第174話 おまえら全員、幸せにしてやんよ

「そういえば、野郎の部長っていうのは始めてかもしれんなあ」


 ドタバタとした部活会議を終えて、音楽準備室で。

 新部長・湊鍵太郎みなとけんたろうに、吹奏楽部顧問の本町瑞枝ほんまちみずえがそう告げた。


「どうしても、男子より女子のが多い部活だし。うん、アタシがここに赴任してからは、覚えがないな」

「マジですか……」


 改めて自らのイレギュラーさを思い知らされ、鍵太郎はげんなりとそう返事する。

 男子でも副部長までやった先輩なら知っているが、まさか自分が部長になるとは思っていなかった。

 その二つ上の男の先輩の扱いを思い出すと、顔が引きつってくる。ひょっとして自分も、あの人のようなことになるのだろうか。

 ものすごい勢いでテンションが下がってきて鍵太郎がため息をついていると、それを見て先生が言う。


「おい湊、おまえアタシの連絡先知ってたっけ」

「あ、いえ……」

「んじゃ、教えとくわ」


 携帯貸せ、と言われたので、言われるがままに自分の携帯を差し出す。

 そういえば、今まで顧問の先生と直接連絡を取ることなどなかったが、これからはそういうわけにもいかないのだ。

 なんだか、すごく部長という感じがしてきた。

 鍵太郎が濁った眼差しで先生のことを見ていると、手早くお互いの連絡先を交換しつつ、本町が言ってきた。


「貝島は、ほっとんど相談してこなかったからな。それはあいつの優秀さの証明でもあるけど、同時に諸刃の剣にもなった。だからこれからは、もっとちゃんと連絡を取り合おうと思うんだよ」

「……そうですね」

「おいおい、別に圧力かけようってんじゃないんだからな」


 むしろ逆だぞ、逆。そう言って本町は、登録を完了したらしく、携帯を返してきた。


「ひとりで決めてひとりでやれるっていうのは、それでスゲエ、立派なことだ。それができない人間は、ごまんといる。ただ、それはつまり大抵の人間は、ひとりで決めたものはひとりでやりきれないってことでもあるんだよ。

