第177話 駄目大人たちの酒宴
「し、城山先生……っ!?」
その、バーのカウンターに突っ伏したまま、全く動く気配のない
揺すってみても声をかけてみても、城山は反応する様子がない。
尋常でない様子だが、これは大丈夫だろうか。不安を感じていると、鍵太郎をここに連れてきた、吹奏楽部顧問の
「ああ、心配すんな湊。こいつただ単に、飲みすぎて酔いつぶれてるだけだから」
「え、えーと、それって本当に大丈夫なんですか……?」
およそ高校生には理解できるわけがない顧問の先生のセリフに、鍵太郎は顔を引きつらせて、大人二人を交互に見やった。
先生たちから電話があって仕方なく、こんな階段を下った先にあるバーなどに来てしまった鍵太郎である。
もちろん酒など、飲んだこともない。酔いつぶれているが気にしなくていいなどと言われても、心配なものは心配なのだ。
どうして本町は、こんなに落ち着いていられるだろうのか。
これが、大人の世界というものなのだろうか。というか、どうして城山はこんなになるまで飲んでしまったのか――
わからないことばかりで鍵太郎が戸惑っていると、本町が言う。
「いいんだよ、ほっとけほっとけ。こいつ、彼女に振られたショックでヤケ酒したんだし」
「はああああああぁぁぁぁっ!?」
その色々な意味で、あまりにも衝撃的な理由に。
鍵太郎は場所を忘れて、思わず大声をあげていた。グラスを磨いていたバーテンダーがジロリとこちらを見てきたので、慌てて口を塞ぐ。
しかしそれで、驚きが収まるわけもなく――
「……城山先生、彼女いたんですか!?」
鍵太郎は小声で、本町にそう尋ねた。
突っ込みたいことろは諸々あるが、まずはここからだ。そう考えていると、顧問の先生は案外あっさりと「いたらしいなあ」とうなずいてきた。
「まあ、アタシも今日まで知らなかったんだけどさ。なんかさっき酔っ払って、そんなこと言ってたんだわ」
「へ、へえ……」
なんでもないことのように答える本町に、戸惑いながらそう言うしかなかった。
まだ信じられなくて、改めてぶっ倒れたまま動かない指揮者の先生を見る。てっきりこの人は、もはやそういったことに興味がないのだろうと思っていたのだ。
城山匠は、もう音楽と結婚したようなもので――
そういえば、後輩にもそう言ってしまった。ああ参った、知らないうちに嘘つきになってしまった、と鍵太郎がバリトンサックスの後輩の顔を思い浮かべていると、さらに本町が言う。
「今日はこないだのコンクールの反省会兼、打ち上げのはずだったんだがなあ。なんかいつの間にかこいつの愚痴大会になってて、気がついたらこのザマだ」
「そ、そうなんですか……」
「そうなんだよ。昔っからこいつ、下手に外見がいいから変な女が寄ってきてさ。でも仕事に熱中しすぎて忙しくて、放っておいたら愛想つかされるっていうのが毎度のパターンなんだよ。今回もそうだったみたいだな。いい加減学習しろっつーの」
「それはまあ……一応、城山先生らしいですね」
「ああ、それと湊。おまえ部長になったからって、こいつに電話番号教えんじゃねーぞ。せいぜいメアドくらいにしとけ。酔っ払って夜中に電話してきて、すっげーめんどくせーことになるからな。
ったく、そうならないようにこいつの携帯取り上げたってのに。アタシの携帯を使って勝手におまえに電話するとは、まったくふてえ野郎だ」
「うううううう……」
既に、そのめんどくさいことになっているのであるが――
聞きたくない事実が次々に暴露されていって、鍵太郎はその場に泣き崩れたくなった。
『湊くん、僕はもうだめだ』――さっき城山が電話口でそう言っていたのは、つまりこういうことだったのか。
この惨状は、絶対にあの後輩には見せられない。
見せたらどんな反応をするか、想像するだに恐ろしい。
だってこれまでの状況を総合すると、この指揮者の先生は彼女に振られたショックで深酒し、周囲に迷惑をかけ、挙げ句の果てに自分だけは酔いつぶれて離脱している、ということになるわけで――
「も、もうこれ残念を通り越して、単なるダメな人じゃないですか……!」
そう考えてしまったらついにそう認めざるを得ず、鍵太郎はその場にがっくりと膝をついた。
こうして話を聞いていると、同情の余地もない。野球でいえばトリプルプレー、即座にスリーアウトチェンジといった様相だ。
