第176話 駄目大人からの招待状
ダメな大人を見るたびに、自分はこうはなりたくない、と思う。
けど、今は――
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「あー、疲れた……」
お盆の時期。
親戚への挨拶周りから帰ってきて、
そういうところにはあまり行きたくなかったのだが、小遣いがもらえるぞという親の言葉に騙されて、今回はついていってしまったのである。
近況を訊かれ、酔っ払った親戚に、今度部長になるんですと答えてしまったのもよくなかった。それからというもの、やれ大変だ、だの、俺が若いときはこうしていた、だの、酒臭い息と共に一方的に語られて、ほとほと閉口してしまったのだ。
当初の目的であった小遣いはもらえたとはいえ、でもやっぱり、こうなるなら行かなければよかった、という気持ちにもなる。
なので、そんな思いを抱え――
「あーあ、ああいう大人にはなりたくないなあ……」
鍵太郎はごろりと仰向けになって、天井を見ながらぽつりとつぶやいた。
ああいう大人を見るたびに、いつもそう思う。
どうして大人はああやって、自分の思ったことを一方的に押し付けるような真似をするのだろうか。
そんなに自分に自信があるということなのだろうか。けれど、だとしたらやっぱり、ああいう大人にはなりたくはないな、と思った。
自信を持ちたい、強くなりたいとは思うが、しかし自分の求めているのは、ああいうなんというか『閉じた』強さではない気がするからだ。
でも、現状では結局、そんな親戚から小遣いをもらってしまう自分もいるわけで――複雑な気分になりながら、ベッドをごろごろする。
すると、そのとき――
「……ん?」
放り出した携帯に着信があって、そこで鍵太郎はぴたりと動きを止めた。
誰だろうと画面を見ると、そこには意外なことに『
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「……なんだろう、こんな時間に」
時刻はもう、夜の八時だ。
そんな時間にかかってきた吹奏楽部の顧問の先生からの電話に、鍵太郎は眉をひそめていた。
確かに部長に任命されたその日、本町と連絡先を交換している。なので、電話がかかってきても別におかしくはないのだが。
部活もお盆休みに入っているこの時期に、一体なんの用だというのだろう。
もしかして、部活の誰かになにかあったのだろうか。そう不安に感じ、鍵太郎は電話に出てみることにした。
わりとそこそこの時間迷っていたはずだが、未だに携帯は鳴り続けている。それにさらに不安を感じて、少し焦りながらも携帯を操作し、鍵太郎は「もしもし? 本町先生?」と呼びかけた。
すると――
『……湊くん』
「えっ?」
そこで聞こえてきたのが本町の声でなく、違う人の声だったので、鍵太郎は驚きのあまり言葉を詰まらせた。
少しの間を置いてかけられたのは、男の人の声だ。
口調は荒いが基本は優しい、あの女の先生の声ではない。
なんだこの人、誰なんだ、本町先生はどうしたんだ――などと、そんな考えを駆け巡らせていると。
『湊くん……僕は、もうだめだ……』
「……もしかして、城山先生ですかっ!?」
そこでようやく声の主がわかって、鍵太郎は電話に向かって叫んでいた。
電話をかけてきたのは、顧問の先生と共に自分たちの指揮を振る、外部講師の
しかし、なぜ城山が、本町の携帯からこちらに電話をかけてくるのか。
意味が分からない。そして、城山の様子もなんだかおかしいように思える。
状況が把握できなくて、どうすればいいのかいまいち判断がつかない。鍵太郎がおたおたしていると、城山が電話の向こうから言ってくる。
『聞いてくれ……湊くん。僕は――』
『……あーっ!? おい、なにやってんだ匠、テメエ!?』
「……あれ、本町先生!?」
そこで本来の電話の主の声が聞こえてきて、なぜだか鍵太郎はほっとした。
どうやら話の流れから察するに、本町の携帯を城山が勝手に使って、こちらに電話をかけてきた、ということらしい。
確かに、そこまではわかったが――それ以外の状況は、相変わらず掴めない。
そしてあろうことか電話からは『ふざけんなおまえ、人の携帯でなにやってんだ!?』『離してください先輩! 僕は、僕は――!?』などと、二人が言い争っているのが聞こえてくる。
「え、えええー……?」
一体、なんなのだろうか。
先生たちは、なにをやっているのだろうか。
二人とも手出しできない場所にいるだけに、電話から聞こえる音声を聞くことしかできなかった。なので未だ続いているよくわからない先生同士のもみ合いを耳に入れながら、しばらく呆然とする。
すると――やがて争いは終了したらしく、静かになった電話の向こうから、今度は本町が言ってきた。
