第179話 メリー・ウィドウ
これから部長として、どう振る舞っていけばいいのか――
悩む
なので――
「貝島せんぱあああああい!」
「うわああああっ!? なっ、なんですか!? なんなんですか!?」
鍵太郎はそのまま、両手を腰に当てふんぞり返る優にダイブしていた。
このちっちゃい先輩が、これほど心強く見えたことはない。
バタバタ暴れる優を、がっちりとホールドする。それに「ちょっ、湊くん、ついに変態に覚醒したんですか!? そこに直れ! 直りなさい!」などと身に覚えのないことを言われるが、彼女は頼みの綱なのだ。離すつもりはない。
すると、そこでなにか用があって学校に来ていたらしい、楽器屋の
「あ、部長さん。頼まれてたやつ持ってきたよ」
「がうー! ぎゃうー!! ――あ、都賀さんですか。どうもお世話になります」
「頼まれてたもの? ――あ、痛て」
気を取られた隙に腕を噛まれ、ついつい手を離してしまったものの。
どうも話の流れから察するに、この先輩が都賀を呼んだらしい。
いったいなんだろうと首を傾げていると、都賀が荷物から、何本かのスティックを取り出してくる。
それは、打楽器の人たちがよく持っているもので――
「はい、マレット。こないだ試奏してもらってやつね」
「ありがとうございます! これで今度のソロもいい感じにできそうです!」
「ああ。打楽器のバチですか」
差し出されたのは
マレットは二本で一組になっていて、細い棒の先には丸い球がくっついている。
その球――ヘッドは色も素材も様々で、何本もまとめられたそれらは花束のようだった。
どうやら都賀は、これを納品しに来たらしい。営業スマイルなのかなんなのか、はしゃぐ優を楽器屋は笑顔で見ている。
まあ後ろでは顧問の先生が、渡された請求書を半眼で見ているのだが――それはともかくとして。
「これで演奏の幅が広がります! やったー!」
「なんだかよくわかりませんが、よかったですねえ」
この先輩のこんな楽しそうな姿を久しぶりに見たので、鍵太郎はどこかほっとして優にそう言った。
打楽器のことはよくわからないが、ここまで嬉しそうだということは、きっとそれ相応にいいものなのだろう。
花束めいたそれを抱えて、先輩がくるりと一回転する。これまでコンクールで張り詰めることの多かったこの部長だったが、そういえばこの人は、こんなこともできるのだった。
それに温かい目をすると同時に――来年の今頃、自分はこの表情を浮かべているだろうか、とも思う。
そんな弱気なことを言っている場合ではない、ということは重々わかるのだが。
ただ、どうしてもなにかが不安なのだ。そんなことを頭の片隅で思っていると、優が言う。
「さーて、今度のソロはどれを使いますかねー。何本か試してみて、よさそうなものを見つけたら今度城山先生に相談してみます! 高校最後のソロですし、悔いのないように――」
と――
「――城山?」
「え?」
そこで、後ろから急に低い声が聞こえてきて、鍵太郎は驚いてそちらを振り返った。
見ればさっきまで営業スマイルを浮かべていた都賀が、無表情で佇んでいる。
その表情のあまりの落差に、思わずゾッとして一歩引いてしまった。
なぜ城山のことを知っているのかと思ったが、そういえばこの楽器屋もあの指揮者の先生と同じく、顧問の先生の大学の後輩なのだった。
けれど――なんだろう、この反応は。
冷や汗をかいていると、都賀は顧問の
「先輩、あいつ、今はここで指揮振ってるんですか?」
「ああ。去年からな。いい加減また指揮振れって、アタシが呼んだんだよ」
「ふうん……」
「つ、都賀さん……?」
なんだか、知り合いというには妙にピリピリした雰囲気だ。
あの指揮者の先生からは全く想像できないが、この二人実は仲が悪いのだろうか。
そう思って顔を引きつらせていると、都賀はまた、笑顔に戻った。
ただし――それは先ほどまでとはまた違う、目だけが笑ってない暗い笑みだったのだが。
「じゃあ僕は、他のところにも行かなくちゃならないので、これで失礼しますね。本町先生、お代は振込みでも、お店に来ていただいても構いませんので。よろしくお願いします」
「ああ、そのうちな」
「ありがとうございます。ああ――部長くん」
そう言って部屋を去りかける都賀が、扉越しにこちらを向いた。
それに、はい、と返事する暇もなく――
「また――近いうちにね」
と。
そう言って笑う都賀のことが怖すぎて、鍵太郎はそのまま部屋を出て行く楽器屋を見送った。
###
自分のこれから歩んで行く道に、あんなのがいると思うと恐ろしい気持ちになってくるが――
「……女の子の扱い方を教えてほしい?」
それでも、この人の話はこれから参考になるはずで。
鍵太郎は優に当初の予定通り、これから部長としてどうすればいいかを尋ねていた。
自分以外女子部員ばかりの吹奏楽部は、だいぶ慣れたとはいえ、理解の外にあることがまだまだある。
すると、先輩は目を見開き、腕を上げながら二、三歩下がった。
「湊くん、あなた、まさか……」
「違うッ!? 先輩、そんな汚いものを見る目つきで見ないでください!?」
ドン引きの姿勢になる優に、鍵太郎は泣きたくなりながらそう訴えた。
