第178話 もうひとりの部長
「へー、おまえ部長になったんだ」
夏休みが明けた、二学期の初日。
野球部に所属する祐太とは、クラスが一緒でも夏休み中はそうそうしゃべる機会もない。なので近況報告も兼ねて、久しぶりに話をしていたのである。
この友人には夏休み前に、
なのでその件が、解決したということは言っておきたかったのだ。ついでにその余波で、自分が部長になったことも伝えたのだが――
すると祐太は目を開いて、そして困ったように笑いながらこちらに言ってくる。
「いやあ。実は、おれも今度から野球部のキャプテンやることになってさ」
「はあああああああっ!?」
なんだか最近、俺驚いてばっかりだなと思いつつ。
その衝撃の告白に、鍵太郎は教室中に響く叫び声をあげていた。
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「いやー、どうしたもんかと思ってさ。こないだいきなり監督に呼ばれて、『おまえ、明日からキャプテンな』って言われて。ほんと困ってたんだよ」
教室の視線が一気に集中したのに、なんでもないと笑顔で手を振って応えて。
祐太はこちらに、本当に困ったようにそう言ってきた。
確かに、基本的にはお調子者の彼だ。キャプテンという役割は、あまり自分には合っていないと思うのだろう。
しかし、実力はあるはずで――
「いや、でもすごいじゃないか。二年でレギュラーになるくらいだから、監督も期待してるんだろ」
実際にその立場を手にしていると知っていただけに、鍵太郎は友人に素直にそう言った。
しかし祐太は「いやいや、それがそうでもないんだよな」と言ってくる。
「レギュラーは確かに取れたけどさあ。でもそれは、今年の三年の先輩たちがちょっと、問題のある人が多かったからでもあるんだよ。こないだおまえから相談受けたときにも言ったろ? 『吹奏楽部”も”大変だ』って」
「あ」
そういえば、そんなことも言っていたかもしれない。
バタバタしていたため、あの時は全く気づかなかったが。そういえば、確かに今年の野球部は、地区大会の二回戦で敗退しているのだった。
これまでは、そこまで弱い部でもなかったはずなのに。
それは、実は野球部も野球部でなにかあったからだというのか。そう考えた鍵太郎の顔色を読んだのか、祐太はひとつうなずいて言ってくる。
「ま、そういうことだ。だからそっちの話聞いてると、他人事じゃねーなーって思って。で、色々考えてたら監督に目ぇつけられて、『チームの立て直しをやれ』って、これだよ。参っちゃうよなあ。おれキャプテンとか、そういうガラじゃないのに」
「いや、でも……祐太はやろうと思えばできるんじゃないか、それ」
ため息をつく友人に、なんだか自分と似たような悩みだなと思いつつも、鍵太郎はそう声をかけていた。
確かに祐太は言動が軽い面はあるが、その実全部わかっていて、あえて道化になっているような節があるのだ。
ヘラヘラしながらも、押さえるべきところは押さえている。
吹奏楽部でいえば、あのバスクラリネットの先輩に近い。野球でいえば遊撃手だ。
基本ができている上で、状況に合わせて自分の位置から試合を動かすことができる。
それはチームの立て直しにあたっては、有利に働く要素のはずだ。
そう言うと、祐太は苦笑しながらも「うん……そうかな」とうなずいた。
「でもまあ、やっぱなんかまだ不安なんだよな。おれにできるのかなーって。こればっかりは、やって慣れてくしかないんだろうけど」
「ああ、それスッゲーわかる。俺もめちゃくちゃ不安だもん」
「そっか。まあ……そうだな。うん。同じようなヤツがいて、ちょっと気が楽になった。色々あるかもしれないけど、なんかあったら相談するわ。部長同士よろしくな。お互いがんばろうぜ」
「うん」
友人がようやく前向きな言葉を言ったことに、鍵太郎はひと安心して、笑ってうなずいた。
自分の扱いや、周りの環境が変わっていくことに対しての不安はあるが――こうして似たような立場の人間がいることは、それだけで心強いのだ。
どちらの部にも課題は山積みのようだが、これならなんとかやっていけそうな気がする。
鍵太郎がそう思っていると、祐太はいつもの調子を取り戻してきたのか、ニヤリと笑ってこちらの状況をからかってきた。
「いやー。しっかし、これでおまえは名実共にハーレムの主になったわけだ。まとめるの大変そうだよな。多数決で部長になって、しかも人数多くて女子ばっかって、もはや修羅場だろ修羅場」
「やめてくれ……そういう言い方はやめてくれ……」
『アレ』はそういうものじゃない。そう言い続けているのだが、未だに友人は理解してくれないらしい。
額を押さえる自分を見ながら、祐太はニヤニヤ笑いつつ言ってくる。
「そして副部長が
「? 千渡がどうかしたのか? まあ確かに、あいつが副部長なのはありがたくもあり、恐ろしくもあるんだが……」
「いや、こっちの話だよ。どっちにしても――応援してるよってな。がんばれ」
「……? ああ」
相変わらず、彼のこういうところはよくわからない。