ここ最近色々あって急上昇していたはずの城山の株が、ものすごい勢いで地の底まで落ちていく。もうやだ、おうち帰りたい。そう思って鍵太郎が、カウンターに手をついてなんとか立ち上がると――いつの間にか本町が城山の隣に座って、ニヤニヤしながら言ってくる。
「ホレ。せっかくここまで来たんだから、おまえも一杯飲んでけ」
「……先生も酔っ払ってんですか?」
こちらも普段のこの先生からは全く考えられないセリフに、さすがの鍵太郎も眉をしかめて本町を見た。
そういえばこの先生も城山につきあって、ここで飲んでいたはずなのだ。
今日はお盆の親戚周りで散々な目にあっただけに、いつもより余計に酒に対しての忌避感がある。
酔っ払いの相手は、もう散々だ。
しかしそんな生徒のジト目を受け流し、本町は笑って言ってくる。
「大丈夫だよ。さすがにこいつと一緒になって深酒したりはしてねえって。まあ一杯おごるけど、ノンアルにしとけよ。そうじゃないと夏休み明けにおまえらに会えなくなっちまうからな」
「え、あ……はい」
ここで変なことを言われたら、ダッシュで逃げようと思っていたが――
予想に反してまともな反応に、鍵太郎は差し出されたメニュー表を、きょとんとして受け取った。
まだ全部の疑いが晴れたわけではないが、少なくとも教え子に酒を飲ませるつもりはないらしい。
そういえば、自分をここに呼んだのは本町なのだ。
大人の世界を見せてくれると言っていたが、結局あれはなんだったのだろうか。
そう思いながらメニュー表を見て、適当に品を選ぶ。
「……えーっと……、しゃ、シャーリー、テンプル……?」
「おっしゃ、じゃあマスター、シャーリーテンプル一丁!」
「本町さん、うち居酒屋じゃないんですよ」
そう言いつつも注文は受けてくれたようで、カウンターの中にいたバーテンダーの男性は、慣れた仕草で(ノンアルコール)カクテルを作り始めた。
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バーテンダーがカクテルを作る動作はこなれたものであり、また洗練された動きでもある。
もちろん、そんなものを目の前で見るのは初めてなので、鍵太郎はほけーっとそれに見とれていた。
すると、先生は自分の隣の席を叩いて言ってくる。
「ほれ、突っ立ってないで、ここに座れ」
「あ、はい……」
なんか、ほんとに飲みに誘われたみたいだ。そう思いながら、鍵太郎は戸惑いつつも本町の隣の席に腰を下ろした。
一応、言われた通りにそこそこ大人っぽく見えるよう変装はしてきたつもりだが、大丈夫なのだろうか。
そう思っていると、その不安とは裏腹に「どうぞ」の声とともに本当に注文したカクテルが差し出されてくる。
ここで気の利いた言い回しなどできたらかっこいいのかもしれないが、あいにくなにも思いつかないので「ど、どうも……」と言ってやり過ごすしかない。
もっとこう、なにか言うことがあったんじゃないか。
そう思うと、なんだかこの店員さんに対して申し訳ない気持ちになった。
こういうところ、俺まだ子どもなのかな――そう思ってグラスを前に気後れしていると、横から本町が言ってくる。
「別にノンアルなんだから、普通に飲んでいいぞ。ジュースみたいなもんだし」
「ま、まあ、そうなんですけど……」
そう言われても、なんとなく手を付けにくい気持ちが、どこかにあった。
ここで大人から供されるものに、進んで口を付けたくないというか――確かに言われたように、これは酒ではないのだけど。
これを飲んでしまったら、自分も今日のあの親戚のおじさんのような『つまらない大人』の仲間入りをしてしまうのではないか、という抵抗が心の片隅にあるのだ。
そこまで気にすることはないというのは、頭ではわかっている。
こんなものは取るに足らない、言ってしまえばちっぽけな意地だ。
でも今は、それしか寄る辺がないような気がして黙っていると――先生は笑って、こちらに言う。
「人の好意っていうのは、素直に受けとくもんだぞ。タダ酒ほどうまいものはない」
「そ、そうかもしれませんけど……」
「おいおまえ、アタシの酒が飲めねーってのか?」
「だから、そういうのが嫌なんですよ!?」
なぜか突然絡んできた、本町の手を振り払う。
まったく、これだから大人は。
そう思って鍵太郎がむくれていると、先生は全然悪く思ってない口調で、「いやあ、すまんすまん」と謝ってきた。