 だから自分で自分を追い詰める前に、なんかあったら相談しろ。それはなんにも、恥ずかしいことなんかじゃない。わかってるとは思うけどな」

「……はい」

「まあ、きのうまでコンクールだったんだ。疲れたと思うから、今日はもう帰れ」


 身体が疲れてると、どうにも考えが暗くなるからな――そう先生が言い、それは確かにそうだと思ったので、鍵太郎は小さいながらも「はい」と言ってうなずいた。

 少し休んで、それから先のことは考えればいい。

 そうは思いつつも――頭の隅にある焦りと不安は、油断するとすぐに鎌首をもたげてきそうだった。



###



 コンクールを終えるとお盆の時期になり、そこでいったん部活は休みになる。


「はあ……」


 家に帰ってひと息ついて、鍵太郎はそのままリビングのソファに沈み込んだ。

 そういえばここのところ、朝から晩までずっと楽器を吹きっぱなしだったのだ。

 先生の言うとおり、気づかないうちに疲れも溜まっているのだろう。部活もなにもないこの期間で、少し休んだ方がいいかもしれない。

 自己管理もまた、部長としての務めのうちなのだろうから――と、そこでまたうっかり考えてしまって、鍵太郎は首を振った。

 どうも考えがそっちに引っ張られてしまって、休むに休めなくなっている。

 下手に静かにしていると、精神衛生上まずそうだ。そう思って気を紛らわそうとして、テレビをつけたのだが――

 そこに映っていたのは、海やプールなどの行楽地で、楽しそうに過ごす人たちの姿だった。


「…………」


 なんだろう。

 虚しい。

 画面の向こうの笑顔を見ていると急に自分がみじめになってきて、鍵太郎は半眼になった。

 そういえば今、世間的には夏休みなのだ。

 遊びに行くことだってあるし、むしろそれが普通なのだろう。

 部活漬けの自分が少数派なだけだ。だが別に、それがうらやましいというわけでもない。

 これは負け惜しみでなく本当のことで、ここ最近自分がやってきたことは、胸を張っていいことだと思っている。

 だから問題はまた、違うところにあって――

 つまり自分は単純に、悩んでいるところに他人のリア充っぷりを見せ付けられて、その落差に落ち込んでいるだけなのだ。


「……うわあ」


 そこまで自分で分析をして、鍵太郎は自分の器の小ささに自分でへこんだ。

 こんなんで、部長としてやっていけるのだろうか――再び思考がそこに戻ってきてしまって、ソファの上で膝を抱える。

 テレビの中の賑やかさは、先ほど自分がやっていた、会議の様子を思い出させた。

 あのときはいけると思ったはずなのに、ひとりになって我に返ると、途端に自信がなくなってくる。

 先ほどの会議はなんとかうまくいったものの、これからもそうだとは限らない。

 むしろうまくいき過ぎたが故に、それが今逆にプレッシャーとなって、鍵太郎を苦しめていた。

 先輩たちに助けられながらなんとかやれたとはいえ、これからもそれを期待するわけにはいかないのだ。

 学校祭が終わって、先輩が引退したらどうするのか。

 アクの強い同い年たち、まだまだ頼りない後輩たちをまとめていけるのか。

 そもそも今度の学校祭を、乗り切ることができるのだろうか――と、どんどん自分の中で不安が膨らんでいくのを感じて、まずい、と鍵太郎は首を振った。

 ちょっとしたことで気分が激しく上下して、それに感情が追いついていけてない。

 考えても仕方ないことが、ぐるぐるぐるぐる頭を巡って止まらない。

 相変わらず眩しい映像を流し続けるテレビを見るのが、とても辛い。

 なので衝動的に、そこでテレビを消そうとすると――

 そこに映されたライブ会場の様子が、目に飛び込んできた。



###



 それは姉の好きそうな、男性人気アイドルグループのライブ映像だった。

 夏休みだからだろう。その会場にはものすごい数のお客さんがいて、大きな声援をあげている。

 もちろん当然だが、大半が女性だ。ここにはいったい何万人いるのだろうか――

 そんなことをぼんやりと考えていると、そのアイドルグループのうちのひとりが言い放った言葉が、耳に入ってくる。


『おまえら全員、幸せにしてやるよ!』


「――」


 ――この人は。

 どうして、そんなに自信満々にこんなことが言い切れるんだろうか――画面に映し出されたそのアイドルの姿を見て、鍵太郎はただ素直にそう思った。

 堂々と歩いて、踊って、歌うその姿。

 そして、それに宣言どおり熱狂する観客を見て――すごいな、という気持ちが湧いてくる。

 自分は目の前の三十人ですら、幸せにできる自信がないというのに。

 どうやったらこんなに、自信たっぷりに舞台に立てるのだろうか。

 どうやったらこんなに、みんなを盛り上げて、楽しませることができるのだろうか――

 抱えた膝から顔だけを上げて、映し出されるライブ映像を見つめる。そうするわけでなにかが解決するわけでもないけれど、今はとにかく、そうすることしかできなかった。

 しかしテレビで取り上げられる映像など、ほんの少しだ。すぐにそれは終わってしまって、そこからはどこか遠くでやる、花火大会の紹介に移った。

 ただ――


「……どうすればいいんだろう」


 それでもほんの少し気持ちを前向きにすることは、できたようだった。

 心の中の負のスパイラルが止まったことを確認して、鍵太郎はひとりごちる。とりあえずはまず、確かに先生の言うとおり、休んだほうがいいのだろう。

 ただどうしても、ひとりでじっとしていてもロクなことを考えないし、ここしばらく楽器を吹くことしかしていなかったので――


「……休むって、どうやるんだっけ?」


 つまり、どう休んでいたかを忘れてしまっていた。

 いかん、深刻な部活中毒だ。引きつり笑いを浮かべて額を押さえる。

 すると――

 鍵太郎の携帯に、誰かからの着信があった。


「……ん?」


 まさか、先生ということはあるまい。

 そう思って画面を見れば――そこに表示されていたのは吹奏楽部の同い年、浅沼涼子の名前だった。


「なんだあいつ、夏休みの宿題手伝ってくれとか言うんじゃないだろうな」


 十分あり得る話だったので、苦笑いしながら「もしもし? 浅沼?」と電話に出る。

 彼女には今日の会議で借りができてしまったので、頼まれれば手伝ってもいい。

 そう考えていたのだが――しかし聞こえてきた彼女の声はあまりにも、頼みごとをするには弾んだものだった。


『もしもし湊! いま暇!?』

「ん? 暇っちゃ暇だけど」

『よっしゃあ!』


 あれ、どうも予想と違うな?

 いつも通り、いやそれ以上に元気いっぱいの涼子の声を聞いて、鍵太郎は首をひねった。彼女にしては珍しく、ちゃんと宿題はやっていたのだろうか。

 いや、浅沼に限って、そんな――と思っていると。

 鍵太郎はそこで涼子の声の他に、また別の音が聞こえてくるのに気づく。


「ん? おまえ今、どこにいるんだ?」


 通話を通して聞こえるのは、誰かの叫ぶ声やしゃべる声が混ざった、ざわざわとした雑音だ。

 どうも彼女がいるのは、人が多くて騒がしい場所らしい。

 そしてそれはどうもどこかで、聞いたことがある。


『うん、あたしが今いるのはね――』


 なんだろうと思っていると、涼子がやはり、楽しそうに質問に答えてきた。

 そして彼女の声の裏からかすかに聞こえてくるのは、甲高い笛の音や、軽やかな太鼓の音――


『お祭り会場だよ! ねえ湊、一緒にお祭り見よう!!』


 そう、それは夏祭り会場でよく聞く、お囃子の音だった。

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