第175話 己を保ち続ける勝負
どこか遠くからお囃子が聞こえる、風情溢れる夏祭り会場の中で――
「みーなとみなと! 次はあれ行こ! 水ふうせん!」
「ちょっと待て浅沼!? おまえ今日はちょっと、暴走しすぎじゃ――」
「ひゃっほーう! たーのしー!!」
「人の話を聞けえええええええっ!?」
力いっぱい突っ込みを入れるが、いつもにも増してはしゃいでいる涼子には、それも聞こえていないらしい。
浴衣を着た彼女の手には既に、から揚げやらりんご飴やら、それまで回ってきた店での戦利品が握られている。
きのうまでコンクールだったのに、なんでこいつ、こんなに元気なんだとこちらとしては思うのだが――
それでも少し前の自分のように家でひとり思い悩んでいるよりは、こちらの方がいいだろう。
「……まったく」
振り回されていることは自覚しつつも、そんな涼子の姿を見るとなんだかんだ、笑ってしまった。
こんな風に手を焼かされることも多々あるが、彼女といると楽しいのだ。
涼子はいつも、こうして自分をどこか知らないところへ連れて行ってくれる。
文句を言いつつも付き合っているのは、彼女のこういった面を、ある意味尊敬しているからでもあった。
けれど、だとしたら――
「……いいよなあ、おまえは」
やっぱり、涼子の方が部長になった方がよかったのではないか。
彼女の輝きを見ていると、そんな風に思ってしまう自分もまた、いるのだった。
###
今から、数十分前。
鍵太郎が部長に任命されたプレッシャーから、ひとり家で悶々としていたとき――
『――ねえ湊、一緒にお祭り見よう!!』
涼子からそんな風に元気はつらつと、お誘いの電話がかかってきた。
コンクールが終わった、次の日。
ひと段落して辺りを見回したら、周囲が夏休みを満喫していたと気づいて虚しくなった、そんな夏の日の午後。
そんなときに同じ部活の女子から誘われたら、本当だったら、ちょっと動揺しながら「い、いいよ!」と答える場面なのかもしれない。
しかし――
「えーと……あの、浅沼さん?」
なにせ相手はあの、浅沼涼子である。
甘酸っぱい展開など、最初から期待していないのだ。そう思って鍵太郎は電話の向こうの涼子に、戸惑い気味にそう答えていた。
むしろそんな誤解を招きそうな電話をしてきて、大丈夫か? とこちらが心配になるくらいだ。
そういうことなら、他の吹奏楽部の面子を誘えばいい。鍵太郎はそう返事をしようとしたのだが――
『ゆかりんとみのりんが、お祭りのお囃子太鼓に参加してるんだって! 見においでって言われたんだ!』
「む……」
その同じ吹奏楽部の面子、打楽器パートの越戸ゆかりとみのりが出てきて、鍵太郎はそこでちょっとだけ、興味をそそられた。
あの二人が部活でもなくゲームでもなく、本気で太鼓を叩く姿というのも少し見てみたいと思う。
それにちょうど、家でひとりで過ごすのもどうかと思っていたところではあったし――
『きのうまでコンクールで大変だったから、きっと見に行くと楽しいよ! 湊も一緒に見よう!』
「うーん……まあ、いいか。行くか」
『やったあ!』
だったら気分転換に出かけてみるのも、悪くはないだろう。
そう鍵太郎は判断して、特に深く考えずに、涼子にそう返事をしていた。
別にそんな、色気のある話ではないのだ。
それでも知り合いに見られるのを防ぎたいのなら、念のためその辺でお面でも買って、顔を隠しておけばいい。
なんのやましいこともないのだから、それで安心だ。
このとき鍵太郎は、そう思っていた。
そう、思っていたのだが――
###
「ちょ、浅沼さん、ほんと、ほんとにストップ……!」
焼きそばにたこ焼き、クレープにじゃがバターにチョコバナナ――
射的に輪投げ、くじ引きに金魚すくい、型抜き、そして水ふうせん――と回ったところで。
祭りを全て制覇するのではないかという勢いで走り回る涼子を、鍵太郎はやっとの思いで制止した。
「見て見て湊! 水ふうせん、二個取れたよ! 湊にも一個あげるね!」
「ああうん、ありがとう……。じゃあ、ちょっとここに座ろうかね。ラムネとか走りすぎて、開けた途端爆発しそうだけどね」
「うん!」
「はあ……」
元気に返事した涼子が座るのを確認して、ようやくひと息つく。
彼女が猛烈な勢いで焼きそばをすすりだすのも、もはや微塵も驚かない。
そうだ、そういえば最近コンクールで真面目にやることばかりだったので、すっかり忘れていた。
