第173話 これからの部活についての話をしよう

 『学校祭について』と湊鍵太郎みなとけんたろうが、音楽室の黒板に書き終わったとき――

 千渡光莉せんどひかりがそれを見て、正直な感想を口にした。


「きったない字ねえ」

「悪かったな!? どうせ俺の字は汚いよ!?」


 部長として初めての仕事にいきなりケチをつけられて、鍵太郎は思わずそう叫んでいた。

 今やっているのは学校祭についてのあれこれを決めるための会議だ。

 人の前に立つなんて本当に嫌だったけど、みんながやれと言うので、なんとかやってみることにした。

 なのに、最初からそんなこと言わなくてもいいではないか。鍵太郎がうずくまって床に『の』の字を書いていると、さすがに申し訳なく思ったのか、光莉が言ってくる。


「あー、もう、わかった、わかったから。チョーク貸しなさい、ホラ」

「……?」


 言われるがままに持っていたチョークを渡すと、彼女はそれを持って、壇上にあがってきた。

 なんだろうと思って見守っていると――光莉はそのまま黒板の前まで行き、こちらを振り向いて言ってくる。


「書記なら私がやるから。あんたはそのまま、進行やりなさい」

「……おまえ」

「べ、別にやりたいわけじゃないけど。でも、副部長なんだから――みんなに選ばれちゃったんだから、しょうがないでしょ」


 全部あんたに任せて、高みの見物っていうのも後味悪いしね――そう言って光莉は、ぷいっと顔を黒板の方に背けた。

 副部長として覚悟を決めた、というには彼女もまだまだ、遠い印象だが。

 それでも、この同い年がこちら側に来てくれたこと自体が、鍵太郎には嬉しかった。


「悪い。じゃあ――頼む」


 そう言うと、光莉はこちらを見ないまま、小さくうなずいて――

 それを確認してから、鍵太郎は改めて、こちらを見つめる部員たちに向き直る。


「よし、じゃあこれから学校祭についての会議を始めます」


 そこにはこの部活にいる、様々な考えを持つ部員たちがいた。

 一年生に三年生。初心者に経験者。

 見知った二年生に、あまり話したことのない、他の楽器の後輩たち。

 そんな、なにが出てくるか予想もつかない人たちに向けて――


「みなさんは今度の本番――どうしたいですか?」


 鍵太郎はあえて、そんな途方もなく大きな質問をした。



###



 どうしたい、といきなり訊かれても。

 大抵の人間は、すぐには出てこないものである。予想通りほとんどの部員は困惑して、隣の部員と顔を見合わせた。

 ざわめく音楽室の空気を代弁して、現部長の貝島優かいじまゆうが言う。


「どうしたい、とはどういうことですか? 湊くん」

「あ、ええとですね……」


 返答によっては容赦しないぞ、という雰囲気を感じ取って、思わず顔が引きつるが。

 それでも、これは訊いておきたい重要な質問だったのだ。

 なので鍵太郎は優と、さらにその向こうにいる部員たちに向けて、自分の意図を口にする。


「普通だったら、学校祭の曲を決めて、それだけでよかったんだと思うんです」


 これまでだったら、それでこの会議は終わるはずだった。

 部長も副部長も決まって、これからやることも決まって、はい次、はい次――となるはずだった。

 でも――


「でも、それだと曲を知らない人たちは、全く話に参加できないじゃないですか。

 俺も初心者で入ったからそうだったけど、どんな曲をやりたいとかそういうの、去年は全然ありませんでした。ただ先輩たちのやりたい曲を渡されて、それをやるしかなかった。

 けど――それだと意見が偏るなって思って。だから具体的にやりたい曲だけじゃなくて、やりたいことあったら言ってほしいなって思ったんです」


 今回のコンクールが荒れた原因の一端は、まずそこにあったはずだ。

 一部の人間だけで話が決まり、その他の人間は口が出せなかった。

 それがいつしか先輩と後輩の間に、大きな溝を作ることになっていったのだ。

 そう言うと、優は「ふむ」とうなずいた。


「もちろん、普通にやりたい曲を言ってもらっても構いません。でも今回はそれ以外に、なにかぼんやりとでも、やりたいことがあれば言ってくれれば。なんでもいいです。形になってなくても。『ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつわざ』みたいなものでも構わない」

「なにそれ」


 後ろから光莉の声が聞こえてくるが、今は解説している場合ではない。あいてはしぬ、からだ。

 とにかく必要なのは『参加してる感』だった。

 先輩たちだけではなく、後輩にも盛り上げに一役買ってもらいたいのだ。その方が絶対楽しいし、自分で決めたものの方が、やる気も出てくる。

 その方が結果的に、コンサート自体の成功につながるはずだ。

 すると、現部長にはそれが伝わったようで、「なるほど。了解しました」と攻撃の意思を引っ込めてきた。

 これでとりあえず、最初の関門は突破したといえる。

 ただ――まだそれでも、意見が出てくるには至らない。

 なら、ここから――


 あれ、ここからどうすればいいんだっけ?


