結果を聞いた人もいるのだろう。
けれど、それは自分にとって、大した問題ではないのだ。
そう思って、鍵太郎は選抜バンドで会ったこの二校の生徒とのことを、改めて思い浮かべていた。
ひとつ年上だった富士見が丘のあの人は、きっとひどくがんばったんだろうな、と思う。
宮園のあいつの方はどうだったかわからないが、しかし彼も二年生だ。考えてみれば、今回だってコンクールメンバーだったかどうかも定かではないし――ならばきっと来年に向けて、ひたすらに牙を研いでいるに違いない。
そうやって、この二校の争いは続いていく。
今後この二つの強豪校が、どんな争いを繰り広げていくのかはわからない。それは出場する部門が違う自分のあずかり知らぬことだ。
だが少なくとも、これで富士見が丘高校の演奏会の会場は、来年もいっぱいになるはずで――
そういった意味で今回の結果は、富士見が丘の
なにせ名実共にこれで県下トップになったのだ。
これ以上の宣伝効果もない。
しかし、そう言っていた彼の顔を思い出して、鍵太郎は顔を伏せた。
なんだろう、でも――
「ネットの掲示板とかで、一部の人が盛り上がってたわよ。『ついに宮園と富士見が丘の立場が逆転した!』って……」
「別にどうでもいいよ。そんなの」
光莉の言葉に、どうにも納得いかないものを感じてしまって。
鍵太郎は、思わず強い口調で彼女に対して声をあげていた。
それに、彼女がなんとなくムッとしたのが伝わってきて――さすがに言い過ぎたと思って、「ごめん」とすぐに謝る。
だが、それでも心の中にあるどこか理不尽なものに対する憤りは、まだ収まることはなかった。
それはなぜかと訊かれれば――それはきっと、あの人が口にしていた望みがどこか、自分自身をないがしろにしたものであったからかもしれない。
なにを犠牲にしても、ほしいものってあるじゃない――と、あの人は言っていた。
今から考えれば、それはひょっとしたらあの人自身のことすら含んでいたのではないか、と思う。
彼には確かに、守りたいものがあったのだ。
それは最後に別れたときに、嫌というほど思い知らされていた。
けれど――
「清住さん……あなたは幸せだったんでしょうか?」
それは本当に、彼が望んでいたものだったのかが分からなくて。
鍵太郎は、もう一度、自分たちが写っている写真を見てそう尋ねていた。
彼の本当の望みはどうあれ、口にしていた願いは叶えられたのだから、それでいいのだと考えればよかったのかもしれない。
学校としては金賞が取れたのだから、そんな風に考える必要はないと言われれば、それはそうなのだろう。
けれど、この結果に対する周囲の反応にどこか、納得いかないものを感じて――
そして、一瞬だけ道が交わったあのときに、彼の表情に、それとは違うものが見えていたような気がして。
「……くそ」
鍵太郎は相変わらずみなが笑っている写真に対して、やりきれない思いを抱えそうつぶやいていた。
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他人の幸せなんて、しょせん他人にはわからない。
そして今あの人がどんな気持ちでいるのか、もう確かめるすべもない。
だったら、しょせん他校のことは他校のこと――と割り切ってしまえば、それでよかったのだろう。
だけど、どうしてこのことが、こんなに引っかかってしまうのかといえば――
彼の選んだ道が、いつか自分の行く道にも関わってきそうな気がしてならなかったからだ。
そしてその機会は、鍵太郎自身が想定していたよりも、はるかに早くやってきた。
「……合同練習、ですか」
その言葉を、鍵太郎はどこかうんざりした気持ちで、顧問の先生にそっくりそのまま繰り返していた。
すると自分のデスクに座っていたその吹奏楽部顧問である
「ああ、合同練習だ。こないだのコンクールが終わってから、何校かからお誘いがあってな。ウチの学校と一回でいいから、一緒に練習がしたいんだと」
「……なんだって、また」
「どこの学校もな、ウチがどうして金賞を取れたのか、それを知りたがってるんだよ」
「……そうですか」
どいつもこいつも、自分のことしか考えてないのか――と、そんな理不尽な怒りがぶり返してきて、鍵太郎は言葉少なに先生にそう答えた。
だがそれを、単なる戸惑いと受け取ったのか、本町はそのまま続けてくる。
「ダメ金とはいえ、ウチは金賞を取ったんだ。どうやって壁をぶち破ったのか。どんな練習してるのか。それをあわよくば盗んじまおうって連中が、こうして声をかけてきてるのさ」
「……はあ」
「ウチは追う立場でもあるが、今回のダメ金で、同時に追われる立場にもなったってことだな。まあ、半信半疑の連中が大半だろうけどよ――ま、だからせいぜい来年も金賞取って、そんな連中に『まぐれじゃねーよ! バーカバーカ!』って言ってやんねーとな。はは」
「……」
そんな、冗談半分、本気半分といった調子で笑う顧問の先生へ――しかし鍵太郎は、なにも言葉を返すことができなかった。
確かに、コンクールは点数がつく場だ。
だからこそどの学校も必死に練習して、金賞を目指している。
それぞれがそれぞれの求めているものに向けて力を尽くすのは、決して悪いことではない。