「おまえがあんまり真っ青な顔してるもんだから、ちょっとからかってやりたくなって。しっかしおまえ、こないだもそんな顔してたよなあ。そんなお堅い調子だと、これから部長になったとき大変だぞ」
「うっ……!」
そこで今、一番突いてほしくないところを突かれて、鍵太郎は言葉を詰まらせた。
そう、つまらない大人になりたくない、人に自分の考えを押し付けるような人間になりたくない、などと言っていても――これからはそうも言ってられないだろうという気持ちも、心のどこかにあるのだ。
学校祭が終われば、先輩たちは引退して自分が部長になる。
そうなれば、もっと自信があるように振舞わなくてはならない。
そうでなければ、言動に説得力がなくなるからだ。
でも、そんな風にできる自信はなくて――
けれども『これ』を捨てる気には、どうしてもならなかった。
要するに、自分はどう大人になればいいのかわからないのだ。なんだこれ、俺本当にガキだなと鍵太郎が自己嫌悪に陥っていると、先生はそんな生徒の様子を、豪快に笑い飛ばして言ってきた。
やっぱりこの人も、酔っているのかもしれない。
「あっはっはっは。まあそんなに深刻に考えるな。ハゲるぞ。富士見が丘のあのオヤジみたいに」
「ま、まだその辺の心配はいらないです、親父はそこまで薄くないんで……って、本町先生は富士見が丘のあの顧問の先生のこと、知ってるんですか?」
「ああ、まあな」
「へえ……」
そこで選抜バンドで指揮を振っていた、あの少し髪の薄い男性顧問を思い出して、鍵太郎は感嘆の声をあげた。
そういえば、この先生はもうひとつの強豪校の顧問とも知り合いなのだった。
なんだかこの先生、意外に顔広いよなと鍵太郎が首を傾げていると、本町は唇の端を上げる。
「あのハゲオヤジも結構、現実と理想の間でなんとかかんとかやってるクチだぜ。富士見が丘はもうだいぶ名前が売れちまって、人も多くなったからなあ。大変だと思うよ」
「そうなん……ですか」
「そうだよ。なあ湊、おまえ大人はみんな自信満々で、迷いなく行動してると思ってるか? そんなことねえよ。アタシも、このバカもな」
大人は、案外迷ってるんだよ。
本町はそう言って、城山の肩を小突いた。
「なにが一番正しいのかわからない。けどやらなきゃいけない以上、なにかを成し遂げないといけない。
そんなんだから死に物狂いで解決法を見出して、なんとかかんとか最善を尽くして。ちょっと疲れたらこうして酒飲んで誤魔化して――大体は、そうやって切り抜けてるんだよ。大抵の大人はさ」
「そうなんです……か?」
「そうさ。まあ稀に、
「ふうん……」
本町も城山も、そして他の大人も。
とっくにもう、そんな迷いなんて振り払っているものだと思っていた。
いつでも堂々として、自信たっぷりで、自分たちに色々なことを教えてくれる、そんな存在だと思っていた。
けれど――
「……城山先生は、俺、もっと達観した人だと思ってました」
それはどうも、違うらしかった。
本町に小突かれた城山は、それでもやっぱり起きる様子がない。
でも、そこにいる残念な大人と、普段音楽室で見る、あの凛々しく指揮を振る先生の様子が少しつながってきた気がして――
鍵太郎は、そうぽつりとつぶやいていた。
「なんでも知ってて、なんにでも答えてくれて。自分のやるべきことがわかってる、そんな人だと思ってました」
「ははは。買いかぶられたもんだな。前にも言ったろ。こいつは子どものまま大人になっちまった、バカなやつだって。アタシから見たらこいつは、いつまでも頼りねえ後輩だよ」
「……そういえば本町先生と城山先生って、音大の先輩後輩同士なんでしたっけ」
「ああ。だからこいつが聖人ヅラしておまえらを教えてるときなんて、たまに指差して大爆笑したくなるぜ。どの面下げて言ってやがるんだ、ってな」
そう言って、本町は自分のグラスからなにかの酒を一口飲んだ。
そこでなにかを思い出したのか、少し表情に苦味のようなものをしたためて、続ける。
「まあこいつも、これまで色々な目に合ってきててな。その分、今みたいに振舞えるようになったってのはあるんだが……」
「……本町先生は?」
その苦味に、少し引っかかるものがあって、鍵太郎はそう尋ねていた。
「先生は、なにか迷っていることとか、あるんですか」
「ん? アタシ?」