 そう思った瞬間――ぞっとして、鍵太郎は身体の芯から冷や汗が噴き出してくるのを感じていた。

 これまでこういった場面に遭遇するたびに、『こうした方がいいんじゃないかな』『この方がいいのにな』と思ってきて、今回それを実行したのだが。

 いざ壇上にあがってみると、そう簡単にはいかないということが、わかる。

 批判するだけだったら誰でもできる。

 だが今は、最初からその『こうした方がいい』を出す場面なのだ。

 そう思いながらも頭が真っ白になってしまって、その先が思いつかなかった。

 どうすればいい。

 どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい――やばい、なにも思いつかない。

 なにか言えばいいのか。

 それとも、誰かなにか言うのを待てばいいのか。

 というかやっぱり自分は、ここに立つべきではない人間なのではないか――ほんの数瞬で思考が高速で空転して、そんなことまで考え始めた、そのとき。


「ねえ、じゃあ湊っちは、まずどういう感じがいいと思うのさ」


 三年生の高久広美が、弟子の顔色を察してか、絶妙のタイミングでフォローを出してきた。


「どうしたいかって訊かれてもさ。夕飯なんにしたいって訊かれてるのと一緒だよ。せめて肉か魚か、こってりかあっさりかくらいは言ってもらわないと、こっちもなに言ったらいいかわかんないよ?」

「あ、はい……」


 この先輩は、こういった場面を動かすことについては、この部におけるエキスパートである。

 なのでその助け舟に必死でしがみついて、鍵太郎は目だけで広美に「すみません」「ありがとう」と送った。当の師匠はこっちの考えていることなどまるでお見通しのようで、いつも通り苦笑い気味にニヤリとするだけだったが。

 それでかえって落ち着いてきて、大きく息をつく。

 まだまだ、この人には敵わないな――そう思って自分でも苦笑して、肩の力を抜いた。

 大風呂敷を広げておきながら、自分でたたみ方もわからないとあっては世話がない。

 まずは言いだしっぺとして、自ら身体を動かさないとならない。

 ならば――と鍵太郎は、そこでまず最初の一歩を踏み出すことにした。


「俺たちって最近はコンクールもあって、ものすごい真面目にやってきたじゃないですか」


 それもまた、考えてみれば。

 自分が最近やり始めた楽器の吹き方と、似たようなものだった。


「だから今回は思いっきり、楽しくやりたいなと思ってまして。この二ヶ月くらい、みんなどこかで『こうしたらいいんじゃないかな』『こういうのやりたいな』ってことがあったと思うんです。だから今回は、それをやりたいなと思って」


 なにもないところから『これから』を作り出そうなんて、そんなこと、自分ひとりでできるはずなかった。

 示すべき正解なんて、最初からない。

 それは、きのうの時点でもうわかっていたはずで――


「でも俺が考えてるのは、漠然とここまでなんです。だから、ここでみんなどんな感じのことを考えてるのか、聞いてみたくて」


 だったら、これからそれを作り上げていけばいいだけの話なのだ。

 前には出ているけど、今はとりあえず、いつも吹いてるようにやればいい。

 いつもと同じだ。

 なにも構えることはない――


「……どうでしょうか」


 と、そうは思っても内心ドキドキしながら、鍵太郎は部員の反応を待った。

 実は、あてがないわけではない。

 批判することだったら誰でもできるというのであれば――ひるがえせば、みんななにかしらの考えは持っているということでもある。

 問題なのは先陣を切るプレッシャーで、それがなくなれば、少しずつ意見が出てくる――はずで。

 まず、誰かに発言してもらうことが先決だった。

 数分にも、数十分にも感じる沈黙の中で。

 鍵太郎が誰か、誰か――と、脂汗を流していると。


「『ようかい体操第一』やりたい!」


 空気を読まず、まったく自重せず――

 浅沼涼子が、ビシッと手を挙げて、こちらに言ってきた。


「曲やりながら、何人かで前に出てあれ踊ろうよ! すっごい楽しそう!」

「あーそういやおまえ、去年から踊りたいとか言ってたもんな」


 前に見た、彼女のふしぎなおどりを思い出して鍵太郎はうなずいた。

 そのときは人数が少ないので却下された希望だったが、今の人数なら、できないこともないだろう。

 黒板に曲名が書かれると、堰を切ったように他の部員もやりたいことを言い始める。


「楽しいやつっていうんなら、『エル・クンバンチェロ』やりたい!」

「ディズニー系やろうよ! チョーキラキラしたやつ!」

「富士見が丘の演奏会みたいに、プログラムの中にアンケートを挟んだらどう? お客さんの声が直に聞けるし」

「『エルザ大聖堂への行列』」

「あ、まやかずるい。じゃあ私も『メリーウィドウ』を」

「ハロウィンだっていうことなので、会場をすっごい、派手派手に飾り付けたらどうでしょうかー?」

「楽器にも……ちょっとだけ、飾りを付けたいです」

「そうだ、ハロウィンだよねー! じゃあ、来てくれる人にお菓子プレゼントとかどうかな?」

「ちょ、ちょっ……! みんな、いっぺんに言わないでください!?」


 悲鳴をあげつつ、光莉が必死に黒板に走り書きをし出して――


「は、はは……」


 鍵太郎はそれを見て、泣きたいような笑いたいような、不思議な気持ちに襲われた。

 なんだ。

 やっぱりみんな、考えてることあるんじゃないか。

 これからやりたいことでぐちゃぐちゃになっていく黒板を見ていると、なぜか楽しくなってくる。

 統率性も現実性も、確固とした正しさもそこにはないが――

 そこにあるのは、混沌とした『これから』そのものだったからだ。


「言いたいことがあるなら挙手して言いなさい、挙手して!? あーもう、カオスよカオス!? どうしてくれんのよーっ!?」

「いいじゃん千渡、みんな楽しそうに言ってくれてるんだから」

「笑ってないで、あんたも書くの手伝いなさいよぉぉぉぉぉぉッ!?」


 文句を言いつつも彼女の顔は、自分と同じように楽しそうで――

 放っておくと殴られそうだったので、鍵太郎は光莉と一緒に、次々と話される希望を書くことにした。

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