訊き方が悪かった。もう一度説明する。自分はまったく下心はなく、ただこの部をまとめたいだけなのだ。
本当だ。断じてそうなのだ。そう言うと、先輩はようやく戻ってきてくれた。
「ふむ……なんとなく、言いたいことはわかりました」
「今回俺がやったのはたまたま上手くいきましたけど、これからもずっとはそうだとは限りません。来年のコンクールまでは長いし……あの、正直女子の考えてることってよくわからないので、あんまりまとめていける自信がないというか、なんというか」
あの女子特有の雰囲気というか、ノリは本当に謎である。
これまではそのルールに首を傾げながらも、一応は従ってきたわけだが――これからは自分が部長なのだ。
みなを引っ張っていったり、時にはなにか注意しなければならない場面も出てくるだろう。
ただ、下手をすると泣く子もいるわけで、それでは部活の雰囲気が悪くなる。
そうなると風通しが悪くなる。全体の生産性が下がっていく。
そして、誰も望んでいない結末になる。
それは今回のコンクールで、散々見てきた。
じゃあ、どうすればいいのか――そう言うと、優は鷹揚にうなずいた。
「なるほど。そういうことですか」
「なにかいい考えがありますか!?」
「簡単です。煮え切らない人間は叩けばいいんです」
「……先輩は、そーいうとこ変わりませんねえ」
自信満々にそう言ってきた現部長に、鍵太郎は肩を落とした。
さすがこの一年、武闘派でやり通してきた先輩は言うことが違う。
打楽器の人ってみんなこうなのだろうか。いや、卒業した打楽器のあの男の先輩は違ってたはずなのだが――
そんなことを思っていると、優は続ける。
「でも、人の考えてることって結局はわからないじゃないですか。特に広美の考えてることなんて、私にはサッパリわかりません」
「いやまあ……あの人の考えてることは、俺にもよくわかりませんけど」
「でしょう? だから人の考えてることを知りたいなんて思っても、そんなものは時間のムダなんですよ。だったら、自分はなにができるか。それを考えた方がよっぽど建設的です」
「なにができるか……ですか」
「はい」
わからないものをどうにかしようとしたって、始まりませんからね――と、あっさりと言って。
優は肩をすくめて、ごく当たり前のことといった口調で続けてきた。
「他人がなにを考えていようが、自分のやることは変わりません。知ったこっちゃありません。それは男だろうが女だろうが同じです。だったら別に、気にすることはないじゃないですか」
「いや、だからと言って叩くというのは、どうも……」
「別にビンタしろと言ってるわけではないのですよ。言葉のあやというやつです。
それに――そう。最近思ったのですが、私だって、ただ叩くだけしか能がないわけではありませんし」
ふふ――と、びっくりするほど柔らかく笑って。
優は先ほど渡された、マレットたちを入れたバケツを取り出す。
「これは今度やる『メリー・ウィドウ』の、グロッケンソロで使うために買ったものです。まあ、他の楽器用にも色々買ったんですが……。そういえば、あの曲の音源は聞きましたか?」
「あ、はい。なんか、優しいソロでしたね」
動画で見た、曲の一シーンを思い出して鍵太郎はうなずいた。
『メリー・ウィドウ』中盤にある、グロッケン中心の打楽器群だけのシーン。
穏やかで、繊細な場面だ。誰がソロをやるのかと思っていたが――あれを、優がやるのか。
そういえばさっき、高校最後のソロと言っていたが。
少々イメージにない配役だったので、意外に思って鍵太郎は首を傾げた。優はこれまでどちらかというと、芯まで通った強い大きな音を出す人、という印象だったからだ。
だが、今回はそういった感じではないらしい。
「あのソロは、力強いものではなく、優しい音が必要です。これは自分でも大きな反省点だったのですが――これまでの私は、『なにを』叩くかばかりに目が行って、『なにで』叩くかを忘れていたようです」
「なにで……ですか」
「はい。この間、打楽器は物理がものをいう楽器だと言いましたよね? それは、叩く楽器の方だけでなく、叩くためのバチの方でもそうなんだと、少し前に改めて気づきました」
ものによって、出る音が違うんです――そう言われて、鍵太郎は改めて、バケツに生けられた花のようになっているマレットたちを見た。
ちゃんと見ると、先に付いた球の部分が全部、色や材質が違う。
綿毛のような白いフェルト。
毛糸をまとめられて作っているらしい赤い球。
ゴムのようなものに見える青いもの。なにかの金属でできているらしい、鈍い輝きの金色。果てはガラスのような透明なものまで――
こんなにあるんだと感心するくらい、そこにはたくさんの種類があった。
「この中の、どれを選んで、どうやって叩くか。それは曲の感じによって違うんです。今回だったら――うーん、どれがいいかなー」
そう言って、優はバケツの中から迷いつつ、一組のマレットを取り出した。
それは小さくて光沢のある、白いヘッドを持つものだ。
「これがいいですかね。他のも一応試してみますが、まずはこれで」
「……叩くものを変えるだけで、そんなに変わるもんですか」