「だってさっき、自分も迷ってることがある、って……」
「ああ。はは、口がすべっちまったな」
しょうがねえや、と苦笑いして、先生は話し始めた。
「アタシは――まあな。そりゃ現行の音楽教育に関しては、一家言あるさ。
コンクールにおける『音楽』と『競争』の住み分けバランスっていうのは、アタシら大人が本気で考えて、ガキめらに教えなきゃいけないことだと思うよ」
「……それって」
「そう、今回おまえらがぶち当たった問題なんだよな、これ」
こいつがこんなになる前に、今回のコンクールでなにがあったのかは聞いたよ。
そう言って、本町はまた酒を一口飲み、ため息をついた。
「『金賞』っていう目標を達成するプロセスで人間性が抜け落ちるっていうのは、『音楽』にとっちゃ由々しき問題なんだよ。
けどこれはどの学校でも、どの社会人の楽団でもついて回ってる話でもある。バランスはその団体によって違うがね。むしろそれまでやってきた経験がある分、かえって大人の方が変に意地になって身内同士の争いが激化しやすいくらいなんだ。皮肉なことにな。
だからさ――おまえらが今回その問題にある一定以上の回答を出したっていうのは、めちゃくちゃすごいことなんだぜ。だって、それは大人ですら解決できてないことなんだから」
「……そうだったんですか」
自分たちがやっていたことは、みんな悩んでいることだったのか――それを改めて知って、鍵太郎は不思議な気持ちになった。
そういえば、選抜バンドで会った他の学校の生徒たちも、大なり小なり、自分と周囲の思惑の違いに苦しんでいたような印象がある。
あいつら、今頃どうしてるんだろう。それぞれの顔を思い出していると、本町が続けて言ってくる。
「だからさ。今回のことは本当にすまなかったと思う。学生の自主性とか言ってないで、今回はもう少し早くアタシらが介入すればよかった。知らなかったとはいえ、教師として監督不行き届きだったよ。申し訳なかった。この通りだ」
「あ、いえ……あの、顔を上げてください、先生。結局、なんとかなったんですから」
頭を下げてくる先生に、鍵太郎は困り果ててそう声をかけるしかなかった。
今回あそこまで行けたのは、城山がいたおかげでもあるし、それはまた、本町がこの先生を呼んでくれたおかげでもある。
だから、そんなことをしないでほしいのだ。
先生にそんなことをされると居心地が悪い。そう言うと、本町はようやく頭を上げてくれた。
「……まあ、そういうことだ。生徒になにを教えていいか、それをどこまで与えるべきか、その線引きでアタシはすげー迷ってたんだよ。
だから、これからはおまえらにゃ、そんな思いはさせないよ。そう決めた。そのつもりでやってくから、これからこいつ共々よろしく頼む」
「……先生」
「でもな、湊。おまえは部長になるからって、変に肩肘張る必要はねえぞ。おまえはまだ、そこまでやるこたあない。おまえはこれから、他の部員に話せないようなことも出てくるかもしれねえ。堪えなくちゃいけないこともあるかもしれないな。だからそういうときは、アタシに言ってもいいぞ。こんな風につき合ってやるから。……まあ、大人だってこんなんだ。大して力にはなれんかもしれねーが」
今日はそれが言いたくて、おまえを呼んだんだよ――そう言う先生に対して、鍵太郎はそれ以上、もうなにも言えなくなってしまった。
大人のこんな表情というものを、初めて見た気がする。
自分は、これにどう反応すればいいのだろう。
そう思っていると、先生は「あーあ、アタシかっこわりーなー!」と目の前のグラスをあおり始める。
「仮にも音楽教師ともあろうモンが、教え子に逆に教えられてさあ。なっさけないったらありゃしねえ。クッソ、今日は飲むぞ、酒だ酒! マスター! 同じのもう一杯!」
そう叫んで、先生はさらに追加の酒を注文して。
そして、隣で城山が酔いつぶれていて――
それはなにも知らない人が見れば、単なるヤケ酒をあおる、ダメ大人たちの図にしか見えなかっただろう。
そうだ。これまではそんなダメな大人を見るたびに、自分はこうはなりたくないと思ってきた。
けど、今は――
「……先生」
そんな先生たちに、これまで抱いていたのとは、違う『大人』の印象を持って。
鍵太郎は本町に対して、思わず自分の考えを口走っていた。
「先生は……情けなくなんかないです」