こいつ、こういうやつだったのだ。
浅沼涼子、常に予想の斜め上を行く人物である。ラムネの栓を開けたらやっぱり中身が噴き出してきたので、鍵太郎は慌てて瓶に口を付けた。
「はあ……」
「どしたの湊。なんかまた難しいこと考えてるの」
「いや……なんというか」
こんな風に涼子といると、予想のつかないことばかりで確かに楽しい。
これまでは、それでよかったのだ。
けど、どうしても今は――
「……やっぱり、おまえが部長になったほうがよかったんじゃないのかなって思ってさ」
彼女のそういうところが、とてもうらやましく感じてしまって。
鍵太郎は涼子のくれた水ふうせんを見ながら、正直な気持ちを口にしていた。
「周りを引っ張りまわして、それで笑っててさ。気がついたらほしいものも手に入れてて……いいな、って思うよ」
「うわ。やっぱり難しいこと考えてた」
「なんでこう、物事を単純に考えられるんだろうね、この子は」
そういうところの話をしているというのに、どうも噛み合わない。
そこで鍵太郎がため息をつくと、彼女は首を傾げて、なにかを考えたようだったが。
「うーん、なんていうか、さ」
しかし結局はあきらめたようで、いつものように、シンプルに思ったことを告げてきた。
「あたしたちの居場所を作れるのは、湊しかいないんだよ」
「……!?」
その言葉が、ぽっかり開いていたはずの心の真ん中に、ぐっさり突き刺さってきて。
不覚にもこんなところで鍵太郎は、涙を流しそうになっていた。
「選抜バンドから湊が帰ってきたとき、思ったんだ。あー、やっぱりチューバが響いてくれると違うなーって。すっごい安心して音出せるなーって思って」
そういえば涼子は、選抜から帰ってきたあの日、すぐに自分の音に応えてくれたのだった。
低音は、全ての土台――そう思えたことは、あのとき周囲の状況を不安に思っていた自分にとって、とても大きな助けになった。
けれど――
「今日のお祭りだって一緒だよ。湊が来るまであたしひとりで回ってたけど、なんかつまんないなーって思ってさ。こんなに楽しくなかったんだ」
「……なんなんだよ、おまえは」
そうじゃないのだ、と彼女のいつもの言動を思い出して、反射的に思う。
浅沼のくせに。アホの子のくせに。
なんで――
「だからやっぱり、部長は湊がなってよかったんだよ。湊はもっと、自信持ってやっちゃっていいと思うんだよね!」
「だからなんでおまえは、俺の言ってほしいことをそうやって、いっつも言ってくれるんだよ……っ!!」
なんでこんな風に、いつも俺に見えなかった景色を見せてくれるんだよ――
それが悔しくて嬉しくて悲しくて、心の底に溜まっていた思いを、鍵太郎は全力で涼子に叫んでいた。
彼女のそういうところが大好きなのに、煩わしくて仕方ない。
やりたいことに突っ走って失敗して、それでフォローするのはいつもこっちなのに。
どうしてこいつは肝心なときに限って、砂漠の中から一粒の宝石を探しだすようなことを、笑顔でやってのけてしまうのか。
それが本当に妬ましくて――そして、びっくりするほど眩しく感じる。
「バカ浅沼め、おまえは、なんでいつもそう……!」
その輝きは今だって、笑いたくなるほど泣きそうなくらいなのに。
けどこいつの前では、絶対泣きたくなんてないのだ。
このバカの前で泣くなんて、自分のプライドが許さない。
浅沼涼子は、アホの子だから。
それだけが唯一の砦で、それだけが最後の防衛線だった。
だって、そうでも思っていないと自分は――
「なんでこういうこと言うかって、それは――」
この、最高の友人を。
こんなバカみたいに楽しげに笑う、彼女を――
「……ん?」
と、そう思ったときに。
これまで遠くに聞こえていたお囃子の音が急に大きくなった気がして、鍵太郎はぴくりと顔を上げた。
いったい、なにが起こったのだろうか。
辺りを見回していると、いち早く目的のものを見つけて、涼子がそれを指差す。
「あ、ゆかりんとみのりんだ」
「え?」
その声につられて、そちらに目を向ければ――
祭囃子を演奏する人間を乗せた
###
それはちょうちんやら紅白の布やら、いろんなものが飾り付けられた、大きな神輿のようなものだった。
「うわ、実物初めて見た……」
「おっきいねー」
あまり馴染みのないものに、二人そろってそんな感想を漏らす。