『……すまなかったな湊。バカが迷惑をかけて』
「あ……いや、えーと。……なんだったんですか? 今の」
『今のことは忘れろ。いらん詮索は無しで金輪際忘れろ。マジで記憶から消せ。わかったな……!?』
「は、はい……!?」
なぜか先生の怒りがマックスモードだったので、鍵太郎はその場に直立不動になりながらそう返事をした。
どういうことだったのかは非常に気になるところだが、とりあえず今は、それに触れない方がいいらしい。
なんだろう。やっぱり大人は、よくわからない――そう思って、鍵太郎がそのまま通話を切ろうとすると。
『……いや、違うな。そうか、そうじゃねえな』
「先生?」
ふいに本町の口調が変わって、そこで携帯を操作しかけた手が止まった。
なんだか今日は、変な大人によく振り回される日だ。そう思って鍵太郎が首を傾げていると、先生はあろうことか、先ほどまでと真逆のことを言ってくる。
『気が変わった。おまえ今から、ちょっとこっち来い』
「え?」
『思いっきり大人っぽい格好して来い。おまえに大人の世界を垣間見せてやるよ』
「……」
――今日は、なんでこんなに大人づいているんだろうか。
そうは思いつつも、ここまで来ると逆に興味が湧いてきたので、鍵太郎は黙って先生の指示に従ってみることにした。
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サラリーマンなりたての新社会人が、無理やり上司に連れられて飲み屋来ましたみたいな格好をしてこいというので、なんとなくそんな格好をして。
「……なにこれ」
指定された場所までやってきて、鍵太郎はまず、そんな感想を口にしていた。
目の前にあるのは、地下へと続く階段だ。
街の明かりもあるにはあるが、それすら照らしきれない箇所。まさに薄暗い秘密への入り口である。
大人へと続く階段。
ジ・アンダーザグラウンド。
そこは――
「おー。来たか湊」
「なにやってんですか本町先生!? これ思いっきり、バーの入り口じゃないですか!?」
そう、完全に未成年お断りの店で、高校二年生は音楽教師に思い切り突っ込んでいた。
のほほんと手を振ってくる本町だが、本当に大丈夫なのだろうかと心配になる。
明らかにおしゃれな感じだが、ここはそれ故に学生にはちょっと怖い気もする、本来鍵太郎は絶対入ってはいけない場所である。
「ダメじゃないですか!? 先生、結構そういうのうるさい方じゃなかったでしたっけ!?」
「うっせえなあ。だからそう思われないためのその格好だろ。アタシの仕事がなくならないように、せいぜい大人しくしといてくれよ」
「え、ちょ……っ」
本当に大丈夫なのか。そう言いたいところだったが、本町にぐいぐいと腕を引っ張られ、そのまま階段を下るしかなかった。
見せたいものがあるということだったが、こんな場所に、今の自分が見てよいものがあるというのだろうか。
というか、いったいなにが本町をそこまでさせるのだろうか――そう考えつつも、その先生に引っ張られているので、戸惑いながらも店の扉をくぐってしまう。
そして、その先に――
「う、うわあ……!?」
テレビでしか見たことがないような景色が広がっていて、鍵太郎は思わずそんな声をあげていた。
カウンターの前では高めのスツールが並び、中ではバーテンダーの男性がグラスを磨いている。
そして、店内の照明は抑えられながらも、必要な光量だけはきっちり保たれていて――他の客の顔はあまり見えないのに、酒瓶のきらびやかさだけが異様に目に入ってくるのだ。
「や、やばいです先生……!? 俺、帰っていいですか……!?」
そこで本能的に『ここは自分の居場所じゃない』と察知して、鍵太郎は泣きそうになりながら本町にそう訴えた。
なんというか、場違い感が半端じゃない。
自分に先生がなにを見せたかったのかは知らないが、今すぐここで回れ右して帰るべきだ。
そう全身が警報を発している。いや本当、やっぱり自分はまだまだ子どもでした、生意気な口きいてすみませんでした!
と――そんな風に完全に雰囲気に呑まれて、鍵太郎は本気で帰ろうとしたのだが。
「いやいや。ほら、あれ」
「……?」
そこで本町が、ぽんとこちらの肩を叩き店内を指差したので、つい反応してしまった。
先生が指差したのは、カウンター席だ。
もしかして今から目にするものが、その『見せたいもの』なのだろうか――
そう思って、よくよくそこに座っている人物を見れば。
「……城山先生!?」
そこには、先ほど自分に電話をかけてきた、指揮者の先生がいて。
死んだようにぴくりとも動かないまま、カウンターにひとり突っ伏していた。
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