けれど、それがどこかで、個人の思いをひき潰すようになったとき――その努力と呼ばれていたはずのナニかは、既に凶器へと変貌しているのだろう。
先ほどのことがあったからか、どうも刺々しい気持ちで、そんなことを考えてしまった。
するとさすがに、こちらの様子がおかしいことに気がついたのだろう。本町が訊いてくる。
「おい湊、どうした?」
「……なんだか、不安なんです」
どこが不安――と言われれば。
はっきりこれだ、と言えるものはなかったが。
あえてそれはなにかといえば、将来への不安、というものなのかもしれなかった。
「なんでみんな、そんなにガツガツできるんでしょうね。俺は、それが怖いのかもしれません」
自分の望むもののために、自分も他人も全部、遠慮容赦なく巻き込んで、戦う。
それがなにを意味するのか、そしてその結果、なにがあるのか。
そしてそれは自分の手に負えるものなのか――考えれば考えるほど、気分が悪くなってくるのだ。
三年生になればわかる、と彼は言っていた。
なら部長になるとなれば、なおさらそんな場面とは向き合う羽目になるだろう。
だったら部活のために、部員のために。望まない選択肢を突きつけられたら、一体どうするのか。
それを考えたとき――自分が彼のような選択をしないか、と訊かれたら、絶対にしないとは言い切れなかった。
そのときどうするのか。それは今考えても仕方ないことなのかもしれない。
けれどこの思いは、どこかに刺さった棘のように、チクチクとした痛みを発し続けている。
それを抱え続けていけばいいのか、それとも抜いてしまっていいのか、それすらもわからなくて――
「……なあ、湊」
口をへの字に曲げて押し黙っていると、先生は苦笑いをしてため息をつき、こちらに言ってきた。
「おまえになにがあったのかは、あえて訊かねーよ。というかむしろ、今のおまえを見てると、四の五の言ってもあんまり意味なさそうだからな。だからこそよ――これからは、もっと違うことを考えようぜ」
「……違うこと、ですか?」
「おうよ。自分とは違う誰かとやるっていうのは、楽しいもんだぞ」
鍵太郎が顔を上げると、先生はニカリと笑って、部屋の一角を指差した。
「選抜のときだって、そうだったろ?」
「――」
先生に釣られるように、そこにある、自分たちが写っている写真を見ると――
鍵太郎の頭の中に、そこにいるメンバーたちとの間にあったことが、濁流のように思い出されてきた。
全員と話して、ときには言い合ったりして。
いろんなことがあったのだ。
だから今、自分はこうしてここにいることができて。
「……はい」
そしてあのときの演奏は、本当にすごいものになった。
そのことを改めて思い出して、ようやく鍵太郎はその写真を見てうなずいた。
どんなに、お互いの行く道が離れていても。
それに関わっていない人間は、ほとんど目に留めなくても。
「楽しかった……です」
それでも遠いあの日――
自分たちがただひとつのものを求めて、笑っていたことは確かだったからだ。
きみの行く道は、僕らにはできないことができる――そんな気がするんだ。
あの日、彼がそう言っていたことを思い出す。
だったら自分は、その言葉を信じてこれからも行けばいい。
そう思って、鍵太郎は――その出発点となったあの日の集合写真を、いつも通り、一枚だけ買うことにした。
とりあえずまずは、これから出会う人には、必ず連絡先を聞こうと思う。
そうやって次からは後悔しないように、自分たちの道を切り開いていけばいい。
生徒のそんな様子に――先生はふっと笑って、イスの背もたれに身体を預けた。
「ま、そんなわけで。どこの学校と合同練習するかは置いといてだ。とりあえず、どっかとは一緒にやるってことで、いいか?」
「……はい。わかりました」
「とりあえず、今は学校祭で手一杯だから、その後に返事するってどこの学校にも言っとくが――うーん、どこがいいかな。その辺はアタシも考えとくわ」
「よろしくお願いします」
他の学校のことは、この先生の方が絶対に詳しい。
なら、選定は任せた方がいいだろう。この人なら、妙な学校を選びはしないはずだ。
そう考えて、鍵太郎が一礼すると――
ふと本町は思い出したかのように、露骨に顔をしかめて言ってくる。
「あー、そういや湊。おまえに頼みたいことがあったんだった」
「頼みたいこと?」
なんだろうか。本町の顔つきからして、あまりいい話でもなさそうだったが――
首を傾げると、先生はごちゃごちゃとした自分のデスクの上に置いてある、一枚の大判の紙を差し出してきた。
それは今度の学校祭でやる、吹奏楽部のコンサートを告知するためのポスターだ。
これを――
「これを都賀楽器店に貼ってきてくれ。なんでだか知らねえが、あの腐れ楽器屋が、おまえのことを指名してきてな。いつもはアタシが貼りに行くんだが、今回はおまえに頼みたい」
「……」
持って行く先の店主の顔を思い出して、鍵太郎は半眼になった。
自分の行く道はもう既に、手に負えないものになりつつあるのかもしれない。
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