「む。わかってませんね? これだから管楽器の人は」
そういう物言いは、出会った頃から変わっていないように感じるが――
これで、なにが変わるのだろうか。疑問に思っていると、優は楽器倉庫から、グロッケンを出してきた。
背筋を伸ばし、そして楽器に一歩近づいて。
「こうやって、場面に沿ったものを選んで。正しい角度で。適切な速度で。ちゃんと楽器が鳴るように――」
振り下ろす。
すると――
「全然違う……」
「ほら。だから言ったでしょう」
そこから出てきた音があまりにも綺麗に――そして想像以上に響いてきたので、鍵太郎は驚いて目を見開いた。
なんというか、これまでの優のイメージとは全然違う。
明るくて、キラキラしてて、小さい音なのによく遠くまで響いていって。
この人、こんな音も出せたのか。呆然と先輩を見ると、えっへんと胸を張っていた優は、しかしやがて腕を下ろして言ってきた。
「なんてね。偉そうに言ってますがこれは、たぶん私だけじゃ気づかなかったんです」
「先輩……」
「私は、叩くことしかできません。でもそれでも、その場面によって取るべき手段は無数にあって、叩き方も無限にあるとわかったら――それはそれで、上手くいくのだと思いますよ」
そう言って、優は笑った。
それはこの一年をやり通してきた者しか浮かべることのできないであろう、晴れやかな笑みだ。
「ま、言うだけじゃわからないでしょうから後はもう、行動してください。来年の今頃、あなたもなにか新しい奏法を見つけていることを祈ります」
「うう。結局なんだかんだ具体的なアドバイスはなくて、やって覚えろ的なスパルタ展開なんですね……」
「なにを今更、そんなことを言っているのですか? 私が優しく励ましてくれるとでも思ってたんですか? そんなわけないでしょう」
だとしたら、相談する人を間違ってますよ――そう言っておかしげに笑う優を見て、鍵太郎は不思議に思う。
これまでだったら、つべこべ言わずとっととやれ、とか、そんなんじゃ部長としてやっていけないぞ、とか、怒鳴り散らされるような感じだったのに。
「先輩は、なんだか……変わりましたね」
なんというか、それまであった煮詰まった感じが抜けて余裕ができた印象があって、鍵太郎はどうしたんだろうと思って優にそう尋ねていた。
憑き物が落ちたような感じというか、吹っ切れたように見えるというか。
コンクールという、プレッシャーのかかる舞台が終わったからだろうか。確かに、あれだけのことがあったのだ。心境の変化があっても無理はない。
けれど、それだけではないような気がして――もしかしたら。
「……滝田先輩」
最後の最後に辿り着いたあそこにいたあの先輩と、なにか話したのだろうか。
あのとき、ボロボロと涙をこぼしていたこの部長を思い出して、鍵太郎は思い切ってそのときのことを訊いてみることにした。
まさかとは思うが、そう考えると少しだけ思い当たる節がある。
これは後で曲を調べていたときに知ったのだが、学校祭の選曲の際、優が言ったこの『メリー・ウィドウ』という曲名。
あれは、『陽気な未亡人』という意味だ。
これに、なにか深い意味があるのかはわからない。ひょっとしたら優も、タイトルの意味は知らず、ただやりたいからということでこの曲を挙げてきただけなのかもしれない。
だが、それになにか意味があるとしたら。
「あの後、先輩は――滝田先輩に、なにか言ったんですか」
優とあの先輩との間に、なんらかの関係の変化があったからではないのか。
自分とあの人のことに重ね合わせて、鍵太郎はそう考えていた。
この二人はどこか、自分たちに通じるものがある。
だったら、この先輩たちの出した答えが、もしこの曲の示す通りだとしたら――
「えいっ」
「いたっ!?」
しかし、そこで、ぽくっ――と。
優がこちらのことをマレットで殴ってきたので、鍵太郎は驚いてその疑問を引っ込めた。
先輩はいつものように手を腰に当てて、こちらに言う。
「女性の扱いについてそのいち、です」
そしてびしり、とマレットを突きつけ――彼女は挑戦的に笑った。
「レディに失礼なことを訊いてはいけません。最低限のマナーですよ」
「レディて」
「なんですか。湊くんが聞きたいというから教えてあげたというのに」
そう言って、優はマレットをぶんぶん振ってくるが――どうしても、このちっちゃい先輩にはそんな単語は似合わない。
けれども、これ以上言うとまた殴られそうな気がしたので、それ以上の追及はあきらめておいた。なんだか理不尽なものは感じるが、それは今まで通りだ。
この小さな部長の言うとおり、そこは従っておいた方がいいところなのだろう。
「まあ……いいか」
女心はわからない。
だがどんなことがあったとしても、この人がこうして、楽しそうにマレットを選んでいるのは確かで。
一年後がどうなっているかわからず、そして自分とあの人との結びつきに、どんな変化があるかもわからないけれど――
それがどんなものであれ、こうして笑っていられる自分でありたいと、今はそう思うことができた。
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