しかしなんにしても、こちらのことを応援してくれていることは間違いないようだった。不思議に思いながらも鍵太郎が「おまえもがんばれよ」と言うと、祐太はなぜか、おかしそうに笑いをこらえていた。
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しかし、ハーレムだどうだ、という話は置いておくとしても――
「……女子部員の中に自分ひとりだけ男っていうのは、やっぱりどうしていいかわかんないところがあるんだよなあ」
そこは実際にそうだったので、放課後になって鍵太郎は音楽室に向かいながら、そうぶつぶつとつぶやいていた。
だいぶ慣れてはきたものの、未だに彼女たちのノリに関してはよくわからないところがある。
パートのおばちゃんばっかりのスーパーの店長さんて、こんな気持ちなのかなあ、と母親の仕事の愚痴を思い出して鍵太郎は首を傾げた。こんなことを口にしたら八つ裂きにされそうなので誰にも言えないが、状況的にはそれに近いんじゃないかと思えるのだ。
いつだったか話に聞いたところによると、女子サッカーの日本代表チームも男子の場合とは、微妙にチーム作りの手法が違ったというし。
この辺りのことは、少し考えた方がいいのかもしれない。
たぶんここは、来年のコンクールに向かってやっておかねばならないところだ。
だがそう考えるとうんざりしてきてしまって、鍵太郎はため息をつきながら音楽室の扉を開けた。やることが山積みすぎて、目にした途端気力が萎えてしまう。
先ほど友人と話したときにはすごくやる気になったのに、今は全く逆の気持ちだ。
ちょっとしたことで気分が上下するのは昔からよくあることだったが、部長に任命されてからは、さらにそれがひどくなってしまったような気がする。
参ったなあ、こればっかりは祐太にも相談できないぞと思って、さらに音楽準備室に向かうと――
「……あれ?」
「おや、きみは」
そこで茶髪で黒いエプロンをつけた男性を見つけて、鍵太郎は目をぱちくりさせた。
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久方ぶりに目にしたので一瞬わからなかったが、そこにいたのは顧問の先生の音大の後輩で、楽器屋の
彼がここにいるということは、部活の楽器関連でなにかあったということだろうか。そう思いつつ、都賀に対して「どうも」と一礼する。
この楽器屋もなかなかに変わった人ではあったが、去年自分の楽器を直してもらった恩があった。
すると机に座っていた顧問の
「あ、そういえば都賀。そいつがこれから、部長をやることになった湊だ。よろしく頼む」
「へえ、そうなんだ!」
そう言って、楽器屋が目を輝かせてこちらを見た。
やっぱりきみは、そういう人材だったんだね! などと言いながら、彼は嬉しそうにこちらに近寄ってくるが――
その目の輝きはなんというか、ハゲタカのようだった。
「ああ、僕の目に狂いはなかった! さあ部長くん、来年も金賞を取るために、ここらで新しい楽器を揃えてみないかい? お安くしとくよ!」
「おい湊。こいつの口車に乗せられるんじゃねーぞ。あっという間にローンまみれになって、もやしと納豆生活送ることになるからな」
「は、ははは……」
実際に今、音楽室にあるチャイムをこの楽器屋から買った本町が、ものすごい顔をして都賀を見ていたので――鍵太郎は引きつり笑いを浮かべて、したたかに笑う楽器屋のことを見返した。
そういえば、都賀は以前からこんな感じだったのだ。
ニーズを見つけた途端、笑顔でゴリ押し。
まさか高校生相手に冗談だったとは思うが、楽器を買わないかと言われたこともある。
だが彼は本町に対しても同じようで、朗らかに顧問の先生に言ってきた。
「いやだなあ、本町先生。お金出しただけあっていい音してたでしょ、ウチのチャ・イ・ム♪」
「この、腐れ楽器屋が……」
「せ、先生!? 先生!? なんで都賀さん来てるんですか!? またなんか楽器の修理ですか!?」
気がつけば本町が都賀を締め上げそうになっていたので、鍵太郎は必死の思いで先生を止めに入った。
まったくこの間もそうだったが、意外と大人というのは本気でふざけているので始末に終えない。
この先、部長になったらこの人とも渡り合わなきゃいけないのか――そう思うと、さらに気分が重くなってくるのだが。
しかし。
「……なんの騒ぎですか、これは」
そこで聞きなれた声が耳に入ってきて、ふと、鍵太郎は重大な見落としをしていたことに気づいた。
「――あ」
そうだ。そういえば、もうひとりいた。
女子で、チームのことを考えて。
転びながらも必死にここまでやってきた――もうひとりの部長が。
「まったく。湊くん、こんなことで動揺してはこの先持ちませんよ」
振り返れば、そこにはもちろん
小さな身体を大きく反らせ、いつものようにただひたすらに頼もしい姿で、そこに立っていた。
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