来たときから聞こえていた祭囃子は、ここから振り撒かれていたものだったらしい。
山車には何人かで構成されたお囃子隊が乗っていて、ひたすらに同じリズムを繰り返している。
もちろん、全員が
彼女たちはもちろん太鼓を叩いているが、その他にもシンバルのような金属の板や、横笛を吹いている人もいる。
これまで耳にしていたものが間近で聞こえて、周囲の雰囲気が少し、熱を帯び始めていて。
その独特の調子の軽さ、そして賑やかさを伴った旋律を、鍵太郎が練り歩く山車を見ながら聞いていると――
「あ、なんかもう一台来た」
近くの角を曲がって、今度は少し違うデザインの山車が、こちらに向かってきていた。
乗っているのはやはり同じような姿の、お囃子をやっている人々だ。
だが奏でられているその曲は、ゆかりやみのりたちのものと、若干調子が違うように聞こえる。
これはいったいどういうことなのか。首を傾げていると、涼子が手を叩いてなぜなのかを言ってきた。
「あ、そういえばゆかりん言ってた。山車が向かい合っちゃったときは、お囃子対決をして、負けた方が道を譲るんだって」
「へえ、そうなのか」
ならば、組ごとに少しずつ曲が違うことにもうなずける。
つまりこれから、この二つの祭囃子の勝負が始まるのだ。そう思って鍵太郎が何気なく相手の山車を見ると、そこにばっちりメイクの、金髪ギャルの横笛吹きを発見した。
「……」
「どしたの湊」
「いや。なんか、ゆかりもみのりも負けんじゃねえぞと思って」
「?」
伝統芸能に派手なメイクというのもミスマッチのように感じたが、それよりも重要なのは、彼女の奏でる祭囃子だ。
ああ見えて、上手い。
節をメロディーにつけながら、自分の身体も使って拍子感を出している。ゆかりとみのりは和太鼓なのでそこまで緩急を付けられないが、向こうは息を使う楽器なので、その辺りにかなり自由がきくはずだった。
さて、これでどうなるのか――間近にまで迫った山車同士を見ながら、鍵太郎は勝負の行方を見守った。
どんな勝負になるのかと思っていたのだが、相対した二つの山車は、どちらが仕掛けるでもなく、ただひたすらに己の旋律を全うし続けている。
お囃子対決、というだけあって、これは山車をがっつんがっつんぶつけ合うような、そんな激しいものではないらしい。
ただ――似たようなリズムがひたすらに交じり合って、それがかなり、意識の端を引っかいていた。
「……これ、結構自分のリズムを保ち続けるのしんどいぞ」
同じベース楽器として、鍵太郎はゆかりとみのりが体験しているであろう感覚を想像することができた。
変に似ているのでいったん引っ張られてしまうと、すぐに崩れてしまう可能性がある。
だが、そんなことを考えているのは自分だけのようで――
周囲の人々は二つの旋律が重なり合うのを、歓迎と興奮を持って迎えていた。
二つの拍子がくっついては離れ、時に重なり合い、時に全く違うことをやっているのを、おもしろそうに見上げている。
すると、そのとき――
「――!」
例の横笛吹きの彼女が、山車の手すりに足をかけて身を乗り出し、大きく音を出し始めた。
いや、そんなのアリなのか、と見ていて思うが、この場合なんでもありなのだろう。むしろ、いいぞーねーちゃん、とけしかける人までいるくらいだった。
彼女の台頭によって、周囲のお祭り気分がさらに盛り上がってくる。
賑わいを増した祭りの通りの向こうから、大声で誰かがなにかを叫ぶのが聞こえる。
そしてそれを包むように、笛と太鼓がその場に鳴り響いていった。
譲り合わない太鼓の拍子がひたすらに聞こえて、かみ合わない連打の嵐が感覚を狂わせ、鼓動を早めていく。
どくん、どくんと脈打つように、熱気が周囲に伝播していく。
ひとつの『場』を作り上げていく。
ゆかりとみのりを見れば、彼女たちは淡々と叩き続けながらも、どこかうっすら笑っているようだった。
いつの間にか太鼓の音もだいぶ大きくなり、けれど拍子は変わらず己の存在を示し続けていて、それと笛の音が混じり合って、頭がくらくらしてくる。
張り詰めながらも開放的なリズム。
熱狂する空気の中を舞う甲高い笛の音。
さらにそれと混じりあうように、周囲の空気が緊張と高ぶりを増していくのがわかった。混乱しながら酔っ払うようで、酒など飲んだことないのに身体が熱をもっているような気になってくる。
勝負の行方なんてさっぱりわからないのに、気がつけば周りは人でいっぱいになっていて、口々にざわめきながら山車を指差しているのだ。