だって――死に物狂いで解決法を見出して、なんとかかんとか最善を尽くして、ちょっと疲れたら、こうして酒を飲んで誤魔化して。
そして明日から、また本気を出して動き始めるような――そんな人たちを。
「本町先生は、絶対情けなくなんかないです」
そんなこの人たちを、情けないなんて思うこと、あるわけないだろう。
そう思って、鍵太郎は両手を握り締めて本町にそう訴えた。
確かに、頭を下げることはかっこ悪いかもしれない。
理想を追い続けていれば、辛いこともあるだろう。
けれど、それでも己の正義を押し付けてくるような、そんな大人より――
「かっこ悪くてもしんどくてもいい。先生みたいに、俺はなりたい……!」
そんな『ほんとうの大人』に、今はなりたいと思った。
しかしそう言うと、先生はおかしそうに笑う。
「ははは。やめとけやめとけ。そのうちハゲるぞ」
「うう。しかしハゲたくはない……」
「だろ? ま、そんでも、ありがとよ。そう言ってくれて嬉しいよ」
こいつの酒癖の悪さも、たまには役に立つんだなあ――そうおかしそうに言って、本町は城山の頭をコツンと叩いた。
確かにこの先生が電話をかけてこなければ、自分はまだベッドの上で転げまわっていたかもしれないのだ。
そう考えると、今度ちゃんとしているときに、お礼を言ってもいいかもしれないと思う。
あ、でもこんなことになってるの見たって、逆に言わない方がいいのかな――などと、そんなことを考えたときに。
「あ……そういえば」
ひとつ気になるところがあって、鍵太郎は本町にひとつ質問をしていた。
「あの……ひょっとして城山先生が振られたのって、俺たちが原因でもあるんですか?」
仕事にかまけて振られた、というのなら、少なからずその責任は自分たちにもあるのではないか――そう考えて、鍵太郎はだとしたら申し訳ないなと思いつつそう訊いてみたわけだが。
しかし本町は、大爆笑してそれを否定してくる。
「あっはっはっは、いいんだよ、いいんだよ。こいつに『あたしと音楽と、どっちが大事なの!?』なんて訊く女、ハナっから城山匠って人間を理解しようとしてねえんだし。
だって、こいつから音楽を取り上げたらなにが残る? 単なるダメ人間が出来上がるだけじゃねーか。それにも関わらずそんなことを訊くなんて、こいつを自分のアクセサリーとしか見ちゃいねえ証拠だよ。ウンコだ。アタシの後輩の言葉を借りるなら、ウンコみてえな女ってやつだ」
「先生やっぱり、酔ってますよね!?」
「酔ってるよ。じゃなきゃおまえを、こんなところに呼んだりしねえ」
ああ――そうか、だからアタシはおまえをこんなところに呼んだんだな、と。
今更のように酔っ払いらしく、本町は愉快そうに笑った。
「なるほどなるほど。アタシは本当はあんな風に偉そうに説教したかったんじゃなくて、こうしておまえと飲んでみたかっただけかもしれねえな。はは――酔ってるわ。酔ってる。クックック」
「せ……先生?」
急に先生が妙な笑い方をし出したので、鍵太郎は若干引き気味に本町にそう言った。
やっぱり、酔っ払いはちょっと嫌かもしれない。
そう思っていると、先生はしばらく放っておかれていた、こちらのシャーリーテンプルを指差す。
「ま――それは何年後かのお楽しみってやつにして。それ飲んだら、今日は帰んな」
「……そうですね」
もうそろそろ、いい時間だ。
これを飲んだらもう帰ろう――そう思って、鍵太郎は自分のグラスから(ノンアルコール)カクテルを一気に飲み干した。
甘いんだか酸っぱいんだか苦いんだかよくわからなかったが、まあ、そんなものだろう。
ひょっとしたら、何年後かにここに来たときも酒を飲んでそう思うかもしれない――そんなことを思いながら、グラスを置き「ごちそうさまでした」と言う。
「じゃあな湊。また学校で」
「はい、じゃあまた学校で」
小さく手を上げてくる本町と城山を残し、席を立つ。
確かに自分には、ここはまだ早い。まだまだ学校がお似合いのガキんちょだ。
けど、店の扉をくぐるときに、後ろからあのバーテンダーの男性に「また、お待ちしておりますよ」と声をかけられて――
「……どうも」
今度来たときはこの人に、なにか気の利いたことを言えるようになっていようとは、強く思った。
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