もはやどっちがどっちなのかもわからない。
拍子が混ざって追いきれない。
そんなことを、いったいどれほど続けていただろうか――
そこで横笛吹きの彼女を乗せたほうの山車が、すっと、横に動き始めた。
道を開けたのだ。
「あ――勝負あり……なのか?」
傍で聞いている分にはさっぱりわからなかったが、山車を引いている誰かが、勝敗を判断したのだろう。
そこにできた空間を、未だに止めることなく自分の拍子を叩き続けるゆかりとみのりを乗せた山車が通り過ぎていく。
そして道を譲ったほうの山車も、そのまま先に進んでいった。
派手な勝ち鬨があるわけでもない。
よくわからない決着の仕方ではあったが、しかし双方ともに自信と迫力に満ちた演奏だった。
まさに己を保ち続ける勝負、といったところか。
まだ覚めやらぬ興奮の中、通り過ぎていった彼女たちの山車を見送る。あれだけのことをしたにも関わらず、どちらの山車もそのまま変わらず、祭囃子を叩き続けていた。
###
そして再び、祭囃子たちが遠くから聞こえるようになった、祭り会場で――
「うーん! ゆかりんとみのりん、かっこよかったねー!」
前を歩く涼子がいつものように、はしゃいだ調子で振り返って、こちらに言ってきた。
「お囃子勝負ってなんだかよくわからなかったけど、見に来てよかったね! よくわかんなかったけど!」
「そうだな。すごかった」
まったく変わらない彼女に、やはり苦笑いで鍵太郎はそう答えていた。
なんだかんだ、思うところはあるが――けれど涼子についていくと、やはり自分の知らない景色が見えるということは、それでも確かだったからだ。
先ほどまであった彼女に対する気まずい雰囲気も、ゆかりとみのりのおかげか、意外と綺麗に吹き飛んでいる。
まだまだ自信はないけれど。
それでも自分を譲らないままにできることがあるんだと思えたことは、それだけで収穫だったのだ。
散々引っ張りまわしてくれたが、こういうことがあるので涼子を叱るに叱れない。落ち込むのも復活するのも結局自分のせいで、そうなるとやっぱりもう、こっちが強くなるしかないのかなと思う。
そして――涼子のことといえば。
「……なあ、浅沼」
最後にもうひとつ、気になることがあって鍵太郎は彼女に話しかけた。
それは山車が来る直前、自分が八つ当たりのように涼子に叫んでしまった、あのときのことだ。
なんでおまえは、自分に真っ直ぐな言葉を投げかけてくるんだと訊いてしまった、あのとき――
彼女は、なんと言おうとしていたのか。
「さっきおまえ、なんて言いかけて――」
「あ、みなとみなと! わたあめ食べたい! わたあめ!」
「人の話を聞けええええええっ!?」
でも、そう訊こうとしていたのに、涼子はまるで答えてくれる様子もなかった。
なのでそんないつもの彼女に、力いっぱい突っ込みを入れて――しかしはしゃいでいる涼子には、それも聞こえていないらしい。
目指すわたあめの屋台目掛けて、彼女は一直線に突っ走っていってしまう。
そうだ。
こいつ、こういうやつだったのだ。
改めてそれを思い知り、涼子の後ろ姿を見送って――
「……まったく」
そんな彼女のことを見つめながら、鍵太郎はやれやれとため息をついた。
振り回されていることは自覚しつつも、そんな涼子の姿を見ていると、なんだかんだで笑ってしまう。
彼女はいつも、こんな風に自分をどこか知らないところへ連れて行ってくれるのだ。
文句を言いつつも付き合っているのは、涼子のこういった面を、ある意味尊敬しているからでもあって――
「おまえは――アホの子だなあ!」
それだけが唯一の砦で、それだけが最後の防衛線だった。
これは、己を保ち続ける勝負なのだ。つくづくとそう思って、鍵太郎は涼子のことを追いかけて走り出した。
自分のものは譲らないし、ましてこいつに奪われる気もないけれど。
でも、それでも案外大丈夫だということは――
「みなとみなと! こっちこっち!」
さっきそこにいる彼女に、教えてもらったのだから。
###
ちなみに――
この後、涼子が夏休みの宿題をまるでやっていないことがわかって、鍵太郎はさんざん文句を言いながらも結局は手伝うことになるのだが。
それはまた、別の話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます